「ごめんね」、と謝るお前が嫌いだった。
お前が殊勝に謝る。
その行為が何より嫌いだった。
こんな謝り方をする時は、お前は大抵ろくな事を言わない。
『何があった?』
『どうしたんだ?』
『助けが必要か?』
何一つ。何一つ、お前は頷かない。口を開かない。
その度に自分自身の無力に打ちのめされる。
頼ってもらえない事よりも。お前の苦しみを理解して、無理矢理にでも手を伸ばしてやれない己に、心底嫌気がさすのだ。
『大丈夫だよ。大丈夫』
『けど』
『ごめんね』
頼むから。
頼むから。
そんな顔で、笑わないでくれ。
足りないのなら満たせるまで努力する。
届かないのなら掴めるまで手を伸ばす。
だから、諦めてそんな顔で笑う前に、この手に気付いてはくれないだろうか。前と上だけ見ていろなんて言わない。お前が下を見たって、後ろを向いたって、尊敬こそすれ失望なんてするはずもない。
だから。どうか。
差し出したこの手に縋ってはくれないだろうか。
【題:「ごめんね」】
例えばもし、この世に『天国』や『地獄』があったとして、己が属せるのならば。
それは疑いようもなく、『地獄』なのだろう。
「死者は死後、深き地の底にある死者の国に導かれる」
寝物語を語るかの如く柔らかな声音。
耳に心地好いと思ったのは、今も昔もこの声だけだった。
「死者の国、冥界、冥府。『地獄』とは違うのか?」
「それは神話だろう。『地獄』とは宗教の産物。悪業を為した者が死後、その罪に見合った責め苦を受ける場所、だそうだ」
「宗教、ね。信じているのか?」
「信じているように見えるか?」
「信じるどころか、神に唾を吐いていそうだな」
星のように煌めく瞳が、じっとりと見下ろしてくる。
随分と酷な評価だが間違いでもない。
神に唾を吐くが如き所業。天の星を落とすが如き所業。
作り物めいた、それこそ神に愛されたとしか思えぬ、美しい美しいその身体に手を伸ばし、掴んだ顎を引き寄せて噛み付くように強引な口付けを。
その清らかさを。
その穢れなさを。
貪るように、あるいは汚すかのように。
あまりにも冒涜的で背徳的ではないか?
「口。開けろ」
「噛んでも宜しいのか」
「遠回しな血の所望か」
「調子に乗るのもいい加減にしろよ」
抵抗という抵抗はろくにしないのだが、どうやら機嫌を損ねたらしい。
殴られてはたまらないと顎を離してやる。
直ぐに遠ざかろうとすることに苛立ちを覚えるようになったのは、一体何時からだったか? 少なくとも最初から、ではないはずだが。
「心配せずともお前は間違いなく『地獄』行きだ」
「こちらとて『天国』など願い下げだ」
「行く時はちゃんと私も連れて行けよ」
「………………なんだ。プロポーズか?」
「死期を早めてやろうか」
余計な一言だったのか軽く額を叩かれる。
今のはそこまで悪くないと思うのだが。
「そんなロマンチックなものか。共犯者として、理解者として、最期まで付き合ってやるだけの話だ。というか今更私を置いて行くな。散々付き合わせておいて、好き勝手やって逃げるなど許さんからな。最期まで見届けさせろ。…………………………それに」
瞬く星の瞳。
手に入らないからこそ美しく、穢れないからこそ美しく、手を伸ばして、手を伸ばして、手を伸ばして、手を伸ばして。
地の底から星に手を伸ばすのも。
案外悪くないかと思ったのだが。
(この《星》は、『地獄』であっても美しいのだろうな)
「共に堕ちるのなら、地獄だって悪くはなかろうよ」
【題:天国と地獄】
「傘。入るか?」
ざぁざぁ、ざぁざぁ、と涙雨。
独り隠れた草木の隙間に。
こてん、と首を傾げて傘を差し出す。
「雨の日の午後、あてのない散歩。なんとも優雅じゃないか。晴れている時とはまた違った景色も悪くない。気分が落ち込んでいると物悲しいものだが、それもまた一興。雨は何時か必ず止む。人の心など置き去りにな」
手を繋いだ彼女は歌うように語る。
「雨は美しい。晴れてばかりの空模様よりも、断然良い」
「何時かは晴れるんだろう?」
「それはそうだろう。何時までも雨なんて、それはそれで鬱陶しい。止まない雨なんて無いんだよ。雨が止んでも曇るかもしれないが、一度風吹けば晴れ渡る。そんなものだよ」
「そんな単純な話じゃないだろ」
「お前は難しく考えすぎなんだよ」
彼女が困ったように笑う。
ふと瞬いた彼女は空を指さす。
「それにほら。雨が降らなければ見えないモノもある」
未だ雨の降り続ける曇天。
彼女は何を指さしたのだろう。
「うん、うん。同じ空では見えるモノも常に同じ。嫌でも辛くても、少しくらい変化があった方が楽しいじゃないか! 苦しい事の後にだって美しいモノもある。そんなものだろう? 人生とは」
「…………………………人生、か」
たかだか一時の雨降りに何を重ねているのか。
人生は天気よりも人の都合なんて考えないのに。
(だが。まあ)
彼女がそういうのなら、それでも良いか、と。
「雨。止まない、な」
「うむ」
「……………………悪くはないな」
「そうだなぁ」
ざぁざぁ、ざぁざぁ、と涙雨。
繋いだ手は雨晴の虹のように。
【題:降り止まない雨】
筆を取ったは良いものの、一体何を書くべきかと悩むこと小一時間。悩むくらいならば思うがままに書けば良い、と呆れた様に言われたのでそうしてみようと思う。
故に纏まりもなく語ることを許してほしい。
さて、では何を語ろうか。
何を知りたい?
何を聞きたい?
どうだっただろう。
あの頃の私は、味方なんて誰一人としていない、生きる意味も分からない日々の中で、遠い未来を生きる己の言葉を夢想した事などあっただろうか?
………………ハッキリと言おう。
無かったな。そんな時は、一度として。
ならばやはりコレは無粋だ。
私が歩んだ道の辛さも、苦しさも、悲しさも、喜びも、全て己の目と耳と心で知るべきだ。第一、今の私がとやかく言ったところであの頃の私が信じるとはとても思えない。
分かるよ。
分かるさ。
分かるとも。
自分自身の事だもの。
…………………………だが。
一つだけ。
一つだけ、言っておこうと思う。
────────── 幸せだよ。未来の、お前は。
【題:あの頃の私へ】
ふとした瞬間に貴女を愛しく思う。
本来であれば、絶対に抱いてしまうわけにはいかない想いでも、優しい貴女は『仕方がないな』と笑って許して抱き締めてくれた。
罪の意識が軽くなる。
愛しさは募るばかり。
気付けば、許されぬところまで来ていて。
このままでは駄目だと理性が叫ぶ。
気を抜けば溺れそうになる意識を繋ぎ止め、貴女の目が離れた隙に逃げ出した。
誰も幸せにならない日々を終わらせるべきだった。
なのに
どうして
「どうして逃げる?」
「何故今更、私から離れようとする?」
「溺れたお前を赦してやったのに?」
「ああ、ああ、嗚呼! こんなにもお前は私を愛しているのに!?」
「良いのだよ。良いのだよ」
「『永遠』に、私と共にあろう?」
嗚呼、この愛 ──── 《原罪》からは逃れられない。
【題:逃れられない】