望月

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《特別な夜》

 月の無い夜は、格別だ。
 闇夜を照らすのは星の弱い光のみとなり、より宵闇が深くなる。ましてや、人工的な灯りも少ない村では更に深くなる。
 我らにとっては好都合としか言いようのない夜。それが、新月の夜なのだ。
 耳に痛い程の静寂の支配を解くべく、耳をつんざく様な悲鳴を奏でることの、なんと愉しきことか。
 自然と嗤ってしまう。
 光が無いだけで、ヒトとはかくも弱くなるのか、と。
 光は、ヒトにとって重要なものであった。それが熱となり、辺りを照らすものとなり、生きる活力となり、標となるからである。
 我らにとっての闇のようなもの。
 それが殆ど奪われた夜の世界においてヒトとは、圧倒的弱者である。
「——何の真似だ? 視えているぞ」
 だというのに、ヒトは夜の内に滅んでしまわないのだ。この地に生まれ数千年間、繁栄を続けてきた。
 それがこの、
「【熾天使】セラフィム、今宵貴方を狩りに来ました。——闇に永遠に消えるがいい」
 天使の存在によるものだった。
 そも、ヒトという種はこの地に存在していなかった。
 この地には、悪魔と天使しか存在していなかったという。
 互いに決して交わらぬことを神より定められし理としながら、地続きの大陸に存在していた。
 そして幾星霜もの時が過ぎ、それは起こった。
 ある悪魔と天使が恋に落ち、結ばれたというのだ。
 理に反した彼らには居場所などなく、両族から追放され、やがて、悪魔と天使の国を隔てる不可侵の森に辿り着いた。
 そこで、悪魔と天使の間に生まれた子が、ヒトである。
 彼らは不可侵の森をヒトの領域として、ヒトの守護者となる。
 そして、ヒトが絶滅することなく数千年の時が流れた。
 天使は悪魔にそそのかされた結果であり、生まれた命は守るべきとした。悪魔は、生まれた命があるからこそ理に反したという事実が成立しているのだと、ヒトを消そうとした。
 だからこうして、対峙しているのだ。
「随分なご挨拶だな、セラフィム。天使の中でも最上位の貴様が出てきたということは、我を買ってくれている様だな」
「戯言を。ソロモン72柱が一体、サレオスめ」
 我のことを知っている様だ。
 ならば、話は早いというもの。
「いかにも。我は、男女間に愛を芽生えさせることで有名な、サレオスである。して、何の用だ?」
「……今宵の殺戮だけではない。ヒトがヒトである所以を知っていそうなのは、貴様くらいだからな」
 なるほど、過去を知りに来たのか。
「それであれば、我よりも適任の者がいるであろうが……さしずめ、元凶を叩きに来たとでも言うつもりか?」
「そうだ。覚悟しろ」
 まるでヒトの様に、悪魔が憎いとばかりに我を睨んだセラフィムはまるでわかっていない。
「戦ってやるのも良いが、一つ聞いておこうか」
「……なんだ」
「何故悪魔はそれ以外のモノではないというのに、【堕落天使】などと呼ばれることがあるのであろうなぁ?」
「……それは……ッ——まさか」
 はっとした表情を見せるセラフィムは、少し固まっている。
 その内に背を向け、我は闇に歩き出す。
「……おいっ、待て! まだ話は終わっていな、」
「自分の頭で考えるが良い! 果たして、真の裏切り者とはどちらであろうなぁ!!」
 今日は邪魔をされたが、最高に気分がいい。
 初めて天使の最上位たる熾天使が娯楽となった。
 まさしく、数百年経とうとも今夜は、特別な夜となるであろう。

「愛とは、理如きが縛ることのできるモノではない。そうだろう? 愛の熾天使、セラフィムよ」

1/22/2024, 9:39:08 AM