涙の理由。
ぐす、ひっく。隣から静かに漏れる嗚咽、時折しゃくりあげる声を、どれくらい聞いていただろう。微かに震えるか細い体を抱き締めることすら出来ず、僕はただ、隣にいてあげることしか出来なかった。
プライドの高い彼女は、滅多に泣くことはない。けれどたまに、どうしようもなくなった時は、こうして静かに、堪えるように涙を流す。
そして、例え友人の僕であっても、泣いている理由を聞かれたり、同情されることを酷く嫌う。ので、こうしてただ黙って、落ち着くのを待っているのだ。
──隣にいるのが僕じゃなく、アイツだったら……。
チラつく言葉と、親友の顔を打ち消して、心の中で悪態をつく。しかし、どうしても思ってしまった。
好きなアイツになら、彼女も心の内を明かしているだろうに、と。
少しでも体を寄せれば触れてしまえるほど近くにいるのに、その事実だけで、そこら辺の道端に1人、取り残されたような感覚になる。なんと惨めだろう。
片想いしている女の子1人すら、慰めることが出来ない自分の情けなさと。ここにいれば、あっという間に彼女を笑顔に出来るだろう親友への羨望を抱え込んだまま。僕はただただ、彼女の啜り泣く声に耳を傾けるのだった。
ココロオドル。
やった!! やってやった!!
床に転がる鉄臭い肉塊を見下ろしながら、私はゆるゆると、口角が上がっていくのを感じていた。
待ち望んでいた復讐が、ようやっと果たされたことへの達成感。解放感。長年積み重ねてきた分、それらが一気に押し寄せてきて、人としての禁忌を犯した罪悪感などよりも、歓喜が血管中を駆け巡った。
柄でもないのに、赤色が滴り落ちるナイフを手にしたまま、その場でくるくると回ってみる。ダンスとは言えない幼稚な動きでも、今の私からすれば、パーティー会場で高貴な社交ダンスを踊っている気分だった。
復讐は誰の為にもならない、なんて、どこかの漫画だかアニメだかで聞いたような気がするが、そんなもの嘘っぱちだ。だって、私は今、最高に気分が良いのだから。
ああ、なんて、────。
束の間の休息。
カチ、コチ。時計の針が進む音。カリ、カリ。ペンが紙の上を走る音。無機質で、退屈な音だけが部屋を満たしている。
“勉強”、“進学”、“大手企業”。馬鹿みたいにそれしか言わない親から課せられた作業を、毎日夜遅くまで、黙々とこなす日々。
“窮屈”、“退屈”。私の体は、この2つの言葉で作られていると言っても過言ではなかった。いつまでこんな生活が続くんだろうと、絶望した時もあった。
しかし、最近、ちょっとした“休み方”を覚えた。
そろそろかな。ソワソワして、勉強机に置いていたスマホの画面を、ながら見しながら適当にペンを走らせていたら。画面が明るくなって、ポコン、メッセージをお知らせする通知が現れた。
その瞬間、私は引ったくる勢いでスマホを掴み、簡素な返事だけ送った。勉強道具をテキトーに片付け、電気も消し、“退屈な私”の店仕舞いをした。バレないように、いつもこっそり準備している小さなリュックをクローゼットから取り出す。
すっかり寝静まっている家の中を、まるで泥棒のように足を忍ばせ進み、玄関を出た。家の前には、最近出来た“悪友”が悪戯っぽい笑みを浮かべて、ひらり、手を振っている。
それに私も同じように応えた後。少し離れた所に停めてくれている親友のバイクへ、2人して駆け出した。
たった数時間。終わればまた朝がきて、憂鬱な毎日が始まってしまうけれど。
今、この時だけは。私の時間は、私だけのものになる。
力を込めて。
鉄臭い血の匂いと、咽せ返る土の匂い。戦いの衝撃で崩落した瓦礫の中、仲間の元へただひた走る。
魔王の振り下ろした刃先が触れる寸前、滑り込み、剣で弾き返す。そのまま反撃に移った。が、難無く防がれ、ついでに、とでも言うように吹っ飛ばされた。
地面に叩き付けられ、衝撃で肺の空気が全て吐き出された。体が軋む音がする。仲間の悲鳴と、魔王の嘲笑が重なり合う。
怖い。逃げ出したい。もう戦いたくない。
頭にチラつく弱音を、雄叫びで誤魔化した。それでも、今にも剣を取り零しそうな手の震えは止まらない。
本当は、こんなことなんてしたくなかった。戦いとは無縁で、のどかな生活を、ずっとしていたかった。
怖くても。体がもう限界だと警鐘を鳴らしても。母さん、と泣け叫びたくても。勇者の血、とやらの責務だけで、僕は全てを押し殺さなければならない。自分の為ではなく、皆の為に、世界の為に。最後の力を振り絞って戦わなければ。
例え、この身が砕けようとも、魔王さえ倒せればハッピーエンドなのだ。
それが、皆が、世界が。僕に……勇者に負わせた、役目なのだ。
過ぎた日を想う。
あなたが初めて声を掛けてくれた、学校での帰り道。
同じ趣味を持っているのだと分かって、ぐっと距離が縮まった。
何度か季節が移り変わったある日、教室で想いを告げてくれた。
夕日のせいなのか、それとも、あなたの顔が熱を持っていたのか。今となっては思い出せないけど、“かわいい”と思った。
何回目かのお家デートで、どちらからともなく唇を寄せた。
ファーストキスはレモンの味、なんてどこかで聞いたような気がするけれど。チョコレートのように甘かったのを覚えてる。
些細なことで喧嘩をしてしまった、あなたが出て行ったドアを呆然と見詰めた。
どんどんヒートアップして、本当は思ってもいないことまで口走ってしまった。明日、たくさん謝ろう。そして、仲直りのデートをしよう。
額縁の平たい面から、こちらへ笑いかけるあなたの頬を撫でた。
あれからもう、何年も経ったというのに、自分の心はあなたから離れられないでいる。
あの時、遠慮なんてしないで、すぐに謝りに行っていれば。こんな気持ちはしないで済んだだろう。もうどうしようもないことなのに、懲りないわたしは、何度も考え、何度も違う未来を思い描いていた。
今日もわたしは、わたしの大好きな、あなたの笑顔を探している。