→『彼らの時間』6 〜来し方行く末②〜
「あれ? 杏奈?」
「ウソ!? 尋斗!?」
文房具屋でワタヌキと来年の手帳のことで意見が合わずに揉めてるとき、知り合いに遭遇した。
「高校時代のツレの望田杏奈、で、こっちは綿貫昴晴」と簡単な紹介。さっきまで揉めてた手前、素っ気なくなってしまった。
「はじめまして」とワタヌキは杏奈に手を伸ばした。
「えー、握手って新鮮」
杏奈は戸惑いながらも握手に応じた。こういう時のワタヌキは、社会人って感じでスマートに動く。大学生の俺とは大違いだ。
「尋斗の大学のセンパイですかぁ?」
確かにワタヌキはそう言いたくなるような落ち着いた雰囲気を持っている。同じ19 歳で、この社会経験値の差。隣にいるのに遠い……。今日はソレをいつもより深く感じる。
「ヒロトくんと同い年だよ。働いてるからかな? 疲れが顔に出てるのかも」と爽やかに答えるワタヌキ。外面いいよな、お前。
近場のカフェで話し始めたら、思った以上に盛り上がって、結構な長時間居座っていた。初めこそワタヌキと俺の関係に少し引き気味の杏奈だったが、すぐに打ち解けた。昔から気心の良さは折り紙付きだ。
「へー、杏奈、海外インターンするんだ」
「うん、11月から。1人海外めっちゃ緊張するー」と杏奈はスマホでインターン先を見せた。すげぇなぁと感心する俺の横でワタヌキの真面目な声。
「望田さん、もしよかったら僕の知り合いを紹介しようか?」
杏奈と俺の視線を集め、ワタヌキは続けた。「会社作るときにお世話になった人で、ヘッドハンティングされてそのあたりに移住したんだ。世話好きな人だから何かあったときには力になってくれるんじゃないかな」
「え? え? メイワクじゃない?」
「とりあえずメッセージ送っとくね。後は二人のフィーリング次第、かな? 無理そうなら適当に放置しておけば大丈夫だと思う。でも、すっごいパワフルな女性で色々と勉強になる点は多いよ」
杏奈の目がみるみる輝く。まぁ、そうだわな。こういう仕事デキる人脈あります感は普通にトキメクだろう。
「カ、カッコいいねぇ……綿貫くん」
そんなそんなと謙遜しながら、ワタヌキはスマホをいじっている。あっという間に相手から連絡が来て、杏奈と繋がる。俺は、うん、蚊帳の外。
「ありがとう! なんかちょっと安心できたー」と杏奈ははしゃぎながらも、用事を思い出したと突然に去っていった。おいおいおい、現金なヤツだな。
そして、気詰まりな沈黙。
「……ヒロトくん、まだ怒ってんの?」
「別に怒ってないけどさぁ」
事の発端は来年の手帳だ。ワタヌキと同じ手帳にしたいと言ったら拒否られた。
「お揃いって苦手なんだもん」
「じゃあいっそのこと自作しろよ」
「やっぱり怒ってる」
コウセイの頑なさの所以が、色々と複雑な事情が重なってのことだと解っていても、たまには歩み寄ってほしいって……。
「良かったぁ、まだいたぁ!」とやけに明るい声に二人して振り向く。なんか大きなショッパーを手に提げた杏奈がいた。
「望田さん? 忘れ物?」とワタヌキ。
「違うよー。ハイ! お礼を兼ねて、二人にプレゼント!」
押し付けるように俺の手元に押し込まれた、ショッパーを開けると……「カレンダー?」
思わずワタヌキと顔を見合わせる。
「さっき手帳売り場で揉めてたじゃん。理由はわからんけどケンカはいかんよ。杏奈さんが仲裁してあげよう!」
「カレンダーで?」
「手帳で揉めてんなら、字の大っきなカレンダーにしたら、気も晴れるってもんよ!」
「雑いな!」と呆れる俺の横でワタヌキはクスクスと笑った。
「ありがとう、望田さん」
結局、手帳問題は棚上げされたまま、10月始まりのデカいカレンダーが玄関にかけられた。動物の赤ちゃんシリーズ。
何処となくコウセイに似たアザラシの赤ちゃんが大きな黒目を潤ませて俺たちの見送りをしてくれている。
テーマ; カレンダー
→『彼らの時間』5 ~来し方行く末①~
会議が終わった後、自称・広報部長(広報一人だけ)に話しかけられた。
「前から思ってたんですけど、綿貫さんのそのメガネ、格好いいっすね」
登録上・代表取締役の僕は眼鏡を胸ポケットに入れた。軽い乱視を補うためのもので、近くを長時間見る時にしか使っていない。「どこにでもある黒メガネだよ」
「あっ、そうだ。今度のウェブマガジンのインタビュー、そのメガネかけてくださいよ。読者ウケ良さそう」
広報部長さんが去って、僕は会議室に一人残された。今まで気にしていなかった眼鏡が、胸ポケットの中で急に重量を増した気がした。
ダイニングテーブルでヒロトくんと向かい合っての夕食。
「ヒロトくん? 今度の週末って空いてる時間ある?」
ヒロトくんが作った明太子パスタ、美味しすぎる!!! カフェでバイトを始めてから、ヒロトくんの料理の腕はメキメキと上達していた。大学生活とアルバイの両立ができるなんて、さすがはヒロトくんだ。僕なんて起業でバタバタして高校生活おざなりだったのに。当時のこと、ほとんど覚えてないや。
「土曜はバイトだから日曜なら。何? 買い物?」
ヒロトくんは蕎麦のようにパスタを箸で啜った。そんなに口いっぱい頬張って! く、口がハムハムしてる。ハムスターも裸足で逃げ出す愛らしさ。あぁ、僕、眼福でお腹いっぱい。
「メガネ、買いたくて」
「カッコイイの持ってんじゃん。壊れたなら修理に出せば?」
「あー、気分替えたいなぁって」
「見事に棒読み。その場しのぎヘタすぎ」
ヒロトくんの箸が止まった。「ワタヌキコウセイ?」と優しい呼びかけが僕の背中を押す。僕はポツポツと白状した。
「……あのメガネ、父さんがフレームだけ新しくしてくれたの、忘れてたんだ……」
「思い出したから買い替え?」
ヒロトくんの落ち着いた声は、僕の心に雫のように落ちて波紋を広げる。波紋がさざ波を立てて僕の言葉となってゆく。さわさわさわ……。
「か、彼はもう再婚して新しい家庭を持ってる。それなのに僕が彼との思い出の品を持ってたら、さ……」
あぁ、感情のさざ波が大波となって押し返す。「こ、今度のウェブマガジンのインタビューにあのメガネをかけなきゃいけなくって! そんなの、もし父さんが見たら!!」思い出す、彼の震える背中、涙声。「何がカミングアウトだ、ふざけるな」その失望、喪失感。ごめんなさい、ごめんなさい、父さん……!
「嬉しいと思う」
「へ?」
ヒロトくんの声がビッグウェーブのようにすべてを飲み込んだ。えっと??
「二人の仲が拗れてるってのは前に聞いたし、長いこと会ったりしてないんだろ? じゃあ、お父さんがウェブマガジンで、思い出の眼鏡のワタヌキを見たらさ、なんだかんだで感涙もんじゃね?」
常夏の太陽ですか? この人……。
「ヒロトくんは優しいからそうやって何でもいい方面に物事を考えてくれるけど、そうじゃないこともあるじゃん」
「過去って感情脚色の記憶だし、それを未来に引きずっていくことはないと思うってのは無責任すぎ?」
あれ? ヒロトくん、また口をもぐもぐしてる? ハッ!? 僕のパスタ、ヒロトくんに食べ尽くされてるよ!? まったく、もう……! 油断も隙も無いんだから! ホント、ヒロトくんは、もう……ありがとう。
その夜、夢で高校の卒業式を思い出した。家に帰ると、父がリビングで僕に背中を向けて座っていた。机に眼鏡ケース。
「昴晴、メガネ、新しくしといたぞ」
カミングアウト以降、彼との会話は皆無だと思っていた。そうか、違ったんだ。これ、忘れたくないな。朝一番で、ヒロトくんに話したいな。
テーマ; 喪失感
→『彼らの時間』4 〜恒久的〜
今まで何人かの女の子と付き合った。好きだったし、それが当たり前だと思っていた。
高校を卒業して就職したり大学行ったり、18歳の進む道はそんなものだと思っていた。
ワタヌキコウセイに再会するまでは。
好きだと思う気持ちに性別の枠は必要なく、自活の道に起業するという選択肢があることを知った。
視点の広がりが、価値観を多様化させる。人生は瞬間の集合体で、一時的の連なりが恒久的ともなる。
それなら……――。
「コウセイ」
変化を楽しんたほうが得だと思う。
「ワタヌキって呼んでってば」と、彼はさっそく嫌そうな顔をする。
「俺のことはヒロトって呼ぶのに。それにさ、苗字って恋人感薄くない?」と、コウセイの肩に顔を埋める。途端に両手を突っ張って体を離された。
「名前で呼ばれるの苦手だって説明したじゃん」
コウセイの細く長い指が俺の肩に食い込んでいる。彼の彫刻みたいなきれいな手から伝わる、離したい、離したくない……そんなジレンマ。学生起業をする大胆さは何処へやら。変化を怖れて右往左往。
まるで迷子だ。感情の迷子。
「もしかして! コウセイにとって、名前呼びって倒錯的プレイに近い感じ?」
彼の気分を変えようと話を振ってみる。
「は? な、何言ってんの? どうしてそうなるの?」
おっ、食いついた。
「俺のことを優しいってやたらと褒めるのも、そういう願望の裏返しとか?」
「もー! いい加減にしないと怒るよ!」
慌てふためくコウセイ。たまらなく可愛い。あ、でも俺にSとかそんな趣味はない。圧倒的にコウセイが可愛いだけ。
立ち去ろうとするコウセイの手を引く。
態勢を崩した彼は、ソファ背もたれを掴んで俺と向かい合った。俺を見下ろす彼の顔に緊張が走る。
「コウセイは怒っても可愛いよ」
彼の大きな目に、なんとも言えない色が浮かんだ。不安とか警戒とか、ほんの少しの信頼とか。
そう、怖くないよ、怖くないから。「コウセイ?」
「……ごめん」
あー、これ以上はイジメだよな。
「ムリは駄目だし、今日はここまで! これからもずっと二人の時間は続くんだから」
そう言ってコウセイの頬にキスをした。小さな声でごめんとさらに謝るものだから、脇をくすぐってやった。そしてコウセイの仕返し。二人で笑い転げて、土曜日の午後。
世界に一つだけの、俺たちの午後。
テーマ; 世界に一つだけ
→『彼らの時間』3 〜一時的〜
中学校に上がる前、両親が離婚した。
高校生のとき、友人たちと学生起業した。初期メンバーはあまり会社に残っていない。
ずっと一緒にいようと約束した初めての彼氏は姿を消した。
人間と信頼と恒久的って相性悪いんだな、と教訓を得るには十分な教材たち。
だから……――。
「コウセイ」
好きな人に名前で呼ばれるのは怖いんだよ。名前ってパーソナルど真ん中なんだもん。嬉しさに胸が高鳴って、この恋が永遠に続くと勘違いしてしまう。
「ワタヌキって呼んでってば」
「俺のことはヒロトって呼ぶのに。それにさ、苗字って恋人感薄くない?」
並んで座るソファで、ヒロトくんは拗ねたように僕の肩に顔を押し付けてきた。しかも上目遣いにこっちを見てる。止めてよぉ。塩顔イケメンと可愛い素振りは混ぜるなキケンのあざとさだよ、ヒロトくん……。胸の鼓動がムラムラに変わる一歩手前。
「名前で呼ばれるの苦手だって説明したじゃん」と、彼を肩から引っ剥がす。
ヒロトくんは切れ長の目を大きく見開いた。あー、これ、何か閃いたときのヤツだ。「もしかして! コウセイにとって、名前呼びって倒錯的プレイに近い感じ?」
ほらほら、変なことを言い出した。
「は? な、何言ってんの? どうしてそうなるの?」
「俺のことを優しいってやたらと褒めるのも、そういう願望の裏返しとか?」
「もー! いい加減にしないと怒るよ!」と話を終わらせようと立ち上がった僕の手を、ヒロトくんは強く引いた。
態勢を崩した僕は片手を彼に取られたまま、ソファのヒロトくんを囲うように片手で背もたれを掴む。壁ドンならぬソファドンの状態で、僕はヒロトくんを見下ろした。
彼の手が僕の頬を触れる。顔が熱い。「コウセイは怒っても可愛いよ」
彼の優しい眼差しが、僕の教訓を揺るがせる。もう少し人を信じてもいいのかな、なんて気にさせる。
「コウセイ」
「……ごめん」
それでも思い切れない自分の弱さが謝罪を口にさせる。この関係が一時的なものではないと、信じられたらどれほど幸せだろう。
「ムリは駄目だし、今日はここまで! これからもずっと二人の時間は続くんだから、ゆっくり攻略してやる」
いたずらっ子のようにニヤリと笑って、彼は僕の頬にキスをした。
テーマ; 胸の鼓動
→『彼らの時間』2 〜時よ、進め。〜
(改稿 2024.9.8)
踊るように手を動かしたワタヌキ昴晴は、階段の手摺を掴んだ。階段の踊り場で、彼の繊細で美しい手の動きに目を奪われた。
何とか友だちになりたくて、次の授業中に声を掛けた。国語だった。なぜだか心臓が跳ね上がるように速く打った。
「時を告げるって、なんか大層な言葉だよね」
急に話しかけられた彼は驚いた顔で何度も小さく頷いた。
その日の夜、なかなか寝付けず、「時よ、進め」と朝を待った。新しい友だちと早く会いたかった。それが友情とは違う、焦がれるという感情だと知るのは、もっと先の話だ。
あれから十年。偶然の再会を経て、ワタヌキと一緒に暮らしている。
「おかえり」
「ただいま。あれ? もしかして夕食作ってくれたの?」
「まぁね」
「ヒロトくんは優しいね」
ことある事に、ワタヌキは俺を優しいと言う。褒められている気がせず、彼を遠くに感じることがあるのは、何故だろう?
スーツ姿のワタヌキがネクタイに指をかけた。彼の美しい手が神経質にネクタイを解く。とても絵画的だ。何度も見ているのに、つい目で追ってしまう。
「ワタヌキ、生姜焼き、好きだろ?」
食べたかったやつだーと嬉しそうな声を残してワタヌキは着替えに行った。
ワタヌキは名前で呼ばれることを嫌がる。コウセイと呼びかけても返事をしない。
そう言った垣間見える問題を、いつか二人で乗り切りたい。
そしてずっと一緒に暮らすのだ。笑ったり、喧嘩したり、コウセイと手を取り合って。
二人の時間が今よりもっと絆を強くしますように。「二人の時よ、進め」と生姜焼きを盛り付けながら、呟いてみた。
テーマ; 踊るように