望月

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《スマイル》

 笑顔——それは時として、自分自身の心を守る為に使われるのです。

 ある資産家が、その財産を狙ってか刺殺されるという事件が起こりました。
 彼にはそれはそれは美しい妻がいて、彼女は彼を深く愛していました。
 ですから、彼が亡くなり酷く悲しみました。
 けれど、人脈も広く友人の多かった彼を弔う為に、葬式主として葬式をせねばなりません。
 式中彼女は一滴も涙を流すことなく、柔らかい笑顔でこう言いました。
「きっと夫も、皆さんが来て下さって喜んでいることでしょう。彼なら持ち前の明るさで、あの世でも幸せに暮らしているでしょうから」
 そうに違いない、と皆彼女に同意します。
 彼女の表情はたしかに笑顔ですが、陰りがあったからです。
 その言葉を否定すると、彼女は悲しみに泣きくれてしまうのではないか、そんな思いが皆の心に共通していたのでした。
 そうして悲しい葬式を終えた後、パーティが開かれました。
 この国では、葬式で故人の死を悼み悲しんだ後は心配させないように、と故人の冥福を祈ってパーティを開く習わしがあるのです。
 空気を明るくするのが狙いですから、服装は色を問いません。寧ろ明るい色のドレスを纏う方が好まれるのでした。
 赤、黄、青、水、桃、緑……色とりどりのスカートが揺れる中、彼女だけは黒のドレス姿で壁の花となっていました。
 黒は故人への悲しみを表す色ですから、本来葬式後のパーティで着るのは御法度です。しかし、夫を亡くしたばかりの彼女に、その死を悲しむな、などと言えようもありません。
 その所為もあってか、彼女に声を掛けられる者もいませんでした。
 そしてパーティは幕を閉じます。
「本日はどうぞ、いらして下さりありがとうございました」
 最後の最後まで彼女は、一切の涙を零すことなく気丈に振る舞いました。
 彼女はとても美しい女性です。
 不謹慎にも、その可憐さに心惹かれた者が数名いたのです。
 彼女がパーティの片付けをしていると、扉をノックする音がしました。
 不思議に思って行くと、そこには生前夫ととても親しくしていた男性がいました。
「君のことが心配になって、少し様子を見に来たんだ。大丈夫かな?」
 男はそう言います。
 本心でしょう、その目は不安で満たされていました。そして、もう一つの本心も微かに顔を見せていました。
 それは彼女に惹かれたということです。
 彼女はそのもう一つの本心に気が付かないまま彼を家に招き入れました。
「心配して下さってありがとうございます。でも、大丈夫です。彼がいなくて……少し、寂しいけれど」
 そっと目を伏せた彼女は、とても儚い花でした。
 男はその方を優しく抱き、こう言います。
「無理しなくていい。今ここにはあなたの夫の親友しかいないのだから」
 その言葉が、きっかけだったのでしょう。
 彼女は彼との思い出を語ります。
 笑顔が好きだと、最初に言われたこと。
 初デートは緊張してよくわからなかったこと。
 恋愛映画を見ると初心な反応をしていて、それがかわいく思えたこと。
 たわいない日々が愛おしく思えたことを。
 思い出話をする内に彼女の笑顔の仮面が崩れ、泣き始めてしまいました。
 それを男はそっと抱き留めます。
 彼女が泣き腫らした瞳で男を見つめ、男は真摯な瞳でそれを受けます。
 それからどちらともなく顔を寄せました。
 男が彼女の悲しみに付け込んだという卑怯さに、きっと目を逸らして。
 外では雨が、降り始めていました。

 そして彼女は、二年後、ある大企業の社長の男と結婚に至るのです。
 
 その男もまた、すぐに死んでしまうとは知らずに。

「笑顔の仮面の下が、素顔だなんて誰が言ったのかしら? ……騙される方が愚かなのよ」

2/9/2024, 8:22:04 AM