《何もいらない》
剣を振る度に呼吸が乱れ、姿勢が崩れる。
「はぁっ……はあ……ッ……!」
観客の声が五月蝿い。
その姿も全部、五月蝿い。
相手の剣とがぶつかって、金属音が嫌に響く。
——いなくなれ。黙れ。
苛立ちを隠せない自分に呆れすら抱きながら、そう、ふと思う。
すると、呼吸を重ねるにつれ、観客の姿が空に解けていく。
そういう感覚に陥っているだけだろうが、今はそれでよかった。
今度は、呼吸が邪魔だった。
自分の息が荒くて、それが鬱陶しい。
風の唸る音が呼吸の間に聴こえて、勘で攻撃を躱す。
また一合と切り結び、離れた。
——相手のも全部、邪魔だ。
繰り返される呼吸が、酷く煩わしい。
「はっ……はぁっ……ふー、ふッ……」
呼吸もまた、空に、解ける。
彼我の差は五メートルほどだろうか。
けれど、今はその距離すらも、いらない。
——これが最後だ。
剣先が動いて、自然に吸い寄せられる。
体も、まるでいらない。
何もいらない。
ただ一心にそこを斬るだけだ。
相手を殺す為の剣を。
「————」
果たして、彼の者の剣は相手に届いた。
無我のそれには、“生”の気配が感ぜられなかった。
それ故に、呼吸も置かず、瞬きもなく行動を起こせたのだろう。
「——ッはぁ、はあっ……はッ……!!」
大量の血飛沫を浴びて漸く、荒く呼吸を吐いた。
そうして彼は、後に剣聖として語られるまでに成るのだ。
誰かを殺すまで知れぬ境地など、知りたくもなかったろうが。
その境地こそが剣を殺し、生むのである。
《もしも未来を見れるなら》
窓枠に体を預け、少女は溜息を吐いた。
この国はどうなって往くのだろうか。
唯一無二の存在を喪ってしまえば、この国は崩壊してしまうのだろうか。
知りたいようで、知りたくない。
魔法使いという存在が世界を牛耳るようになって幾星霜、人々は彼らを畏れ敬ってきた。彼らを至上の者として扱ってきたのだ。
而して、時が経つにつれ畏れは変化を遂げた。
何故魔法使いよりも圧倒的に数の多い“ヒト”らが、彼らに媚びへつらうばかりなのか、と疑念に変わったのだ。
かつての魔法使い達は、その力を国やヒトの支配へと及ぼした。けれど、最近はどうだ、魔法を使ったところさえ見たことがないではないか、となったのだ。
それをきっかけにヒトらの疑念は畏怖の影で募り、やがて、一人の魔法使いが命を落とすまでに表面化されるようになった。
これ以降の歴史は、語る程のものでもない。
魔法使い達による、血祭りが始まったのだ。
国の何処を見ても血が流れており、断末魔が聞こえる。
後に魔法使い達の暴走として扱われるこの時代は、ヒトがヒトとして生きてはいけない時代であった。
だが、ヒトの歴史にとって地獄の時代は、ある男の存在によって終焉を迎える。
「ヒトは弱く脆い。だが、数多の同種を伴って何度も立ち上がる生き物だ。今こそ、我らの力を世界に示すときではないか」
そう唱えた男が一人、国の守護者となってヒトらの指導者となったのだ。
魔法使い達は彼を主軸としたヒトの群れを侮っていたが、気が付けば彼らによって魔法使いの数は減少していた。
一人二人と数は減って往く。
既に手を打つ時間もなく、魔法使い達は、狩られる側へと堕ちていたのだ。
これらの全てが、ヒトが覇者となる時代の黎明期となった。
けれど、魔法使いが全滅した訳ではない。
今度は国の守護者として、あるいは戦力としてヒトは彼らを囲うようになったのだ。
協力を拒む者には恐れを与え、死を与え、共に手を携える者には奇跡を与えろと。
それはヒトでも魔法使いでも同じだった。
時に同族を殺しながら、魔法使い達は各国で名を轟かせるに至った。
そんな存在の彼らがいなくなった世界とは、どのようなものか。
少女はそれを考えて、知ろうとしているのだ。
「もしも未来を見れるなら——」
ヒトも魔法使いも、幸せに過ごせる世界でありますように。
そう願って未来を見るだろう、と少女は思う。
もう二度と、仲間である筈の同族を殺したくはないのだから。
だが残念なことに、そんな魔法はない。
だから今日も、少女は一人で王城の塔の最上階に囚われているのだ。
《桜散る》《無色の世界》
世界の中心には、大きな桜の木が据えられていた。
樹齢千年は有ろうかという大樹だ。
それを取り囲む桜の木々は、それよりかは些か歳若い木である。それでも、何本も並ぶその様は一本の大樹に劣るとも限らない。
けれど、矢張り、気が付けば大樹に目が移るのだ。それほど美しく、魅せられる。
それだけに、大樹に咲いていた花が散ると、世界は色を喪った。
実際は、大樹の他に花は咲いているというのに。
「君がいなくちゃ、僕にとっては誰も同じだよ」
《届かぬ思い》
「これ、あんたにってさ」
手紙? なんだ、いつものか。
「酷いこと言うなぁ、本当に」
や、合ってるだろ。
「まー確かに……うん、そうだわ」
捨てといて、それ。
「せめて読め。返事はさておき」
面倒……じゃなくて、気まずいから。
「本音出てるし。はーいはい、渡せなかったって言っとけばいいんだろ」
お願いします。今度なんか奢る。
「んじゃ、それでいいよ」
ちなみにそれの差出人、誰?
「なんでそんなこと、」
聞いとかないと、会っちゃったら困るだろ。
「あー、うん」
なんだよ、友達?
「…………」
……そういう話か。なるほどなあ?
「ばーか」
見てやるよ、かせ。
「……私の入る隙なんて、ないね」
《快晴》《神様へ》
村の繁栄や豊穣を祈って、神様に若い女を生贄として捧げる。
それは、この村の伝統的祭事の一部であり、世間から見れば古い風習であった。
連なる山々の最奥に位置し、村人が百人もいない村だ、世間から外れてしまうのも時間の問題だったと言えよう。
そんな村で生まれ育った村長の娘、犠花は明後日で十一になる。
「きいちゃん、明後日は楽しみねぇ」
「私は『きか』だよ、おばあちゃん! きい姉はあっちでしょー」
「あら、ごめんなさいね、きかちゃん。また間違えちゃったわねぇ」
犠花と犠忌は、双子であった。
背格好もよく似ているからだろう、こうして間違えられることが多かった。
強いてその差をあげるならば、犠忌の方がほんの数分早く産まれたということくらいだろう。それほどに、彼女らは似ていた。
「また間違えたの? おばあちゃん」
「きい姉!」
「こんなにかわいい子と間違えないでよ! ねぇ、きかちゃん」
「そんなことないよ、きい姉の方がかわいいもん!」
「かわいいこと言うなぁ、こいつめ」
そうしていつものように双子は笑い合う。
これがこの村の日常だった。
夜が深けて、また明けてを繰り返し ——その日はやってきた。
蛇月祭の日である。
村中がお祝いの雰囲気を纏った、特別な日だ。
そこここに蒼い提灯が飾られており、見慣れた村の景色も幻想的な世界となる。
その最後に行われる祭事が、神送り、と呼ばれるものだ。
村に唯一ある神社のその奥、山をもう少し登った所にある本来の社には数人しか立ち入ることは許されていない。
即ち、神の御本へと向かう生贄らだ。
「我らが神の為に」
「村の為に」
村の大人達はそう口々に言って、双子を送り出す。
今年は卜占の結果、犠花と犠忌が選ばれたのだ。
占の結果が出てからは、その身は神の為に在るようになる。その際、俗世の空気をできるだけ吸わない為にも口を利くことは禁じられ布で覆われるのだ。
「……我らに、幸と豊穣を与えんことを!」
そう締めくくられた言葉の余韻を残して、双子は神社の石段を上がっている。
骨の髄まで身に付いた信仰心は揺るぎないし、後ろには村の人々が並んでいるのだ、尚更足は止められない。
石段の切れるところで、一行は足を止める。
「今生の務めを果たせ」
彼女らの父である村長は、短くそう言うと双子を更に上へと向かわせた。
双子は黙ってそれに従う。
「……ねぇ、きい姉。このまま逃げちゃおうか」
大人の姿の見えなくなって暫くして、犠花はそう口にした。
「……きかちゃんはどうしたい? 私は、最初から決まっていたことだけど」
犠忌はそう言うと足を止めた。
そろそろ神域だ、逃げるのならここで決めねばならない。
「……私、は」
「ここは、もう、二人きりだよ。犠花」
静寂が支配する。
「…………俺は、こんなところで死にたくないよ」
そう言った犠花は。
固く閉じられていた花が綻ぶ瞬間を見た——犠忌が、心の底から嬉しそうに笑ったのだ。
それを返事とした互いは、手を取り合って山の中を走り続ける。
空は、神様が祝福してくれたかのような蒼天だ。
それはそうだろう。
伝統が続いたとて、偽物の姉妹は口に合わないだろう。
犠花が女として扱われたのは、彼らの妹が生まれながらにして死したからである。
村長はそれを、秘匿した。
それ故に、天災が起ころうとしていたのではないか。
間違った生贄を捧げようとしたからか、神に隠し事をしようとした所為か、はたまた必然か。
村はその翌年、双子以外の記憶から、姿を消したという。
後の土地にはただ、龍神のみが真実を持って眠りについたという。