ふとした時、そこに平穏があるか分からなくなる時がある。
このドアを開けた先は、なにも変わりなく進んでいるのだろうか。開けないで知る方法はない。
可能性は何通りもある。もしかしたらそこに家族はいないかもしれないとか、水でいっぱいかもしれないとか、知らない人がわたしを狙おうとその時を待っているかもしれないとか。
それでも、扉を開けて、ただいまと呼びかける。
少し遠くからただいまと声が帰ってくる。乾燥した廊下で、猫がにゃあと鳴く。
ああ、良かったと、無性に安心するのだ。今日も何も無かった。そして数秒後には、そのことすら忘れてわたしは平穏な日常に帰るのだ。
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「平穏な日常」
「俺、愛と平和の救世主だと思うんだ…」
「なんて?」
あまりにも突拍子のない話に聞き返す。というか、それ自称するものじゃないだろ。
「今日は道で困っているおばあちゃんを助けたんだ」
「えらいじゃん」
「校門に立ってる怖い先生に挨拶もした」
「あの人怖いよなー」
「補習だってちゃんと出た!」
「それはお前が悪いね」
「そろそろ世界だって救える気がする」
「かなりの段階を飛ばしたな」
まあ実際、かなり主人公気質ではあると感じるが決して口にはしない。絶対調子に乗って名乗りとか考え出す。
「というか、愛と平和どっから来たんだよ。平和はギリ守ってるとしても、愛要素足りないだろ」
「あれだよ!あの大先輩アンパンマンさんの友達!」
「愛と勇気な」
「あっ」
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「愛と平和」
失敗したなあ、と黒板を眺めながらぼうっと考える。
学校の教室。夏休み中だけど、講習があって重い腰を上げて学校に来ていた。
が、寒い。エアコン効きすぎている。外はあんなに暑かったのに!
最初の方は、熱で温まりきった体に丁度良かった。自分の座った席がエアコンの当たる席だと気づいたのは、授業が始まってすぐ。他の皆は丁度良いらしく、特に寒がる様子もない。
授業終わるまで、あと30分もある。寒すぎる。耐えられない。
諦めて気を逸らすため寝ようかなんて、サボりを検討していればトントン、と控えめに机をつつかれる。顔を上げれば気になっていたクラスメイトの男の子。
「…寒い?そこエアコン当たるでしょ」
「あ、…うん、そうだね、ちょっと寒いかも」
「やっぱ?あー、俺前そこの席でさ。めっちゃ寒かったんだよね」
ちょっと待って、とカバンをガサガサして、取り出したのはカーディガン。
「緊急事態ってことで。はい、洗ったばっかだから」
ずいっと差し出される。黒板に文字を書いていた先生が話を再開しようと振り返りかけて、慌ててカーディガンを受け取った。
…暖かい。というか、何だかカーディガンを着なくても暑い気がする。主に顔が。
半袖、悪くないかも、なんて。私より一回り大きい袖を緩りと握った。
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「半袖」
白いフワフワのスカートを着て
小さな子供たちが飛んでいく
貴方達の母が見れなかった世界を見なさい
こんなちっぽけな公園には収まらない世界がある
貴方達の兄弟が見れなかった世界を見なさい
この道路の割れ目の何倍も大きい世界がある
誰よりも遠くへ飛べ
だれもしらない 暖かいひだまりへ
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「飛べ」
いつも木は私に優しかった。
成長すれば公園は小さくなった。あんなに楽しかった遊具は陳腐な置物になった。
でも木だけ、ずっと大きかった。
立派な背丈で、私を覆い隠す。
木陰は、ちょっとした我儘で。
陽の光には当たりたいけれど、眩しいのは嫌な時とか。世界の優しさだけを切り取って届けてくれた。
世界は綺麗で美しいことくらい知っている。でも、それは時に私にとって眩しすぎるから。
子鳥のさえずり。頬を撫でるそよ風。揺れる木陰。
もう少ししたら、戻るからね。大丈夫。
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「揺れる木陰」