望月

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《何もいらない》

 剣を振る度に呼吸が乱れ、姿勢が崩れる。
「はぁっ……はあ……ッ……!」
 観客の声が五月蝿い。
 その姿も全部、五月蝿い。
 相手の剣とがぶつかって、金属音が嫌に響く。
——いなくなれ。黙れ。
 苛立ちを隠せない自分に呆れすら抱きながら、そう、ふと思う。
 すると、呼吸を重ねるにつれ、観客の姿が空に解けていく。
 そういう感覚に陥っているだけだろうが、今はそれでよかった。
 今度は、呼吸が邪魔だった。
 自分の息が荒くて、それが鬱陶しい。
 風の唸る音が呼吸の間に聴こえて、勘で攻撃を躱す。
 また一合と切り結び、離れた。
——相手のも全部、邪魔だ。
 繰り返される呼吸が、酷く煩わしい。
「はっ……はぁっ……ふー、ふッ……」
 呼吸もまた、空に、解ける。
 彼我の差は五メートルほどだろうか。
 けれど、今はその距離すらも、いらない。
——これが最後だ。
 剣先が動いて、自然に吸い寄せられる。
 体も、まるでいらない。
 何もいらない。
 ただ一心にそこを斬るだけだ。
 相手を殺す為の剣を。
「————」
 果たして、彼の者の剣は相手に届いた。
 無我のそれには、“生”の気配が感ぜられなかった。
 それ故に、呼吸も置かず、瞬きもなく行動を起こせたのだろう。
「——ッはぁ、はあっ……はッ……!!」
 大量の血飛沫を浴びて漸く、荒く呼吸を吐いた。
 そうして彼は、後に剣聖として語られるまでに成るのだ。
 誰かを殺すまで知れぬ境地など、知りたくもなかったろうが。
 その境地こそが剣を殺し、生むのである。

4/21/2024, 4:06:36 AM