テーマ:「帽子をかぶって」
「ね!ね!」
そう言ってこちらの視界を遮る無邪気な童女のような言動は、
彼女に良く似合っていた。
「…使えって?」
「うん!良くない?」
「どうだろうな…」
彼女が自慢げに差し出してきたそれは、紛れもなく服飾品の一つとして認識されるような帽子であり、僕には未経験のものだった。
「やっぱり微妙だと思うよ、悪いけれど」
「そんなこと無い!とっても似合うのだと、私的には進言いたします!」
「でもなぁ」
彼女の向ける善意が可笑しいものだとは思わないし、
ましてや、似合うと断言するそのセンスを疑うわけでもないのだが、
それでも、私の中にはプライドとも罪悪感ともつかない気持ちがあったのだ。
「人間が口に着けるマスクで考えてみてほしいのだけれど。
イケメン…とは行かなくても、まぁ、普通の人だなって感じのマスクマンがいたとする。」
「うん!」
「それで、仮にご飯を一緒に食べようか、ってなったとする。」
「うん!因みに、私は今、ハンバーグが食べたい気分!」
「了解。
まぁ、それで当然、状況的にマスクを外して、
その口元に生えた鋭い牙とか、髭面とかが見えたらどう思う?」
「なんてワイルドなの!素敵、抱いて!」
「…」
真に受けた訳ではなかったのだが、なんともややこしい冗談を返されたせいで、
私は答えに窮し、数秒の間押し黙ってしまった。
「…私ははずかしいだろうなって、思うよ。
なんなら、最初から見せてくれてたらいっその事、近寄らないってこともできたのに、って。騙されたなって感じるかな。」
「…」
「だから、あんまり」
着けたくない理由を私が伝えると、
初めて彼女は表情を変え、
少し間をおいたあと、聞いてきた。
「ね、私って人見知りするタイプだと思う?」
「いや、屈託無く人と関わるし、序に言うと人懐っこい方だと思う。」
私は自身の経験から、彼女が相手が誰であろうと親しく、
そして優しく接してくれることをよく知っていた。
「それね、実は、勘違いなんだよ。
私はね、怖い人とか苦手なんだ。」
「…!」
「割と感情というか、先入観の作用で無意識に避けちゃうんだ。
だからね。そういう人のことはね、あんまり関わらないままで別れちゃうの。
…騙されたなって感じる?」
「…いや、そうは感じないけれど、」
正直、嘘だと言われたほうが納得できる、そう私が咄嗟に思ってしまう位には信じられない話だった。
「だから、情けない自分が若干憎らしかったりもあるんだけれども、
怖いっていう気持ちをよく知ってはいるんだ。」
「そう…か」
「うん、そうなんだ。だけどね、偶にね、人が怖くならなくなるときがあるんだよ。
どういう時か、わかる?」
「…………いや、わから…ない」
「それはね。その人が怖くない人だって知った時だよ。
その人が優しい人だって知ったら、その人がお茶目な人だって知ったら、
その人がかっこいい人だって知ったら、その人がかわいい人だって知ったら、
そしたらね、その人のことはもし、多少の悪いことを知ったとしたって怖くなくなるんだ。
…関わった結果にね。」
それだけ言ったあと、彼女は何かを許すような微笑みをやめ、
元の楽しそうな顔つきに戻って続けた。
「でね!私はこの帽子を被ったイケメンと一緒に外にハンバーグを食べに行きたいのです!
お店はおまかせします。何処でもいいよ!美味しいところだと尚の事良いよ!」
「…イケメンは知らないけど、店なら知らべたことがある。」
「じゃあ、帽子をかぶった誰かさん、一緒に行きましょ!
あっ、でも、かけれるかなぁ一応、かけれそうなの選んだんだけど…」
そう言って彼女は背伸びして私の頭を弄ろうとしたたため、
「あぁ、それなら」
自分で試してみる、と言おうとしたのをやめて、私は
「じゃあ試してくれる?」
そう言ってしゃがんだ。
「はーい。ええと、角に引っかけないようにしてっと…うん、できました!
おお、やっぱり、これはなかなか…。
ねっ、自分でも見てみてよ。」
彼女に引かれて見た鏡面の向こう側には、普通の人が立っていた。
多少、筋肉質だったり強面だとは感じるが、とてもこいつが鬼だとは思わない。
「…やっぱり、これは、その」
「好きだよ、私。」
私は結局、彼女に敵わなかった。
テーマ:クリスマスの過ごし方
「ハレ」と「ケ」なんていう言葉、考え方があるんだと、もう昔になってしまった高校の現代文だか古文だかの時間に聞いた記憶がある。
そのまま何となくの思い出で語ってしまうと、「ハレ」というのは冠婚葬祭やら祝い事を表すものであり、詰まる所は非日常。反対の「ケ」は特別に着飾るということのない自然体…つつが無い日常のことであるらしかった。
それで、何でこんな好奇心に触れる程度の事を不意に思い出したのかと言えば、
当然、日本にいつの間にやら根付いていたハレの日、クリスマスが近づいてきているから、なのである。
「クリスマスと言えば」は多分ご家庭、ご環境に大分左右されるものだと思うが、
少なくとも私の幼少期においては、ケーキと聞き慣れない音楽と欲しくもない玩具という内訳だった。
クリスマスになぞらえたケーキ、そして時々にはチキンが休日であれば手料理で、平日であれば既製品でお出しされ、夕食の間は1年のうち5日も使わないようなスピーカーからクリスマスのメドレーが流れていた。今となっては、七面鳥でなくチキンである事に納得できる範囲での違和感を見い出して笑ってしまうのだが、これはまぁ、揚げ足取りだろう。
それで子供にとっては肝心である玩具なのだが、これは、その、なんというか…酷かった。欲しいものを絶対にくれないのだ。サンタさんの感情というものを辛うじて推し量ってみると、どうにも勉強をしてほしかったようで、要望がおもちゃであれば知育玩具、小説であれば教科書に載るような古典がプレゼントされた。…一言だけ言わせてもらうとするならば、縛りをつけるにしたってセンスが悪かった。非常に、悪かった。
そんな訳で、甘味に興味が無く、唐揚げが好物で、クラシックが退屈だと思っていて、子供らしい願望しか無かった私には、クリスマスは特別な日ではなくただ賑やかな日でしかなかった。期待も緊張も無い自然な日常の一端、「ケ」の日だったのだ。
…だから今、私はどうやったらクリスマスを「ハレ」に出来るのか悩んでいる。
惚気になるようだが今は妻である、恋人相手の時は楽だった。毎回、レストラン一本で満足してくれたのだ。
聞いて、調べて、確認を取って、連絡を取って、当日、向かう。
若干契約染みた一連の結果、彼女が満足気に微笑んでくれたのを見て、
私は自分をもてなし上手のクリスマス熟練者なのだと自惚れを強めていったのだが、
しかし、子供に私は再確認させられた。
私は結局クリスマスが苦手なままだったのだ。
私が用意した料理によりも、妻が選んだ人形を喜ぶ子供の姿は、私がクリスマスにおいて食事というのは所詮、雰囲気と欲求を満たす一要素でしか無く、祝日の過ごし方から転用してきたそれは、クリスマスを特別にするものではなかったのだと自覚させたのである。
テーマ:「また会いましょう」
出会いは何時でも「気づいたら」で、別れは何時でも「気づきたくなかった」で。
しょうもない言い回しだとは思うが、しょうがないことなのだ。
美しい夕焼けは見届けるよりも前に指先がかじかんでしまうものだし、
道端に咲く花を愛でる私に、路行く人たちは耐え難い視線を投げかける。
巡り回るのが当世の理であり、動き続けるのが当然の常識なのだと思う。
未熟な精神への表れのようなものとして、成熟した結論のようなものとして、
その場でずっと立ちすくむようにする恐怖と、そばに居続けれない寂しさの中間の気持ちで、
無理矢理に世界を一枠の感動に収め、
祈るような、言い訳のような言葉を、
人知れず、呟く。
愚かなのか賢いのかは良く分かっていないことなのだけれど、
ただ、
納得の域には達しているのだと
それだけは、感じている。
テーマ:「スリル」
雷が走ったかのように肌の表面が痺れ、鋭敏な感覚が思考をフレームへと細切りにする。
拳銃の角度を見て咄嗟に傾けた額を、鉛の塊が掠め、一瞬の間を置いて血流が噴き出す。
その後に訪れるであろう暗闇を察知していた脳が、与えられた一瞬のうちに今の視界を網膜へと焼き付け、
そして、閉ざされる前に目を閉じることで眼球を保存し、
闇雲に踏み出した一歩で距離を詰め、
頭を相手の頭に向かって突き出す。
衝撃と流動する液体が、攻撃の成功を証明し、
一歩引きながら服を破り、顔を一通り拭き取るようにしてから、源泉を巻きつけて塞ぐ。
目を開けると、拳銃も失ってその場で闇雲に暴れるだけの姿が見え、
その緩急に合わせるようにして、私は勢いのついた拳を相手の頬へと叩き込んだ。
テーマ「脳裏」
美しい、と
称せるような感傷だった。
今、考えると…、
いや、今に至るまで何度も考え直した結果として、
私が彼女に抱いた、あの感情の由縁は
容姿、ではなく
所作だったのだろうと確信している。
真面目な彼女が毎日着ていたのは、
見直してみなければ、
白と赤と黒を基調としていた事が分からない、特徴の薄いセーラーに、
太ももがギリギリ見え無いくらいの長さのスカートであり、
そして、身に着けていた装飾は、
男性が着けても印象が変わらないような黒フレームが楕円のガラスを包む平凡な眼鏡と、
ほんの少し配慮したような可愛げがある為に、
却って印象に残らないような、髪を纏めるためのクリーム色のゴムだった。
当時の私はルールを創作せしめる様な同輩に対して、
追従には至らない程度の遠巻きな憧れを抱いており、
その代償、或いは証左として、
変哲も無い風体の生徒を、
内心…
正確に言うと、
自覚するほどではあるが、口には出さないくらいの心持ちでもって、
軽蔑して見下し、
そして実際に、
敬遠していた。
教師からの心証の良さだけが頼りになるような連中とみなしていた彼女とは、
授業時の噛み合わせの運も相まって、
同じクラスにいながらほぼ一切の交流がなく、
一緒にいた数人の、進学時に別れてしまった知り合い達からの嘲笑への恐れもあって、
自分から話しかけることもなかった。
そのまま、出会いと別れを繰り返す中で、
何人かの客観的な事実として美人と言えるような女性と話す機会に恵まれ、
その上で、
私にはあの時以上の感動がもう無いのかもしれないと、
今の今まで思い続けてきている。
喋り方から歩き方に至るまでに感じる全ての物足りなさが、
あの時代のよく知りあわなかった彼女に連なっていると自覚してしまった今の私は、気づけば何度も何度も夢想してしまっているのだ。
掠めていたのだろう、青春の日々を。