《ベルの音》
どこからか、季節を感じさせるかわいらしい音楽が流れてきた。時折混じるベルの音が耳に響く。
今年ももうそんな季節か。
そう思う彼女は家路を急いでいた。
正直、彼女にとってこの時期は、あまり好きでは無い。この駅前を流れる音楽も、ただなぜか虚しさを増すだけなのだ。
彼女は足元を見ていたが、少し顔を上げるとそこかしこに仲睦まじい二人が寄り添いあっている。
肩がぶつかる距離で、手を彷わせる両者の空気感の、なんと甘いことか。
自然に組まれた恋人繋ぎも、なにもかも。
彼女にとっては、無意味に虚しさを募らせる要因になり得るだけだ。
暗い気持ちでは来年も物事が上手くいかなくなりそうだ、と思った彼女は足を止める。
目的は、最近できた、駅前の雑貨屋だ。
凍える手を動かし、赤と緑の装飾された置物を手に取り購入する。
十分とかからずに再び家路についた彼女は、そのままの勢いでバスに乗った。
それから少しして、バスからおり、マンションの一室に入る。
彼女の部屋だろうその部屋には、不要なものがなかった。ほとんど白に統一されていて生活感もない。
いつまでも暗い訳じゃないし、別に恋人がいなくたって何とも思わない。
誰に宣言するでもなく心中でそう言って、彼女は買ったばかりの置物を玄関に置いた。
彼女以外立ち入ることもない為飾る必要もなく、実用性のないもの。
ほら、あたしだって人並みに浮かれてるのよ。こうして不要なものを衝動で買って置くくらい。
架空の誰かに、恋人らに対抗するように。
一人笑って、彼女は置物に手を伸ばす。
つん、と触れた手から微かに、けれども確かに、金属音が響いた。
《寂しさ》
なにをしても、埋まらない。
別に、友達がいない訳じゃない。
親友と呼べる子だっている。
勉強だって、最近はわかるようになってきた。
部活動も、少しずつ上達してきた。
新しい生活にも、漸く慣れてきたのだ。
なのに、なのに——どうしてだろう?
「……寂しいっ……」
気が付けば夜、涙が溢れるようになった。
ふと、一年前の日々を思い返すようになった。
あの頃のままでいられたらよかったのに、と強く願うようになってしまったのだ。
苦しい、辛い、悲しい。
そしてなにより、寂しくて堪らない。
こうして空白のページを文字で埋めつくしたって、きっと、いつまでも心は満たされない。
どれだけ本を読んでも。ゲームをしても。音楽を聴いても。アニメを見ても。漫画を読んでも。
満たされることはなく、余計にその乾きを感じる。
大好きで、家族のように身近で信頼できる親友。
時に頼られ、頼らせてくれる女友達。
馬鹿を言い合って一緒に笑う男友達。
少しくらいふざけても、乗ってくれる先生。
それから。
僕を安心させてくれて、誰よりも一緒にいる時間が楽しいと思えて、軽口を言いつつもずっと側にいてくれて、会えただけで嬉しくて、大好きで堪らない、
そんな君が、僕の見る景色のどこにもいないのだ。
それが、酷く寂しかった。
「……会いたい」
いや、違う。
「……声が聞きたい」
贅沢なことは言わないから。
「……せめて、顔が見たい」
君がどこにもいないということ。
それが、僕にとっての『寂しさ』なのだ。
今日も、埋まらない心に他の誰かの温もりを。
そうして積もる寂しさに、目を背けるように。
《冬は一緒に》
「空気が冷たいとさぁ、なんだか寂しくならない?」
そう言ったのは、まだ私達が中学生だった頃。
茜色の空に背を向けて、まだ青い空を目指して並んで歩いていた帰り道のこと。
「……まぁ、なんとなく、わかるかも。寒いと寂しーってなるな」
同意を示してくれた彼とは、よく話すし仲がいい。今日も今日とて、一人で正門を出た私に対して、
「やーい、ぼっち」
と声を掛けてきた失礼な奴でもあるが。
まあ、そう言いつつ毎回私の隣に並んで話しかけてくる彼もまた一人なのだから同類だと思う。話しかけるにしても、ぼっち、とは言わないでほしいけど。
「ほら、特に今みたいな夕方とかさ! 家が近いとはいえ帰るときは結構寒いじゃん?」
「そりゃあな」
「だから、こういう時に誰かと話してると余計楽しく思えてくるんだよね」
「……へぇ」
曖昧な反応を示す彼に、私は笑ってしまった。いつも通り肩がぶつかるほどの距離で並んでいるのだ、若干緩んだ彼の表情はよく見える。
「……なに」
「んーん! なんでもな、ぁっにゃッ!?」
ずっと彼の方を向いて話していたせいか、ふと視線を落とすと散歩中の子犬が見え、それに驚いて身を引き変な声を上げてしまった。
幼い頃、大きな犬に追いかけられ噛まれかけたことが少しトラウマで、犬は苦手なのだ。
飼い主さんもびっくりしたと思うが、咄嗟なので許してほしい。
「ぶつかってごめん! ちょっと犬が……」
「……っ、ふは! 猫かよ、にゃーって! 声高っ」
「あーもう! 笑わないで! びっくりしたの!」
「はいはい、にゃー」
「うるさいってば!」
自分でも、そんな狙ったみたいな悲鳴を上げるとは思わなかった。凄く恥ずかしい。
照れて赤くなった頬を手で隠すようにして、私は彼に釘を刺す。
「絶対誰にも言わないでよね」
「言わないって」
「本当? 言ったら殴るから!」
「言わねーって。ほら、さっさと行かないと信号変わるけどいいのか?」
「よくない!」
本当に腹が立つ。にやにやしている彼に軽く拳でも入れてやろうかと思ったが、信号を渡りきったらすぐに分かれ道だ。
ふと寂しいという思いが湧き上がるが、引き止める話題も思いつかない。歩く速度を緩めることしかできないが、やはりすぐにいつも分かれる道に着いた。
「……あー、またね。ばいばい」
「ん、ばいばーい。また明日」
また明日、そう自然と口にした彼が、眩しかった。
今日みたいな冬の寒い日は、やっぱり誰かと話しながら下校する方が寂しくなくていい。
「……明日、委員会なんだけどなぁ」
私と彼は別々の委員会に入っているが、こちらがタイミングを合わせれば一緒に帰れるだろう。
——一人で帰るには、冬は寂しいから。会話なんてなくとも、ただ一緒に帰れたらいいな。
《とりとめもない話》
「ねぇ、世界にはたくさんの人がいるんですって。その『たくさん』っていうのはね、数だけじゃなくって、今いる場所とか、今いる時間とか、考え方とか、気持ちとか……そういう色んなものが違うのよ」
——そうなんだ
「それとね、星っていうのは実は、ずっとずっと前の光なのよ。星はとっても遠くにあるの。どれだけ手を伸ばしたって届かないくらい。だからね、たくさんたくさん時間をかけて私たちに光を、星を見せてくれるんですって」
——綺麗だね
「そうそう、なにかものを手に入れるためには、お金が必要なの。すっごく大切なことなんだから、忘れちゃダメよ? なんでも、ほしいと思ってもお金がないと手に入らないのよ」
——大変だ
「ああ、忘れていたわ。今日はこれを教えてあげに来たの! 人ってね、すぐ忘れちゃうのよ。なんでも。一時間も経てば、覚えたことの半分くらいは忘れちゃうらしいの。大変よね。でもね、覚えてすぐなら大丈夫。ずっとずっと、覚えたことだけを考え続ければ忘れないのよ、すごいでしょう」
——そうだね 凄い
「人が誰かを忘れるときは、音が一番最初なの。だから、声を忘れちゃうのね。その後で、見た目を忘れるんですって! 忘れちゃったら、すてきな笑顔を思い出せないわよね。それから、思い出を忘れちゃうんですって。悲しいわよね、とっても 」
——うん とても悲しいことだね
「……ねぇ、あのね、わからないことがあるの」
——なぁに?
「今がとっても幸せなのに、胸が苦しいの。あなたといるからかしら」
——……そうなんだ
「あなたはこんなにも、笑顔のままなのにね。一緒じゃなきゃ寂しいわよね」
——一緒だけどなぁ 特に……
壊れてるとことか
体が壊れてるのと 心が壊れてるの
違うようで 似てるね
ああ とっても 似てる ただ
一番の違いは これかな
「なんにも話してくれないと、こんな真っ暗中じゃ、あなたがいるかどうかわからないって、前も言ったでしょう。ねぇ、ちょっと! なにか言ってちょうだい」
—— 君には もっとずっと 生きていてほしいかな
……そう 言えたらよかったのに
「そうだわ、明日の話をしてあげる!」
——
……
たくさん
教えてくれて
ありがとう
好きだったよ
なんて、全部冗談さ。
それで、続きを教えてくれる?
「こんな時期に、風邪をひくなんて馬鹿だろ」
と言いつつ呆れた様子で僕の隣に腰かける君も、似たようなものだ。
「そう思うんなら、早く僕から離れなよ。暑苦しいし、風邪うつしちゃうよ?」
「それは遊ぶ約束してる日に夏風邪をひく方が悪い」
ごもっとも。僕に反論の材料なんてないが、それでもなんとか抵抗を試みる。
「しょうがないと思わない? 昨日帰りに雨に濡れたんだよ、傘忘れて」
「しょうがないと思わない。一昨日の晩、傘忘れるなってあれほど言ったのに……」
返す言葉もない。何度も、それこそ登校する直前まで注意喚起してくれた君には感謝しなきゃだ。
「……ごめんって、遊ぶ約束してたのに。傘も、忘れた僕が悪いよ、うん」
「わかればよろしい」
この会話を聞いたら、すぐわかるだろう。
僕と彼との関係性はいつだって、彼が上なのだ。
一つ年上の幼馴染は、得意げに笑う。
「なー、部屋の温度丁度だろ? それに、冷えピタも貼ってやった俺に感謝しろ!」
「はいはい、してるから。ほんとにありがとう」
「おう! どういたしまして!」
自分でほぼ言わせたくせに、彼は嬉しそうだった。
——無邪気に笑う君を見て心臓がうるさくなったのは、きっと、風邪のせいだ。
そうでなきゃ、顔が赤い理由なんてないもの。
——気が付けば、日が傾いていた。
いつの間にか寝てしまったのだろう、僕はベッドから身を起こそうとした。カーテンの隙間から差し込む夕日を隠す為だ。
だが、それを阻む手と温もりがあった。
「……あのさぁ、普通に考えて風邪ひいてる人の傍で寝たらだめに決まってるでしょ」
聞いていないだろう、彼に零した言葉は呆れしかない。
看病している途中で寝てしまった、というのはまだわかるからいい。けれど、その病人を後ろから抱きしめる形で爆睡するというのは、中々斬新だろう。
「……起きて。おーい、起きてってばー」
何度体を動かしても起きないどころか、更に僕を離すまいと腕に力を込められた。寝てるのに。
僕に残された選択肢は……諦めて、二度寝をする他なかった。
決して、彼がそこにいて安心するからとか、もっと続けてほしいからとかじゃない。本当に違うから。
ただ、そう。
幼い頃を思い出しただけだ。