《雪》
この国にとって雪とは他国民への『商品』であり、日々の生活を脅かす『脅威』となり得るものなのだ。
ここニクスは、雪に閉ざされた北端の小国である。
寒さによる影響で作物が満足に育たず、交通も天候に左右される。様々な物品の仕入先である貿易商も一ヶ月に三度訪れればいい方だ。
降雪など珍しくもないこの国だが、見渡す限りの雪景色は唯一の観光源となっている。
今は、一年の内最も大雪に襲われる、寒期だ。
寒期には観光客はおろか、貿易商すら一ヶ月に一度しか訪れない。
「……近年飢饉は起こっていないが、それだけだ」
幸い鉱山があり、資源や加工した宝石を輸出し経済源としているが、いつ底を突くかはわからない。
薬の材料として高値で取引される、この地域でのみ自生する植物は成長するまでに三年は掛かる。
国民の日々の生活を支えているのは、貿易によって手に入る他国の商品と——狩りだ。
ニクスの北は山々に囲まれている為、動物が多く生息しているのだ。
そんな、今日を安心して過ごすこともできない国。
それがこの、ニクスという国の実情なのだった。
「だが、天候などどうすることもできない」
「わかってるなら、さっさと国を出て行けばどうだ」
「その言い方は酷いと思うそ……」
悩みの種は、内政だけではない。
今こうして腕を組んで傍らに立つ彼。幼馴染であり主従関係にある二人だが、とても仲の良かった少年期と比べ最近は言い合いが多い。
原因は、国に留まるか否か、だ。
「前から言っているだろう! 俺は絶対にこの国を、民を見捨てたりなんかしない!」
「現実を見ろ、阿呆が。奇跡でも起こらん限りこの雪が解けることはない。そして雪が解けなければ、この国の商業は発達せず資金不足でやがて国は自壊する」
「……っ、それは」
正しいことを言っているのだ、彼は。
けれど、このニクスの国王として認めてはならなかった。それを認めてしまえば、王という道標を失った国の行先など想像に難くない。
「それでも、いや、尚更捨てていく訳には行かないだろう。俺には責任があるんだ」
「はいはい……それで実際問題どうするんだ? 言った通り、奇跡が起きない限りは無理だ」
呆れたように聞く彼を見つめ、ふと、一つの可能性に思い当たった。
「……奇跡さえ、起きればいいんだよな」
「起こそうと思ってできるほど簡単なことか?」
幼馴染は、現実を見ろ、と言い捨てて執務室を出ていった。
——その会話以降、この国は国でなくなった。
王のいない国など存在できないからである。
「くそっ! どこに消えたんだあの馬鹿野郎は」
幼馴染が姿を消して三日経ち、途轍もなく焦っていた。
執務室、寝所、中庭、城の中だけでなく街の外れまで探してもいないのだ。
思い当たる言葉はあれど、行動まではわからない。
「奇跡でも起きない限りはって……何回も焚き付けたからだ! 俺の所為でッ……!!」
幼馴染なら思考が全てわかるとでも思っているのか、奴は何も言わずに姿を消してしまった。
頭を冷やすか、と窓を開けた時、それは起こった。
「…………陽の、光……が……」
雪雲で空は固められていた筈なのに、隙間から光が溢れているのだ。
見れば、国民も動揺しているようで、皆空を見上げている。
「……嘘だろ」
次第にその輝きは増していき、人々の目に青空を映し出す。
それは等しく大地に降り注ぎ、雪を解かしていく。
何が起こったのかわからぬまま、国民の声が、歓声が現実だと騒ぐ。
「冗談だろ、いつもの。なんで。嘘だ、こんな」
意味の無い言葉の羅列は一つの、馬鹿げた、けれどもきっと正しい答えに行き着かせる。
——国王が、古代魔法で天候を変えたのだ。
その代償は、術者の命だという。
かくしてニクスという国は滅びた。
国王が他国へ逃亡したことによるとされた。
雪解けは、奇跡だとされ。
ニクスの民にとって雪とは、故国の象徴である。
とある青年にとって雪とは、幼馴染の仇である。
《君と一緒に》
一緒にいられないことが不思議だった。
同じ境遇に生まれた、双子だったのに。
それでも大人達は口を揃えて言うのだ。
お前達は生まれてはならなかった、と。
双子で生を受けたことが禁忌とされた。
そんな時代に、世界に生まれたが故だ。
殺されなかっただけ、よかっただろう。
だが、顔を合わせることを禁じられた。
過ごす空間も時間も、全て別けられた。
そうして時が経ち、十三の歳になった。
その年に飢饉と、天災が起こったのだ。
双子の所為で天罰が下ったに違いない。
そう皆は断じて、天に返そうと案じた。
かくして双子は生まれて初めて出会う。
互いを存在を禁忌と知らされた子らが。
最期まで共に過ごした時間を得られず。
ただ双子であることを忌まれた二人は。
死して漸く、共に在ることを望まれた。
それでも生かされた事実を知る双子は。
感謝を忘れずに告げ、手を繋いで行く。
滝壺の中を双子は、一緒に飛び込んだ。
やがてこの地に平穏が訪れてしまった。
双子が一緒に、世界から消えたことで。
けれども双子は恨みを言うことはない。
一生会えないと言われていたのだから。
生きている内に顔を見られたのだから。
それを奇跡と思ってしまう人生だった。
双子はどこまでも純粋に想うのだろう。
最期だとしても、君と一緒にいられた。
それが、唯一にして最高の贈り物だと。
《幸せとは》
「——なあ、弟子よ。幸せってなんだと思う?」
「不幸せではないこと、でしょうか」
「なら不幸せじゃなければ全部幸せか? 例えばそう、毎日生きていくのに困らない衣食住が揃っていれば、それが幸せだと思うのか」
「はい、そう思います。そうではないのですか?」
「そうとは限らないのさ。例えば、衣食住が揃っていても独りだったら寂しく思うかも知れない。それは、幸せとは言い切れないだろ?」
「たしかに、寂しいというのは不幸せだと思います」
「なら、幸せ、ってお前はどんな時に感じる?」
「……そうですね。今、でしょうか」
「今? それはどういう……」
「孤児だった私を、お師匠様が拾って下さったからです。だから今私は生きていて、お師匠様とこうして向かい合って座って会話をする事が出来る。それを、幸せだと思ったのです。……これは、違いますか?」
「違う訳じゃないが……それは、不幸せだったから、幸せだと思えるんだろうよ」
「……でしたら、ずっと幸せな人はいないのですか?」
「それはいい質問だな。ずっと幸せな人は、きっといない訳じゃない。けどな、それに気付ける人はとても少ないんだよ、悲しい事に」
「よく、わかりません」
「もう少し考えてみな。お前ならわかるよ、絶対」
「…………幸せな人は、その環境が当たり前で。だから、もっと沢山の幸せを受けないと、幸せを感じる事が出来ない……とか、でしょうか」
「お! 偉いなあ、正解だ。……一度でも、不幸せを知った奴は少しの幸せに気付きやすい。でも、幸せの中にい続けている奴は気付きにくいんだ。ただし、幸せを手にすれば人は、慢心しないようにとどれだけ思っていても麻痺っちまうのさ」
「では私も……」
「お前は大丈夫だよ。俺の『幸せと感じる時はいつか』って質問に対して、今この瞬間だ、って答えれてる時点でな。……ただ俺としちゃ、寝てる時、みたいな答えかと思ってたんだけどな」
「寝てる時も、です。だって、お師匠様も一緒ですから。……ご飯を食べている時も、教えて貰っている時も……今は、どの瞬間も幸せです」
「お、おう……なんかそう言われると照れるな……」
「あの、お師匠様。幸せとはなにか、わかりました」
「お前の答えを聞かせてくれ」
「はい。幸せとは——どんな環境に身を置かれようとも、心が満たされている状態の事だと思います」
「へぇ……?」
「私は天涯孤独ですが、こうして血縁関係がなくともお師匠様が側にいて下さいます。お師匠様は、壊れかけていた私の心を救って下さった」
「それだと俺は、お前の周りの環境を変えただけだろ? 心が救われたってのも、誰かに酷い扱いをされないという環境に変わったからだろう」
「それも、間違ってはいません。ですが、現にこうして私は幸せを感じる事が出来ています」
「だからそれは、」
「お師匠様は寝起きが本当に悪いです。何度起こしても起きないし、起きたら起きたで一時間は使い物になりません。料理も下手で黒焦げのなにかしか作れません。自ら厄介事に首を突っ込んで、大事になって初めて逃げ出そうとします。結局解決はしますが、報酬を受け取らないので貧乏まっしぐらです」
「急に俺の罵倒始まった? 弟子ー?」
「第一服装も気にしないから基本だらしないです。髪も寝癖まみれで私が指摘しても直しません。最後はなぜか余計に絡まってから私に頼んでくる情けない大人です。お酒にはそこそこ強いですが酒癖は悪いのですぐ未成年の私に大声で酒を勧め、絡み続けて数時間後に眠るので非常に迷惑です。体格差凄いから重いのにいつも肩を貸して歩くせいで、痛くなります」
「そ、それは悪い……てか、幸せどこいった?」
「お師匠様には、他にもたっくさんダメなところがあります。それこそ、私に不幸せを呼んできます」
「弟子だよな? 酷い事言い過ぎだぞ? 泣くぞ?」
「ですが、私はそんなお師匠様が側にいて下さることで幸せを感じるのです。本来、幸せなんて感じる訳がないことしかしない、お師匠様がいて下さることで」
「……色々言いたいことはあるが、なるほどな」
「なので結論は、心が満たされている事、それが幸せなのです」
「それも一つの答えだろうよ。結局はなんでも正解って言うつもりだったんだが……まあ、いい答えなんじゃないか?」
「そうでしょう? ……その、言い過ぎたかとは思いますが、」
「謝る必要はない。俺は気にして——」
「いえ、全部事実ですので改善を要求します」
「生意気になったなァ、弟子よ」
「お師匠様の逆ギレに驚きです」
「おー! いいぜ、喧嘩なら買う! ボッコボコにしてや、」
「いいんですか? こんないたいけな少女に手を上げて。絵面最悪だと思いませんか?」
「……反論できねぇっ! …………成長したな」
「この流れでなんですか、変態」
「なっ!? なんでそうなるんだよ」
「喚かないで下さいよ」
「おい弟子! 急に態度でかいって、本当にお前俺の弟子か!?」
「はいはい。私は、お師匠様の弟子に決まってるでしょう?」
「だっ……だよなあ?」
「……ふふっ」
「……まさか、とうとう師匠を揶揄いだした!?」
「そんなことありませんよっ……お師しょッ……様」
「笑い堪えたろ、今」
「そんっ……なこと、ありませんっ」
「隠す気ないだろ……」
「だって……ふふ、あっはは!」
ああ、今なら間違いなく思える。
——私、とても幸せだ。
——俺、幸せなんだな。
《日の出》
「そんなに珍しいものじゃないのに……」
そうぼやく弟は、兄の背中を追いかけていた。
昨夜唐突に、裏山で日の出を見たい、と兄が言い出したのだ。
一人で行くものだと思ったから、夜中の三時に起こされたときは驚いた。
自分も行くのか、と。
「なに言ってんだよ! 裏山から見てみろ、すっげぇきれいで最高だぞ」
「……わかったよ」
なんだかんだ兄には勝てない。
それに、楽しそうに話す兄を見て興味が湧いたのも嘘ではない。
家の裏にある山は標高が低く、一時間もあれば子供の足でも頂上に辿り着く。
その頂上で日の出を見よう、という訳だ。
「お父さんとお母さんにバレたら怒られるよ?」
「だーいじょうぶだって。日の出見れたらすぐ帰るつもりだから、余裕で起きてくるまでに帰れるし!」
最悪見つかったら俺のせいにしていいよ、と笑う兄は、両親に心配され叱られるであろうことを気にしていなさそうだ。
曖昧に頷いて、草をかき分ける。
そうこうしている内に、到着した。
「……まだ、おひさま出てきてないね」
「でも後ちょっとだろ! 待ってよーぜ」
嬉々として石に座り、兄は目を輝かせる。
夏とはいえこんな時間に外に出る格好ではなかったかもしれない。
少し肌寒く感じ、弟は兄の隣に引っ付くようにして座った。
それから、どれほど時間が経ったのだろう。きっとそんなに経っていなくて、十分程度かもしれない。
「ほら、来たぞ……!」
兄の言葉に急かされるようにして、うつらうつらと下がっていた顔を上げた。
「————」
きれいだった。
ここから見える景色、家々の全てを柔らかく陽の光が照らしている。優しい温もりに包まれたかのようで、寒さを感じていた筈の体は内から溶かされるようだった。
そしてなにより。
兄が、嬉しそうに、それでいて楽しそうに弟に笑顔を向けていたのだ。
「……な、きれいだろ」
「うん、すっごくきれい」
日の出なんて、どこでも見ようと思えば見れる。
だけど、この日の出だけは。
兄弟にとって、特別な『日の出』だ。
《今年の抱負》
健やかに過ごせますように……