→短編・祭りの後
ライブ後、会場から観客が帰路につき始めていた。昂揚した面持ちの彼女も、その1人である。
1人でライブに参加していた彼女は、火照った頬をひんやりとした外気で冷めしながら最寄りの駅に向かっていた。同志たちの間を足早に縫って歩く。
「今日のセトリも最高!」
「あの曲が入るとは思わなかった〜」
「ライブの時のあの曲、化けるよね」
耳に入る感動の一つ一つにウンウンと心のなかで頷きく。ライブの余韻に浸る帰り道が彼女は大好きだった。ライブ会場よりも仲間意識が高まる気がするんだけど……、これってアーティストにとって、褒め言葉になるのかな?
電車に乗って、スマートフォンでさっそくセトリのプレイリストを組む。視線を感じて目を上げると、ライブグッズを持つ同年代の女性と目があった。
お互いに軽く会釈した後、彼女はイヤホンを耳に入れた。
テーマ; 仲間
→夢うつつ
幼い頃、私の部屋は2階にあった。トイレは1階。夜中に1人でトイレに行くのが、何よりも怖かった。
天井に付けられた階段の灯りは仄かで頼りなく、1階を照らすほどの光量はない。真っ直ぐな階段の下は、底の見えない洞窟のように見えた。存在しない冷気を感じる……。
「一緒に行ってあげる」
一度だけ、そう言ってプラスチック製の小さな手が私を導いて連れて行ってくれたことを覚えている。
赤ちゃん人形というのだろうか? 小さな女の子の姿をした人形は、柔らかいプラスチック製だった。その子と手を繋いで階段を降り、無事にトイレに到着。事なきを得て、再びベッドに戻った。
この、少しぼやけたフィルム写真のような記憶は、私の中に確かにある。しかし本当にあったことなのかは不明である。
テーマ; 手を繋いで
→短編・あの日から、決めたこと。
電車で席を譲ったら、「すみません、ありがとうございます」と言われた。
僕はにこやかに言った。
「どうぞ、どうぞ、ごゆっくり」
親切は気持ちよく。感謝には笑顔で応える。ある時から僕はそれをモットーにしている。
脳裏に浮かぶ彼女の顔を戒めとして。驚きに目を見開いた彼女の顔を。
あれは中学生時代のことだ。学校の階段から落ちそうになった同級生女子を助けた。
「ありがとう、ごめんね」
「謝る意味とか意味不明」
彼女の言葉にカチンと来て、噛みつくように言い返した。思春期特有の正誤感覚は、攻撃的で妥協や白黒以外を認めない。
彼女は、もう一言「ごめんなさい」と呟いて顔を伏せた。
彼女の萎縮した様子に、背中がカッとして熱くなった。言わなくてもいい主張をした自分に気が付き、罪悪感で胸が潰れそうになる。しかし、勇気のない僕は何も言えなかった。
それ以降、彼女と話をした記憶はない。
親切に自己主張を持ち込んではいけない。
後悔は先に立って旗を振ってくれやしないのだから。
テーマ; ありがとう、ごめんね
→部屋の片隅で、私の誇りが咲いている。
部屋の隅、
割れたカップ、
壁のコーヒーのシミは、まるで大きな花。
昨日の決別をお祝いしてくれてるみたい。
さよなら、あなた。
怒鳴っても、宥めすかしても、
私はあなたの付属物にはならない。
私は私の人生を生きてゆく。
テーマ; 部屋の片隅で
→短編・さかな馬鹿
僕は偏見の少ない人間だと思い込んでいた。それを思い上がりだと知るきっかけになったのは、彼のおかげだ。
「こんばんは、逆サマ〜」
水槽の中、流木の下から彼が姿を現した。お腹を上にして泳ぎながら、僕に擦り寄るように水槽の際までやってくる。
「ホント、面白いよなぁ、お前」
彼の品種はサカサナマズ。だから名前は逆サマ。
ホームセンターの熱帯魚売場でお腹を見せて泳ぐ姿に、「死にかけか?」と思わず二度見したことが、僕が彼をお迎えする縁になった。
「エサの時間だぞ〜」
水槽にフードを撒いてやると、逆サマは逆さまのままちょこちょことついばんだ。
まさかこれが通常の状態だったなんてなぁ〜。すべての魚が腹を上にしていたら死ぬ間際、ってある意味バイアスのかかった状態だよな。
自分の知識や見識など自然の前では微々たるもので、世界は広いのだ。
「あっ、逆サマ、底にエサが落ちてるぞ〜」
僕の声を聞いたわけではないだろうけど、逆サマは水槽の底まで泳ぐと、くるりと半回転して背を上に腹を下にエサを食べ始めた。よく見る魚の泳ぎ方。底を漁るときはこの姿になる。
「食いしん坊め!」
ちょうどその時、僕が水槽をチョンと突いたのと、エサを食べ終わった逆サマが腹を上にするタイミングが重なった。
ちょっ、逆サマ! 銃で撃たれて死んだフリっぽい! めっちゃかわいい! 動画撮っときゃ良かった!
テーマ; 逆さま