《夢へ!》
白い壁、白い床、白い椅子、白いテーブル、白いカーペット、白いベッド、白いカーテン、白い窓枠、白い証明、白い服。
白、白、白。
何度目覚めても白い世界。
唯一外部との繋がりである白い窓は、外側が白いナニカに覆われており白一面に染まっている。
一日目。違和感しかない。
二日目。まだ慣れない。
三日目。疲れが取れたように思えない。
五日目。驚きはしなくなってきた。
七日目。少し慣れてきた気がする。
十日目。こういうものだと思う。
十四日目。慣れてきた。
二十一日目。白い世界が面白い。
三十一日目。飽きてきた。
五十日目。何だか気にしなくなってきた。
百日目。普通で当たり前に思えてきた。
二百日目。……白、なのだろうか。
三百五十六日目。これが全てだ。
五百日目。……。
千日目、千一日目、千二日目、千三日目、千四日目、千五日目、千六日目、千七日目、千八日目、千九日目、千十目…………。
暫く、しばらく、経って。
発狂した。
「早く、はぁやく……夢へ! あははは! あは、あははは……っ!」
夢の中へ行かなければ。
色は、彩はそこにしか存在しないのだから。
「あっはははははは! あははは!! あっはは、はは、は……っ、は……!」
永遠の、夢の世界へ。
《元気かな》
晴天の下に連なる行列。
晴れやかな笑顔の人々が、街道を往く彼らに花弁を掛ける。
赤、白、黄、青、桃。
色々な花弁が舞い、ひらりひらりとタイルの道に彩りを足していく。
行列の中心を飾るのは、白に身を包んだ男女。
この行列の主役たる、新たに結ばれた領主夫婦だ。五つ下の花嫁は微笑みを浮かべ、花婿は
「おめでと〜」
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
口々に紡がれる祝福の言葉が、夫婦の行先を明るく照らしているかのようだった。
——そんな昼が過ぎ、日が落ちて。
日がな微笑を浮かべていた花嫁は、疲れたように窓枠へと腰掛ける。
開けると、大きな窓から夜の空気と共に涼しい風が吹いてきた。
「……遠くにいるあなたは、元気かな」
そう言ってから、口を抑える。
思わず漏れてしまった言葉なのだろう。
「そうじゃないのは、君の方だろ?」
「えっ?」
そう、だから、予想だにしていなかったのだ。この独り言に返事か来るなんてことは。
「お邪魔しまーす」
上部から覗かせた顔を引っ込めたかと思うと、今度は窓枠にぶら下がる。驚く花嫁を他所に、彼は慣れた調子で窓枠から手を離し室内へと滑り込んだ。
見事な軽業である。
「……どうして、あなたがここにいるの?」
「君に呼ばれた気がして……っていうのは冗談で、花嫁に祝福をと思ってさ」
「そういえば、神父だったっけ、親」
「そう、だから祝福の掛け方なら知ってるぜ?」
「……お願いしても、いい?」
「もちろん、そのために来たんだから」
悪戯っぽく笑うその表情には、実に見覚えがある。
照れくさいのか頬をかきながらこちらに伸ばした手も、何もかも。
昼間とは違う、弾けるような笑みを浮かべた花嫁はその手を取る。
彼の前に跪き、額に当てた。
「……我が死に花に、最愛なる祝福を」
「……ありがとうございます」
神は伴侶を持たぬものを花として傍に仕えさせると言われており、結婚したものは死に花とよばれる。その際に、神の言葉を代理した聖職者が、神からこれまでの生に注がれていた不可視の愛を祝福として授けるのだ。
具体的な効能はないが、将来が安泰するとされる。いわゆるお祈りと同等のものだ。
これが真似事なのは、お互いに知っている。
けれど、月明かりの下で二人は、神聖な儀式を行ったのだ。
「……幸せになれよ」
「もちろん、幸せになるわよ。……あなたもね」
「あぁ、うん。……それじゃ、またいつか」
「ええ。またね」
さっさと余韻も残さずに彼は去った。
友人としての役目は果たしたのだろう。
「……もっと渋ってもいいでしょうに」
あっさりと消えた彼の姿は、窓を覗いたところでもう見えない。本当に敷地内から出たのだろう。
「……でも、ありがとう」
不器用な祝福だが、きっと、誰よりも特別な祝福になった。
明日の披露宴が楽しみになった花嫁は、そうそうに窓を閉じ眠ることにした。
これからの日々と、過去を夢に描きながら。
《遠い約束》
まだ幼い頃の話だ。
「いつか、二人でれきしに名をのこそう!」
ずっと一緒いる二人だったからこそ、当然のようにそう約束した。
大きな野望があった訳でもない。
本で目にしたばかりの言葉を使いたがって、そんなことを言っただけだ。
本当にそう願っていたのかすら、もう覚えていない。それに、今となっては些細なことだ。
どちらでもいいし、どうでもいい。
——やがて少年となった彼らを待っていたのは、残酷な世界だった。
二人が生まれ育った村が、焼け野原へと変わり果ててしまったのだ。
少し足を伸ばして、こっそりと近くの森を探検した帰りだった。
「……お父さん、お母さん……?」
「みんな、どこに行ったの?」
あんなにも長閑で、人々の優しさが溢れたあたたかな場所だった村だ。家族だけでなく、他の友人たちやその親、村長に店を営んでいた大人たち。
少年たちに残されたのは、それが魔物によるものだという事実だけだった。荒らした跡が、それを教えてくれたのだ。
その日から、二人は互いだけを頼りにした。
偶然通り掛かった商隊に助けられ、青年へとなるまで世話をしてくれた。
共に過ごした時間は短いが、家族と思える人達と出会えたのだ。
けれど、あの日。
突然片割れは姿を消した。
一夜にして、どこかへと行ってしまった。
「どこに行ったんだよ、あいつ」
三日経っても帰って来ず、商隊は捜索を諦めて出立した。荷物には期限がある。
商隊を二つに分けて、彼を待つことも考えた。だが、それを断ったのだ。
二人きりで、互いが一番だと信じていたからこそ、裏切られたと強く感じたからだ。
けれど、完全に見限った訳ではない。
攫われたとか、やむにやまれぬ事情があったのかもしれないと、そう思っていたのだ。
——それなのに。
「……で、っ……なんで、お前が、そこにいるんだ」
商隊が全滅した。
夜間、道を急ぐ彼らに魔物が襲撃を掛けたのだ。
その魔物たちを従えていたのが、彼だった。
ずっと探していた、ずっと傍に居た無二の存在だ。見間違える筈がない。
「……その人間共のせいで、俺たちの村は壊れたんだ。そいつらさえ来なければ、村に魔物は来なかった……!」
「そんな、まさか……」
「考えてみろ! わかるだろ、あまりにも偶然が良すぎるんだよ。村が焼けて次の日の朝に来たんだぞ……奴らの足跡が続く街道の方から!」
商隊を狙っていた魔物が、もし標的を失い、その近くに人間の住処があったとしたら。本能で人を襲うようにできている魔物は躊躇するだろうか。
「……もし、そうだとしても。この人たちが悪かったんじゃない、襲ってきたのは魔物の方だろ!?」
「違う! そいつらのせいだ! お前も、俺も……騙されてたんだよ!!」
何度も否定しようとして、ふと、口が止まる。
「……なら、どうして僕は殺さない」
「お前を殺すわけないだろ? 俺はお前が大切なんだ……だから、いつまでも目を覚まさないお前の為に、」
「殺したってことか?」
「……なんだよ、怒るなよ。仕方ないだろ」
「怒ってないよ。本当、怒ってない」
「……あ? なに、」
「だから君は、僕がいつか殺すね」
覚悟を決め澄んだ瞳と、苦しそうに歪んだ濁った瞳とが交差する。
両者とも、これ以上の会話は望まなかった。
「……さようなら。またね」
「……ああ」
「次は——「敵同士だ」」
そうして道が交わることのない年月が続く。
立派な青年として成長をした彼らは、
「……人間共を救いたければ、その剣で俺を地に伏して見せろ。愚かしくも愛おしき——勇者よ」
「これ以上君に誰も殺させない! だから、僕と一緒に、……僕が君を殺す。覚悟しろよ——魔王」
血の流れる地で再会することとなってしまった。
こうして、かつての約束は果たされた。
——年、魔王ネエリュと勇者フィンの戦いは終戦す。
《好きだよ》
「——ねぇ、私の事好き?」
「あぁ、好きさ。そうでなきゃ、俺は君とデートに行ったりなんかしない」
「本当かしら? 昨日も別の女の子にそう言ってたわよね?」
「あー……けど、俺は運命を感じたときにそう言うかね。だって今俺は、君の許しがあれば抱き締めたいくらい好きだからさ」
「……もー、騙されてあげるんだから」
「はは、騙してなんかいないんだけどね。君のそういう優しいところも好きだなぁ〜」
「……嘘じゃない?」
「俺は本心しか言わない男だぜ〜?」
「……私も好き!」
——なんて会話を壁に隠れて聞いてしまった。
声をかけようとしたのだが、急に女性と会話しだしたので咄嗟に隠れてしまったのである。
「……まぁたあんなことやって……本当に、アイツは誰でも口説くわね。いつか刺されるわよ……」
友人。そう呼べる間柄でも、流石にあれは如何なものかと思ってしまう。
生粋の女好き。リップサービスはお手の物。惚れた腫れたの沙汰は日常茶飯事。
最早、将来が不安になる程のナンパ男だ。
その癖、それが全てではないのが面倒だ。
「懲りないわね……まったく、アイツは」
先程声をかけた女性に彼氏がいるらしいことは、知っているのだろうか。いや、どうせ知らないか。
「彼氏さんを探して謝りに……いや、私が入らなくても流血沙汰にならなければ問題はないけど……」
時折、こういう瞬間を見てしまう。
それを見なかったことにすれば良いのだが、そういう性分なのだ。
他人の色恋沙汰に巻き込まれるとき程、疲れることもないし厄介なこともないとは分かっているのに。
「……まぁ、大丈夫か」
本人が懲りないのだから、あと何度か痛い目に遭ってもらうしかない。
荒療治でも、仕方がない。
口説いた女性をよく連れてくるカフェ。
優雅に紅茶を飲んでいた筈が、
「……おいおいマジかよ」
一人の男性の登場で一転した。
聞けば、口説いた女性——ルルの彼氏だという。
「おい、どういうことだ。ルル」
「この人が誘ってきたの〜お茶しませんかって」
「は? 彼氏はいないんじゃなかったの?」
「え? お茶に付き合うだけって話でしょう」
ルルは悪びれもせずに言う。
なら好きとか聞くな言うな、と言いかけて自分にも刺さるか、と留まる。
そもそも、誘ったのはルルの方からだ。
「……あー、そういうことか。うん、まぁ、俺はそう言って誘ったよ」
「……どういうつもりだ」
「だから、綺麗な女性が一人でいたから、ついお茶に誘いたくなったって話だよ。別にそこからどうなろうとかじゃない、美人の時間潰しになろうとしただけ」
落ち着いた声での弁解に、ルルは男性になにやら囁いた。なんだろうか。黙っててくれ。
「……そうか」
おもむろに手を上げて、男性は頬に一発——いわゆる、ビンタを——食らわせてきた。結構痛い。
正直避けることもできたが、薄々こうなるだろうということは予測できていた。だから、やむなく受けることにしたのだ。
「……ごめんごめん、悪気はなかったんだよ。あ、そうだ、ここで二人の時間でも過ごしなよ。金は適当に払っておくからさ〜」
「あら? いいの?」
この女狐が。とは思っても言わない。
「もちろんさ、君と君の笑顔の為なら痛くも痒くもないよ」
「私が軽いお誘いだと乗ってしまったのが悪いのに……心配かけてごめんなさい」
「……いや、ルルは気にしなくていい」
随分とお優しいことで、似合いのカップルだな、と思いながら愛想を貼り付けて、そのまま店を出る。
「……駄目だな、やっぱ」
「何が駄目なの?」
「うおっ!? な、なんだお前かよ……!」
店の近くの路地に入ったところで、メアリーと出会ったのだ。
友人、なのだろうか。自分にしては珍しく、数年にわたって関係を構築した女性だ。
昔から彼女を怒らせてばかりで、出会いも、口説いた女性の友人という繋がりからだった。
「……で、何が駄目なのよ? 口説いてもフラれるこの現状? それとも、彼氏が来て落ち込んだ?」
「どこから見てたんだか……どれも違うけどな」
「それともなに? 顔のいい男とお茶がしたかっただけの女に口説かれたのに、あのカップルが後腐れないように敢えて殴られるっていう選択をしたことなの」
「……本当、どこから見てたんだよ……」
いつもこうだ。
彼女は、上辺だけでなくしっかり見抜いてくれる。
ありきたりな理由だが、惹かれるには十分な理由だろう。
「……馬鹿ね、だからもうやめなさいって言ったでしょう。貴方が傷付くだけよ、リース」
「……お前のそういうところ、好きだよ」
「私まで口説く余裕が出てきたなら、もう大丈夫ね。そういう言葉は貴方の愛している人に言うのよ」
ああ、届かない。
分かっている、当たり前だ。
周りの誰もが本心からだとは思わないだろう。
「いや、本当さ。メアリーの面倒見がいいところもそうだが、見抜いてくれるところも好きだよ」
「……逆に心配になってきたわね。私を口説く分には他人に迷惑をかけないけど……殴られた拍子に、ちょっと頭のネジも飛んだんじゃないの?」
「ははっ! 辛辣だなぁ〜君は、まったく」
「懲りないから言ってるのよ」
「はいはい、善処しまーす」
いつかメアリーに届けられるのだろうか。
嘘と建前で隠した想いを。
友人である為に捨てたくて、捨てきれない想いを。
《君と》&《桜》
いつか、君が言っていた。
『桜の樹の下には、死体が埋まってるんだって』
まぁこれ有名な小説の冒頭らしいけど、と続けた君は、どんな表情だったろうか。
僕はそれを聞いた時、桜が咲く時期じゃないのにどうして今そんな話をするんだろうか、なんてことを思った。口に出したのかもしれない。
今の季節は秋で、桜はもうしばらくは殺風景な景色と同化する季節だから。
『桜はあんなにも儚くて、綺麗なんだよ。どんな人でも綺麗な花だって思うし、桜が咲いてたら、思わず顔上げちゃうでしょ? 君みたいにさ!』
君の一番好きな植物だからじゃないか、とも思ったけれど、そうかもね、と返した僕に君は笑った。
いや、覚えてないけど、多分そうだったような気がする。
それくらい、僕は君とたくさん話をしたんだ。
君の存在が僕にとって何なのか、正直他人に聞かれたときは困った。いつも数十秒考えて、結局、友達というありきたりな言葉で返すんだ。
本当に友達なのかはわからない。
だって、そういうことを互いに確認することはなかったし、わざわざ関係性を言葉にして表す必要がなかったから。
でも、お互い特別だった。
『私ね、死んじゃうの。お医者さんが言うには、治らない病気なんだって』
冬が来て、君は僕に教えてくれた。
普通に暮らすことができるのに、人より遥かに寿命が短いのだと。生まれたときからそうで、十数年しか生きられないのだと。
僕は一切知らなかった。
これまでの君の日々が薄氷を踏むような時間だったことを。
これからの君の日々が奇跡が終わるまでの猶予だということを。
突然に死が訪れるそうだ。そういう難病で、決して治せるようなものではないことを。
『けど、死ぬ前にはわかりやすくなるんだって。体がね、少しずつ死んでいくの』
君の説明は丁寧で、わかりやすかった。
多分、生まれたときからそうだったから、いつかは僕に話そうと準備してくれていたんだと思う。僕に話すときに、理解しやすいように。
わかりたくなんてなかったけど、悲しいくらいに君はすべてを教えてくれた。
死が近づくまでは不調なんてなくて、急に終わりが始まるんだって。
僕のためなんだろう、わかりきっている。
『それってさ、花みたいだと思わない? 花は、咲いて、散っていくでしょ』
そうだね、と返した声には温度がなかった。僕の声なのに、まるで違っていた。
当事者じゃない僕は受け入れたくないのに、君はその状態であることが当たり前だったから、とっくに受け入れている。そんな表情をしていた。
見ているだけで苦しかった。
それでも、僕は逃げないことを選んだ。
『おはよー。ごめんね、家から出られなくなっちゃってさ』
冬が終わりに近づくと、君は少しずつ体調を崩していった。
『今日はなんだか眠くってさー、また明日ね』
少しずつ会える時間も減っていく。
寂しいけれど、仕方がない。
『あー、ごっめん。今日は会えないんだよね。ごめんね、本当』
気にしないで、って言葉も掠れてしまった。
そうして、君は。
『……私、綺麗に死ねると思ってたんだ。まだ若いから、綺麗に死ねるんだって思ってたのにね。君は、もう、私のこと嫌いでしょ?』
そんなわけないだろ、馬鹿言うな。
そう叫んでしまった僕に、君は笑った。
『仕方ないなぁ、もう』
諭すような目で、君は。
『泣かないで。苦しいわけじゃないから、私は、大丈夫だから』
そうやって最期まで、僕のことを気にかけてくれた。
それが酷く苦しかった。
君に抱きついて泣いたのは、それが最初で最後だった。
——君の葬儀は、驚くほど早く終わった。
少なくとも、僕にとっては。
君が本当にいなくなったのだと改めて感じたけれど、僕の目から涙は一滴も零れなかった。
昼下がりの帰り道、君の家の近くにある桜の木の前で足を止める。
満開の桜は、最近俯きがちだった僕の目を引いた。
顔を上げる。
「……桜の樹の下には、死体が埋まってるんだっけ」
君の望みは、これで満たされるだろうか。
わからないけど、僕は正しいと思うことをした。
爪の間に入った土は後で綺麗にしないと。
日が落ちて辺りはすっかり暗い。
「僕は……君と、また、桜を見たかったんだ」
僕の隣に、君が立っているような気がする。
それで僕は、もう、満足だった。