《安心と不安》
勇者、というのは、人々に安心を齎す存在だ。
たとえばその世界に仇なす魔王を倒し得る者。
だが、魔王がいなくなれば不安を齎す存在だ。
それはひとえに、持つ力の大きさが故だろう。
やるやらないではなく、できるかできないか。
力を有するというだけで、畏怖に値するのだ。
持たざる者からすれば、当然の思考であろう。
それでも、勇者は人々の為に魔王を倒すのだ。
これ以上苦しめられぬようにと、願いながら。
但し、勇者に選ばれた者であっても心は弱い。
それ故に、魔王を倒した勇者は居場所を作る。
己の心を守る為に、誰もが守られる国を作る。
その後に、彼らは呼ばれるようになっていく。
勇者ではなく、堕ちた存在、それ即ち魔王と。
安心を与えていた者が、不安を与える者へと。
皮肉にも、堕ちずとも同じ道を辿ってしまう。
それが勇者という、悲しい生き方なのだろう。
正反対の感情を世界に与える、それが勇者だ。
相反する二つの感情は、表裏一体かも知れぬ。
かつての勇者と今の魔王がそうであるように。
《逆光》
君は誰よりも眩しい存在だ。
太陽のように、遍く全てを照らすような。
だから、その隣にいる僕は誰よりも暗い存在なのだ。
太陽に照らされた、月のように。
君は困っている人がいたら必ず手を差し伸べる。たとえ時間がなくとも、相手がどんな人であったとしても。
見ていてハラハラさせられるけど、君はそんなことまるで気にしていない。
僕なんかの心配を他所に、誰かのヒーローになってしまうのが、君という人だった。
泣いている人がいたら。
何があったの、話したくなったらでいいから、話を聞かせてくれると嬉しいな。
辺りを行き来している人を見たら。
どうしたの、どこかに行こうとしているの、なにか探し物なの、もしよかったら手伝わせてほしい。
怪我をしたら。
痛いよね、大丈夫だよ、手当しようか。
体調を崩している人がいたら。
大丈夫、ゆっくり呼吸して、何かできることあったら言ってね。
そんな風に、息をするように容易く駆け寄って人の役に立とうとする。
そんな君だったから、僕は隣にいられなくなった。
君が眩しすぎて、僕には君の姿が、本当の君が見えなくなっていったんだ。
人見知りで、泣き虫で、気弱で。
怖がりで、どん臭くて、不器用で。
僕が知っている君は、今とは正反対の君だった。
だから、いつの間にかその顔が上手く見れなくなって、声しか聞こえなくなった。
いつも通り、取り繕ったような明るい声。
怒った時だって、誰かの為に怒っていた。
だから、君の心の底からの罵倒など、聞いたことがない。
僕は、幼馴染なのに。
少なくとも幼い頃は君の一番近くにいたのに、僕の記憶の中の君は、ある時から弱音も一切吐かなくなった。
そうして、僕は思うのだ。
君が心の底から笑ったのは、自分の為に怒ったのは、周りを気にせずに過ごせたのは。
ずっとずっと幼い頃だけだったんじゃないか、と。
僕らは幼馴染だけど、それでも、こんなに近くて遠くにいる。
なら、それ以外の友達なんかはなおさら、本当の君の姿を見失っているんじゃないか。
考え出したら切りがない。
それくらい、今の君は眩しすぎる。
なのに、烏滸がましい筈の思いが溢れる。
——君の本当の姿を見付けられるのは、僕だけなんだ。
変に確信めいたその思いだけは、僕という影の中で輝きを放っているようだった。
※若干のグロテスクな描写がありますので、ご理解の上ご覧下さい。
《こんな夢を見た》
私の意志とは関係なく動く四肢が、貴方を喰らってしまう。
けれど、何故かそれはわかっているのに私には貴方を顔しか見えていない。
いや、顔以外を見ないようにしているのだろう。
だから、私の視界の端に映る紅以外は、涙を流す貴方の顔しか見えない。
「……ごめ……大丈っ夫……だか、ら……」
何故泣いているのだろう。
何故謝るのだろう、わからない。
断片的な世界を見る。
視点がブレて、私が私でないような感覚に陥って、それでもなお。
体は動き続けている。
千切って、爪を立てて、抉って、爪を立てる。
見ていなくとも感覚で伝わってくる肉の感触が、私に自然と言葉を紡がせる。
「……もう嫌、お願い……止めて……殺して……!」
懇願さえも私の体を止めるに値しないのか。
狂って、狂って、叫んで——。
目を開けると、そこは真っ暗だった。
血なまぐさい匂いが鼻を突く。
視線を落とすとそこには、大好きな貴方の瞳があった。
——夢じゃ、なかったの?
《特別な夜》
月の無い夜は、格別だ。
闇夜を照らすのは星の弱い光のみとなり、より宵闇が深くなる。ましてや、人工的な灯りも少ない村では更に深くなる。
我らにとっては好都合としか言いようのない夜。それが、新月の夜なのだ。
耳に痛い程の静寂の支配を解くべく、耳をつんざく様な悲鳴を奏でることの、なんと愉しきことか。
自然と嗤ってしまう。
光が無いだけで、ヒトとはかくも弱くなるのか、と。
光は、ヒトにとって重要なものであった。それが熱となり、辺りを照らすものとなり、生きる活力となり、標となるからである。
我らにとっての闇のようなもの。
それが殆ど奪われた夜の世界においてヒトとは、圧倒的弱者である。
「——何の真似だ? 視えているぞ」
だというのに、ヒトは夜の内に滅んでしまわないのだ。この地に生まれ数千年間、繁栄を続けてきた。
それがこの、
「【熾天使】セラフィム、今宵貴方を狩りに来ました。——闇に永遠に消えるがいい」
天使の存在によるものだった。
そも、ヒトという種はこの地に存在していなかった。
この地には、悪魔と天使しか存在していなかったという。
互いに決して交わらぬことを神より定められし理としながら、地続きの大陸に存在していた。
そして幾星霜もの時が過ぎ、それは起こった。
ある悪魔と天使が恋に落ち、結ばれたというのだ。
理に反した彼らには居場所などなく、両族から追放され、やがて、悪魔と天使の国を隔てる不可侵の森に辿り着いた。
そこで、悪魔と天使の間に生まれた子が、ヒトである。
彼らは不可侵の森をヒトの領域として、ヒトの守護者となる。
そして、ヒトが絶滅することなく数千年の時が流れた。
天使は悪魔にそそのかされた結果であり、生まれた命は守るべきとした。悪魔は、生まれた命があるからこそ理に反したという事実が成立しているのだと、ヒトを消そうとした。
だからこうして、対峙しているのだ。
「随分なご挨拶だな、セラフィム。天使の中でも最上位の貴様が出てきたということは、我を買ってくれている様だな」
「戯言を。ソロモン72柱が一体、サレオスめ」
我のことを知っている様だ。
ならば、話は早いというもの。
「いかにも。我は、男女間に愛を芽生えさせることで有名な、サレオスである。して、何の用だ?」
「……今宵の殺戮だけではない。ヒトがヒトである所以を知っていそうなのは、貴様くらいだからな」
なるほど、過去を知りに来たのか。
「それであれば、我よりも適任の者がいるであろうが……さしずめ、元凶を叩きに来たとでも言うつもりか?」
「そうだ。覚悟しろ」
まるでヒトの様に、悪魔が憎いとばかりに我を睨んだセラフィムはまるでわかっていない。
「戦ってやるのも良いが、一つ聞いておこうか」
「……なんだ」
「何故悪魔はそれ以外のモノではないというのに、【堕落天使】などと呼ばれることがあるのであろうなぁ?」
「……それは……ッ——まさか」
はっとした表情を見せるセラフィムは、少し固まっている。
その内に背を向け、我は闇に歩き出す。
「……おいっ、待て! まだ話は終わっていな、」
「自分の頭で考えるが良い! 果たして、真の裏切り者とはどちらであろうなぁ!!」
今日は邪魔をされたが、最高に気分がいい。
初めて天使の最上位たる熾天使が娯楽となった。
まさしく、数百年経とうとも今夜は、特別な夜となるであろう。
「愛とは、理如きが縛ることのできるモノではない。そうだろう? 愛の熾天使、セラフィムよ」
《君に会いたくて》
——勇者が捕まった。
その報せを聞いたのは数分前だ。
執務室で仕事を捌いているどころではなくなり、制止する兵たちをものともせず地下牢へと駆け下りた。
階段を降りた先にあるのは一本の廊下だ。その両脇に牢獄が並んでいるが、その怨嗟の声すら少しも届いていないだろう。
「おい、何しに来たんだこの馬鹿野郎!!」
見張りの兵を押し退け、リヒトは怒号と共に地下牢の最奥へ辿り着いた。
薄暗いこの場所ですら、金髪碧眼で整った顔立ちといういかにも人気が出そうなその容姿がわかる。
「……お、元気にしてた? 九日ぶりだな、リヒト」
身動きが取れないにも関わらず屈託もなく笑うのは、捕縛された勇者——カレットだ。
いつもと変わらぬ飄々とした態度で牢獄に繋がれている彼には、魔力を封じる手錠が掛けてあった。
勇者を殺すというのは、言葉ほど簡単ではない。だから、捕縛という措置を取ったのだろう。
「……それで、どうしてお前がここにいるんだ」
「いや、だから魔王軍に捕まっちゃったんだって。見ての通りだろ? リヒト」
「それがおかしいから聞いてるんだよ!」
そう、カレットが魔王軍如きに捕まる訳がないのだ。なぜなら彼は、単純に強いから。
つい九日前にも、魔王軍幹部の攻撃を去なしながら茶番を繰り広げた男だ。メンタルも強い。
「いや、リヒトが急にいなくなるから……心配してたんだ。それで、倒した魔物から話を聞いて捕まることにしたんだよ」
「したんだよ、じゃねぇ!! 普通に考えて来るか!? ここ、敵地だし敵の本軍だぞ!」
魔王と勇者なんぞ、どの物語でも対峙する運命にありそうなものを。
その敵陣に、武器も奪われ捕縛された状態でのこのこと現れる大馬鹿者がいてたまるか、とリヒトは大きな溜息を吐く。
「いや、だからこそ捕まったんだって。わかるだろ? これが最も速くて堅実な、君に会う為の方法なんだ。勇者が捕まった、なんて重大な報せを全体に伝えない訳ないし、そう聞けば君は確実に会いに来るだろうから」
少し納得する部分もあるが、それでも勇者の取るべき行動ではなかったと思う。
だが、もう何を言っても意味がない。
今カレットのいる牢獄は最凶の罪人の為の牢獄で、この地下牢の中で最も頑丈で抜け出しにくい位置にあるのだ。
「それで、どうやってここから逃げるつもりなんだ? 知ってるだろうが手錠の鍵なんてないし、ここから地上に出るのも一苦労だぞ」
「何言ってるんだ? 助けてくれるんだろ、リヒト」
この男正気か、とリヒトは呆れた目を向けるが、必ず助けてくれると確信しているようだった。
だが実際、そうしない理由もない。
「わかった。手錠は外してやる。牢獄から出られるようにはしてやる。けど、そっからは自分で何とかしろよ。俺はもう知らないからな」
「連れないこと言うなよ〜。というか、僕から頼んだものの手錠に鍵穴すらないのにどうやって、」
カレットが言い終わらない内に手錠が木っ端微塵に弾けた。
当然、リヒトが魔法で壊したのである。
「……今の、なに」
「え? ……ああ、簡単な魔法だ。手錠は魔力を遮断する特別な金属でできてただろ? 特別とはいえ金属は金属だから、風化させれば塵も同然になる訳だ」
「……リヒトってさ、やっぱり凄いよね」
「あ? 急に褒めて何だよ……怖ぇよ」
「そんなことより、早く行こうか。気付かれたみたいだしね」
その言葉に振り返ると、たしかに、見張りの兵がいなくなっている。
上司にでも伝えに行ったのだろう。
裏切った筈の賢者が勇者の脱獄を助けた、と。
「一本道しかねぇぞ、ここ。どうやって出て行くんだ? 全部斬るか……って武器持ってないよな」
「まぁ見てなよ、リヒト。体は動かさないで、必要に応じて魔法で援護よろしく」
「は?」
リヒトの返事も待たずにカレットは、彼を抱き上げた。俗に言う、お姫様抱っこである。
状況の理解に必死なリヒトをさておき、カレットは廊下を駆け抜ける。見張りの兵も何もかもを無視して、突っ切って行く。
「まず僕から逃げないでよ、リヒトー。言ったろ、僕みたいな勇者の隣に立とうって思ってくれるのは君だけだって。……僕は君以外に背中を任せられる相棒がいないんだから」
文句を垂れながら階段を駆け上がり、追われるままに走った。
「……え、俺何でお前に運ばれてんの?」
「今更そこなんだね。僕より足遅いでしょ、君」
「逃げる為にはこれが手っ取り早いってことか、なるほどな……って良くねぇけどな!? 全然!!」
納得は行かないものの、今この状態で下ろされてもリヒトは困る。
何気なく辺りを見ていると、見覚えのある廊下を走っていることに気が付いた。
「おい待て! この先にはッ——」
リヒトの制止も聞かず、廊下の最奥まで駆け抜けたカレットは扉を蹴破った。
辿り着いたのは、大広間。
シャンデリアが不気味に部屋を照らす中、カレットの足は止まらない。
「……勇者か。よく来たな」
威厳のある声が響く。
この部屋の主——魔王の声だ。
だが、カレットはそれを聞いてもなお止まらず、聞こえていないかのように更に加速する。
「……勇者か。よく来たな」
「魔王が無視されてる!? カレット、おい、辞めてやれよ! 魔王だってプライドがあるだろ!!」
「わかった。今それどころじゃないんだ、また今度にしてくれ」
あんま変わんねぇよ、と叫びかけたリヒトだが、口にする間もなくカレットが大きく跳躍した。
そのまま魔王の手にあった剣を奪い、後ろのガラス窓に衝突。
ガッシャァアアン、と素敵な音を立ててリヒトの六倍はあろうかという高さの窓が砕け散った。
「可哀想だと思わんのかお前はー! つか何しに来たんだよ本気で!! 魔王城来といて魔王無視って、それでも勇者かよ!?」
高所にいる恐怖と混乱が合わさったリヒトの悲鳴は良く響いた。
「耳元で叫ばないでよ。あのね、僕は別に魔王を倒しに来たんじゃないから」
カレットは困ったように笑って、
「君に会いたくて来たんだよ? 家出されちゃったからね」
空中で聞くには、小さな声だった。
だが、リヒトにはしっかりと届いた。
「うるっせぇ、ばーか!」
耳を赤くしたリヒトは、暫くカレットの胸に顔を埋めたまま動かなかった。