今日のテーマ
《赤い糸》 ※GL的な要素があるので苦手な方はご注意下さい
「赤い糸が目に見えたらいいのに」
赤い糸というのは、運命の相手と繋がってるっていうあれのことだろう。
失恋をして打ち拉がれている彼女が机に突っ伏しながらぼやく。
泣き腫らして赤くなった目の淵が痛々しい。
恋多きこの友人は端的に言ってしまうと非常に『チョロい』女だ。
ちょっと優しくされただけで、口説き紛いの軽口を受けただけで、時には思わせぶりに微笑まれただけで、コロリと恋に落ちてしまう。
その上やたらと行動的で、恋をしたと自覚したら作戦も何もなく相手にすぐに想いを伝えてしまう。
結果は当然ながら惨敗続き。
せめて当たって砕ける前に相談してくれれば、何か手伝えることもあるかもしれないのにと思わずにいられない。
彼女の恋を手助けしたいというより、彼女をこんな風に泣かせたくないから。
「見えたら見えたで厄介な気もするけど」
「なんで? 見えたら失恋なんかしないでうまくいく相手を見つけられるでしょ」
「でも、中には『自分の意思と関係なく決められた運命なんか嫌だ』って拒絶反応する人もいるんじゃない?」
「あー、いるね、そういう天の邪鬼な人」
「特にうちらくらいの年代の男子はそういうのに反発するの多そう」
「わかる」
「あるいは『運命の相手なんだから放っといても大丈夫』って浮気するような奴とか」
「釣った魚に餌やらないタイプかー」
「そうそう。つきあうまでは誠実だったのに、つきあい始めたら途端に扱いぞんざいになるとか、たまに聞くじゃん」
思いつくパターンを上げる度に彼女は納得顔でうんうん頷く。
伊達に恋多き女をやってない。
惚れっぽいだけに、その分ダメンズを引き当てることも少なくないから、その経験からくるものもあるのだろう。
「それに、赤い糸の相手が好みのタイプとも限らないでしょ」
「え、それはなくない?」
「そうとも言い切れないよ。うちの母親、最初は父親のこと嫌いだったらしいし」
「マジで!? あんなにラブラブなのに!?」
「マジで。それに、それ言ったらあんただってあるでしょ。初対面ではあんまり好きじゃなかったのに、優しくされてコロッといっちゃったりとか」
「あるわー、めっちゃ心当たりあるわー」
頷きながらがっくり項垂れてしまうのは、今回の失恋相手がそのパターンだったということか。
相変わらず、本当に見る目がない。
彼女も、相手も。
チョロくて恋多き彼女だから誤解されがちだけど、決して浮気性などということはない。
むしろその逆で、好きになった相手には一途に愛情を傾けるタイプだ。恋人がいる間は他の男からどんなに熱烈に口説かれようとも一切見向きもしない。
そして意外と身持ちも堅く、どんなに好きな相手であっても、そう簡単に身を委ねてしまったりすることはない。
興味本位で彼女からの告白に頷いた男は、簡単に抱けると思っていた当てが外れて早々に別れを切り出す。そうすることで自分を繋ぎ止めるために体を差し出すと思っているのだろうが、そういう男だと分かると彼女はすぐに熱が冷めてそのまま別れを受け入れる。
それは、自身が惚れっぽいことを自覚しているがゆえの、彼女なりの自己防衛だ。尤もそれを入れ知恵したのは彼女の身を案じた私を含む友人数名なんだけど。
「まあ、人生は先が長いんだから、これから運命の相手と出会えるかもしれないでしょ。焦らない焦らない」
慰めるようにポンポンと頭を撫でてやると、彼女は苦笑混じりの笑みを浮かべて頷いた。
どうやら気持ちに一区切りついたらしい。
そこから話題はカフェの新メニューに移行し、帰りに寄っていこうかと盛り上がる。
他愛ない雑談をしながらふと思う。
もしも運命の相手を繋ぐ赤い糸が見えたなら、きっと彼女の糸が誰に繋がっていたとしても、それをぶった切ってわたしのそれと結び直してしまうのに、と。
『親友』の顔で笑ってるわたしの本心を彼女は知らない。
でも、彼女が恋の成就を望むなら、そしてその助力をわたしに願ってくれるなら、たぶん協力は惜しまない。
同じ想いを返してくれなくていい。
彼女がただ幸せでいてさえくれれば、わたしはそれで満足なのだから。
今日のテーマ
《入道雲》
鮮やかな青色の空に浮かぶ、一際大きく白くてもこもことした雲。
それはお祭りの屋台で見かける綿あめのよう。
甘くてふわふわしている綿あめは美味しくて大好きだけど、食べる時にちょっとベタベタするのが難点だ。
次に連想するのはかき氷。
こちらは屋台で売ってるものではなくて、前にかき氷専門のお店でお母さんに買ってもらったもの。
普段食べてるかき氷とは違って、白くてふわふわのそれは氷自体に甘い味がついていてとっても美味しかった。
今は5時間目の授業中。
給食はしっかり完食したからお腹が空いてるわけじゃない。
それでも綿あめやかき氷を連想してしまうのは、別にわたしの食い意地が張ってるからではない。
美味しそうなものを連想させるあの入道雲がいけないのだ。
「よだれ出てるぞ」
立てた教科書の影からこっそり囁いてきた隣の席の男子の言葉に慌てて口元を擦るけど、別にそんなことはなかった。
まんまと引っかかってしまった恥ずかしさを誤魔化すようにむっとして睨むと、彼は頬杖をつきながら屈託なく笑う。
「考えてることバレバレなんだよ。どうせ綿あめみたいだな、美味しそうだなって思ってたんだろ」
「綿あめだけじゃなくて台湾かき氷もだもん」
「ははっ、ほんとに色気より食い気だよな、おまえ」
からかいの言葉にぐっと詰まる。
少女漫画で見るみたいに顔を見るだけで赤くなったりドキドキしたりというわけではないけど、話してると何となくそわそわしたりする、ちょっといいなと思ってる男子からそんな風に言われて嬉しい女の子はいない。
でも、色気より食い気というのは事実だ。
クラスの中にも色つきリップや百均で売ってる化粧品を使ってる子も何人かはいるけど、わたしはと言えば、そういうお洒落なものにお小遣いを使うより、お菓子や可愛い文房具を買う方がいいやと思うタイプだ。
どちらかといえばぽっちゃりめの体型も如実にそれを示してる。
やっぱり彼もスリムな女の子の方がいいんだろうか。
そんなことを思ってついしょんぼりしていたのだけど。
「台湾かき氷か……あれだよな、氷がふわふわのやつ」
「そう。前にお母さんが専門のお店に連れてってくれたの。氷そのままでも甘くて美味しくて」
彼が話を広げてくれたので、すぐに気を取り直す。
こんなことだから「色気より食い気」なんて言われちゃうんだろうな。
「夏休みに、隣の市で花火あるじゃん」
「うん、あるね」
突然飛んだ話に首を傾げながら頷いた。
彼が言うのは隣の市で毎年開催されてる花火大会だ。
地元のお祭りより規模が大きくて人出も多い。
「去年、あの花火の時にあったんだよな、そのふわふわのかき氷の店」
「マジで?」
「うん。だってオレ食べたもん」
「そうなんだ。いいなー」
「そんでさ、今年は兄ちゃんに連れてってもらうことになってるんだけど、良かったらおまえも一緒に行かね?」
「え、でも、いいの?」
「おまえも兄ちゃんいるじゃん。もしまだ誰かと約束とかしてないようだったら、そっちの兄ちゃんも誘ってみんなでいけばいいじゃん」
彼のお兄ちゃんとわたしのお兄ちゃんは中学生で、たしか同じ学年だ。
クラスが一緒かとか友達なのかどうかは知らないけど、少なくとも顔見知りではあるはず。
これがどっちかがお姉ちゃんだったら、噂になっちゃったりするかもしれないから無理だろうけど、お兄ちゃん同士だったら一緒に連れてってもらうのもありかな?
もちろん、うちのお兄ちゃんと彼のお兄ちゃんが仲悪かったら無理だけど。
地元のお祭り程度なら子供だけで行っても平気だけど、さすがに隣の市の花火大会はまだ小学生だけでは行かせてもらえない。でも、中学生のお兄ちゃんが一緒なら「しょうがないな」って許してもらえる可能性は高い。
「そしたら、綿あめもかき氷も一緒に食えるだろ」
「そうだね」
得意げに言う彼の言葉に、わたしも何だかわくわくして前のめりで頷いてしまう。
綿あめもかき氷も楽しみだけど、同じくらい彼とお祭りに行けるかもしれないことが楽しみで。
「こら! そこの2人、喋ってないでちゃんと聞け!」
「はい!」
「すみません!」
先生に注意されて、2人して慌てて姿勢を正す。
幸いそれ以上怒られることはなく、クラスの子達からくすくす笑われるだけで済んだけど、2人で目を合わせてこっそり肩を竦めあった。
「とりあえずオレも兄ちゃんに話してみるから、おまえもそっちの兄ちゃんに都合聞いてみて」
「うん、わかった」
花火大会は約1ヶ月後。
今から言っとけば、きっとお兄ちゃんの予定も大丈夫だろう。
あとはうちのお兄ちゃんと彼のお兄ちゃんが仲悪くないことを祈るだけだ。
思い掛けない誘いにドキドキしながら、わたしはもう一度、ちらりと窓の外に目を向ける。
青空と白くてもこもことした入道雲。
一足早く夏の訪れを告げるかのような空は、今のわたしの心のように気持ちよく晴れ渡っていた。
今日のテーマ
《夏》
「あっつい……」
「暑いねえ」
青い空。白い雲。
照りつける太陽はジリジリと肌を灼き、茹だるような蒸し暑さは容赦なく体力を削いでいく。
道の先には陽炎がゆらゆら立ち上っていて、公園の花壇では向日葵さえも心なしかげんなりして見える。
ハンディ扇風機で僅かな涼を取りながらだらだら歩いてたわたし達は、少しでも暑さから逃れるべく、通り沿いのコンビニに避難した。
「ああー涼しいー」
「生き返るぅ」
冷房の涼しさに思わず声を上げると、近くにいたおばさんに笑われてしまった。
ちょっと恥ずかしくなったけど、外はそのくらい暑かったし、店内は本当に生き返る心地がするくらい涼しかったんだからしょうがない。
わたし達は更なる涼しさを求めるように、自然とアイスの売り場に足が向かう。
冷凍ケースの中、お馴染みの棒アイスへこれもまた自然に手が伸びた。
わたしが選んだのはみかん味のもので、相方が選んだのはいがぐり頭の少年がトレードマークのソーダ味。
水分だけじゃなくて塩分も補給しないとね、と、干し梅も一緒に手にしてレジに並ぶ。
本当は店内のイートインコーナーで食べたいところだけど、消費税の2%が惜しいから外で食べることにした。
入口の脇、日陰になってる庇のある場所で早速アイスを袋から出す。
「やっぱ夏はこれだよね」
「いや、こっちのが定番だろ」
「それはそう。でもわたしはみかんの方が好きなんだよね」
「オレ、梨も好き」
「そういえば今年はまだ見てないね」
そんな他愛ない話をしながらも食べる速度は落とさない。
この暑さじゃ、ゆっくり食べてたらあっという間に溶けてきてしまう。
と、突然隣で彼が眉間を押さえた。どうやら急いで食べてキーンときてしまったらしい。
わたしも気をつけなきゃと思いながら、少しだけ齧る分量を減らして調節する。
「もうすっかり夏だよね」
「まだ梅雨も明けてないけどな」
「でも暦の上では5月から夏じゃん」
「オレは8月が暦の上では秋だって言われてもぜってー認めねー」
「それな」
笑いながら言い交わし、一口ずつお互いのアイスを交換する。
つきあい始めて2度目の夏。
さすがに間接キスだの何だのと恥ずかしがるようなことはない。
まあ、つきあう前からお互いそういうことをあまり気にするタイプじゃなかったけど。
でも好きになったばかりの頃は妙に意識しちゃってたっけ。
平気な顔してジュースの回し飲みする彼に、好きなのはわたしだけかとがっかりしたのも今となってはいい思い出だ。
「どした? ぼーっとしてると溶けるぞ」
「うん……去年の今頃は、こんな風にアイス交換するのもドキドキしてたなあって」
そっちは全然平気そうだったけど。
そう言って茶化すと、彼もまたアイスを食べる手を止め、ふいっと顔を背ける。
何か気に触るようなことでも言ってしまっただろうか?
窺うように覗き込むと、暑さのせいばかりとも思えない赤い顔。
「平気なわけないだろ」
「え?」
「平気なふりしてただけ! 変なこと思い出させるから暑くなってきちゃったじゃんか」
そんなことを言いながら照れを誤魔化すように頬を擦る。
彼のそんな態度に、こっちまで照れが伝染したかのように顔が熱くなってきてしまう。
ドキドキ高鳴る胸に落ち着かない気分を味わいながら、わたし達はアイスを食べ終わるまで沈黙を守ることとなった。
アイスで涼を取ったはずなのに、食べる前と変わらないくらい――ううん、食べる前よりもずっと赤い顔をして。
今日のテーマ
《ここではないどこか》
ここではないどこかへ行きたい。
わたしは時々無性にそんな気分に捕らわれる。
現状に大きな不満があるわけでも、何かに追い詰められているわけでも、逃げ出したいと思うような悩みを抱えているわけでもない。
それなのに、時々、どうしようもなくそういう衝動に駆られてしまうのだ。
そういう自覚はないけれど、逃避願望でもあるのかもしれない。
今まさにそんな気分になってしまっていたわたしは、雑談に紛れて、悩みともつかないそれを打ち明けた。
相槌を打ちながらわたしの話に耳を傾けてくれていた彼は、殊更に楽しげな笑みを浮かべて「なるほど」と頷く。
「じゃあ、来月の連休はどこか遠出しようか」
「え?」
「ここではないどこかに行きたい――それならその欲求を満たせばいい。今日今すぐにとはいかないけど、旅行の計画を立てるだけでも少しは満たされるんじゃないかな」
事もなげにそう言うと、さっそくスマホをタップして旅行業者のサイトを開いた。
出張の多い彼はわたしとは比べものにならないくらい旅慣れているからか、驚くほどフットワークが軽い。
ぽかんとするわたしを置き去りに、混雑しそうな場所は避けた方がいいなとか、この時期ならこの地方のこれが美味しいとか、ここではこんな催しがあるとか、わたしが興味を抱きそうな場所をあれこれピックアップしていく。
「それとも具体的にどこか行きたいところとかある?」
「ううん、特には」
「じゃあ、今ここで上げた中で行ってみたいなと思うところは?」
「えーと……」
誘導されるまま絞り込んでいく内に、わたしの中にあった漠然とした「ここではないどこかに行きたい」という気持ちが「ここに行きたい」という具体的な要望に変化していく。
そうすると、これまではそんな気分になる度にどこか心許なさを伴っていたというのが、不思議なことにまるで霧が晴れるが如く綺麗に払拭されていってしまった。
「うん? どうしたの、そんな狐に抓まれたような顔して」
「だって、長年の不安な気持ちが一瞬で解消されちゃったんだもん。そりゃあ、そんな顔にもなるよ」
「そう? ああ、でも、そうかもしれないな。自分のことほど分かりにくいものだし。第三者の立場だからこそ見えることもあるだろ」
そう言って笑いながら、彼はどんどん旅行の計画を立てていく。
今度はわたしも口を出して、思いつくまま希望を言ってみた。
それに対し、彼は叶えられるものとそうでないものを丁寧に説明してくれる。
そうして、次の連休までもう1ヶ月切っているというのに、移動手段や穴場の宿などを実に手際良く決めていく。
穏やかな人柄ゆえか、日頃はどこか頼りなくすら感じていたというのに、今日の彼はいつになく頼もしい。人には得手不得手があるものだけど、こういうことはきっと彼に向いているんだろう。
こうしてわたしの悩みは無事に解消され、次の連休はここではないどこかへ彼と赴くことが決定した。
次にまたあの感傷にも似た思いに駆られたら、また彼に相談しよう。
そうしたら、わたし専属の素敵なガイドさんは、きっとまた魅力的な旅の提案をしてくれるに違いない。
今日のテーマ
《君と最後に会った日》
彼女と最後に会ったのは祖母ちゃんの葬式の日。
桜の蕾が膨らみ始めた、春もまだ浅い頃。
一緒に暮らしてた俺達家族は、日に日に弱っていく祖母ちゃんを目の当たりにしていて心の準備ができていた。
亡くなった時も、もちろん悲しさや喪失感はあったけど、心構えができていた分、動揺も少なかったんだと思う。
けど、離れて暮らしていた彼女にとっては寝耳に水の出来事だったんだろう。
叔父夫婦もまだ高校生の彼女には祖母ちゃんの容態を詳しく話していなかったらしい。
棺の前で泣きじゃくりながら、休みの度に見舞いに来ればよかったと後悔の言葉を重ねていた。
彼女は小さい頃から祖母ちゃんっ子で、夏休みや冬休みはしょっちゅう家に泊まりがけで遊びに来ていた。
一人っ子の俺にとって、彼女の訪れは妹ができたみたいでとても嬉しかったし、弟しかいなくて家では姉の立場の彼女にとってもまた俺は兄のような存在だっただろうと思う。
だけどそんな交流も彼女が中学生になると同時にすっかり頻度が減ってしまった。
彼女の所属している部は県大会突破の常連校で、土日はおろか夏休みや冬休みも部活動の練習があってなかなか休めない。
たまに休みがあっても、そこは年頃らしく友人達とのつきあいを優先させるのが普通である。
小学生の頃ならまだしも、自転車でもバスを乗り継いでも20~30分かかる親戚の家に、そうそう頻繁に足を運ぶことはなくなっていた。
葬式を終え、火葬も済ませ、親族一同での食事の時も、彼女はずっと啜り泣いていた。
隣に座る叔母が宥めるように背中を叩いてやっても、反対隣に座る弟が心配そうに声をかけても、その涙は乾くことはない。
こんなことならせめて祖母ちゃんの容態を知らせておいてやれば良かったと、俺は少し離れた席から様子を窺いながら激しく後悔した。
最近は意識も混濁してることが多くて、見舞ったとしても祖母ちゃんと話せるわけでもなかったけど、それでも彼女はきっと見舞いたかっただろうし、そんな祖母ちゃんを目の当たりにしていれば俺達家族みたいに心の準備をすることが叶っただろう。
可愛い妹分をこんなにまで泣かせてしまった一因が自分にもあるんじゃないかと、そんな罪悪感に苛まれてやまない。
だから俺は、彼女達一家が帰る前に少しだけ話す時間を取らせてもらった。
「ごめんな。祖母ちゃんのこと、連絡しとけば良かった」
「ううん、お兄ちゃんが謝ることない。わたし、入院してるって聞いてたのにどんな容態なのかも聞いてなかった。お見舞いにだって行こうと思えばいつでも行けたのに……」
「部活忙しいんだろ。しょうがないって」
「それだけじゃないの……それだけじゃなかったから……お祖母ちゃん、ごめん……ごめんなさい……」
また泣き出してしまった彼女の頭を子供の頃みたいに撫でてやりながら、何となく腑に落ちた。
彼女は、たぶん祖母ちゃんを見舞いたかった。でも、それを躊躇う何かがあったんだ。
たとえば祖母ちゃんかうちの母親と些細な喧嘩をしたとか、そんな、来づらくなるようなことが。
「おまえのせいじゃないって。そんなに泣いてたら、祖母ちゃん、心配で成仏できないぞ」
「でも……ううん、そうかも……そうだね、お祖母ちゃんのためにもこんなめそめそしてちゃ駄目だよね……」
俺の言葉が響いたのか、必死で涙を堪えようとする。
その健気な様子がたまらなく愛おしくて、何だか妙にそわそわと落ち着かない気分になってきた。
最近会ってなかったから、すっかり女らしく成長していたことに今更気づいて狼狽えたのもある。
ずっと小さな妹のように思ってたのに。
いやいや、落ち着け、俺。
子供の頃から兄妹みたいに過ごしてきてたのに、その俺がいきなり女として意識し始めたなんて、そんなこと気づかれたら気持ち悪がられて引かれるのは間違いない。
こいつは妹、俺にとって可愛い妹。
でも従兄妹って結婚できるんだよな。
いや、だから、待てって! 節操を持てって、俺!
いくら彼女いない・彼女欲しいからって、そんな目で見たらこいつだって迷惑だろ!
やっと泣き止んだ彼女を叔父一家の元へ連れていって送り出し、俺は何だかひどく落ち着かない気持ちを抱いたままその後の日々を過ごすこととなった。
あれから3年の月日が流れた。
祖母ちゃんの葬式から程なく、俺は地元を出て就職した。
GWや盆暮れ正月の帰省も県を跨いでの移動が面倒で頻度は少なく、法事の時は彼女が部活の関係で来られなかったりで、結局あの日以来会ってない。
そして今日、従姉の結婚式で、久しぶりに顔を合わせた。
大学生になった彼女はもうすっかり大人の女性然としていて、着飾った姿が目に眩しい。
久しぶりの挨拶を交わした彼女から「お兄ちゃん」ではなく名前で呼ばれ、そのことが益々俺を落ち着かない気分にさせる。
この再会を機に程なく交流を再開した俺達は、それから暫く後に、彼女による猛攻を経て関係を改めることとなる。
そして、彼女が祖母ちゃんの見舞いに来れなかった理由が、俺に彼女ができたと勘違いしたことによるものだと知るのは更にその後の話。
一緒に墓参りに行った俺達を見て、きっと天国の祖母ちゃんは「やっとくっついたか」と笑っているに違いない。