望月

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《ブランコ》

 世界樹には、古びたブランコがある。
 誰が何を思って作ったのか定かでは無いが、ずっと昔からあるものだ。
 世界で一番大きな、世界樹を囲む森は、その根から生まれたとされている。
 そんな世界樹の枝にぶら下がっているブランコは、遥か上空にあって霞んで見える程。
 実際、どれ程の高さにあるのか調べようとした冒険家が、三十年間毎日登り続けてもわからなかったという。
 ただ登っても登っても霞が晴れることすらなかったが、それでも確かにそこにあった遠いようで近い、そんな不思議なブランコらしい。
 世界樹の上には土地があって、そこには高次元の存在が暮らしている、というのは世界中誰もが知っている御伽噺だ。
 だからこそ、世界樹を見上げた者らは皆、その世界樹の上——上界に住まう者達が為のブランコなのだろうと、そう結論付けた。
 果たして、それは正しかった。
「ねぇ、どうしてこの世界は真っ黒なの?」
 世界樹を見上げる者には到底聞こえないが、しかし、上界の中で最も低い場所に作られた空中ブランコ。
 そこに座る無邪気な声が、純粋な疑問をぶつける。
「それはね、彼らが生まれてしまったからさ。少し目を凝らしてご覧、見えるだろう?」
 穏やかな声の示す先を少し目を凝らして見ると、そこには蠢く真っ黒な何かがいた。
「彼らって、あれのこと? なーんだ、ちっとも怖くないや。かわいいね!」
 どす黒く澱んだ闇を纏い、どろどろと体の溶けた得体の知れないモノ。
 見る者に恐怖を与えることなど容易い筈のそれを見て、可愛いなどと宣うのはこの少女だけだろう。
 風が吹くままに髪を踊らせ、少女は笑う。
「あんなのに負けちゃったのね? あはっ、みーんな弱いのね!」
 自身が嗤っていることに気が付いていない少女を見つめ、
「それでも、侮ってはいけない。彼らがいることでまた、私達が存在する理由にはなるのだから。そうだろう? アテナ」
 きょとんとした表情の少女——アテナの頭を撫でた。
「それに、これは君の姉である先代様が手を貸したことで実現した世界だ。それを否定してはいけないよ。君の姉様が可哀想だ」
「悪く言ってないもん! ただかわいい子達の味方をしてあげられないのが悲しいだけ!」
 梟の頭を撫でながらブランコを漕ぐアテナに、苦笑を漏らす。
「確かに彼女がそう決めたことだから、君は不満があるかも知れない。でも、やってくれるんだろう?」
「だってもう姉様はいないもの! だから私に任せて、兄様」
 実の兄ではなく、世話を任されただけの彼によく懐いているのは何とも皮肉だ。
 それだけ、男を近付かせないようにされているばかりか、その名の所為で人も寄って来ないのだろう。
 工芸、学芸、知恵、戦いを司りし一柱。
 処女神アテナというのは、音に聞く女神だ。
 伴侶を持たぬが故に処女神と言われているが、当然だろう。まだ今のアテナは、十四歳程なのだから。
 そんなアテナが唯一懐いているのが、彼だった。
「ああ。頼りにしてるよ、勿論。さあ、どこに行くのかはもう決めたかい?」
「うん! あの特に黒いところ!」
 アテナはいつもブランコに乗って下界を見下ろし、導くべき場所を目標として決める。
 そして、そこに神の奇跡を起こしに出向くことが日課であり、責務だった。
「ねぇ、兄様も一緒に行きましょう? まだ戦いは苦手なの……」
 不安げに彼を見つめると、
「仕方ないな、いざとなったら力を貸すよ。でも、できるだけ自分で導くこと。いいね?」
「うん! じゃあ——行こっ!!」
 アテナは彼の手を掴むと、ブランコから飛び降りた。耳元で風が唸る。
 まだ幼いアテナのはしゃいだ声を聞きながら彼は——軍神マルスは、空へと共に身を投げたのだった。
 こうして神々は奇跡を起こす。
 時には手を携えて、代々受け継ぎながら。

2/2/2024, 7:32:28 AM