新進気鋭の天才アーティスト
かつてそう呼ばれていた青年は、薄暗い部屋で蹲っている。
彼の手に握られているのは1枚の写真だ。青年が撮ったそれに写っている人物は柔らかく笑っている。
青年にとって、写真の人物が全ての原動力であった。
創作活動も、メディアへの出演も、食事や睡眠に至るまで、全ての活動の中心にはその写真の人物がいた。
しかしもう、その人はいない。
青年の世界は急速に色を失くした。
嘗て筆を握っていた右手は、自らを傷つけるようになり、
パレットを握っていた左手は愛する人との思い出に縋るようになった。
向日葵のように笑う天才アーティストはもういない。
そこいるのは、翼の折れた1人の青年だった。
(9 飛べない翼)
目を瞑ると浮かぶのは、真紅に染まったあの光景。
どこにでもあるマンションの一室での出来事。
床に広がる紅と、手の中で鈍く光る銀。
ドクドクと心臓が早鐘を打ち、耳は小さな呻き声を敏感に拾う。
俺はもう戻れない。
向日葵の様な笑顔に覆われていた黒が露わになる。
このまま堕ちるところまで堕ちてしまおうか。
「ばいばい。」
俺の大好きだった人。
お前は、お前だけは明るい場所で生きてくれ。
(8 脳裏)
毎日の自主練習
家に帰ってからの筋トレ
電車の中で見返す動画
周りは無駄だと嘲笑う。
お前がどれだけ努力したってセンターにはなれないと、憐れみの目を向ける。
だからなんだと心の底から思う。
人を見下して嘲笑う行為の方が無駄だろう。
いつチャンスが来るか分からない。
チャンスが来た時にそれを掴める自分でありたい。
ただそれだけだ。別にそのチャンスがセンターになる事じゃなくてもいい。
だから今日も、音楽に身を預けて身体を動かす。
いつか来たるその時のために努力をする。
もしその時が来なくても、
この努力が無意味になったとしても、
それならそれで構わないと思うから。
(7 意味がないこと)
画面の向こうで、そいつは笑っていた。
嬉しさを楽しさを全面に出して、顔を綻ばせていた。
「別れて、良かった。」
画面だけが浮かぶ部屋でポツリと呟いた言葉は案外響いて、自分で言っておきながら誰かに肯定されたようで苦しかった。
少し前まで隣で輝いていたあいつは、別の人の隣で笑顔を咲かせている。
ニコイチだの運命だのファンからさんざん言われていたのに、離れる時はあっさりだった。
プライベートでの関係だって周りの誰にも言っていなかったけれど、順調だったはずなのに。
結局好きなのは自分だけだった。
“ごめん、別れよう。”と飯の誘いを断るくらいのトーンで放たれた言葉に、頷くしかなかった。“何で”も“離れないで”も全部飲み込むしかなかった。
一度決めたら絶対曲げない人だとよく分かっていたから。
それなのに、家中あいつのものだらけだ。
歯ブラシも食器もタオルも枕も全部2つずつ。
伏せてある写真立てはいくつあるだろう。
今つけてるネックレスだって、誕生日に貰ったものだ。
全部、付き合っていた頃のまま。
確かに存在した温もりを思い出さないように、俺はソファーで目を瞑った。
(6 忘れたくても忘れられない)
「やばいやばい、早く帰らないとドラマ間に合わない!」
「終わった!行こ行こ!」
バタバタとフロアをでる同僚を視界の端で見送って、息を吐き出す。
彼女達が推しているアイドルと昔同じダンススクールにいたと言ったら、彼女達はどんな反応をするだろうか。
当時仲の良かった友達に誘われて入ったダンススクール。そこに彼はいた。
同じ時期に入ったはずなのに、圧倒的な才能と努力で気づけば彼はスクールの発表会でセンターに立っていた。俺はといえば可もなく不可もなくで、立ち位置は後ろの方。
誰が見たって差は明らかなのに、100人に聞いたら100人が彼の方が上手だと言うのに、彼は俺の踊りを「しなやかで綺麗だから好き」と真っ直ぐに俺の目を見て言うのだ。
だから、辞められなかった。気づけば彼と共に10年も踊っていた。それなりのルックスも幸いして、立ち位置も彼の隣になっていた。
それでも彼との差は明確だった。
どこまでも俺と共に羽ばたこうとする彼が嫌になって、彼の足枷になっている自分が嫌になって、俺はダンスをやめた。
思っていた以上にあっさりとした終わりだったと、自分でも思う。
そもそも敵ばかりだったから10年続けた割に別れを惜しむ仲間も少なかったし、隣にいた彼も去るもの追わずのスタンスだったから。
それ以来、かつての仲間とは会っていない。
時折1人で踊る事もあるが不完全燃焼感が否めず、ずっと自分の中で何かが燻っている。
それだけ、あの日々は俺にとって大切だった。
それだけ、あいつへの憧れは強烈だった。
「──。」
ため息に混ぜてあいつの名前を吐き出して、過去への想いを振り払う。
俺は文字が並ぶ画面へと向き直った。
(5 過ぎた日を想う)