『──また……会おう、ね。絶対、だから』
あの時にした一方的な呪(まじな)い。
数時間後には呪(のろ)いとなったその切実な願いほど悲しい約束を、私は未だ知ることはない。
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あの日、日が照っていたかどうかすらよく覚えていない。けれど確か傘を指した覚えもないからきっと太陽は顔を出していたのだと思う。
その時は、そんなことすら気に止まらなかった。ただひたすらに、あなたの傍に一刻も早く立ちたいと願った。初夏と言うには日の経ちすぎた7月の初めだと言うのに、暑さは感じず ゾッとしたようなさむけを感じたことを覚えている。
私があなたの元へ向かったとき、あなたは既に意識はなく。繋いだ手が随分と頼りなく冷たくなっていた事に、いやにリアリティーのある病巣の存在を意識した。
眠っているというよりはただ魘されるように目をつぶるその姿。しっかりと痛いほどに握られた手のひらと、忙しなく動き続けるグラフだけが あなたがまだこの場所に留まっていることを示していた。
「言いたいこと沢山、あるんだよ。早く起きてよ」
──叶えたかった夢が叶う準備が整った。ずっと行きたかった海外に行くことになった。オシャレな着物を予約した。研究発表を任された。
数え切れないほど伝えたいことがあった。これから見せたい姿があった。写真も映像も山のように持っている。そうでなくたって たわいもない話がしたい…… どれだけの望みを目をつぶり続けるあなたにしただろうか。
医師から一方的に伝えられた面会時間はたった10分。そのうちの9分間ずっと、留まることなく喋り続けた。
「お願い。お願いだから 目を覚ましてよ。約束してよ、また……会いに来るから」
病状が変わらない限り、あなたに会えるのはこれで最初で最後だとはじめに告げられていた。今日でお別れな可能性もあるのだと、そんなふざけた話を聞かされていた。けれど、受け入れられなかった。受け入れられるはずもなかった。
だから、返ってくることもない一方的な約束を無理やりに結ぶ。神でも悪魔でもなんでもいい。ただ、あなたを失いたくなかった。
「絶対、だから。また会いに来るから。手繋いでね」
呪いでもよかった。叶うのならなんでもよかった。
まったく、一々重いんだよ なんて笑い話にしてしまいたかった。そうすれば、あなたとずっと一緒にいられるって、そう信じていた。
今も……信じていた、かった。のに……
───あなたは、嘘つきにもなってくれない、残酷な人だった。
『叶わぬ夢』
その言葉はたぶん、世間一般的には負のイメージを持つフレーズなのだと思う。
── 挫折、失敗、無謀な高望み
どう言い繕ってみたところでプラスの響きなど存在しない、あまりに否定的な冷たい音。
けれど、
「あるだけ羨ましい、けどな」
個人的には夢を見られるだけ恵まれた環境であると、そうなにとなしに思った。
だって、少なくとも夢としたい目を焼くような光を映したことがなければ、理想がなければ潰えることすらない。初めから持たぬものなら失うはずもなし。羨むことすら叶わない、手を伸ばすことも許されない、そんな薄情な現実は世間にありふれているのだから。仮に掴めなかったところで挑戦する権利があっただけ幸せなのだと。
「そもそも、まだチャンスはある癖に」
簡単に諦めるその物分りの良さは、大っ嫌いだった。
テーマ; 【叶わぬ夢】
寂しそうな背中をしていた。
凛と、蓮の如く咲き誇る清廉な姿。人はそれを完璧な所作だと褒め称え、まさしく百合の花と そう口々に言い募る。
品のある立ち振る舞いは人目を攫い、一目で見惚れさせる魅力的な姿形を持っていたその人。確かに見目麗しく、動作も気品に満ちていた。
けれど──
否、それ故に。
その人は、酷く繊細に見えた。
喩えるなら、そう。人の形を模した精巧な球体人形のような。人ならざるものの持つ、欠けたるが故に持ち得る特有の存在感と空気。空間と切り離されたかのような僅かな距離感と排他的な透き通りすぎる瞳。熱を与えることも奪うこともない一定な温度。何処までも作り物めいていた。
分かり合うことのない。理解されることのない孤独。それに慣れきって、求めることすらせず、風を切るように清く正しく己を律してはまた距離が開けてゆく。そんな、色のない寂寥を纏ったお手本のような華。気高く咲いて美しく散ることを定められたかのように振る舞うその姿が、どうしようもなく寂しく思えたから。
「───」
あなたの色を知りたいと、そう願ってしまった 。
テーマ; 【透明】
花びら
ビー玉
水たまり
目に映るすべてが特別なものに見えていた頃があった。
太陽は眩しくて、雨は煌めいて、雲は甘そうで。雪にはしゃいで、風に踊って、霧に隠れた。空を見上げて、地面を眺めて、耳を澄ませて 身の回りのすべてを受け止め受け入れ発見の喜びに身を任せた。
何もかもが新鮮で、知らないことばかりで、毎日が冒険。楽しくって仕方なかった。失敗だって怪我だって怒られたことだってぜんぶ。次の冒険のためのスパイスで、諦めることも懲りることも知らなかった。
世界は自分の為にあって。
世界の中心は自分自身で。
世界はどこまでも自分に優しくって。
恐れることなんてなかった。誰かが何かがすべてが、自分を守って肯定してくれていた。存在が無条件に許されていた。
「まだ、間に合うかな」
手渡された小さなガラスの玉を光にかざしてそんなことを思い出した思い出した───
「あーもう、どうしよう……」
開いたっきりカーソルの動かない文書作成ソフトに、やたらに開かれた統一性のないサイト。散らばる用紙には、自分ですら読み直せない殴り書きで記される文字列。眠気覚ましにと机上に置かれた深淵を覗いたような液体はとうに湯気をなくし冷え切っている。
「全然、思いつかない」
趣味が高じて描き始めた文章は運良く世間に受けいれられたらしく、今や生活のための一部にまでなっていて。そんなこんなで早数年。ありがたいと同時に、新人と呼ばれなくなった今日この頃、かなり切実な問題に直面することも多くなった。
物書き誰しもが経験するであろう避けて通れぬ試練。すなわちスランプ。もしくはネタ切れ。
「1ページも進んでないし」
描きたかったはずのキャラにストーリー。書き溜めた設定は十分に練られていて、今のところ評判も悪くない。愛着もあるしやる気も十分で、時間だって有り余っている。なのに遅々として進まない。
「この子どんな子だっけ?」
『この私を忘れるとは貴様の頭は飾りか?』
「ふえ!? 誰???」
『貴様は自分の子を覚えていないというのか。醜態を晒し続ける前に手伝ってやるのだから感謝しろ』
とつぜん頭の中に直接語り掛けるようにして聞こえてくる尊大な声。どこかデジャブを感じるそれに首を傾げれば、はっ っと鼻で笑われ流れるように貶された。
子? 子ども?? 独身なのに子ども??? 頭にハテナを埋め尽くしながら目の前のモニターをなにとなしに眺める。過去に書かれた文字列を認識した瞬間に霧が晴れたような心地がした。
何よりも大切な我が子。
話しかけてくる存在の正体。
理解できなかった投げかけられた言葉の意味。
「……うん。ありがとう」
次の話はきっと、特別なものになる。そんな気がした。
テーマ; 【君の声がする】
ごくたまに、作品を書いていて勝手にキャラが動くことがあって そんな時に彼らの声を聞いたような不可思議な心地がします。