『やりたいこと』
軽快な電話の呼び出し音を聞きながら、オレはため息をついた。
本当はこんな電話、するつもりじゃなかった。でも、もう時間もない。致し方ない。
唐突に呼び出し音が切れた。
「はーい」と間延びした彼女の声が聞こえる。
「もしもし、今、話せるか?」
「あー、いいよ」
オレの問いに彼女は明るい声で応える。
「ってか、どうしたの。君から電話してくるなんて。珍しいね。何かあった?」
「イヤ別に」
オレは口早に否定した。
「ただ、ちょっと聞きたいことがあって。お前、何か欲しいもの無いか?」
「ははぁ、なるほど」
彼女が勝ち誇ったように言った。電話越しでも、彼女のニヤニヤ笑う顔が目に浮かぶ。
「もしかして、私の誕生日プレゼント?」
図星だった。
当初は、こっそりプレゼントを用意して、ビックリさせようと思っていた。
でも、いくら考えても、何をプレゼントすればいいのか、オレには分からなかったのだ。
ブレスレットや髪飾りなんかを探してみたけど、種類が多くてよく分からないし、
彼女がアクセサリーをつけている姿を、オレはあまり見たことがない。
ぬいぐるみは子供っぽい気がするし、花を贈るのは、こっぱずかしくてオレが無理だった。
「そうだよ」
オレは白状する。今更隠すつもりも無い。
「せっかく贈るなら、お前の欲しいものを用意したいからな。で、どうなんだ? 何かないか?」
「んー、特に無いかなぁ」
彼女のあっさりした答えに、オレは小さく肩を落とす。
「じゃあ、行きたいところとか、やりたいこととか、ないか?」
「んー、特に行きたいところは……あ、でも、やりたいことはあるなぁ」
「なんだ、やりたいことって?」
「君と、たくさん話がしたいな。今みたいに」
そう言う彼女の声はまっすぐだった。
照れも、ごまかしも、取りつくろった感じもなかった。
「だって、いっつも私ばっかり話してるもん。だから、君から私に話しかけてくれるの、うれしくってさ。って、聞いてるの?」
オレは電話に向かって「聞いてる」と慌てて返事する。
でも、本当は上の空だった。
突然熱を帯びた耳のせいで、電話が熱くって、話どころじゃなかったのだ。
『世界の終わりに君と』
ある日幼い私は、母からとある世界が終わる話を聞いた。
なんでも、その世界は開始早々に終わる日を予言されていたらしい。
「まあ、実際は1週間早まったのだけどね」
母はカラカラ笑いながら言っていた。
その世界は、ある意味では完成されていたらしい。
なにせ、住人が生きるために必要な栄養や空気は直接体に与えられる。好きな時に眠り、好きな時に目覚める。
何より、住人は、世界にすっぽり包まれて守られていた。
「そんな世界に、あなたはいたのよ。覚えてないでしょうけどね」
母はしみじみと言っていた。
「でも、最後の方は窮屈そうだったわ。よっぽど早く出たかったのでしょうね、あなた」
そして、世界が終わる時が来た。
「ホンットに痛かったのよぉ。もちろん」
母は力強く言っていた。
「でも、あなたも大変だったと思うわ。だって、それまでずっと過ごしてきた世界を出ていくわけでしょ。それも、命がけで。本当に、お互い健康でよかったわ。ま、だいぶ端折ったけども、とにかく、こうして……」
「……こうして母さんは、とある世界の終わりに君と出会ったわけでした」
母は笑って、幼い日の私の頭をクシャッと撫でた。
「以上、おしまい。ハッピーバースデー」
『最悪』
それはご主人の口癖だった。
日課の散歩時に、ボクがつい走り出したら。
「そんなにリードを引っ張らないでよ、最悪!」
水浴びの時に、ボクが思いっきり体をブルブルしたら。
「私までずぶ濡れじゃない! 最悪!」
「最悪」って言う時のご主人は、たいていキレイな身なりだった。
だけど、たいてい三角形のとんがった目をしていた。
そして、こういう時のご主人には、ボクはあまり近寄らないように気をつけている。部屋の隅で、尻尾をすぼめて過ごすのが得策だ。
だけど、何事にも例外はあるわけで。
その日のご主人は帰宅直後から、妙にしょっぱいニオイを漂わせながら「最悪!」って言ってた。
ボクは扉の隙間から、コッソリ玄関を覗き見る。
そこでは、黒いスーツ姿のご主人が、靴も脱がずに背中を丸めて三角座りをしていた。
ボクはゆっくりご主人の前に回り込み、その顔をじぃーっと見上げる。
思った通り。
ご主人の顔は、次々と溢れる涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
今日は何が「最悪」なのか、ボクには全然わからない。
だけど、ボクは知っている。ご主人がこの顔で「最悪」の時にどうしたらいいのかを。
ボクは尻尾を振りながら、ご主人の顔を思いっきり舐めた。
口いっぱいに、苦くてしょっぱいご主人の涙の味が広がった。
一応言っておくと、全然美味しくはない。
むしろ、一言で言うなら「最悪」だ。
でも、ほら。
「もー、最悪」
そう言いながらご主人は、ボクのよだれまみれになった顔で、ヤケクソみたいに笑いだす。
そうして、ボクをぎゅうっと抱きしめたご主人は、掠れた声でボクにだけささやいた。
「でも、ありがとね。大好きよ」
『誰にも言えない秘密』
おまじないって信じるか?
ボクは全然信じてない。
だけど、最近、クラスの女子で流行っている、とあるおまじないがある。
それは「自分の消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ると両思いになれる」というものだ。
それを聞いた時、ボクは鼻で笑った。
信じるに値する根拠も何も無いじゃないか、と。
それとは全然関係無いけど、ボクはある日、図書室で1つの消しゴムを拾った。
それは、可愛らしいピンクのウサギのイラストがついた消しゴムだった。
心当たりのないその消しゴムには、なぜだかカタカナでボクの名前が書いてあった。
ちなみに、ボクの下の名前だけ。苗字は書かれていなかった。
この消しゴム、誰のだろう?
図書室は学校中の生徒が利用する。
この名前はボクと同名の誰かだろうか?
それとも……。
ボクはブンブン頭を振った。
そうやって、突然うるさくなった鼓動を振り払う。
この消しゴムの持ち主が、あのおまじないを信じてる根拠なんて何も無いんだぞ。
そう。ボクは、おまじないなんて信じてない。
信じるに値する根拠も何も無いじゃないか。
だけど、その時、ボクは。
ちょっとだけなら信じていいかも……。
……なんて思ってしまったのは、誰にも言えない秘密だ。
『狭い部屋』
それは人間1人が、腰を下ろすスペースがあるだけの、正しく小部屋だった。
私はソソクサとその部屋に入り、鍵を閉める。
こういう部屋に長居する人もいるけど、私はサッサとおいとまするタイプだ。
用は足した。さて、行くか。
私は手近のペーパーホルダーに手を伸ばす。
でも、私の手は空を切った。
ホルダーに取り残された芯が、カラカラと虚しく回転している。
しまった。
でも諦めるのはまだ早い。
買い置きのペーパーは?
私は体を捻り、後ろのタンクの上を確認する。
でも、タンクの上は、薄く埃が積もっているだけだった。
バカな。詰みだと。
私は歯を食いしばって羞恥心を堪える。
そして、天を仰いで声を絞り出した。
「誰か、紙持ってきてくださいっっ!」