《クリスマスの過ごし方》
——あなたとは、初めてのクリスマスね。
親友は、家族と過ごすと言っていた。
私も当然そのつもりだったのだが、両親から久しぶりに二人きりで過ごしたいと聞いたのだ。
元より姉は、彼氏と過ごすつもりだったのだとか。
だから、私は一人になるところだったのだが。
——あなたと出会えたから、二人きりね。
私が笑うと、それに合わせてか嬉しそうだ。
この温もりが傍にあってくれてよかった。
そう思う程度には、今日は寒い。
ホワイトクリスマス程ではないが空気も冷たい。
「さぁ、もう今日は寝ましょう?」
私が頬に手を伸ばすと、あなたは。
にゃあ、とかわいらしく鳴いた。
《イブの夜》
「あ、知ってました? クリスマスは家族と過ごす日で、クリスマスイブは恋人と過ごすらしいですよー」
へらへらと月下で笑う青年に、
「それは日本での傾向の話だ。私たちはそんな間柄でもないし、第一互いに嫌い合っている」
影に隠れた少女が返す。
「別にそんなこと俺は一言も言ってませんよー? ただ、せっかくクリスマスが近いというのに、仕事三昧とは面白みがないなぁと」
そう嘯き得物をホルダーに仕舞う青年。
「クリスマスイブ、というのはクリスマスの夜という意味らしいがな。日没で一日を区切っていたことからそう呼ばれるようになり、今では一日の区切りが違うから前夜と捉えられることが多いんだとか……つまりお前は、私とクリスマスの夜を迎えてる訳だ、喜べ」
「急に語り出して気持ち悪いかと思えば、更にゾッとするようなこと言い出しましたね! 頭でも打ったんですか、あんた」
青年は怪訝そうに少女を見た。
「悪いが頭は打ってないんだ。ただ、こう言えばお前は嫌がるだろう?」
「……なるほど、嫌がらせ目的ですか」
「ふん。そういうことだ」
「なら、是非俺から嫌がらせされて下さいよ!」
笑顔で何を言っているのか。
「断る。誰が好んでお前にされるというのだ」
「まあそう言わずに! つっても、あんたの許可なんて関係なく勝手にするんですけど——」
やめろ、と口にする時間すらなかった。
「ね?」
「……っ! おいやめろ! 離せ!!」
嫌いなくせに、嫌がらせの為にここまでするのか。
少女がそう動揺してしまったのも無理は無い。
「いわゆるお姫様抱っこです♪ 嫌でしょ」
「ッッ!! 離せって言ってるだろ! 馬鹿!」
「いやでーす。離したら嫌がらせにならないんで」
にたにたと笑みを浮かべる青年から逃れようともがくが、流石に同輩の青年には膂力が負ける。身長も負けているし、腕の可動域も狭められているし。
目算で五メートルはあったというのに、一瞬で背後に立たれたばかりか抱き上げられた。
その無駄な実力の使い方に苛立ちつつ、少女は怒鳴る。
「嫌がらせされてやっただろ! もう満足しろ!!」
「ハイハイ、耳元で叫ばないで下さーい」
どうせ言っても聞かないのだろうと放った言葉に、果たして、青年は従った。
「……いや、下ろすのかよ」
呆気に取られて口にした少女の言葉に、
「え? 下ろしてほしかったんじゃないんですか?」
「以外に素直で驚いただけだ、他意はない」
早口でそう言い捨てて、少女は歩き出した。
そんな少女の背中に青年は零す。
「……だって、あんたに心の底から嫌われちゃったら、どうするんですか」
風が強く吹き、少女は振り返る。
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないですよー、というか俺を置いてかないで下さいよ——お嬢様」
「うるさいわね、あなたは従者らしく全て私の行動に従いなさいよ」
「……全てはお嬢様の御心のままに」
偽りの主従は夜を行く。
この街を、守る為に。
クリスマスイブだからどうした、悪はイベントだからと待ってくれないのだから。
「さあ、悪人を裁く私たちの、聖夜の始まりよ」
《プレゼント》
緊張した面持ちで扉の前に立つ青年——真矢の手の中にあるのは、真新しい鍵だ。
つい先日作ったばかりの、家の合鍵である。
ややあって、真矢は鍵を握り締め深呼吸をして扉を開く。
「おはようございまーす。先輩いますか?」
挨拶と共に室内を見ると、まだ誰も来ていないようだった。
この部署は組織の中でも、特に優秀な者が集まっていると言っても過言では無い。ただ意図的にそうされたのではなく、自然とここに集ったのだ。
その理由は上司にある。
強く、恐ろしく、冷徹で、裏社会においても音に聞く存在。誰もが恐怖の対象とする男。
それが、真矢たちの上司だ。
ともあれそんな上司もおらず、ただ一人デスクに着いた真矢は安堵の息を吐いた。
「……いやいや、今更緊張なんて……私は……」
そう独りごちる真矢は、気配を察知し扉を見やる。
果たして、扉を開いたのは、
「……おはようございます、先輩」
「お、朝から早いじゃん。おはよー」
来てほしかったような来てほしくなかったような、そんな曖昧な視線で真矢は彼を見た。
「なんだよ、ちょっと嫌そうな顔して」
「いえ、なんでもないですよ。それより、珍しいですね? 先輩いつも遅いのに」
「たまにはいいじゃん。偉いだろ?」
「はいはい、偉い偉い」
「適当! もっと褒めて真矢ー!」
「わかりましたって……」
頭を撫でてやりながら、真矢は内心焦っていた。
二人きりの方が都合がいいが、これはこれで困る。
そう思っていたからか、彼の行動に気が付かなかった。
「なあ、真矢。これって?」
「……はい? なんです?」
仕事のことかと顔を向ければ、差し出された彼の手にあったのは、鍵だった。
それも、真矢の手にあったはずの、家の合鍵だ。
「あ、それは……えーっと……」
手にあったのを忘れていたからか、落としていたようだ。それを拾って、聞かれたのだろう。
「家の鍵? こんなとこに落とすなよ、はいこれ」
「あぁ、いや……すみません——」
このまま話を流してしまえば、また鍵のことを話題にあげることは無いだろう。
それでは、せっかく合鍵を作った意味が無い。
「……あの、先輩」
「ん? 受け取らないの?」
不思議そうにこちらに差し出された手を、真矢は両手で包んだ。
「この鍵は、先輩が持っていてくれませんか」
「……俺が? 真矢の家のじゃ、」
「私の家の合鍵で、合ってます」
「……ならなんで」
当然だろう、困惑する彼の目を見れず真矢は俯いたまま続ける。
「だって、先輩この前も仕事ばっかりして家に帰るの忘れてたでしょう? それで家賃払うのも忘れて、電気もガスも水道も止められたとか。そろそろ三ヶ月経つのにまた組織で寝泊まりしてるし」
「……それは」
「なので、私が住んでる家に来ればいいと思うんですよ。電気代とか諸々折半にすれば安いですし、仕事で忙しいときも私の家の方がここから近いのでまだ帰る気になるでしょう?」
「……たしかに」
「だから、その、……俺と一緒に住めば楽だと思うので! 家事とかしますし……先輩が嫌でなければ、」
「——俺の方こそいいの!?」
「え」
思わず顔を上げると、嬉しそうな彼の顔がそこにあった。
「俺の方こそお願いしたい! 真矢となら楽しそうだし、よろしくなー!」
「……はい」
予想に反して、いい反応の彼に動揺を隠せない真矢は呆然として、
「……緊張してた俺が馬鹿でしたねぇ。先輩、」
「んぁ?」
鍵を持ってご機嫌になった彼が、振り返る。
「それ、俺からのプレゼントです」
「ありがとう、真矢!」
最高のプレゼントだよ、と言った彼の表情は、
——とても眩しかった。
勇気を出して、よかったと思う。
《ゆずの香り》
あたしはこの香りが好きだ。
小さい頃、両親に連れられてスケートリンクに行ったことがある。
初めてで、上手く滑れなかった。
結局、滑るよりも歩く方が上達してスケートリンク上で走って遊んだ。
二、三時間経って寒さと疲れを覚えたあたしは、スケートリンクからでて近くのベンチに座った。
そんなあたしを見た両親が、買ってくれたのだ。
温かくて、ほんの少しゆずが苦くて、はちみつの甘さが沁みたのを覚えている。
だからか、大人になった今でも冬の時期はこれを飲むのだ。
思い出を懐かしむように、また行きたいなと思いながら。
大人になったからか、苦みはあまり感じなくて甘みだけが広がった。けれど、後味はさっぱりしていた。
《大空》
『あなたは、あの空に憧れてるって言うの……!?』
その言葉に、なんと返したのだったか。
今こうして遥か上空から大地を眺めているのだから、きっとこう答えたのだろう。
『そうだよ。空に憧れてるんだ』
それになんと返されたのかも、覚えていない。ただなんとなく、止められたような気がする。
なぜだったか、その理由すら思い出せない。
けれど今、僕はとても満たされている。
だって、こんなにも自由に空を舞えるのだ、楽しくない筈がない。
見上げた視界に在るのは、空と雲だけの世界。
「綺麗だな……」
あいつにも見せてやりたいな。
そんな気持ちと共に、まだ駄目だ、と強く思う。
なぜ、まだ、なんて思うのだろうか。
自分自身でもわからなくなった想いを抱えて。
「……広いけど、独り……か」
大空は、まだまだ続くのだろう。
だというのに、俺の心はその広さを満足に感じれないでいた。
きっと、他の誰もいないからだ。
いつかの、あいつも。
「……泣き止ませて、やんないと」
ふと、思い出した景色がある。
あいつが泣いていて、俺の手を握っていた。酷く消毒液の匂いがした。真っ白な部屋であいつだけが色付いていた。
どこでだったか、いつだったか思い出せぬまま。
俺は空を舞おうと足を踏み出して、
『だめに決まってるでしょ! お空に行かないでっ』
少女の声に振り返った。
が、当然そこには誰もいない。
「……ああ、そうか」
ずっと、この空を自由に飛べたらいいのにと思っていたのだ。
だって、窓からはよく見えたから。
だから青空の支配するあの部屋で、口にしたのだ。
この体を早く終わらせて、大空を駆けたい。
どうりで少女の——あいつの、声がしたんだな。
俺が俺の存在意義を思い出す為に、あいつが必要不可欠だから。
俺はもう一度景色を眺め、目を瞑る。
風が唸った。
「……ぁ……待たせたな、悪い」
次に目を開いた時、俺の目に映ったのは、あいつの泣き笑いの表情だった。
俺が目を開いて自然と口にした言葉に、あいつはなんと答えたのだろうか。
いや、きっと、こうだ。
「『絶対、私を置いて遠くに行ったりしないでね』」