望月

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2/5/2024, 9:49:18 AM

《Kiss》

 “キス、口付け、接吻、口吸、ベーゼ……と、様々な言い方のある。
 それらを思い浮かべるとき、人は何か特別なこととして捉えているのではないか。
 例えばそれは恋人同士。
 好きな人とすること、といった認識をしている者は多いだろう、愛情表現の一つとして用いられている。
 例えばそれは友達同士。
 お巫山戯や、本心を隠しての葛藤の中かも知れない。それでも、信頼という前提があるからこそ成り立つ。
 そんな風に、多くの人が、キスは特別だという認識をしているだろう。”

「開口一番すごい話になってる……やっぱ読むのやめようかなぁ……」
 友人から借りた小説を閉じ、独り言ちる。
 結構面白いから読んでみて、と言われたが最初からキスの話題が来るとは想定外だ。この手の話は縁がなく、苦手だった。
「まあでも、アイツに悪いし……や、帰りに読むのはやめるか」
 自転車通学だが、疲れたときは一旦公園に停めて本を読む。
 それが、修斗の日課だった。
 しかし、ここで読み止めるのはだめか、と再び本を開く。プロローグというやつが、あと数文だけ残っているのだ。
 
 “これは、神々にとっても同じことである。
 特別な、契りを交わす術の一つとして捉えられているのだ。
 それがこの行動の指す意味であった。”

 導入部分を読み終えたところで、修斗は本を閉じた。
 別にこの先が気にならないでもない。
 それでも、一度本を読むのを止めたからには、これ以上読み進めるのは良くない、そんな風に思ったのだ。
 だが、このままではいつもより三十分も早く家に着いてしまう。通りで小説を三日もあれば読んでしまう訳だ、帰りにしか読んでいないのに。
 家が嫌いという訳ではないが、弟妹が多く騒がしい。修斗にとってはこの下校時間が唯一、静かに一人でいられる時間なのだ。
 だから、その時間を削ってしまうのは惜しい。
 友人から借りた小説を鞄にしまって、自転車に跨る。
「遠回りして帰れば、多少は時間潰れるかな。……なんか面白い場所とかあったらいいんだけどなぁ」
 この町は狭い。それはもう、隣の隣の隣の家の人の娘の飼い犬が子供を産んだ、ということが一夜にして町中に広まったくらいだ。遠くて、余りにも狭い話題なのに。
 呆れるほど狭くて、見知った顔ばかりで、コンビニが二軒あることが唯一誇れる町。
 修斗は時折、辟易してしまうのだ。
 誰も彼も知っていて、酷くつまらない。
 本当の意味で一人になんてなれやしなくて、今、この瞬間ですら通りすがりの酒井さんに「修斗君、おかえり」と挨拶される。
 箱庭で飼われている気分になって、息が詰まるのだった。
 こうして遠回りをして帰ったとて、目新しいものはなにもない。
 瓦屋根の佐藤さんの家があって、杉下のばあちゃんの菓子屋があって——
「……あれ? こんなとこに神社なんてあったっけ……?」
 修斗の記憶では、雑木林が広がっていた筈の場所に鳥居が建っていた。いや、鳥居の周りは雑木林だから、正しくは雑木林の中に鳥居が建っていたのだ。
 とにかく、修斗の知らない場所があった。
「まあ、時間潰しにも良さそうだし……神社をちょっと見るだけなら……」
 今の修斗には好奇心、それだけだ。
 鳥居の傍に自転車を停め、お辞儀をしてから鳥居を潜る。
 修斗にとって全く想像していなかったのは、石段の多さだった。
 毎日往復一時間掛けて自転車で通学しているし、体力もある方だ。それでも、息が荒くなる多さだった。途中で休めば良かったけど、気になってそれどころではなかった。
「……はぁー……ふぅ。よし、お邪魔しまーす」
 息を整えてからお辞儀をして二つ目の鳥居を潜り、修斗は境内を見回した。
 思いの外広く、大きな神社だ。
 広い参道。右手には手水舎。そして正面には御社殿が構えてあった。その手前両脇には狛犬もある。
 しっかりとした神社にしては、宮司も巫女もいない。そもそもそういう人達の為の社務所もない。お守りや札、おみくじや絵馬もない神社だ。
 どこかちぐはぐな印象を受ける神社だった。
「けど普通に御社殿なんだよなぁ……」
 修斗は昔祖母に聞いたことがあったが、確か小さな町の社とは、他の大きな神社の管理下にあるという。だから、小さな神社には境内社や末社、と呼ばれるものがあるのだ。
 だが、目の前のこれはどう見ても大きい。
 賽銭箱もあるし、やはり御社殿だろう。
「大きな神様が祀られてる……にしては、知らなかったんだよなぁ」
 有名どころでもないし、ますますわからない。
 取り敢えず参拝でもするか、と手水舎に向かう。正しい手順も、祖母に教わった。
 柄杓を右手で持って水を汲み、左手、右手、口、左手、取っ手の順に清める。
 ポケットに手を突っ込むと、いつかの五円玉が出てきた。
 賽銭箱の前に立ち、滑らせる。
 二礼二拍手一礼。目を閉じて祈る。
 初めまして、神様。お邪魔してます。金いっぱい欲しいです。かわいい女の子に会えますように。この町にせめてカラオケができますように。バスとか電車とかが通りますように。……なにか面白い、初めてのことに出会えますように。
 最後の一文を強調して、修斗は目を開く。
 さて戻るか、と踵を返してふと思う。
「……うーん、欲張りだったかな」
『——多い多い。それにここはそういう場所では無い。感謝を捧げるだけの社だぞ』
「なんだそれ、ケチ臭くない?」
『なにを言うか! 充分普段から恩恵を与えているというのに……』
「たとえば?」
『……そろそろ帰っていいか、阿呆』
「大人ってすぐそうやって逃げるよなー……え? ……は? 誰?」
 なぜ今漸く気付いたのか、修斗は目を白黒させて周囲を見る。当然誰もいない。
 今自分は誰と会話をしていたのか、修斗は背筋が凍った。
『……そう身を固くさせる必要はないぞ、修斗。後ろを見てみよ』
「さっきも見たって…………見た、のに」
 声に従って振り返ると、そこには男がいた。
 金の瞳は澄んで、整った顔立ちも相まって神々しい。長い白髪を揺らして、白い着物に身を包んでいる。なにより目を引くのは、犬の耳としっぽが付いていることだ。
 脳が追い付かず、修斗は混乱した頭で、どこかおかしいと思いつつ理解する。
「……えっと、神様?」
『まあそうだな。私はここに祀られている神だ。……して、修斗。なぜこんなものを持っていた』
 こんなものと言って神様が手にしていたのは、修斗の鞄にあった筈の小説だ。
 あっさりと神だ、と言われたところでどうすればいいのかわからない。
 一先ず修斗は噛み砕いていくことにした。
「……それは俺っじゃなくてわたくし? の友人から借りたもので、して……なんで、なぜ神様が俺、わたくしの小説を持ってん……いらっしゃるんでしょう……か?」
 修斗の隠し切れない変な敬語がおかしかったのだろう、神様は笑いを堪える。
『……っ……よいよい、畏まるな。好きに話せ、修斗。私はそれで怒らん』
「はぁ……なら神様、遠慮なく。その小説、俺の友達から借りたんだ、面白いぞって」
 敬語は諦めて、修斗は先程の問いに返す。
『ふぅん……トモダチか』
「別にそいつに変なとこはないけどな? その本も、たしか家の本棚にあったから読んだみたいだし。それを、こんなものって……」
 なにが気になるのか、神様はそれを手にしたまま御社殿の石段に座る。
 手で示されたので、修斗もその隣に並んだ。
『……これは、神にとって大切な書物だ。特に土地神たる私にとっては』
「土地神だったの!? ……へぇ、そうなのか」
『そうだぞ、修斗。だから私に望むのではなく感謝しろ』
「うっ……それは知らなかったから……すんません。いつもありがとうございます」
『よいよい』
 神様は機嫌が良さそうだ。
 というかなぜ修斗の名前を知っているのか気になるが、まあ、神だからか。
「それで、その本なにが書いてあるんだ?」
『大事な所は読んだだろう、ここだ』
 神様が示したのは冒頭の部分。

 “これは、神々にとっても同じことである。
 特別な、契りを交わす術の一つとして捉えられているのだ。
 それがこの行動の指す意味であった。”

「これがなにか?」
『これが重要なのだ。そのままの意味だぞ』
 そのままの意味。
 つまり、神と契り——契約をする為の方法としてキスをすることがある、ということか。
『正解だ、修斗。正しく捉えられておる』
「口に出さなくてもわかるのか……流石神様」
『褒めてくれるな。……契りを交わすとな、人は契った相手たる神の力を扱うことができるのだ。それがあれば、神の神格にもよるが多くのことができるようになる』
「それ、神様が契約する利点ないじゃん」
『そうでもない。神の力とは、神格とは信仰による影響が大きい。つまり、人を介して力を示すことで信仰を集めやすくするのだ。……神が直接この世に干渉することは認められておらず、世の理に反する。それ故に、人を介することでしか力を顕現させられぬのだ』
 互いに利益はあるのか。
 納得したところで、この丁寧に説明してくれている神様に今更ながらの疑問を投げる。
「契りは多分わかった。で、俺なんで今神様と話してるんでしょう?」
『……そうだな。修斗や、この社がいつからあったかわかるか?』
「……さぁ」
『そうであろう。だがな、ずっとあったのだよ』
 ずっとあった。修斗には雑木林しか見えていなかったここに。
『驚くのも無理はない。この社に来るのは老人ばかりだったから、恐らく私の存在が消えかかっていたのだろう』
「……神様って、忘れられたら消えるのか」
『そうだ。だから、今修斗の目にこの社見えるようになったのは奇跡的なことだな』
 どうせすぐに消えるが、と口にした神様は手にした小説を修斗に寄越す。
「……神様、」
『さて修斗や、そろそろ日も暮れるぞ。弟妹の待つ家に帰るが良い。今から帰ればいつもと変わらぬ時間に着くだろう』
 別れの挨拶を切り出したかと思うと、神様は立ち上がって歩き出す。
 修斗は慌ててその背を追う。
「なあ、神様! 名前聞いてなかった、教えてくれ」
『……書物を読む前でそれか、空恐ろしい奴め。教えてやるが、次ここに来るまでに小説を読み切っていたら私の名を呼んでも良い』
 神にここまで言わせる奴なんぞ、修斗以外にはいないだろう。
 神様は呆れて、去り際に名を告げる。

『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』

 人が神の名を呼ぶことの、罪深さは小説の中で語られているだろう。
 それを知った上で再びこの社に現れたときは、神も容赦はしないつもりだった。
「うん? わかった、絶対読むよ!」
 なにも知らない修斗は神様に誓って、神社を後にした。

 一週間後————

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!」

 それらの音が神社に響いて、そっとキスは交わされた。
 真名を呼んでキスをする、それが契りだ。

2/3/2024, 9:30:23 AM

《勿忘草》

        拝啓 大切な君へ

 こんな形で、急にいなくなって、ごめんなさい。
 本当は先に言っておこうかと思ってたんだけど、それだったら決心が揺らぐ気がしたんだ。
 だから今、行こうと思って。
 でも手紙くらいは書いとかないと、心配するかなって思ったから書いてます。
 
 初めて会ったとき、こんなにも綺麗な存在がいるのかってびっくりしました。
 話し掛けてみても反応されなかったから、死んでるのかと思った。
 でも違くて、お腹すいて動けないだけだったから、俺と同じだと思ったんだ。
 なのに、俺を助けてくれた。
 俺がお腹いっぱいになるようにって、君の血を全部くれようとした。
 その優しさが、嬉しかった。
 あのとき出会ってなかったら、俺はきっと後悔していたと思います。
 だから、ありがとう。
 君はお腹いっぱいになると思いの外元気で、一緒にいて楽しかった。
 久しぶりに、こんなに沢山笑った気がする。
 君がいてくれて良かったし、君がいないときっと退屈で死にそうだったんだろうなって思います。
 本当にありがとう。

 だからこそ、今別れないと駄目だなって思った。
 一生一緒にはいられないから。
 俺にそんな勇気はないから、だから、さよなら。
 なんて、本当は俺が逃げただけなんだ。
 君がいなくなる、そのいつかが怖くて。
 責任なんて取れないから、逃げただけなんだよ。
 ごめん、悪いとは思ってる。
 友達って言ったのに、ずっと一緒って誓ったのに。
 裏切ってごめんなさい、逃げてごめんなさい。
 約束破って、ごめんなさい。
 こんな酷いことしちゃったから、もう友達じゃないよな、俺たちは。
 だから、もう、俺の事なんか忘れて下さい。
 最低な奴のことなんか、覚えてなくていいから。
 忘れて、これからを生きてくれ。
 吸血鬼と人は一緒にいられないんだよ。

 ありがとう、大好きだったよ。愛してる。

                     敬具


 「は……はは……馬鹿だよ……なんでっ……! 逃げないで……ッ……最期まで一緒がよかったよ……馬鹿ぁっ……!! わす、れてほしっ……なら……こんな花添えるなよぉっ……!」
 
 
 追伸 君に似合うと思って、花、好きだったろ。


 ——勿忘草に、雫が一つ落ちた。

2/2/2024, 7:32:28 AM

《ブランコ》

 世界樹には、古びたブランコがある。
 誰が何を思って作ったのか定かでは無いが、ずっと昔からあるものだ。
 世界で一番大きな、世界樹を囲む森は、その根から生まれたとされている。
 そんな世界樹の枝にぶら下がっているブランコは、遥か上空にあって霞んで見える程。
 実際、どれ程の高さにあるのか調べようとした冒険家が、三十年間毎日登り続けてもわからなかったという。
 ただ登っても登っても霞が晴れることすらなかったが、それでも確かにそこにあった遠いようで近い、そんな不思議なブランコらしい。
 世界樹の上には土地があって、そこには高次元の存在が暮らしている、というのは世界中誰もが知っている御伽噺だ。
 だからこそ、世界樹を見上げた者らは皆、その世界樹の上——上界に住まう者達が為のブランコなのだろうと、そう結論付けた。
 果たして、それは正しかった。
「ねぇ、どうしてこの世界は真っ黒なの?」
 世界樹を見上げる者には到底聞こえないが、しかし、上界の中で最も低い場所に作られた空中ブランコ。
 そこに座る無邪気な声が、純粋な疑問をぶつける。
「それはね、彼らが生まれてしまったからさ。少し目を凝らしてご覧、見えるだろう?」
 穏やかな声の示す先を少し目を凝らして見ると、そこには蠢く真っ黒な何かがいた。
「彼らって、あれのこと? なーんだ、ちっとも怖くないや。かわいいね!」
 どす黒く澱んだ闇を纏い、どろどろと体の溶けた得体の知れないモノ。
 見る者に恐怖を与えることなど容易い筈のそれを見て、可愛いなどと宣うのはこの少女だけだろう。
 風が吹くままに髪を踊らせ、少女は笑う。
「あんなのに負けちゃったのね? あはっ、みーんな弱いのね!」
 自身が嗤っていることに気が付いていない少女を見つめ、
「それでも、侮ってはいけない。彼らがいることでまた、私達が存在する理由にはなるのだから。そうだろう? アテナ」
 きょとんとした表情の少女——アテナの頭を撫でた。
「それに、これは君の姉である先代様が手を貸したことで実現した世界だ。それを否定してはいけないよ。君の姉様が可哀想だ」
「悪く言ってないもん! ただかわいい子達の味方をしてあげられないのが悲しいだけ!」
 梟の頭を撫でながらブランコを漕ぐアテナに、苦笑を漏らす。
「確かに彼女がそう決めたことだから、君は不満があるかも知れない。でも、やってくれるんだろう?」
「だってもう姉様はいないもの! だから私に任せて、兄様」
 実の兄ではなく、世話を任されただけの彼によく懐いているのは何とも皮肉だ。
 それだけ、男を近付かせないようにされているばかりか、その名の所為で人も寄って来ないのだろう。
 工芸、学芸、知恵、戦いを司りし一柱。
 処女神アテナというのは、音に聞く女神だ。
 伴侶を持たぬが故に処女神と言われているが、当然だろう。まだ今のアテナは、十四歳程なのだから。
 そんなアテナが唯一懐いているのが、彼だった。
「ああ。頼りにしてるよ、勿論。さあ、どこに行くのかはもう決めたかい?」
「うん! あの特に黒いところ!」
 アテナはいつもブランコに乗って下界を見下ろし、導くべき場所を目標として決める。
 そして、そこに神の奇跡を起こしに出向くことが日課であり、責務だった。
「ねぇ、兄様も一緒に行きましょう? まだ戦いは苦手なの……」
 不安げに彼を見つめると、
「仕方ないな、いざとなったら力を貸すよ。でも、できるだけ自分で導くこと。いいね?」
「うん! じゃあ——行こっ!!」
 アテナは彼の手を掴むと、ブランコから飛び降りた。耳元で風が唸る。
 まだ幼いアテナのはしゃいだ声を聞きながら彼は——軍神マルスは、空へと共に身を投げたのだった。
 こうして神々は奇跡を起こす。
 時には手を携えて、代々受け継ぎながら。

2/1/2024, 1:25:47 PM

《旅路の果てに》

 人の生というものは、とても短い。
 対して、魔族の生というのはとても長い。
 少なくとも数十年は魔族の方が長く生きられるのだ、雑魚であっても。
「……つまらない。何もかも」
 その瞳に諦観を映して、呟く女魔族が一体。
 時には傾国の美女。時には女王。時には旅人。時には村人。時には商人。時には魔女。時には騎士。時には——。
 数え切れない程、名を変えて生きてきた。
 その時間は一万と飛んで三千八百年程。百以下は数えるのも面倒で、寧ろよくここまで数えていたな、と呆れる程だ。
 だからか、女魔族は多くのことを知っている。
 今女魔族が立っている地で、まさに一触即発の空気が漂っていることも。
 そんな中現れたたった一体の女魔族に、両国の軍が怯んでいることも。
 これから起こる、戦争の理由も。
「寝ているところを邪魔されて、少し気持ちが昂った。どれ、死にたい奴から掛かってこい」
 女魔族の声は不思議と、遠くに布陣している両国の軍に届いた。
 頭の中で響いたのだ。
「たかが一体の魔族に、十万を超える軍勢が手も出せぬとは……中々愉快でならんな」
 そう言った女魔族は、手を広げた。
 刹那、両軍の前衛が吹き飛んだ。単純に、広範囲に魔力を広げたのだ。
 簡単であるが故に、強力なそれ。
 天災にも等しい威力を見とったのか、両軍は女魔族の排除を最優先と定めた。
 そして、共に女魔族と戦うことを選んでいた。
 そもそも、敵国を放っておいたとて女魔族に掛かれば一瞬で捻り潰す筈だ。
 つまり、共闘が成ったのである。
「よい子らよ、おいで」
 慈愛に満ちた表情を浮かべたかと思うと、女魔族は全力で両軍を壊滅させることにした。
 その間、僅か一時間。
 半壊状態の軍勢を置いて、女魔族はその場を去った。誰もが気付かぬ内に。
 一人静かな崖に立ち、女魔族は溜息を吐く。
 国の全土が見渡せる場所だ、眺めはいい。
「……ぬかったか」
 悠然と振り返った女魔族の胸には、剣が突き立てられていた。
 背後から突如として現れた男が、女魔族を刺したのだ。
 素早く影から飛び出してきたのだろう男だが、女魔族は気付いていたが無視していた。
 そろそろ、飽いたのである。
「ふふ……久しく忘れていたようだ。ありがとう」
 刺したにも関わらず笑みを向けてくる女魔族に何を思ったのか、男はより深く剣を刺した。
「そう焦らずとももう、長くはないさ。この私を討てたことを、最高の名誉として生きよ」
 ここ二千年程忘れていた感情が、女魔族の胸を満たしていた。
 それは、喜び。
 長く生き過ぎたせいか、感情を一つずつ失っていた女魔族にとって、最高の終わりだと思ったのか。
 満足そうに目を閉じ、自らの手で剣を引き抜く。
「さらば、勇者よ」
 崖から女魔族は飛び降り、頭から着地した。
 赤が男の視界に映る。
 こうして、世界を作りあげた最悪の立役者は、呆気なく消えてしまったのだという。

1/30/2024, 10:02:07 AM

※拙いですが過呼吸表現、薔薇要素あります。苦手な方はスクロールお願いします。

《I LOVE…》

 佐伯は幼少期から病気がちだった。
 風邪をこじらせては入退院を繰り返した。
 だが、そんな彼を両親は愛した。誰よりも大切な存在だと。
 幸せだった。愛情で満たされていた日々だった。
 それが壊れたのは一瞬だ。
 通り魔に、両親を刺し殺されたのだ。
 幸か不幸かまだ幼かった佐伯は、両親の腕の中で守られた。ただ、気絶することなく、両親の命の喪失を感じ続けた。
 それから、そうなったのか。あるいは、こうなるのは必然だったのか。
「——き、佐伯ー!」
 物思いにふけっていた佐伯を現実に引き戻した声の主は、友達の加藤だ。
 いつもの爽やかな声で名前を呼んでいる。
「……あぁ、次二限体育だっけ」
 佐伯より少し背の高い彼の隣に並んで、ぽつりと返す。
 こうして佐伯のような社交性のない男とつるむ様には見えない彼だが、何故か佐伯とよく話す。本人曰く、話したい奴と話してるだけなんだそうだ。
 沢山の友達もいるだろうに、こうして佐伯を誘って来るのも物好きと言えよう。
「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ、佐伯」
「わかってるって。加藤、勝負なー」
「また持久走の一周目で全力で走るのか? あれペース配分馬鹿だって、この前先生に言われたんだけど。佐伯の所為でなんだけど」
「細かいことは気にするな。シンプルに周回で競うのは無理だろ、現役サッカー部め」
「はいはい、仕方ないから文芸部様のお遊びに付き合ってやるよ」
 いつものように軽口を言い合いながら体育が始まった。準備運動中も、揶揄い合う姿勢は変わらない。
「よし、勝負だからな」
「負けないからなー」
 先生の「自分のペースで」なんて言葉を聞かなかったことにして、二人は全力で走り出す。
「あいつらやっぱ馬鹿じゃん!」
「またかよ、つかどっちも早ぇー」
「どうせまた加藤の勝ちだろ!」
 他のクラスメイト達の笑い声を聞きながら彼らは全力で走る。
 佐伯は体力はないが、足は早い方だ。もちろん加藤はそのどちらも持っているが。
 お互い一歩も譲らず駆け、最後、僅かに加藤が先を走った。
「俺の勝ち! 佐伯の負けだ!」
「くっそー、勝てないか流石に! ……てか疲れた……もう走れない」
 途端にスピードを落とす佐伯に、ふはっ、と加藤は破顔する。
「お疲れ、リベンジは受け付けるぜ、じゃなー」
「もう無理だっての!」
 持久走に真面目に取り組み出した加藤の背に怒号を投げ、佐伯はまた一歩踏み出した。
 正しくは、踏み出そうとした。
 その瞬間視界がぼやけ、体に力が入らなくなって膝から落ちる。
「……ぁ、やば……あ……っ」
 倒れる、と思った直前、
「佐伯ッ!」
 加藤の声が聞こえた気がして、意識が遠のいて行った。

 佐伯が目を開くと、真っ白で無機質な壁が広がっていた。
 がばり、と急いで起き上がると、そこは保健室のベッドの上だった。
「……僕、なにして……、持久走か」
 少し汚れた体操服が目に入り、何があったのかを思い出す。
 倒れたのだ。調子に乗って本気で走ったから。
 自業自得も甚だしいが、誰かが佐伯をここまで運んでくれたのだろう。
 濁すまでもなく、特に人付き合いの良くない佐伯を助けるのは一人だけだが。
「……授業中か、まだ」
 壁に掛かっている時計を見ると、十時十五分を過ぎたところだった。
 それでも三十分は気絶していただろうか。
 保健室特有の、消毒液やらの混ざった薬の臭いに佐伯は息が詰まりそうだった。
 タイミングが悪かったのか、保健室の教諭養護の人もいない。本当に、一人明かりの付いた保健室に眠っていたのか。
 それを考えると、ふと佐伯は寒気を感じた。無性に寂しくなってきたのだ。
 病院の臭いに近い空間で、ベッドの上にいる。
 嫌でも過去のことが脳裏を過り、そのまま最悪の記憶へと繋がって行く。
 今から五年前の、冬。
 この季節だった。
 いつものように風邪をこじらせて入院していた佐伯が、また退院した日。
 退院祝いに、両親に本をねだった日。
「……はぁ……は……っ、あ……!」
 呼吸が浅くなっていく。
 極力思い出さない様にと蓋をしていた記憶が、蘇ってくる。
 その時、扉が強引に開けられた。
「……っ!!」
 一瞬加藤かと思ったが違うようで、その女子生徒は絆創膏を棚から取ると「せんせー絆創膏貰いまーす」と申し訳程度に断って、また豪快な音を立てて去って行った。
 自然と強ばっていた体をぎこちなく動かす。
 考えるな、考える必要なんてない。
 一瞬でも期待してしまったのだ、心配した加藤が来てくれたのではないかと。だが、実際今は授業中、来る筈もない。
 それが、会いたいときに、話したいときに側にいない両親を思い起こさせる。
「……ッ、ぁ…………はあっ……はっ……!!」
 無人の保健室に、チャイムが鳴り響く。
 それが嫌に孤独を際立たせるようで、佐伯は冷や汗をかいていた。
 遠くで鳴ったチャイムが、頭痛を呼ぶ。
 やめろ、考えるな。ここは病院じゃないし、五年前でもない。
 なんとか思考を切り替えようと思えば思う程、それの記憶を探り出してしまう。
 鮮明に、色も音も、世界全てを引き連れて。
 過去に、染まる。
「——佐伯! 大丈っ……どうした!?」
 その彩られた世界を真っ向から壊したのは、この男の声だった。
 入ってくるなりベッドの端に座る。
「……なっ……で……けほッ……!?」
「なんでって……当たり前だろ? 友達の心配してなにがおかしい? そんなことより過呼吸か。よし、俺の目を見て呼吸を合わせろ」
 佐伯の返事も待たず加藤は肩を掴んでしっかりと自分の方に顔を向かせる。
 驚き目を瞬いている佐伯に、加藤は柔らかく微笑んだ。
「できるだけ俺に合わせてみろ。深呼吸な? すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」
 深呼吸をして、真似ろと加藤は言っているのか。
 ろくに回らない頭で佐伯は、その言葉に従い息を整える。
 だが、上手く呼吸にならず喉から変な音が出るばかりだ。
「佐伯、焦らなくていいから。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて。俺の真似だよ、大丈夫」
「もっ……いいッ……ぇほっ、けほけほっ……! か、とぉ……戻っ……て……!!」
「こんな状況で置いていけるわけないだろ」
「だ、て……迷惑……だか、ら……ごめ、」
「迷惑なんて思わない。俺が佐伯にできること、なんでも言って?」
 悲しそうにそう言われると、佐伯も頑なに戻れとは言えない。
 佐伯の為を思っての言動だからだ。
 なのに、ふとこんな考えが過ぎる。
 先生に頼まれただけとか?
 責任感の強い加藤のことだから、俺の所為で全力で走らせてしまったと、悔いたのか?
 一人でいる僕を可哀想に思ったから?
 加藤の優しさを信じ切れない。
 佐伯はそれを苦々しく思う反面、結局はいつも通りか、と諦めている。
 ずっとそうだった。
 両親を亡くした佐伯を哀れみ、同情から側にいてくれる知り合いはいた。
 だが、それだけだ。
 哀れみ、哀れまれる関係。それ以上になった人は、両親以外存在していない。
 チャイムが一度鳴っても、加藤は微塵も教室に戻る素振りを見せなかった。
 浅い呼吸を繰り返し、押し黙った佐伯に加藤は口を開く。
「なあ、佐伯。その……なにか、したか? 俺はお前のことちゃんと知れてないから、無意識に気に触るようなこと言ったり、」
「ちがっ……! お前はッ……悪く、ないから」
 悪いのは、友達を頼れない自分の方だ。
「じゃ、嫌われちゃったかな? はは、だったら離れるから、今は側にいさせてくれよな」
「嫌、な……わけ、ないだろ……!? 僕が、僕の、勝手な、想像の所為でっ……」
「そっか。……ならさ、今じゃないってわかってるんだけど、聞いてくれるか?」
 言葉を紡ごうとするが、佐伯は上手く喋れなくなった。過呼吸は一度治まりかけたが、すぐにぶり返してしまったようだ。
 そんな佐伯に加藤は意を決して告げる。
 俺は最低だな、と心の中で自身を嗤いながら。
「佐伯——好きだ。俺は、お前が大好きなんだ」
「……は、ぁ……?」
 よほど衝撃を受けたのか、息を止めた佐伯は加藤を見た。
 それはもう、目を見開いて。
 対する加藤の顔は耳まで赤く染まっている。
 つまりそれは、そういうことなのだろう。
「……っ……!!」
 照れが佐伯まで伝播して、過呼吸であった筈の彼は酷く落ち着いていた。いや、別の意味で落ち着かなくなってしまったが。
 実際、どれほど時間が経ったのか。
 すっかり過呼吸は鳴りを潜め、若干の甘い空気というかが場を支配する。
 一瞬にして保健室を告白現場に仕立てた加藤の手腕は、流石と言ったところか。
 空気感に耐えられなくなったのか、加藤が立ち上がる。
「あー、その……せ、制服取ってくるわ」
 一言置いてそそくさと立ち去ろうとしたその腕を佐伯が掴む。
「……あのさ、僕も丁度聞いて欲しい話があるんだけど、いいかな?」
「ま、まぁ……全然」
 視線を泳がせながら、加藤はベッドに座り直した。
 佐伯の緊張が伝わったのか、加藤は真剣な表情になった。
 佐伯は口を開いた。
「僕、両親が通り魔に殺されたんだ」
 その後は、簡単だった。
 五年前の冬の惨劇を。
 淡々と、感情を載せずに佐伯は語る。
 退院祝いの本をねだったこと。
 そこで通り魔に出会ってしまったこと。
 両親が殺されてから、祖父母に預けられたこと。
 心の傷を癒そうと、祖父母は優しいが腫れ物を触る様な環境だったこと。
 それから、愛情で満ち足りた世界を喪ってから、心が乾き切っていたこと。
 全てを話すと、加藤は黙って佐伯を抱き締めた。
 佐伯もただ、されるがままだった。
 二人とも、泣いていた。
「……俺、佐伯のことなんにも知らなかったんだなぁ……ごめん、ごめんな」
「ううん、話してなかったのは僕の方だし。謝るようなことなにもないし」
「いや、体育の授業なんか蹴って、ずっと起きるまで待ってればマシだったかも知れないだろ? だから」
「……今僕の為に、三限サボってくれてるからいいよ。……なんてね」
 少し笑った。
 佐伯のその陰りの意味を初めて知った加藤は、動揺の中、それでも伝える。
「今の話を聞いて、なおさら。俺はお前のこと大好きだから、心配すんな」
「……それさ、I LIKEなの? それとも、」
「I LOVE……って言ったら、困る? 佐伯は」
 不安なのか、視線を逸らして問う加藤に佐伯は耳元で囁く。
「困るんなら、最初から聞き流してるっつーの。……バーカ」
 苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、辛いことがあっても。
 加藤だけは、頼ってもいいかもしれない。
 佐伯はそう思って、嬉しくなった。
 両親が、ようやっと安心してくれた気がしたのだ。

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