tiny love
桜が舞っている。空は少しどんよりとしていて、灰色がかった色をしている。そんな中、私は初めて中学校の門をくぐる。
ブカブカのブレザーと、長いスカートはいつこのサイズに合うようになるのか....なんて、少し困ってしまう。身体に合わない制服を少し恥ずかしく思うけど、周りのみんなも同じようにブカブカの制服で、羞恥心が少し和らぐ。
案内に従って教室を目指す。
古い校舎に足を踏み入れると、ギシ、ギシと、足音とともに軋む音が響く。配管が剥き出しの壁はヒビが入っていて、校舎がとても古いものだと物語っている。南海トラフが起きたら真っ先に潰れてしまいそうだと恐怖を感じながらも、最上階の1番奥の教室を目指す。
たどり着いた廊下も、歴史を感じる壁に囲まれ、人がまばらに集まっている。教室の入口付近に男の子たちが集まっていて、入りにくさを感じながらも足を動かす。
男の子の集団の中に、猫背な男の子を見つけた。
私は胸がキュッと締まるのを感じた。
周りより少し背の高い男の子は、背が丸くなっていて、横から見てもわかる、丸いほっぺたをしていた。ニコニコと笑う姿は向日葵も恥じらうほどに眩しかった。
私はその横顔に、笑顔に、懐かしさを感じる。
幼稚園で仲良かった男の子だった。特に仲良しな男の子。そう思っていた。
あのころと同じように跳ねる鼓動を感じて、妙に納得してしまった。
私は彼に、小さく淡い恋心を抱いていたことに気づいてしまった。この気持ちが、大きく、そして醜くなることを知る由もない私は、この気持ちとこの瞬間を、優しくくるんで胸の中に置いてしまった。
終わらない問い
いつも頭に浮かぶのは同じ顔。
どこにでもいそうな、平凡な顔。
そこら辺にいる、少し素行の悪いクソガキ。
夜中に走る車も、夜になると沢山いるうるさい車の1つ。
今までの人と同じように、愛を囁いて離れていった。
顔が好きだと、そう言った。
中身を見ずに外側の殻しか見ない、元恋人の1人に過ぎない。
それなのに、どうして....。
あなたに恋してしまったのだろう。
あなたしか見れなくなってしまったのだろう。
揺れる羽根
風が吹く。
その風に乗り、1話の烏が青空を切り裂くように横切る。その翼は黒く、羽根の1枚1枚が太陽に照らされてツヤツヤと濡れたように光る。
烏は山へ降り立った。
野生の生き物と言葉を交わし、木漏れ日を浴びながらスイスイと木々の枝葉を避けて飛んだ。
一声鳴くと、辺りに響き声が帰ってくる。
風が優しく吹き、烏の羽根を優しく揺らした。
烏は海を羽ばたいた。
黒い翼は水面に反射し、水面下の生き物に目もくれずに飛び続けた。太陽の日差しが増し、濡れた羽根も煌めきが増す。
一声鳴くと、どこまでも遠くへ声が響き渡る。
風が強く吹き、烏の羽根を激しく揺らした。
烏は都会にたどり着いた。
所狭しと並んだ建物を下へ避けながら、広い空を悠々と翼を大きく広げて羽ばたいた。
地面に這い蹲るように居る二足歩行の生き物が有象無象にいる。奴らは狭く暗い地面を歩き、下を向いていた。青く広い空を見上げることはなかった。
なんともったいない
烏は二足歩行の動物を憐れむように一声鳴くが、都会の騒音に呑まれ声は消えていった。
バシッと音がして、烏は落ちた。透明の何かにぶつかり、そのまま真っ逆さまに落ちていった。
窓と地面からの衝撃で、烏は路上で息絶えた。
かわいそうに
気持ち悪い
二足歩行の動物は烏を憐れみ侮蔑の視線を向け、その声は意識が遠のく烏の脳内に響く。
時間が過ぎ、烏の身体は温度を失い固く固まっていった。
風が冷たく吹き、烏の羽根は揺れることはなかった。
無人島に行くならば
無人島に行くならば、私は何を持っていこう。
無人島に行くならば、荷物は全て捨てていこう。
無人島に行くならば、大切なものだけ持っていこう。
無人島に行くならば、思い出をたくさん持っていこう。
無人島に行くならば、それ以外は何もいらない。
思い浮かんだメロディを口ずさみながら、私は荷物を整理していた。
要らないものは捨てて、捨てて、捨てて....。
カバンに収まったのは寝巻きとタバコ。あとはいつものお財布やポーチなどこの家に来る時いつも持ってきたものだけだった。
ゴミ箱のないこの家にあるのは大きなゴミ袋。私のものがあった場所はただの空間になっていて、そのゴミ袋に詰め込まれていた。
カチッと火をつけ煙を吐くと、少し頭がぼんやりとする。
そのぼんやりとした頭で、ぼんやりとソファーに座り、ぼんやりと部屋を眺める。
2人でソファーに座りたくて、“おいで”と言われたくて床に座って、ソファーに座るあの子の顔を見ながらタバコを吸った。結局欲しかった言葉は無くて、おいでと言って欲しかったと拗ねたように伝えると、「そんなに座りたかったら勝手に隣に来いよ。」と呆れたように言われた。
それでもベットに寝転んだあの子はソファーに戻ってきて、片膝を立てて背もたれに添わせ、私の座れる場所を作ってくれた。
でも“おいで”とは言ってくれないあの子は意地悪で、空いた空間はあの子の優しさが詰まっていた。そんな思い出がある。
でも、このソファーは、持っていけない。あの子のものだから。
ベットに6月末なのに季節外れな冬用の掛け布団。暑がりなあの子と、寒がりな私。
あの子は4月末には暑いとエアコンをガンガンにかけて寝ていた。私は寒くて、震えていた。でも、あの子の隣で寝たくて、あの子の腕の中で寝たくて、我慢しようと思った。
あの子は私を布団でぐるぐる巻きにして、暑いといいながらも抱き寄せてくれた。
あの布団が今でも片付けられないのは、あの子の物言わぬ優しさだと思う。そんなあたたかな思い出がある。
でも、この布団は、持っていけない。あの子のものだから。
手元に残ったタバコは、あの子のタバコの匂いがした。あの子が吸うのと同じもの。このタバコを吸いながら笑うあの子を思い出す。
あの笑顔の記憶と、タバコの匂いと、タバコは私のもの。だから、持っていける。
カバンに入れた寝巻きを取り出して、ギュッと抱きしめる。あの子の匂いがした。少しタバコ臭いこの匂いはきっと、いつも私を抱きしめて寝てくれたせいだ。
この匂いと、優しさと、寝巻きは私のもの。だから、持っていける。
もう一度タバコに火をつけて、さっきのメロディを口ずさみながら、続きを歌う。
無人島に行くならば、大切なものだけ持っていこう。
無人島に行くならば、思い出をたくさん持っていこう。
無人島に行くならば、それ以外は何もいらない。
無人島に行くならば、もっと気持ちが楽だった。
無人島に行くならば、こんなに悲しくならなかった。
無人島に行きたかった、監獄なんかに、実家になんか行かず。
監獄に行きたくない、あの子といたいから。
監獄に行きたくない、悲しいから。
あのこと離れることが、何よりもの地獄。
君が紡ぐ歌
少しひしゃげた歌声が響く。
少し古びた曲調が響く。
少し音のズレたコードがギターから響く。
全て貴方から響く音だった。
全て貴方が教えてくれた曲だった。
真冬の河川敷で、少し震えながらギターを鳴かせ、枯れそうになりながら声を響かせる。
そんな貴方と、震えながら隣にいる時間が何にも変え難い幸せな時間だった。
貴方の鳴かせるギターのコードは音程がズレていて、辺りを歪める。歪みきった辺りを1本の剣のように貴方の声は私の耳を、心を突き刺す。
満足気に歌い切り、カタカタと震えカツカツと歯がぶつかる音がする。それでも貴方は満面の笑みで、赤くなった指の痛みを感じていないようだった。
そっとカイロを渡すのは、私の役目だった。ありがとう。と笑って受け取る貴方を見る、特等席だった。
そうして、何度もギターを鳴かせ、声が枯れるまで貴方は私の隣で歌っていた。
今日も、あの日の動画を見つめる。
貴方の突き刺すような歌声は機械では丸くなってしまい、ギターの歪みはほとんど聞き取れない。
あの日と似ても似つかない歌が流れる画面には、寒さを堪えながらも嬉しそうに歌う貴方の姿があった。
私は、そんな貴方にカイロを渡せない。