《ずっとこのまま》
俺は、変わることができないのだろうか。
変わる為の理由は幾つもあるのに、肝心の気持ちが追い付いていない。
いや、ただ逃げてるだけなんだろう。
責任から、期待から。
絶対に失いたくないから、失望させたくないから。
だから、頑張らないことを選んだ僕は間違っているのだろうか。
だって、頑張っていなくて結果がこれなら、頑張ればもっと凄いんだろうなって期待してくれる。それに、頑張っていないんだからこの程度の結果だった、と言えばいい。
そうして、一度逃げてしまったから。
あたしは二度と、変われないのだろう。
だけど、もう、壊れたフリをするのにも疲れた。一部は壊れているだろうが、全部までとは思えない。
壊れる方がきっと楽だけど、それは選んじゃいけない。
だってあたしはまだ、生きていけるんだから。その道しか選べない人が、選ぶべきだ。
何度も涙が溢れた。涙が止まらなくて困ったりした。虚脱感に襲われることもあった。全てがどうでもよくて、何も感じなくなった。ご飯も何も美味しく感じられなくて、生きるための行動が酷く億劫だった。好きなものに対する興味が薄れた。何もしたくなくて、何も考えていないのに何故か涙が出た。過去を懐かしんで、あの頃に戻りたいと思った。
それでも、私はまだ大丈夫。
きっといつかは、変わることができる。
ずっとこのままは嫌なんだ。
だって俺は。俺には、頑張る為の理由があるから。手段だって友達が一緒に探してくれる。目的はとうの昔からある。
ほんの少し、精神的に疲れているんだろうと、客観的に考えても思う。
僕は変われるかどうか、わからないけれど。
だけど、この背中は沢山の人が押してしてくれた。
——いつか、ずっとこのままでいたい、と思える日が来ますように。
誰かの言っていた、大丈夫、なんとかなるよ、を口に出して歩み続ける。
《寒さが身に染みて》
君は、とても冷たい人だった。
私はすぐに凍えてしまって、あなたをも凍えさせてしまうに違いない。
だから、決して素肌では触れないでほしい、と言われた。
僕は、わかった、と言って決して君に素肌では触れなかった。
それでも、彼女の傍を離れることは一度もなかった。
薄い手袋越しでも、きっと、僕の熱は彼女に伝わっているのだろう。
ずっと、二人きりの世界だ。
雪は全てを覆い隠してくれる、包み込んでくれる。
その世界の終わりを知ったのは、幾年もの時が経ち、木々がすっかり枯れた頃だ。
冷たい。
厚い手袋越しに僕の手を取って、つと、君はそう呟いた。
ああ、もう熱がなくなってしまったのか。君に長く触れすぎたね、ごめん、少し待ってくれるかな。温かくするから。待ってね。
不安がる君を宥めようと、僕は頭を撫でて少しの距離を取った。
それでも、なんとなく体感でわかる。
僕の手は、熱を失っていくようだった。
考えるまでもなく、高い熱を長すぎる時間発し続けたからだ。
仕方のないことだった。
僕は、不安がる彼女の傍らに座った。
手袋を外して、その手を握る。
振り払おうとしたのだろう彼女は、涙を浮かべて、嫌だ、と叫ぶ。
僕はそれを聞かなかったことにして、更に強く握ろうとした。
が、だめだった。肌が触れたそばから凍り付いている。
やめて、と懇願する君には申し訳ないけれど、もう時間がないんだ。
君の手から、寒さが身体中に伝わってくる。
痛い、と声が漏れてしまう程、凍てつく体の崩壊は早い。すぐに感覚なんてなくなった。
もう引き返せないと悟ったのだろう、君は僕をそっと抱き締めてくれた。
体の芯から冷え、寒さが身に染みる。
泣かないでいいんだ。
泣かないでくれ、頼むから。
僕はどうやら君の涙に弱いみたいだ、どうやら。
お願い、独りにしないで。嫌だ。
君の声が、ぼんやりとした脳に響く。
一緒にいこうか、と誘う僕に君は頷いた。
だから僕は、君に僕の力をあげる。
今まで口にすることのなかった想いを最期に告げて、僕はそっと彼女に口付けた。
そうして僕の中の熱は消え失せ、彼女の中で、熱と冷気が中和された。
そうして、この寒さに耐えきれなくなった君はきっと……凍えきってしまうだろう。
これで僕らは、ずっと、ずっと二人きりだ。
——好きだよ。君を愛してる。
《20歳》
私は、そんなに長くは生きられないらしい。
もって、あと一年だと言われた。
病の進行は思っているよりも遥かに早く、しっかりとした予測が立てられないらしかった。
難病指定されているこの病気の所為で、私の未来は閉ざされてしまった。
だから、今を、一日を大切にして過ごそうと思った。
余命宣告から一ヶ月後、同じ病室に同い年くらいの青年が来た。
「……こんにちは、お嬢さん」
「こんにちは。お兄さんは、今何歳なんですか?」
「俺? 今十九歳ですよ、君は?」
「……私は一個下ですね。十八です」
「そうか……少しの間ですがよろしくお願いします」
年上にかしこまられると困る。タメ口を求めると、一つしか違わないからお互い様にしよう、と何故かそれで落ち着いた。
とはいえ、病気のことには触れないつもりだし、向こうもそれは暗黙の了解として理解っているだろう。
病院外での生活を聞くのは楽しかった。
大学生で、バイトをしながら過ごしていたようだ。
大学ではどんな勉強をしていたの、とか、バイトはどうだったの、だとか。そんな、私にとっては絶対に関わることのない世界の話を沢山質問した。彼は丁寧に、一つ一つ答えてくれた。
それがあまりにも楽しそうで、つい、余計なことを口走ってしまった。
「お兄さんは、病気で死ぬこと怖くないの? 私はそんなに明るく生きられない……!」
これでは、彼だって病気で辛いはずなのに自分だけが辛いと言っているみたいだ。
そう気付いた時には、言葉は言い切ってしまっていた。
けれど、彼は優しかった。
「……死ぬのが怖くないわけ、ないだろ。でも、俺はこの病気に掛かったのはほんの一週間前だ。だから、きっと君より病院の外の世界を知っている。そこの違いじゃないかな」
「……そうかも知れませんね。変なこと聞いてすみません」
謝る必要はない、と彼は微笑った。
生まれながらにして病気がちな私と、全てが違うのだと思った。
「——あと十日で誕生日なんだ」
そう聞いたのは、彼が来てから二ヶ月経った頃。
すっかり仲良くなった私たちは、そんなたわいない話をする。
その八日後、彼は亡くなった。
病状が急変してしまったらしい。
「…………なん、で……っ……!」
悲しかった。苦しかった。辛くなった。でも何より悲しいのは、彼だろうと思った。
死んで漸く、家族が病院に来たのだから。
見舞いにすら一度も現れなかった彼の家族は、皆悲しんでいた。泣いていた。
そのときから、私は元気がなくなっていった。
生きる気力が湧かなくなった。
なのに、私の体は奇跡の回復を見せた。
余命宣告されてから、一年と少し——明日が私の誕生日だった。
だから、私は沢山笑った。笑って、笑って笑って。
その夜、身体中が悲鳴を上げた。
私も彼も、同じだった。
私も彼も、20歳にはなれなかったのだから。
《三日月》
『三日月には魔女が住んでいる』
この地にはそんな伝説が永く在った。
いつ、どこで誰が言い出したのか、何一つわからない。それでも伝わっている話なのだ。
今では少し、忘れ去られようとしている伝説だ。
少年は今日も今日とて、森の中を駆けていく。
息を切らして辿り着いた先には、小さな家と、その周囲を囲うように咲く野花の園があった。
「おーい!……いないのか?」
扉を叩くと、いつもなら声か物音が返事をしてくれるのだが、今日は何も返ってこない。
ならばいつもの場所か、と来た道を少し戻って脇に逸れる。
草木を掻き分けて進むと、見慣れた背中があった。
少し驚かしてやろうと、無言で背後に近付く。
「わっ!」
「……ッ……そ、れで驚かしたつもり?」
「いや絶対びっくりして声出なかっただけじゃん」
「そんなことないから!」
「嘘が下手だよね、ビアンカは」
顔を赤くして怒る彼女をおいて、驚いた拍子に落としたのだろう、薬草の入った籠を拾い上げる。
「はい、これ。早く家に帰ってやるよ」
「わかってるわよ! ……時間忘れたのはごめんなさい、あと、籠拾ってくれてありがとう」
後半は小声だったが、怒りながらも律儀な彼女に笑ってしまった。
足早に家に戻る彼女の背中が、ふと、出会った頃の姿の重なって見えた。
月のない、満天の星空と木々の支配する世界。
光を受けてか輝く花園の中、彼女は蹲っていた。
慌てて駆け寄り何があったのかと問うた。
——おばあちゃんが、死んじゃった。
その言葉を聞いて少年は何も返せなかった。
ただ、傍に座って花を見つめていた。
それはきっと、ビアンカと仲を深めるきっかけになったのだから、正解だったのだろう。
いつの間にか足を止めていた。
「ねぇ手伝ってくれるんでしょ? 早く行くわよ、キース!」
「……あぁ、うん。ごめん、今行く」
急かす彼女に追い付き、家に入る。
中はいつも通り、数々の薬草や薬の入った瓶、机の上に広げられた本などで溢れかえっている。
「さ、やるわよ」
「今日はどれ? ビアンカ、無理は禁物だからね」
「わかってる! 口煩いわね、キース。年下なんだからもっと間抜けでいていいのよ?」
「二歳しか変わらないよね? ね?」
「圧かけてこないでよ! 口が滑っただけでしょ」
言い合いながらも手は止めない。
採ってきた薬草を次々に薬に変えていく。
そう、ビアンカは薬師なのだ。
キースはその手伝いと言って、遊びにきていた。
彼女の作る薬は特別なのだ。なんせ家の周りにしか自生しているところを見たことがない、特殊な花を使用している。
キースはその効力を、彼女の口から知っていた。
曰く、霊薬に近しいそれ、らしい。
霊薬は、ざっくり言うとなんでも治せる薬のことで、それに近い効力ともなれば治せぬ怪我も病気もないのだろう。
「……キース、離れて」
最後の仕上げもまた、特別だった。
ビアンカは完成した薬に、唄うのだ。
とある伝承を。
それは少年の知る言葉ではないため、意味はわからない。わからないが、どこか懐かしさを感じさせる唄なのだ。
「……終わったわ。あ、ねえ。お願い、花が足りないから採ってきてくれる?」
「はーい」
家の裏に回ると、その花園に圧倒される。
そんなに広い範囲に花が拡がっている訳でもなく、一輪一輪小さな花だ。
それでも、日光を受けて美しかった。
「……なんでこの色なんだろ」
あの夜見た花は、白かった。
が、今目の前にあるのは青い花なのだ。
植え替えたという訳でもないだろうに、記憶と違う色の花園なのである。
「まぁいいか……って、帰らないと」
気が付けば茜色の空が広がっている。
夜になる前に森を出ないと、暗くて帰り道がわからなくなる。
「ビアンカ! これ、採ってきたから置いとくね」
「帰る時間よね、お疲れ様。またいらっしゃいな」
「もちろん。またね!」
「ええ、またね、キース」
手を振り返してくれた彼女の表情は、笑顔だった。
一人残されたビアンカは、家を出て花園に立つ。
この家を中心に半円を描くようにして広がる花を見つめて、それが段々と白く輝く様を眺める。
ビアンカはこの景色が好きだった。
夜になると白く輝く、この花が形見だからだ。
やがて数年の時が経ち、二人は大人になった。
『三日月には魔法使い達が住んでいる』
そんな伝説は、また、いつから続いていたのだろうか、誰も知らない。
《色とりどり》
ふわりふわりと揺れるスカート。
それはさながら花のよう。
色とりどりの花弁のように。
舞うドレス姿は妖精のよう。
そう呼ばれている彼女たちは、妖精でなく少女だ。
地図にも乗らない小さな村で生まれた、可憐な可憐な少女たち。
幼さの中に気品を添えて、舞い続けるその様は。
きっと童話の妖精に似た。
かわいらしく、咲き誇る。
野花のように。
色とりどりに。