《花束》
拍手喝采の中、私はステージから降りた。
演劇の幕が降りたのだ、もうそこに私の居場所は無い。
「お疲れ様でした〜」
共演者さんやスタッフさんに声を掛けながら私は、控え室まで戻る。
漸く手にした舞台だったのだ、緊張するのも仕方がないと思う。
「これ、ご友人だと名乗る方から頂いた花束です。あなたに渡して欲しい、と」
スタッフさんから渡されたのは、薔薇の花束だった。
「あら情熱的……誰からかしら」
何気なく、添えられていたカードを見ると、
『親友からの気持ちよ』
とだけ書かれていて、恐らくこの送り主であろう彼女の素っ気なさに笑ってしまった。
裏返してみると、まだ文章があった。
『これが、あんたの演技に対する』
文脈的に裏から見てしまったのかも知れない。
改めて文字を見ると、書き殴ったような字だと思う。
ねえ、花束って何が綺麗なの?
だってせっかく綺麗に咲いてる花を手折って、集めたのものなんでしょう。
それの何が綺麗なのか、わからない。
そのまま野に咲いている方が何倍も心が揺さぶられて、美しいって感動できるわよ。
花束なんて、窮屈な布に綺麗に押し込められただけ。そこに花の個性も何も無いわ。
その本来の才能を殺してるようなものでしょ。
そんないつかの会話を、ふと思い出した。
つまりこれは、そのメッセージなのか。
「……私だって、そのままでいたかったわよ」
夢の為に捨てた想いを、夢の為に捨てた『私』を、彼女は大切にしてくれているんだろう。
だから彼女は私にとって、最高の親友なんだ。
《スマイル》
笑顔——それは時として、自分自身の心を守る為に使われるのです。
ある資産家が、その財産を狙ってか刺殺されるという事件が起こりました。
彼にはそれはそれは美しい妻がいて、彼女は彼を深く愛していました。
ですから、彼が亡くなり酷く悲しみました。
けれど、人脈も広く友人の多かった彼を弔う為に、葬式主として葬式をせねばなりません。
式中彼女は一滴も涙を流すことなく、柔らかい笑顔でこう言いました。
「きっと夫も、皆さんが来て下さって喜んでいることでしょう。彼なら持ち前の明るさで、あの世でも幸せに暮らしているでしょうから」
そうに違いない、と皆彼女に同意します。
彼女の表情はたしかに笑顔ですが、陰りがあったからです。
その言葉を否定すると、彼女は悲しみに泣きくれてしまうのではないか、そんな思いが皆の心に共通していたのでした。
そうして悲しい葬式を終えた後、パーティが開かれました。
この国では、葬式で故人の死を悼み悲しんだ後は心配させないように、と故人の冥福を祈ってパーティを開く習わしがあるのです。
空気を明るくするのが狙いですから、服装は色を問いません。寧ろ明るい色のドレスを纏う方が好まれるのでした。
赤、黄、青、水、桃、緑……色とりどりのスカートが揺れる中、彼女だけは黒のドレス姿で壁の花となっていました。
黒は故人への悲しみを表す色ですから、本来葬式後のパーティで着るのは御法度です。しかし、夫を亡くしたばかりの彼女に、その死を悲しむな、などと言えようもありません。
その所為もあってか、彼女に声を掛けられる者もいませんでした。
そしてパーティは幕を閉じます。
「本日はどうぞ、いらして下さりありがとうございました」
最後の最後まで彼女は、一切の涙を零すことなく気丈に振る舞いました。
彼女はとても美しい女性です。
不謹慎にも、その可憐さに心惹かれた者が数名いたのです。
彼女がパーティの片付けをしていると、扉をノックする音がしました。
不思議に思って行くと、そこには生前夫ととても親しくしていた男性がいました。
「君のことが心配になって、少し様子を見に来たんだ。大丈夫かな?」
男はそう言います。
本心でしょう、その目は不安で満たされていました。そして、もう一つの本心も微かに顔を見せていました。
それは彼女に惹かれたということです。
彼女はそのもう一つの本心に気が付かないまま彼を家に招き入れました。
「心配して下さってありがとうございます。でも、大丈夫です。彼がいなくて……少し、寂しいけれど」
そっと目を伏せた彼女は、とても儚い花でした。
男はその方を優しく抱き、こう言います。
「無理しなくていい。今ここにはあなたの夫の親友しかいないのだから」
その言葉が、きっかけだったのでしょう。
彼女は彼との思い出を語ります。
笑顔が好きだと、最初に言われたこと。
初デートは緊張してよくわからなかったこと。
恋愛映画を見ると初心な反応をしていて、それがかわいく思えたこと。
たわいない日々が愛おしく思えたことを。
思い出話をする内に彼女の笑顔の仮面が崩れ、泣き始めてしまいました。
それを男はそっと抱き留めます。
彼女が泣き腫らした瞳で男を見つめ、男は真摯な瞳でそれを受けます。
それからどちらともなく顔を寄せました。
男が彼女の悲しみに付け込んだという卑怯さに、きっと目を逸らして。
外では雨が、降り始めていました。
そして彼女は、二年後、ある大企業の社長の男と結婚に至るのです。
その男もまた、すぐに死んでしまうとは知らずに。
「笑顔の仮面の下が、素顔だなんて誰が言ったのかしら? ……騙される方が愚かなのよ」
《どこにも書けないこと》
聖痕——スティグマ。
それは女神からの祝福の証とされてきた。
きっかけは今から約千二百年前に、ある国の王が額に不思議な痣を発露したことだった。
どの医師も、成人してから痣が発露する病気など知らなかった。
そこに一人の、信者を名乗る女が現れこう告げたのだ。
曰く、女神様は聖なる光の使徒として王を選んだ。光で闇を晴らし、人々を導け。
魔物という存在が常に人々にとっての闇であったが故に、その意味は正しく伝わった。
そして最初の魔王封印の物語の始まりとなる。
勇者となった聖痕を持つ者は、身体能力の向上や魔物に対抗しうる力を手にすることができるなど、様々な恩恵を受けられる。
そして皆魔王へと挑むのだ。
だが、力不足からか心臓を突いたとて倒しきることはできない。
だから、聖痕の力を借りて封印し続けるのだ。
百年から二百年程度で封印が解ける魔王に、立ち向かい続ける存在——それが勇者たる者の運命だ。
全ては真なる魔王の消滅の為に。
「あああああああああああああああああああッ!!」
絶叫が響き渡った。
今代の勇者が、魔王と刺し違えながらも心臓を突いたのだ。
激しく、魔物特有の青い血が吹き出る。
それをもろに浴びながら、しかし、勇者は晴れやかな笑みを浮かべていた。
今、確かに魔王の絶命の声を聞いているのだ。
「#€¥■¶¿□◇§●۞ッッッ!?!?!?」
元々の操る言語が違うからか、少し人の言葉を覚えたからといって断末魔まで似せることは叶わないようだ。魔王は不協和音を奏でながら崩れていく。
体の崩壊は、魔物が消滅するときと同じだ。
つまり、魔王を完全に倒し切ることができたのだ。
「……は……はは……! やった、ついに……倒したんだ!! は……っ……やったぞッ!!」
歓喜に打ち震えながら、勇者は自身がもう長くないことを悟る。
だが、それでも良かった。
封印から目覚めまで、人々は怯え続けていた。その日々がもう二度と来ないのだから、己の役目を全うしたと言えよう。
魔王の体は崩れ去る——
「…………は?」
筈だった。
今まで勇者に恩恵をもたらしてきた、左手にある聖痕から光が溢れ、魔王を包む。
まるで、彼の体を崩さぬように、と。
絶句する勇者の前で、聖痕から伸びた光の手が魔王を包み封印していく。
消滅する筈のところを、聖痕が押し留めたのだ。
——女神様は、魔王を滅ぼす為に人に聖痕を与えたんじゃない。魔王が倒されないように、治癒の時間を封印という形で与えているんだ。
つまり女神は、人に魔王を倒させるつもりはないのではないか。
永遠と封印と復活を繰り返し、争いを繰り返させているのではないか。
「……創造は、破壊の果てにある」
教典の一節にあった言葉が、脳裏を過ぎる。
女神は世界を新しくするために、魔王という存在で破壊して、また創っているのではないか。
そこまで考えたとき、勇者は絶望した。
「最初から、人に勝利なんて、平和なんてこない」
これまで全てを投げ打って魔王に立ち向かい、死んで行った勇者たち。魔王によって生み出されし魔物が殺してきた人々。
その全ての命が、女神の掌の上で転がされただけだったのか。
「んのクソアマっ……ire in gehenッ——」
言葉を言いかけ、満身創痍の勇者は魔物に頭を潰された。
ire in gehennam——地獄に堕ちろ。
《時計の針》
兄はとても優れた人だ。
双子なのに、デビッドとは大きく違うのだった。
「セドリック殿下がいらしたわ!」
「ごきげんよう!」
兄が通り掛かると皆笑顔で声を掛ける。
「デビッド殿下……ご、ごきげんよう」
だが、弟であり背格好に大きな差がない筈のデビッドには、皆気まずそうに挨拶をするのだ。
それも仕方の無いことだった。
セドリックとデビッドが二人きりで紅茶を楽しんでいたとき、途端にセドリックが苦しみ出した。
後にわかったことだが、毒を盛られていたのだ。
紅茶自体に毒が盛られていたならば兄弟のどちらもが倒れていておかしくない。
なのに、セドリックだけが毒を飲んだ。
状況から鑑みて、デビッドが毒を持ったのではないかと噂されたのだ。
当時十二歳だった彼は犯行する理由もなく、また、被害者であったセドリックも弟を庇った。
しかし、庇い続けているのが悪手だったのか噂は広がり続けた。
事態を収める為にデビッドは幼いながらにも思考し、王位継承権の破棄を申し出た。
だが、毒を盛ったと一人の使用人が告白したことと、国王が王位継承権の破棄を認めなかったことにより噂は収束へと向かった。
それが今から二年前だ、まだデビッドを快く思わない者も少なからずいるだろう。
それでも兄は変わらず接したし、弟も兄と過ごすことを選んだ。
それでまた、元通りの筈だったのだ。
「……はッ……っ……なんで……?」
だというのに、またセドリックに毒が盛られた。
しかもその毒を口にしたのはセドリックではなく、一歳の妹だった。
たった一口、口にしただけだ。
紅茶が美味しいからと、兄が優しさのつもりで世話係が見ていない内に一口スプーンで飲ませた。
その瞬間、妹の口からは笑い声でなく、泣き声ですらなく、血が零れた。
「……嘘だよ、なんで、こんな……!!」
「ごめん、ごめんなさい……俺のせいだ、俺が……」
顔面蒼白になった兄を見たのは、初めてだった。
後は大人が処理をした。
血塗れの妹に、兄弟は言葉を失い、泣いた。
けれどもデビッドはやはり、疑われたのだった。
二年前に引き続きまたそこにいた、それが大きな理由だったらしい。
「あんなにもセドリック殿下は庇って下さったのに」
誰も彼もが、セドリックを可哀想だと言う。
「この恥知らずが、妹まで殺めるなんて」
誰も彼もが、妹の死を悼みデビッドを罵倒する。
「ああなんて恐ろしく醜い子なんでしょう」
誰も彼もが、デビッドの声を聞かずに蔑む。
「「「「「「また犯人はデビッド殿下か」」」」」」
誰も彼もが、セドリックの庇う声も、デビッドの弁明の声も聞かず、犯人として頭ごなしに決めつける。
そしてその主張は国王の耳にも入り、デビッドは謁見の間に呼ばれた。
「……用件はわかっているな、デビッドよ」
「はい。ですのでまず、王位継承権の破棄を申し上げます。その上でなんなりと、罰を」
弱冠十四にして、デビッドは醒めた瞳をしていた。
全てわかっているのだろう、父としてではなく国王としての命を下される。
「……東の塔にて暫く謹慎せよ。世が再び命ずるまでは、塔を出ることを禁ず。また、世話係以外の者が塔に近付くことを禁ず」
「……はっ! ……陛下、恐れながら申し上げたいことがございます」
「なんだ」
「……僕の所為で迷惑掛けてごめんなさい、父さん。妹を殺してしまったかも知れない僕を、生かしてくれてありがとうございます」
それを告げると、デビッドは謁見の間を後にした。父の無言は、もう用が済んだいう証だ。
本来なら王族であっても王族殺しは重罪で、良くて極刑といったところだろう。
謹慎程度、父としての手心がなければ実現しない。
民の混乱を防ぐ為に一時的な処置として、謹慎を言い渡したのだろう。
デビッドは父に感謝をしながら、塔へと向かう。
「……デーヴ! なんでお前が謹慎なんて……!」
「兄さん! 心配しないで、また戻ってくるから」
「でも、だからって王位継承権まで奪うなんて!」
「いいんだ。だってどうせ僕に権利があったって、王になるのはセディ兄さんだ。だって僕より強くて、賢くて、かっこいいんだから」
なおも縋りつこうとした兄を使用人に渡し、デビッドは東の塔へと入った。
壁に沿うように、ずっと上まで続く螺旋階段。その階段をお構いなしに壁に埋め込まれた本棚には、所狭しと本が並べられていた。
一階が居住可能で、ベッドやテーブルなんかは扉を開いてすぐ正面にあった。
「……本は好きなだけ読んでいいらしいから、また今度兄さんに面白い話、教えてあげるね」
「絶対会いに来るから! またな、デビッド!」
涙を押し殺した笑顔で、使用人に連れられてセドリックは去った。
デビッドの中の時計の針は、ここで止まってしまったのだ。
それからというもの、セドリックは毎晩護衛の目を盗んで塔の前にやって来て、扉越しに会話をした。
重い扉は鍵が掛かっていて、開けられなかったのだ。顔を合わせられないのは残念だが仕方ない。
「兄さん、今日も来てくれてありがとう。おやすみなさい、また今度」
「ああ、おやすみ、デーヴ。またな」
そんな会話をして、少し経つとセドリックが訪れる日に間隔が空くようになった。
抜け出していることがばれて、護衛が増えたのだと言う。
二日に一回となり、五日に一回となり、二十日に一回となり——やがてぱったりと現れなくなった。
それから、どれだけの時間が経ったのだろう。
日は沢山昇ったし沢山暮れたように思う。
生活は全て塔の中で完結しているものの、与えられている食事も服も、セドリックが働き掛けたのか兄とと比べても遜色ないものが与えられている。
清潔さも保たれているし、特に苦はない生活だった。それ故に、時の流れが淀み止まっているような日々だったのだ。
扉の開く音がして、また食事かとデビッドは階段を下りる。
「……デーヴ、迎えに来たよ」
しかし、そこにいたのは、セドリックだった。
すっかり背も伸びて声変わりもしていたけれど、セドリックだと、兄だとわかった。
第一デビッドを愛称で呼ぶのも、わかり易い。
「……セドリック……陛下」
その指に嵌められた押印を認めて、デビッドは苦く笑った。
それが、時計の針を動かすきっかけだと知って。
「昔みたいに、呼んでくれないのか。俺のワガママだけど『セディ兄さん』って、呼んでくれよ、デーヴ」
悲しげに目を伏せる兄に、デビッドは、
「……セディ兄さん」
「……ああ」
「来てくれてありがとう。……父さんは?」
「十日前、暗殺されたよ……それで、祭事も終わって漸く来れたんだ。遅くなってごめんな、デーヴ」
「ううん、来てくれただけで嬉しいよ。ありがとう」
父の死を悼み、デビッドは目を伏せた。
そんな弟を兄は抱き締める。
「……さあ、帰ろう。歩けるか?」
「……歩けるけど、力が上手くはいらな、」
デビッドが言い終わらないうちにセドリックは弟を抱き上げる。
「安心して、腰抜けちゃった?」
「……わかってることは言わなくていいの!」
にやりと笑ったセドリックの表情は、デビッドにとって初めて見るものだ。
「デーヴ、もう強がらなくていい。俺がいるから、もう安心していいぞ」
唯一無二の、デビッドの味方となってくれる兄。
その兄の腕の中にいるだけで、どれほどの安堵感が広がることだろうか。
自然と感情を抑えてしまっていたのか、その言葉で止まらなくなってしまった。
大好きな兄の首に抱き着き、デビッドは泣く。
「……た、助けてくれてっ……ありがとう、セディ兄さん……! 僕、兄さんが大好きだよ……ずっと、離れないでねっ……!!」
「……ああ、俺も大好きだ。愛してるよ、デーヴ。安心して。ずっと、ずーっと——離さないから」
セドリックは仄かに薄暗い、愉悦に染まった笑みを浮かべていたが弟は気が付かなかった。
時計の針は、まだ、動かない。きっとこれからも。
《溢れる気持ち》
うるさい。黙れ。いなくなれ。何も知らないくせに。消えろ。頼むから死んでくれ。死ね。もう嫌だ。めんどうくさい。死にたいけど、死にたいわけじゃないのに。逃げたい。生きたくない。無理。黙れよ。死ぬか。壊れる。死ね死ね死ね。終わった。マジでくそが。ふざけるな。やめろ。バカ。うるさいうるさい。ねぇわかってよ。誰か助けて。疲れた。やっぱ無理だよ。できやしない。死んでしまえ。失せろ。壊れる。好きなことしてんじゃなくて、嫌いなことから逃げてんだ。嫌いだ。死んでくれ、頼むから。カス。
溢れそうな気持ちは全部、物語の中に隠す。
例えばそれは主人公の気持ちに。
例えばそれは登場人物の言葉に。
全てはリアルを求めるため、そう思えば。
気持ちが溢れたってしまえるんだ。