望月

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《時計の針》

 兄はとても優れた人だ。
 双子なのに、デビッドとは大きく違うのだった。
「セドリック殿下がいらしたわ!」
「ごきげんよう!」
 兄が通り掛かると皆笑顔で声を掛ける。
「デビッド殿下……ご、ごきげんよう」
 だが、弟であり背格好に大きな差がない筈のデビッドには、皆気まずそうに挨拶をするのだ。
 それも仕方の無いことだった。
 
 セドリックとデビッドが二人きりで紅茶を楽しんでいたとき、途端にセドリックが苦しみ出した。
 後にわかったことだが、毒を盛られていたのだ。
 紅茶自体に毒が盛られていたならば兄弟のどちらもが倒れていておかしくない。
 なのに、セドリックだけが毒を飲んだ。
 状況から鑑みて、デビッドが毒を持ったのではないかと噂されたのだ。
 当時十二歳だった彼は犯行する理由もなく、また、被害者であったセドリックも弟を庇った。
 しかし、庇い続けているのが悪手だったのか噂は広がり続けた。
 事態を収める為にデビッドは幼いながらにも思考し、王位継承権の破棄を申し出た。
 だが、毒を盛ったと一人の使用人が告白したことと、国王が王位継承権の破棄を認めなかったことにより噂は収束へと向かった。

 それが今から二年前だ、まだデビッドを快く思わない者も少なからずいるだろう。
 それでも兄は変わらず接したし、弟も兄と過ごすことを選んだ。
 それでまた、元通りの筈だったのだ。
「……はッ……っ……なんで……?」
 だというのに、またセドリックに毒が盛られた。
 しかもその毒を口にしたのはセドリックではなく、一歳の妹だった。
 たった一口、口にしただけだ。
 紅茶が美味しいからと、兄が優しさのつもりで世話係が見ていない内に一口スプーンで飲ませた。
 その瞬間、妹の口からは笑い声でなく、泣き声ですらなく、血が零れた。
「……嘘だよ、なんで、こんな……!!」
「ごめん、ごめんなさい……俺のせいだ、俺が……」
 顔面蒼白になった兄を見たのは、初めてだった。
 後は大人が処理をした。
 血塗れの妹に、兄弟は言葉を失い、泣いた。
 けれどもデビッドはやはり、疑われたのだった。
 二年前に引き続きまたそこにいた、それが大きな理由だったらしい。
「あんなにもセドリック殿下は庇って下さったのに」
 誰も彼もが、セドリックを可哀想だと言う。
「この恥知らずが、妹まで殺めるなんて」
 誰も彼もが、妹の死を悼みデビッドを罵倒する。
「ああなんて恐ろしく醜い子なんでしょう」
 誰も彼もが、デビッドの声を聞かずに蔑む。
「「「「「「また犯人はデビッド殿下か」」」」」」
 誰も彼もが、セドリックの庇う声も、デビッドの弁明の声も聞かず、犯人として頭ごなしに決めつける。
 そしてその主張は国王の耳にも入り、デビッドは謁見の間に呼ばれた。
「……用件はわかっているな、デビッドよ」
「はい。ですのでまず、王位継承権の破棄を申し上げます。その上でなんなりと、罰を」
 弱冠十四にして、デビッドは醒めた瞳をしていた。
 全てわかっているのだろう、父としてではなく国王としての命を下される。
「……東の塔にて暫く謹慎せよ。世が再び命ずるまでは、塔を出ることを禁ず。また、世話係以外の者が塔に近付くことを禁ず」
「……はっ! ……陛下、恐れながら申し上げたいことがございます」
「なんだ」
「……僕の所為で迷惑掛けてごめんなさい、父さん。妹を殺してしまったかも知れない僕を、生かしてくれてありがとうございます」
 それを告げると、デビッドは謁見の間を後にした。父の無言は、もう用が済んだいう証だ。
 本来なら王族であっても王族殺しは重罪で、良くて極刑といったところだろう。
 謹慎程度、父としての手心がなければ実現しない。
 民の混乱を防ぐ為に一時的な処置として、謹慎を言い渡したのだろう。
 デビッドは父に感謝をしながら、塔へと向かう。
「……デーヴ! なんでお前が謹慎なんて……!」
「兄さん! 心配しないで、また戻ってくるから」
「でも、だからって王位継承権まで奪うなんて!」
「いいんだ。だってどうせ僕に権利があったって、王になるのはセディ兄さんだ。だって僕より強くて、賢くて、かっこいいんだから」
 なおも縋りつこうとした兄を使用人に渡し、デビッドは東の塔へと入った。
 壁に沿うように、ずっと上まで続く螺旋階段。その階段をお構いなしに壁に埋め込まれた本棚には、所狭しと本が並べられていた。
 一階が居住可能で、ベッドやテーブルなんかは扉を開いてすぐ正面にあった。
「……本は好きなだけ読んでいいらしいから、また今度兄さんに面白い話、教えてあげるね」
「絶対会いに来るから! またな、デビッド!」
 涙を押し殺した笑顔で、使用人に連れられてセドリックは去った。
 デビッドの中の時計の針は、ここで止まってしまったのだ。

 それからというもの、セドリックは毎晩護衛の目を盗んで塔の前にやって来て、扉越しに会話をした。
 重い扉は鍵が掛かっていて、開けられなかったのだ。顔を合わせられないのは残念だが仕方ない。
「兄さん、今日も来てくれてありがとう。おやすみなさい、また今度」
「ああ、おやすみ、デーヴ。またな」
 そんな会話をして、少し経つとセドリックが訪れる日に間隔が空くようになった。
 抜け出していることがばれて、護衛が増えたのだと言う。
 二日に一回となり、五日に一回となり、二十日に一回となり——やがてぱったりと現れなくなった。

 それから、どれだけの時間が経ったのだろう。
 日は沢山昇ったし沢山暮れたように思う。
 生活は全て塔の中で完結しているものの、与えられている食事も服も、セドリックが働き掛けたのか兄とと比べても遜色ないものが与えられている。
 清潔さも保たれているし、特に苦はない生活だった。それ故に、時の流れが淀み止まっているような日々だったのだ。
 扉の開く音がして、また食事かとデビッドは階段を下りる。
「……デーヴ、迎えに来たよ」
 しかし、そこにいたのは、セドリックだった。
 すっかり背も伸びて声変わりもしていたけれど、セドリックだと、兄だとわかった。
 第一デビッドを愛称で呼ぶのも、わかり易い。
「……セドリック……陛下」
 その指に嵌められた押印を認めて、デビッドは苦く笑った。
 それが、時計の針を動かすきっかけだと知って。
「昔みたいに、呼んでくれないのか。俺のワガママだけど『セディ兄さん』って、呼んでくれよ、デーヴ」
 悲しげに目を伏せる兄に、デビッドは、
「……セディ兄さん」
「……ああ」
「来てくれてありがとう。……父さんは?」
「十日前、暗殺されたよ……それで、祭事も終わって漸く来れたんだ。遅くなってごめんな、デーヴ」
「ううん、来てくれただけで嬉しいよ。ありがとう」
 父の死を悼み、デビッドは目を伏せた。
 そんな弟を兄は抱き締める。
「……さあ、帰ろう。歩けるか?」
「……歩けるけど、力が上手くはいらな、」
 デビッドが言い終わらないうちにセドリックは弟を抱き上げる。
「安心して、腰抜けちゃった?」
「……わかってることは言わなくていいの!」
 にやりと笑ったセドリックの表情は、デビッドにとって初めて見るものだ。
「デーヴ、もう強がらなくていい。俺がいるから、もう安心していいぞ」
 唯一無二の、デビッドの味方となってくれる兄。
 その兄の腕の中にいるだけで、どれほどの安堵感が広がることだろうか。
 自然と感情を抑えてしまっていたのか、その言葉で止まらなくなってしまった。
 大好きな兄の首に抱き着き、デビッドは泣く。
「……た、助けてくれてっ……ありがとう、セディ兄さん……! 僕、兄さんが大好きだよ……ずっと、離れないでねっ……!!」
「……ああ、俺も大好きだ。愛してるよ、デーヴ。安心して。ずっと、ずーっと——離さないから」
 セドリックは仄かに薄暗い、愉悦に染まった笑みを浮かべていたが弟は気が付かなかった。

 時計の針は、まだ、動かない。きっとこれからも。

2/6/2024, 1:48:07 PM