気付けば夜だったらしい。カーテンを開けて外界と繋がるような気力はなかった。今日も手元の小さな画面で私の世界は占められていて、残りのスペースをトイレと保存食とかが埋めている。
薬が効くようになってから、以前より増して動けなくなったような気がする。前まではなんとか、体を濡れタオルで拭くくらいのことはできていたのに、今はもう、体を這うハエトリグモをはらう気力もなかった。画面の向こうで流れる別次元を眺めていた。文字による他者の意思の現れを見ていた。悪意を咀嚼して、でも嚥下ができず、黄色い胃液と共に水に流した。
哀れみの目は気にならなくなった。考えられなくなった。薬が不安を抑えるために、思考回路を緩めて、ふわふわと浮かばせ遊んでいる。不安感を思考力と共に消したから、なにもなくなった。人間は考える葦であると誰かが言ってた気がするが、考えなくなったわたしは人間なのだろうか。葦を名乗るべきだ、というところで思考伝達は止まった。
間違いなく、不幸ではなかった。間違いなく、幸福ではなかった。灰色のカーテンが今日も開かないでいた。
「はい、あーん」
「あーん………おいし」
「よね、愛情込めたけん」
「愛情の味はしないな、にんじんの味がする」
「せからしか、かわいい女の子とイチャイチャできる空気感やったやろ」
「え、なんて」
「うるせえって意味」
「そっちじゃなくて『かわいい女の子』のほうだな」
「バリかわいい女子が目の前におるん見えんのか?」
「見えない」
「はぁ~?ぶちくらすぞ」
「はいはいブチ殺すね、わかったから、クッキーもう一枚くれ」
「……あーんして」
「あーん」
「……ところで、最近アイツとはどうなったんだ?」
「あー……別れた」
「へえ、どうして?」
「そこ聞く? ……わたし、毎日昼ご飯おまえと食べとるやろ?」
「うん」
「それが気に入らんって言われて、ケンカなって、別れた」
「……それって」
「おまえが2週間前にあの子と別れた理由とおなじやね」
「うわー、最悪だ」
「互いに恋人運に恵まれんというか、恋人の器小さいというか」
「……これはさ、もうアレだよ」
「アレとは」
「俺たちは恋人を持つなってことだよ」
「……きっつ、クリぼっちきっつ」
「まあまあ、俺がいるじゃないか」
「クリスマスまでおまえと二人きりは嫌やけん意地でも彼氏作ってやる」
「フラれた」
「一緒にいたいならおまえが今食べとるアップルパイ一口よこせ」
「………はあ、あーん」
「あーん」
「……サークル、噂」
「そんな落ち込むなよ」
「はあ……大学生、食堂、同学年、異性」
「もう、もうなにも言うな」
「目撃情報拡散、警戒中、警報発令中!」
「人里にクマ現れたみたいになってるから!」
「なんや『恋の警報発令中』って!!あと九州にクマおらん!!」
「落ち着け!!!」
「せからしか!!!!」
「うるせえ!!!!!」
「……というわけやけん、しばらくは……」
「しばらくは……」
「この第二食堂でごはん食べることになるけん」
「まあそうよな」
「今まで食べてた第一食堂よりメニューが少ないこの第二食堂で食べることになるけん」
「きついな……俺のからあげ丼……」
「アップルパイはあるんで」
「アップルパイ好きなのはお前じゃないか」
「へ?」
「お前に一口やるために買ってたんだが」
「……………はぁ~??」
「……………え?」
「……自分がどれほど恥ずかしいこと言っとるんか分かっとらんのかおまえ~?!」
「………あ」
「その甲斐甲斐しさを元カノにも発揮できたらなぁ~? 『元』は付かんかったかもしれんのになぁ~?」
「うっせえ!!!」
「……じゃ、今日もアップルパイ一口よろしくですね」
「はあ……」
トロッコが走っています。レールは先で分かれ道になっており、右の道には人間が一人、左の道には五人、縛られて固定されています。トロッコはこのまま進めば、左の道に行ってしまいます。ところで、あなたの目の前にあるレバー、そう、それを引くと、トロッコの分岐は変わり、トロッコは右の道に行く事になるでしょう。
しかるところ、あなたが選ぶのは、「五人が自分の選択の関わらない場面で轢かれるのを見る」事象か、「一人が自分の選択によって轢かれるのを見る」事象なのです。え?レバーを真ん中に置けばトロッコが脱線する?……それは無しでお願いします。
世に広く知られている「トロッコ問題」は、この五人と一人の命に付加価値による差を付けることが多いように存じます。例えば、五人の他人と一人の友人とか、五人のニートと一人の社長とか、そんな感じです。しかし、こちらの問題に出てくる五人と一人は、全員が同一の条件を持つ、ということにしました。全員が33歳男性、会社員、妻と二人の子供持ち。休日の趣味はドライブで、実はかわいいぬいぐるみを集めている。あなたとは全くの他人であり、ここで初めて出会いました。そういうことにしておきましょう。
そう設定した際、あなたがレバーを動かすか、動かさないかを決める基準は、あなたの覚悟や責任感になります。例えば、レバーを動かさなかったとき。あなたは、動くトロッコの進行方向に、何の意志決定も関与させなかった。つまりあなたは、「トロッコが動いていた?人が五人も轢かれた?気づけなかったなぁ」と主張することも可能なのです。あなたは、トロッコが人を轢こうが、轢かれた人が亡くなってしまおうが、その事実には無関心でいてもいい。しかし、トロッコの犠牲になった人数は、レバーを動かしたときよりも多くなってしまう。それが、レバーを動かさなかったということです。
では、レバーを動かした場合はどうなるでしょうか。これは、トロッコの進行方向について、自分がその決定に関与したという事実を生みます。そして、レバーを動かした場合、一人の人間がトロッコに轢かれてしまうのは明らか。あなたは五人の人間を助けるために、自分の意志で、一人の人間を轢きました。犠牲になる人数は減りました。五人の会社員が、父親が、人間が助かりました。その代わり、あなたは自分の意志で、一人の会社員、父親、人間を轢きました。それが、レバーを動かしたときの、紛れもない事実です。
どうするのがよいと思うか、よければ考えてみてください。
ずっと、リピート再生ボタンを押している。終わってしまったら、また最初から再生している。目で見て、耳で聞いて、得た五感を足りない脳味噌で想起させている。
もう形は残っていない。あるのは記憶だけで、写真もベッドもネックレスも、全て無くなってしまった。それでも、記憶には残っていた。それだけで十分だった。
いくら形にしても、それはいつか滅びてしまう。形のある物が劣化しないわけがなくて、写真だって色褪せるし、壊れたベッドは使えずに捨てられて、ネックレスはどこかに落としてしまった。一つひとつと物をなくすたびに、永遠という概念を求めることは間違いだと思った。
でも、そこにそれがいたという事実だけは永遠だった。わたしが知っている限り、それはこの世に残る事実で、わたしがいなくなってしまっても、誰にも知られない、でもそこにあったはずの事実だと改めて認識したその日、わたしはやっと、すこしだけ楽になれた。
だから、今日も、いつも、いつでも、あなたと過ごした日々を思い出している。
檻の向こうにいるらしい。三食ごはん付きで働いている。24時間労働中のブラック待遇ではあるが、命は保証されている。そんな空間らしい。
永遠に出てこれないらしい。下手に外に出したら、人を襲うかもしれないらしい。かといって人のいない場所に放すわけにもいかないらしい。彼の世界はずっと広がらないらしい。
簡単には会いに行けないらしい。彼の方からは行けないので、わたしから会いに行く。交通費1200円らしい。物価が高くなったらしい。檻を運営する人たちも、ちょっと大変らしい。裏に畑を作ったり、エコなことをしているらしい。
離ればなれだったらしい。わたしとあなたは、ずっと動画や配信で観ていたけれど、実は離ればなれだったらしい。でも、今日は離ればなれではないらしい。
しばらく行けていなかった動物園のチケットは、やっぱり値上げしていた。