《どこにも書けないこと》
聖痕——スティグマ。
それは女神からの祝福の証とされてきた。
きっかけは今から約千二百年前に、ある国の王が額に不思議な痣を発露したことだった。
どの医師も、成人してから痣が発露する病気など知らなかった。
そこに一人の、信者を名乗る女が現れこう告げたのだ。
曰く、女神様は聖なる光の使徒として王を選んだ。光で闇を晴らし、人々を導け。
魔物という存在が常に人々にとっての闇であったが故に、その意味は正しく伝わった。
そして最初の魔王封印の物語の始まりとなる。
勇者となった聖痕を持つ者は、身体能力の向上や魔物に対抗しうる力を手にすることができるなど、様々な恩恵を受けられる。
そして皆魔王へと挑むのだ。
だが、力不足からか心臓を突いたとて倒しきることはできない。
だから、聖痕の力を借りて封印し続けるのだ。
百年から二百年程度で封印が解ける魔王に、立ち向かい続ける存在——それが勇者たる者の運命だ。
全ては真なる魔王の消滅の為に。
「あああああああああああああああああああッ!!」
絶叫が響き渡った。
今代の勇者が、魔王と刺し違えながらも心臓を突いたのだ。
激しく、魔物特有の青い血が吹き出る。
それをもろに浴びながら、しかし、勇者は晴れやかな笑みを浮かべていた。
今、確かに魔王の絶命の声を聞いているのだ。
「#€¥■¶¿□◇§●۞ッッッ!?!?!?」
元々の操る言語が違うからか、少し人の言葉を覚えたからといって断末魔まで似せることは叶わないようだ。魔王は不協和音を奏でながら崩れていく。
体の崩壊は、魔物が消滅するときと同じだ。
つまり、魔王を完全に倒し切ることができたのだ。
「……は……はは……! やった、ついに……倒したんだ!! は……っ……やったぞッ!!」
歓喜に打ち震えながら、勇者は自身がもう長くないことを悟る。
だが、それでも良かった。
封印から目覚めまで、人々は怯え続けていた。その日々がもう二度と来ないのだから、己の役目を全うしたと言えよう。
魔王の体は崩れ去る——
「…………は?」
筈だった。
今まで勇者に恩恵をもたらしてきた、左手にある聖痕から光が溢れ、魔王を包む。
まるで、彼の体を崩さぬように、と。
絶句する勇者の前で、聖痕から伸びた光の手が魔王を包み封印していく。
消滅する筈のところを、聖痕が押し留めたのだ。
——女神様は、魔王を滅ぼす為に人に聖痕を与えたんじゃない。魔王が倒されないように、治癒の時間を封印という形で与えているんだ。
つまり女神は、人に魔王を倒させるつもりはないのではないか。
永遠と封印と復活を繰り返し、争いを繰り返させているのではないか。
「……創造は、破壊の果てにある」
教典の一節にあった言葉が、脳裏を過ぎる。
女神は世界を新しくするために、魔王という存在で破壊して、また創っているのではないか。
そこまで考えたとき、勇者は絶望した。
「最初から、人に勝利なんて、平和なんてこない」
これまで全てを投げ打って魔王に立ち向かい、死んで行った勇者たち。魔王によって生み出されし魔物が殺してきた人々。
その全ての命が、女神の掌の上で転がされただけだったのか。
「んのクソアマっ……ire in gehenッ——」
言葉を言いかけ、満身創痍の勇者は魔物に頭を潰された。
ire in gehennam——地獄に堕ちろ。
2/8/2024, 10:02:55 AM