息を切らして、鳥のようなか細い声で、わたしの名前を呼びながら路地を渡り走っていた、彼女の生まれつきの灰色に、見覚えはあるだろうか。少なくともわたしよりは、この世に名も知れている。なにぶん彼女はどこにでもいる人気者だ。わたしとは違って。
どこで違えてしまったのだろうか。川魚を食べたのが悪かったか、濁った空気を吸っては生きていけなかったか。そんな些細な、何十世代もずっと続けていたようなことが理由だとは思えなかった。もっと強大な集団が、知恵をつけてしまった。わたしたちでは手にも負えないような、そんな怪物だった。だが一番には、住み慣れたその場所を最後まで手放さなかった、わたしたちが悪かった。手放せなくなっていた、わたしたちが悪かった。
「……どこに、どこにいるんですか、ねえ」
その細くかわいい声も大きく丸い目も、すらりとした体も見えている。彼女は人気者だ。一芸もお手のもの、毒をつついて遊び、それはもうまるで怪物の模倣のように、虐めも薬物もした。
そんな彼女にも、やはりヒトと同じく、わたしたちとも同様に、心があった。足りなかったのは、当事者意識なのか、それとも道徳心なのか、単純な知識なのか。
「……ヨウスコウさん、ヨウスコウさん……」
彼女は、人気者だ。わたしたちと違って。容姿も、性格も、ヒトの愛玩物だ。たくさん愛されたから、たくさん注目されたから、彼女の家は、暮らしは、今日まで平穏だった。
対してわたしたちは、不気味で愛玩もされないような、空気のような存在だったのかもしれない。誰にも覚えてもらえず、最後まで気にかけるヒトは少なく、彼女だって、しばらく経ってから気付いたのに。
「………なんで。」
彼女の向かったわたしの家からは、数か月も放置されたような、わたしの死臭がしたはずだ。
わたしの生まれつきの灰色に、見覚えはあるだろうか。
色彩が鮮やかだった最後の記憶である。塗りつぶしたのは赤色で、それも深く暗い色の液体が、生温さとほんの少しの粘性を持っていた。ポンプから押し出された先に、あるはずの管が無く、そのままの勢いで噴き出されていて、私の頬とドレスと脳裏にじゅくじゅくと侵略をかけていた。
つまるところ、私の目の前で死んだ。出血多量である。いわゆる公開処刑というもので、王族はギロチンで処刑されて、その生首を晒し者にされる。「民の血税で贅沢を食らった罪」として、「愚者であるのに政に携わった罰」として、王は首の断面図を民衆に示していた。
尊厳が崩れていく。気高く美しかった王の血は、一般市民と代わらぬ赤色である。優しさと志の高さを併せ持った王の骨は、刃物で切られる白色である。王の服は汚れ、靴は擦りきれ、王冠なんてものは逃亡生活の途中で紛失している。かつての富と権力の象徴などという概念はもはやその人間には乗っておらず、ただ一人の肥満体系の中年が死んだ。それだけだった。
それをそう認識してしまったのが、私の色彩の終わりであった。革命などには抵抗の意を示し、王はこの国の神である、などと思い上がったような思考を持っていた私を、つまり王に拾われてからの20年間を全て否定され、打ち砕かれたことが、私の色彩の終わりであった。今はただ、民衆の口から発せられる罵詈雑言を受け、灰色の薄汚れた服を着る処刑人たちに、王に拾われる前の自分を重ねるだけであった。
ああ、まだ見ぬ景色。「私のなかのあなた」がいなくなった景色は、どうしてこれほどの受動的な白色を携え、さらりと爽やかに私を撫でていくのですか。王族どころか貴族でもなかった私は、縛り首で苦しみ抜いて、冬の訪れるようなこの気分で、人へと堕ちてしまったあなたのもとへ、今向かいます。
雪に反射した太陽光と、氷柱から垂れる水に、シャーベット状になった地面。間違いなく気温は氷点下ではない、いつもより少し暖かい、そんな北海道、札幌。
雪の積もらない九州平野部で生まれ育った私には、まだまだ慣れないことだらけだ。雪の歩き方も水抜きも、雪虫のことも、ここで初めて知った。まさか十一月に雪が積もるなんて、降った雪が溶けずにずっと残っているなんて。ベランダに積もった雪で雪だるまを作ろうとしたけど、二重窓の一枚目を開けた途端に流れ込んできた冷蔵庫のような空気に敗北を期した、そんな一月前のことを思い出す。
とにもかくにも、晴れていた。光輝く地面にまた新発見。雪ってこんなにまぶしいんだ、とつぶやきネックウォーマーと手袋、マスクを装着。意外にも、防寒具としてのマスクは侮れない。水滴はひどいけど。
雪靴で踏みしめる地面は、溶けたかき氷のように形を崩し、踏み固められていく。後からこの道を歩く人たちも大変だろう。現にわたしでさえ、慎重にペンギン歩きで動いてなお、何度も転びそうになっているのだから。いや、わたし個人が雪道に慣れていないだけかもしれない。でも、猿も木から落ちるし、道民も雪で滑るかも。北海道に野生の猿はいないけどね。
住めば都。最初は寂しかった。親も友人もいないこの土地で一人きり、大学に行くためだけに乗り込んだ四月の札幌には、道路の脇に雪がドッサリ積もっていた。でもそんなことよりも、ひとりぼっちの寒さが身に染みて、風景を楽しむ余裕なんてなかった。でもいつの間にか、早く昇る朝日も、だれかが作った小さい雪だるまも、家によって違う雪掻きの程度も、楽しめるようになっていた。
冷たい空気が眼の周りを刺す。わたしの瞳には、やわらかい光を放つ朝日が、今日も笑っている。
雪の降るこの街には、その白色の厚みとおなじくらいの後悔が積もっていた。薄暗い街だったことを覚えている。白い手袋で耐えていた。黒い靴下で歩いていた。赤いマフラーを巻いていた。
ペースを合わせて歩いてくれたわたしの風避けは、なくなった。
丁度一年前までは、となりを歩いていたその厚みも、今では土に埋まり、雪を固める音さえも、合わさることはなくなったのだ。それが寂しいことだと感じられるからこそ、わたしはそれを大切なひとだと認識していた、と証明できるのだろう。
憎まれ口を叩いて、無遠慮に心に入ってきて、それでも風上を歩き、耳も鼻も赤くして、わたしに心配と安心をおんなじくらいに与えてきた。冬は寒いものだと思えなかったのは、ひとえにこいつのせいだろう。
だって、寒さを感じたのは今年が初めてだ。
ことしのふゆもいっしょがよかった。
気付けば夜だったらしい。カーテンを開けて外界と繋がるような気力はなかった。今日も手元の小さな画面で私の世界は占められていて、残りのスペースをトイレと保存食とかが埋めている。
薬が効くようになってから、以前より増して動けなくなったような気がする。前まではなんとか、体を濡れタオルで拭くくらいのことはできていたのに、今はもう、体を這うハエトリグモをはらう気力もなかった。画面の向こうで流れる別次元を眺めていた。文字による他者の意思の現れを見ていた。悪意を咀嚼して、でも嚥下ができず、黄色い胃液と共に水に流した。
哀れみの目は気にならなくなった。考えられなくなった。薬が不安を抑えるために、思考回路を緩めて、ふわふわと浮かばせ遊んでいる。不安感を思考力と共に消したから、なにもなくなった。人間は考える葦であると誰かが言ってた気がするが、考えなくなったわたしは人間なのだろうか。葦を名乗るべきだ、というところで思考伝達は止まった。
間違いなく、不幸ではなかった。間違いなく、幸福ではなかった。灰色のカーテンが今日も開かないでいた。