《君に会いたくて》
——勇者が捕まった。
その報せを聞いたのは数分前だ。
執務室で仕事を捌いているどころではなくなり、制止する兵たちをものともせず地下牢へと駆け下りた。
階段を降りた先にあるのは一本の廊下だ。その両脇に牢獄が並んでいるが、その怨嗟の声すら少しも届いていないだろう。
「おい、何しに来たんだこの馬鹿野郎!!」
見張りの兵を押し退け、リヒトは怒号と共に地下牢の最奥へ辿り着いた。
薄暗いこの場所ですら、金髪碧眼で整った顔立ちといういかにも人気が出そうなその容姿がわかる。
「……お、元気にしてた? 九日ぶりだな、リヒト」
身動きが取れないにも関わらず屈託もなく笑うのは、捕縛された勇者——カレットだ。
いつもと変わらぬ飄々とした態度で牢獄に繋がれている彼には、魔力を封じる手錠が掛けてあった。
勇者を殺すというのは、言葉ほど簡単ではない。だから、捕縛という措置を取ったのだろう。
「……それで、どうしてお前がここにいるんだ」
「いや、だから魔王軍に捕まっちゃったんだって。見ての通りだろ? リヒト」
「それがおかしいから聞いてるんだよ!」
そう、カレットが魔王軍如きに捕まる訳がないのだ。なぜなら彼は、単純に強いから。
つい九日前にも、魔王軍幹部の攻撃を去なしながら茶番を繰り広げた男だ。メンタルも強い。
「いや、リヒトが急にいなくなるから……心配してたんだ。それで、倒した魔物から話を聞いて捕まることにしたんだよ」
「したんだよ、じゃねぇ!! 普通に考えて来るか!? ここ、敵地だし敵の本軍だぞ!」
魔王と勇者なんぞ、どの物語でも対峙する運命にありそうなものを。
その敵陣に、武器も奪われ捕縛された状態でのこのこと現れる大馬鹿者がいてたまるか、とリヒトは大きな溜息を吐く。
「いや、だからこそ捕まったんだって。わかるだろ? これが最も速くて堅実な、君に会う為の方法なんだ。勇者が捕まった、なんて重大な報せを全体に伝えない訳ないし、そう聞けば君は確実に会いに来るだろうから」
少し納得する部分もあるが、それでも勇者の取るべき行動ではなかったと思う。
だが、もう何を言っても意味がない。
今カレットのいる牢獄は最凶の罪人の為の牢獄で、この地下牢の中で最も頑丈で抜け出しにくい位置にあるのだ。
「それで、どうやってここから逃げるつもりなんだ? 知ってるだろうが手錠の鍵なんてないし、ここから地上に出るのも一苦労だぞ」
「何言ってるんだ? 助けてくれるんだろ、リヒト」
この男正気か、とリヒトは呆れた目を向けるが、必ず助けてくれると確信しているようだった。
だが実際、そうしない理由もない。
「わかった。手錠は外してやる。牢獄から出られるようにはしてやる。けど、そっからは自分で何とかしろよ。俺はもう知らないからな」
「連れないこと言うなよ〜。というか、僕から頼んだものの手錠に鍵穴すらないのにどうやって、」
カレットが言い終わらない内に手錠が木っ端微塵に弾けた。
当然、リヒトが魔法で壊したのである。
「……今の、なに」
「え? ……ああ、簡単な魔法だ。手錠は魔力を遮断する特別な金属でできてただろ? 特別とはいえ金属は金属だから、風化させれば塵も同然になる訳だ」
「……リヒトってさ、やっぱり凄いよね」
「あ? 急に褒めて何だよ……怖ぇよ」
「そんなことより、早く行こうか。気付かれたみたいだしね」
その言葉に振り返ると、たしかに、見張りの兵がいなくなっている。
上司にでも伝えに行ったのだろう。
裏切った筈の賢者が勇者の脱獄を助けた、と。
「一本道しかねぇぞ、ここ。どうやって出て行くんだ? 全部斬るか……って武器持ってないよな」
「まぁ見てなよ、リヒト。体は動かさないで、必要に応じて魔法で援護よろしく」
「は?」
リヒトの返事も待たずにカレットは、彼を抱き上げた。俗に言う、お姫様抱っこである。
状況の理解に必死なリヒトをさておき、カレットは廊下を駆け抜ける。見張りの兵も何もかもを無視して、突っ切って行く。
「まず僕から逃げないでよ、リヒトー。言ったろ、僕みたいな勇者の隣に立とうって思ってくれるのは君だけだって。……僕は君以外に背中を任せられる相棒がいないんだから」
文句を垂れながら階段を駆け上がり、追われるままに走った。
「……え、俺何でお前に運ばれてんの?」
「今更そこなんだね。僕より足遅いでしょ、君」
「逃げる為にはこれが手っ取り早いってことか、なるほどな……って良くねぇけどな!? 全然!!」
納得は行かないものの、今この状態で下ろされてもリヒトは困る。
何気なく辺りを見ていると、見覚えのある廊下を走っていることに気が付いた。
「おい待て! この先にはッ——」
リヒトの制止も聞かず、廊下の最奥まで駆け抜けたカレットは扉を蹴破った。
辿り着いたのは、大広間。
シャンデリアが不気味に部屋を照らす中、カレットの足は止まらない。
「……勇者か。よく来たな」
威厳のある声が響く。
この部屋の主——魔王の声だ。
だが、カレットはそれを聞いてもなお止まらず、聞こえていないかのように更に加速する。
「……勇者か。よく来たな」
「魔王が無視されてる!? カレット、おい、辞めてやれよ! 魔王だってプライドがあるだろ!!」
「わかった。今それどころじゃないんだ、また今度にしてくれ」
あんま変わんねぇよ、と叫びかけたリヒトだが、口にする間もなくカレットが大きく跳躍した。
そのまま魔王の手にあった剣を奪い、後ろのガラス窓に衝突。
ガッシャァアアン、と素敵な音を立ててリヒトの六倍はあろうかという高さの窓が砕け散った。
「可哀想だと思わんのかお前はー! つか何しに来たんだよ本気で!! 魔王城来といて魔王無視って、それでも勇者かよ!?」
高所にいる恐怖と混乱が合わさったリヒトの悲鳴は良く響いた。
「耳元で叫ばないでよ。あのね、僕は別に魔王を倒しに来たんじゃないから」
カレットは困ったように笑って、
「君に会いたくて来たんだよ? 家出されちゃったからね」
空中で聞くには、小さな声だった。
だが、リヒトにはしっかりと届いた。
「うるっせぇ、ばーか!」
耳を赤くしたリヒトは、暫くカレットの胸に顔を埋めたまま動かなかった。
1/20/2024, 10:21:14 AM