→『彼らの時間』9 ~ストップウォッチ~
自分が同性愛者なのだと気がついたのは小学生の時だ。隣の席の男の子が僕に言った。
「時を告げるって、なんか大層な言葉だよね」
彼のきれいな横顔と人懐っこい雰囲気に一目ぼれした。
そんな初恋話を司さんにしたら、彼は「お前は筋金入りだな」と笑った。
このやり取り以降、彼は僕に対して支配的な一面を見せるようになった。怖くなかったと言えばウソになる。でも当時は、彼との毎日を続けるうちに男性同士の付き合いはこういうもので、彼しか僕の相手をしてくれる人はいないと思い込むようになっていた。
「おい! オッサン!! コウセイ、嫌がってんだろ!! さっさと離れろ!! 前時代的ご都合主義振りかざしてんじゃねぇよ!!!!」
ヒロトくんは僕の手を引いて、司さんと僕のあいだに割って入った。僕の盾になろうと司さんに立ち向かう。
今から1年前、司さんが消えて、ヒロトくんは僕の話し相手になってくれた。-って言っても、LINEだけど。寄り添いながらも深入りしない彼のおかげで、僕は少しずつ自分を取り戻していった。
「コウセイは! 捩れてるところもあるけど、素直なヤツなんだよ!」
僕の手を掴む彼の手の節が白い筋を浮き立たせている。その強さが痛みとなって、彼の勇気と想いが伝わる。
ヒロトくん、ヒロトくん、ごめんね。僕、どうして司さんとの関係を基本に考えてたんだろう? 思いやりで育てる関係があるって、どうして信じられなかったんだろう? 君はいつでも僕に真剣に向かい合ってくれていたのに。
「アンタの変な性癖を押し付けんな!」
ん?? あれ? 何か……、イヤ、助けてもらってなんだけど、話の方向が?? 何か、こう、嫌な予感が……。
「確かに嫌がってるときヤラシイけど、気持ちイイときはもっとエロいし、何なら……!!!」
―ズゴン!
「何で?! 背後から?!」と驚くヒロトくん。
「うわぁ……、脳天に手刀」と司さんの小声。
「ヒロトくん! 話の論点、そこじゃない!!!!!」と僕の涙の叫び。
顔から火が出そう―って!!! あぁ、玄関が開けっぱなしだよぉぉぉ。
「あ、あの、ヒロトくん?? 耳が、痛いよ? ね?」
「まだダメ!」
「はい」
僕はバスチェアに座って身を小さくした。頭を洗うみたいにヒロトくんは僕の背後に立って念入りに僕の耳をひたすらに洗っている。僕だって司さんに舐められて気持ち悪かったけど……「じ、自分で洗おうか?」
「俺が洗う」
言葉少なくいヒロトくん。まぁ、そうだよね、怒ってるよね。司さんにいいようにされて情けないな、僕。
司さんは呆れて僕に完全に興味を失った。「やってらんねぇわ」との司さんに「うっせぇわ」と歌詞みたいにヒロトくんが返した。
素っ裸で二人、お風呂場でほとんど無言。シャワシャワと耳元に泡の音。
突然、ヒロトくんが僕を背後から抱きしめた。
「……怖かったよな」
ポツリと呟く。「本当は、俺も怖かった」
「ヒロトくん?」
「情けないよなぁ、今になって震えてきた。でも、絶対にコウセイを守りたくて、それだけしか考えられなくて……」
杏奈ちゃんは言った。本気の恋ならタイマー切って、歩み寄れ、と。本気の恋の相手は、絶対にヒロトくんがイイ。
「頭、まだ痛い?」と僕はヒロトくんの頭に手を当てた。
「少し痛い」とヒロトくんの拗ねた口調。あ、これ、ウソだ。遊んでほしいときのやつだ。よしよし。
「冷そっか」と僕はシャワーを捻った。空が泣くみたいに二人の頭上に冷水が振り落ちる。
「ウッワ! 冷てぇ! 心臓止まる!」とヒロトくんのウキウキした叫び声。
「でも冷やさないと!」と笑いながらの僕。
石鹸の泡が流れてゆく。シャワーの音、溶け合う二人の体温。君と僕の身体。
「あのね、僕、ヒロトくんに色々聞いてもらいた話があるんだ」
「もちろん」とヒロトくんは僕の両手を取った。まるで巣で休む小鳥のように僕の手が彼に包まれる。
「ずっと話してもらえるの待ってたよ、コウセイ」
彼が僕の名を呼ぶ、その声はとても優しく心地よく耳を撫でた。
「ありがとう、ヒロトくん」
僕たちの今にカウントダウンは必要ない。同じやるならカウントアップ。
終わらないストップウォッチを君と刻みたい。
テーマ; 空が泣く
→『彼らの時間』8 〜タイムラグ〜
ワタヌキコウセイは、小学3年の時のクラスメイトだった。羽ばたく鳥のように優雅に動く彼の手に、何故か目が吸い寄せられた。
小学校卒業を待たずに引っ越した彼と再会したのは、大学1年の時。夜明け前の公園だった。俺は彼女と別れたばかり、向こうも同じような状況っぽかった。詳しくは訊いていない。憔悴しきって、あの美しい手は骨のような有り様で、顔を覆って泣いていた。
お互いに驚いて、言葉少なく。LINEを交換して別れた。
その日から何度も、小鳥を温めるように彼の手をそっと包み込む夢を見るようになった。
会うことなく近況報告の日々。それでもトークは途絶えずに続いた。
分岐点は、合コンに誘った時の彼からのLINE。
―誘ってくれてありがとう
モジモジなクマのスタンプ。
―男の人しか好きになれないから… 遠慮しとくね
世界が、開けた。10年のタイムラグ。
自分が本当に誰を好きなのか、ようやく気がついた。
あれから1年、ワタヌキコウセイとの関係は続いている。今は少し停滞気味だが、これからも一緒に居たい、けど……――コイツ、誰? え? 何事が起こってんだ?? 状況に頭が追いつかない。
その男は、ワタヌキの首に手を回して部屋に乗り込んできた。
久野司と名乗ったソイツは嘲るような視線だけをこちらに送り、ワタヌキの耳に口を寄せた。「なぁ、昴晴? あんなに一緒にいてほしいとか縋ってたくせに、あっさり鞍替えか?」
「お願い、手を離して、司さん」
「あーぁ、真っ赤になっちゃって」と久野はワタヌキの耳を舐めた。ワタヌキが身を捩る。
「やだぁ! 止めてよぉ!」
「そんなに喜ぶなよ」
ハァ!? ふ・ざ・け・ん・な!!!
バカなオヤジにプツンとキレて、ようやく体が動いた。
「おい! オッサン!! コウセイ、嫌がってんだろ!! さっさと離れろ!! 前時代的ご都合主義振りかざしてんじゃねぇよ!!!!」
久野からコウセイを引き離し、俺は二人の間に割って入った。
テーマ; 君からのLINE
→『彼らの時間』閑話
ごきげんよう。
絶妙に感情の機微に触れない文章作りでお馴染みの一尾(いっぽ)でございます。
9月6日のテーマ「時を告げる」から始まった謎の連作『彼らの時間』。
司さんの昭和なチンピラ感を宙ぶらりんにしたまま、先日の余話と今日の閑話で一段落。あと3話くらいで終わるかな?
今回のお気に入りは杏奈ちゃんで、彼女メインで白飯3杯はいけそう。ああいうキッパリ系の子と呑みに行くとあっさり帰れますよね―って、アイツらまだ19歳だったわ……若いなぁ。
それもコレも、第一話で昴晴くんが「小学3年の時」なんて言うんだもん。尋斗くんとの蜜月がそれから十年後だとぉ!?
そんな中途半端な年齢設定を放り投げたもんだから、昴晴くんは高校生で学生起業する羽目になったんですよ。そしておそらく本編で触れないだろう彼のお仕事は、ITベンチャーで、企業とボランティアを繋ぐサイトを運営しています。CSRですね。なんか知らんけど。社名も考えたんだけどな、忘れた。
感情迷子・昴晴くんと、優しさ直送・尋斗くんの、仔犬ちゃんのようなじゃれ合い。どうせ誰も読まんだろと思っていましたが、読んでくださる方々がいらっしゃる。そう、そこの貴方さま! 本当にありがとうございます。一個一個のハートをスクショしたいくらい嬉しいです。あと3話ではございますが、少しでもお楽しみいただけるよう、がんばりますね〜。
・小話 〜広報部長・八田さん〜
「総合商社の営業辞めて、ITベンチャー再就職のその後はどうよ?」
昔の同期と飲みに行けば、だいたいこんな話になる。酒に浮かれて好奇心が喉から登場、いらっしゃいませ、お帰りください。
「普通に食えてるよ」
面白くねぇなぁといじられても、俺の聖域を酒の肴にするつもりはないんだなぁ。
昼飯時、我が社の若き社長は弁当を取り出した。
「綿貫さん、今日は弁当持ちなんスね」
「へぁ!? う、うん、その、シェアメイト?が作ってくれたんだ」
慌てふためきながらも、弁当をイソイソと開けている。シェアメイトとか言っちゃって! 彼氏の手料理ですかぁなんて訊いた日にゃ、爆発するんじゃないかねぇ。
緩む頬に喝を入れながら、少し話を振ってみた。
「それにしても、午前中の案件、よくまとめましたね」
ごねる得意先の面倒事を片付けた彼の手腕は大したものだった。これでまだ十代。伸びしろは多い。
「もう少し妥協点をこっちに引っ張りたかったけど、今後を思えば、まぁ悪くないかなって」
弁当を味わいたいのとこっちの話に答えようとするジレンマで変な顔。うわぁ、連写してぇ。
「昼飯中に仕事の話してすみません。俺、外に食いに行ってきますね」
彼は一瞬表情を輝かせたが、少し顔を引き締め「ごゆっくり」だと! ごめんね、愛情弁当味わうの邪魔しちゃって。
去り際に振り向くと、頭にハート浮かべながら弁当食ってる彼の背中が見えた。今日も安定の愛らしさ。
しかしこれは恋愛感情じゃない。これは、そう! 推し! 綿貫昴晴推し!
あの人の変な素振りと仕事ぶりのギャップ萌えと言うか、単に弟っぽくて可愛いと言うか、とにかく推せる。今のところ命が燃え尽きるまで推せる。俺にとって会社は聖地。毎日が聖地巡礼。
順調に業績が上がるようにサポートするからさ、そのまま健やかに育っておくれ。
テーマ; 命が燃え尽きるまで
→『彼らの時間』余話
〜彼らの始まりの日、その一歩手前〜
―公園で。
夜明け前、綿貫昴晴は歩き疲れて思うように動かない足を引きずり、公園のベンチに座り込んだ。
「……司さん、何処に行っちゃったの……」
マッチングアプリ経由で知り合った彼は、昴晴の初めての彼氏だった。18歳の昴晴の瞳に、三十代前半の彼はとても魅力的に映った。
彼の言うことを何でも聞いて、その交換条件のようにずっと一緒にいることを約束させた。「はいはい」面倒くさそうな生返事でも応答には変わりない。
昨日の夕方、仕事から部屋に帰ると、彼と彼の荷物が消えていた。電話は繋がらず、SNSもブロックされている。
突然に消えてしまった彼の姿を求めて一晩中捜し回った。その結果は、極度の疲労と絶望を彼にもたらしただけだった。両手で頭を抱えて嗚咽を漏らす。
「ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃん……!」
昴晴の呟きは涙となって地面を濡らした。
―部屋で。
ベッドの中、微睡む但馬尋斗は柔らかい人肌を求めて手を伸ばした。手は空を掻いてシーツに触れるばかりだ。そこで思い出す。
「そっかぁ、別れたんだ」
時計は4時を指していた。もう眠れそうにもない。
「コンビニでも行くかぁ」
道すがら、またフラれちゃったなぁと尋斗はため息をついた。18歳の今まで、何人かの女子と付き合ってきたが、すべて彼女たちから別れを切り出されていた。曰く「尋斗、私じゃなくてもいいんでしょ?」と。
いつも本気で向き合ってきたつもりだった。しかし、焦がれるほどかと問われれば、強く肯定はできない。それが彼女たちを不安にさせたのだろうか? もしそうなら、自分は恋愛向きではないらしい。
「焦がれるほど好きとか、マンガの話じゃんよ……」
ずいぶんと空が白んできていた。
コンビニの袋を提げた尋斗は、通りかかった公園を横目に見た。
公園で朝食も悪くない。彼は足の向きを変えた。
新しい一日が、もうすぐ始まる。
テーマ; 夜明け前
→『彼らの時間』7 〜タイマー〜
好きな人の側にいたいのに遠避けようとしてしまう。彼に悪いことをしているのはわかってる。でも、いつか来る「終わり」を僕は恐れている。
「んー、なぁんかイミフメイ」
杏奈ちゃんは腕を組んで天井を見上げた。
最近、杏奈ちゃんとカフェ時間を過ごすことが多い。初めはヒロトくんと3人で合ってだけど、近頃は来ないことが多くなった。
手帳の一件以来、僕たちの仲はギクシャクしている。杏奈ちゃんも僕たちが気になるようだ。
「綿貫くんは尋斗から名前で呼ばれたり、ペアグッズがイヤ、と?」
杏奈ちゃんの押しの強さに負けて、色々と話してしまった。両親のこと、ヒロトくんへの気持ち、などなど。話してないのは……、あのヒトのことだけ。これは流石に話せない。
「イヤっていうか、思い出の数が多いと関係解消のとき、お互いに辛すぎでしょ?」
「石橋、叩きすぎ!」
杏奈ちゃんにピシャリと言い切られて、僕は思わず背筋を伸ばした。
「そこまで行くと、慎重通り越して地雷系クサくない?」
「そ、そうかな?」
「だって、綿貫くんは尋斗を名前で呼んだり、自分の家に引っ越させて一緒に暮らしてる。でも尋斗からのオファーは何も受け取りたくない。これってどうよ?」
そう言われると確かにヒドイ……。ヒロトくんの優しさに甘えて彼を振り回してる。
「綿貫くんの恋愛観って、タイマーみたい」
「タイマー?」
「終わりに向かってカウントダウン」
杏奈ちゃんは、珈琲をビールのように飲み干した。「尋斗と綿貫くん、いい感じだと思うよ。本気の恋なら、タイマー切って、もっと尋斗に歩み寄ってやんなよ」
家への帰り道。杏奈ちゃんの言葉を考えながら歩いていた。
本気の恋かぁ。杏奈ちゃんの言う通り歩み寄ってみたいなぁ。でも歩幅を間違えたら、ヒロトくんは僕を鬱陶しく思って、消えちゃったりしないかな……。例えば、あのヒトみたいに。「寄りかかるなよ、重いヤツだなぁ」含み嗤い。イヤだな、今日はやたらと彼を思い出す。
「ん?」
スマホの呼び出し。ヒロトくんかな? 話し合いたいって言ってみようかな? それとももう少し自分の中でまとまってから――。
―昴晴、前見ろよ。
違う、ヒロトくんよりも低い嗤い声。これは……。
頭を上げる。今まで考えていたことがすべて吹っ飛ぶ。脈打つ鼓動。脈打つ頭。絞り出した声は僕のもの?
「司さん……」
思い出が実物となって、僕のマンションの前に立っていた。
テーマ; 本気の恋