『10年後の私から届いた手紙』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あなたへ
あなたには大事な人ができます
笑顔が素敵で優しい人です
その人は、生涯をかけてあなたを幸せにすると誓うでしょう
あとはあなたの信じる心ひとつが必要です
きっと、きっと、幸せになってね
10年後のわたしより
10年後の私は今なにをしていますか?バドミントンしていますか?働いていますか?それとも家族と共にゆっくり家で過ごしていますか?10年若い私にはまだわかりません。
ですが、甘い食べ物の食べ過ぎや頼まれたことで無理をしないでいてほしいです。
『行け』
手紙だ。突然届いた。今時手紙なんて珍しい、どこの誰が寄越したのか。差出人不明、文章はあまりにも淡白な一言。行け、と。どこへ?
筆跡に見覚えがあった。完全に俺の字だ。本人が言うのだから間違いない。ただ、こんな手紙を自分宛に出した覚えは無い。日付が書いてある、過去の自分が書いたのだろうか。いや違う。
2033/2/15
未来の自分だ。さしずめ、10年後の俺から届いた手紙とでも呼ぼうか。彼はどこへ俺を導くつもりか。記憶を探る。思い付いたのはたった一人。
幼馴染がいた。最近話していなかったが、たった今連絡が来た。『家で会えない?』。俺は、勉強が忙しいからまた今度と送った。もう夜だ、こんな時間じゃなくていいと思った。
嫌な予感がした。勿論、こんな手紙を鵜呑みにするのは馬鹿だ。分かっている。ただ、確かめるだけ。誰にでもない俺自身へと言い訳する。
俺は、急いで部屋を出て幼馴染の家に行った。向こうの家族が驚いていたが、一応謝罪だけして彼女の部屋へ突っ切った。
その瞬間、目を疑った。
天井に不気味な縄が釣ってあったのだ。
自殺するつもりだったらしい。きっかけは両親の喧嘩。更には受験シーズンとも重なってプレッシャーによるストレスも積もり、安心出来る居場所が無くなった事。唯一頼りにした俺にも断られ、相談できず死を選ぼうとしたのだという。
受験が終わった。無事二人とも合格し、一緒の大学に通い、同棲するようになった。付き合い始めたのはほぼ自然の流れだった。
あの時、10年後の俺は何を思いながら、あの手紙を書いたのだろう。俺が行かなければ今彼女はこの世にはいない。ならば彼女が死んだ世界に生きるであろう俺は人生最大の後悔を胸に手紙を綴ったのだろうか。
手紙は偉大だ。たった2文字で人生を大きく変えて、人生最大の幸福を届けてしまえるのだから。
俺は筆を執る。そうだな、母親にでも今から手紙を書いてみようか。少し迷ってから俺は書き出した。「最近どうですか?」いや、やめた。
『元気』
これだけでいい気がした。
10年前の今のわたしへ
10年前の日記を見てほほえましくなりました
私はChatGPTに夢中だったんですね
ショートショートが書けるなんてすごい
とか
定型詩は書くのが難しいみたい
とか
なんだかすごく原始的に遊んでいてほっこりしました
詩はいま、AIから人へ与えるものになっています
古今東西の詩歌を機械学習し
あらゆる学問を取り入れ
人間の心の琴線の音階が解明されました
俳句の二物衝撃
ロートレアモンの解剖台の上のミシンとこうもり傘
詩情の謎は解明され
失敗も推敲もなくなりました
太古に祈りで治していた病を
医学で救うようになったみたいに
AIが紡ぎ出す確実に素晴らしい詩
たまにしかふるえなかった心の琴線が
今はずっと鳴り響いています
どうかわたしが静かに詩をつくれる場所を見つけてください
#10年後の私から届いた手紙
小学生の頃に学校の授業のなかで、10年後の自分に届くハガキを書いた。慣れの大仏様のもと保管され、大人になった自分へ届くと言ったものなのだ。しかし、いざ届いてみると何の気持ちも湧いてこなかった。それはきっと実感というものが、その時分の私にはなかったからだろう。その当時というのは、先の記事でも触れているが元々は反社の人間だった主要メンバーが営業をしていた会社に勤めていた。毎日怒鳴られ殴られ蹴られる日々、職長になってからは管理不行き届きだと絞められた。部下のミスは全てが責任者が背負うものだと、ケジメをつけさせられた。痣私の身体からが絶えることはなく、時には見せしめとして皆の前で殴られることもあった。そんな環境のなかにあって、きっと同級生やそれこそ同世代とも違う時間を生きていた私には自由も娯楽も何もなかった。外出を許された時には同僚と公園に行きバスケをしたり、喧嘩ではないがスパーリングとも言えないようなゲームをしたりした。たまに公園や外出先で同世代を見かけては、その自由を羨んだ。
求人を出していたのであろう、確実に少しづつ従業員は増えていくが私たちの環境に変化が訪れることはなかった。新しく加わった従業員は、住み込みだが別のアパートを用意されており給料も貰っていた。それ故に、同じ会社の仲間とは思うことが出来なかった。仕事ではそんなもの関係がないことは心得ている為、協力し合い笑いあっていたが仕事外では一切の絡みを持つことは無かった。私たちとは違う世界に住んでいることが羨ましく憎くもあったこと、現場では私たちはペットボトルに入れた水を飲んでいたが自販機で買った炭酸ジュースを美味しそうに飲む姿が目に写ることも要因ではあった。社長に私たちの現状を口止めされた訳では無いが、新規メンバーに話せばいつか社長の耳にも伝わるだろうことは容易に想像できた。暗黙の了解とでも言うか、古参メンバーは内々だけで愚痴を吐いては慰めあっていた。しかし、私の中では古参メンバーも仲間という意識はなかった。私がこの会社の体制に疑問を持ち、給料未払いや暴力について異議を唱え退職を申し出たところで彼らもまた私の敵に回っていたことがあったからだ。それはまるで一種の洗脳のような状態にあったのかもしれないと考えるのは、彼レから言わせてみれば住む家とあたたかい風呂や食事があるだけ幸せなのだそうだ。また、彼らの境遇もその思考に加速をかけていたのだろう。中年のメンバーは元々ホームレスやそれに近い状態にあった者がおり、若いメンバーでは親に捨てられた者や事情が会って地元を離れた者がいた。そんな彼らからしてみれば、暴力という力で支配された環境も生きていくには何ら不自由のないものだったのかもしれない。
一度職長を任せられてからというもの、社長をはじめ幹部から評価されたのか行く先々で職長や責任者を任せられた。当初は名ばかりで責任の押しつけのようだったそれも、次第にしっかりしていった。現場の状況報告もそれまでは日に何度も連絡しなければならなかったが、帰社したタイミングや夕食のタイミングでながら伝えでも済むようになった。作業人員を増やしたいときは連絡をして状況を伝えだが、怒鳴られることもなくなり二つ返事で快諾されるようになっていた。責任者として半年ほど過ごした頃、部長が事件を起こした。夜勤専従でプラントに入ることになったとき、そのメンバーを決めるのも社長は私に意見を仰いでくれた。そして部長が他の現場でポカをやって仕事がないから助けてやってくれと社長に頼まれた為、部長もメンバーに加えた。それまで日勤で入っていた私たちも夜勤専従ということで初めての夕方出勤に備え、生活リズムを変えるなど環境整備を徹底した。急な生活リズムの変化は体に不調や事故や怪我のリスクが高いことから、3日ほど順応期間を設けた。もちろん、夜勤になって加わるメンバーや日勤でやってきたメンバーにも通達した。部長にも三日間の順応期間を経て夜勤の作業に入る旨、備えて万全を期すようにと添えておいた。
四日後の夕方。現場まで二時間の道のりである為、17時過ぎに会社で借りている駐車場で集合した。ダブルキャブトラックのダイナとトヨタのカルディナの二台に、道工具を積み込み出発した。私はカルディナの助手席でメンバーにプラントの説明を済ませ談笑をしていた。すると現場まであと三十分という所で、後方を走るダイナのメンバーから連絡が入った。聞くに、部長が酒臭い気がするという。あと二十分も走れば右手に自販機が5台ほど並んだ空き地があるので、そちらに停車して確認してみようと伝え電話を切る。直ぐに社長へ連絡し状況を報告、二十分後に再度連絡する旨を伝えた。
泥酔していた。空き地に到着し、ダイナが来るのを待つ間というのは様々なストレスで吐きそうになっていた。夜勤移行の初日であり、人員を欠くことは出来ないという状況であるにも関わらず部長が酒臭いという。管理不足だと社長に絞められるかもしれないと思うと、気分がずんと重くなるのを感じた。というのも、評価され信頼を得たのかここのところはとても可愛がられていた。社長が買い物に行く時には付き添いを命じられ、酒などを好きなだけ与えてくれていた。それがまた元通りの過酷な日常に戻るかもしれないと思うと、立っているのも辛かった。
ダイナが遠くに見えた時、どんな状況なのかと無意味な想像してはどうしようかと考えを巡らせた。ダイナが停車して、運転していたメンバーや乗り込んでいたほかのメンバーが降りてくるなり臭いという。部長は後席で横になって眠っていた。ドアを開けた瞬間に酒の臭いがする。恐らく日本酒をたらふく飲んだのだろう車内に充満したなんとも言えない臭いに吐き気がしたが、躊躇わず部長を起こしにかかる。起きたは起きたのだが、やはり酔っ払っていた。「寝てるんだ、起こすなよ。お前後で覚えてろよ」と捲し立ててくる。ストレスがグッとのしかかってくる。殴り掛かりたい気持ちを抑えて、務めて冷静に社長へ電話をかけた。「はいよ」と社長が電話に出た声を聞いて直ぐに謝罪と説明をした。しかし、「おめーは悪くねぇよ。むしろ俺が悪い。面倒を見てくれって言ったのに、こんな事になって申し訳ない。いま、俺らも向かってるから気にせず仕事してくれ。元請けには頭下げといてくれ。着いたら電話する」と社長は電話を切った。
二時間後に電話がなる。着いたから迎えに来て欲しいという連絡を受け、ゲートまで十五分の道のりを全力で走った。社長をダイナまで案内すると、全てのドアの鍵が施錠されていた。このプラントのプールで車の施錠は禁止されていることは全メンバーが知っているが、念の為運転をしていたメンバーに確認するとしてめいないという。鍵もグローブボックスにあるという。そこからは、社長や専務。常務や本部長とともに車体を揺すったり叩くなどしてぶちょうを起こした。鍵を開けろとさけぶ社長に驚いたのか部長は直ぐに鍵を開ける。ドアを開けた社長が部長の息の根を止めるのでは無いかと緊張したが、そのまま社長の車に蹴り飛ばして攫っていった。
翌日、夜勤明けに帰社して食事をしていると社長が目の前の席に座って「おはようさん。お疲れさん。大変だったな」と笑った。そして「車の中で五発くらい、たぐったから今は顔面がボコボコで合わせられないからまた今度詫びを入れさせるな」とサラッととんでもないことを口にした。以降は部長を現場に入れることはなくなったのは言うまでもない。
ここまで話すと最後には気を許してくれた社長の元で楽しく過ごしているように思えるかもしれないが、そんなに甘くはない。外出は近所の公園までで、いい大人がボール遊びをしに行くだけなのだから情けない。その辺の小学生の方がお金を持っているほどだ。そんななかで、心から楽しめるわけも安らげるわけもない。誰にも言わず、抜け出す計画を着々と進めていたのである。そのために信頼を築いてきた。二年と半年ほど、そうして心の中であれやこれやと考えて過ごしてきたのだ。
例えば、今私が十年前の私に声をかけるとするならば。手紙をあてるとするならば「なるようになる。なるようにしかならないから、今できることをできるだけしとけ」だろう。そして、きっ十年後から届いた私からの手紙にも同じことが書いてあるのだろう。私はこの生き方で生きてきた。この考え方で生きてきた。そしてどんな時も、結局は何とかなってきたのだ。その積み重ねの上に生きていて、十年後の私はその更に高いところで笑っているだろうさ。
『10年後の私から届いた手紙』
拝啓 10年前の僕へ
僕は未来のことについて何も言うつもりはない。
それはきっと、あなたもそう望んでいるでしょう?
僕が言いたいのは、ただ今ある縁を大切にしろ。ただそれだけ。
あなたは友人や家族を大切に思っているだろう?
僕もそうですよ。──今も昔も変わりませんね。
例え大切な人に忘れ去られても、どんなに置いていかれても、泣くな。笑え。それが僕の運命だから。
大丈夫、あなたはひとりじゃない。ずっと僕を見守ってくれる奴が嫌でも現れますから。
それだけは言っておきます。僕は運命を受け入れた。
だからあなたも、運命を受け入れてくれることを願いますよ。
それでは、また10年後に答え合わせをしましょう。
敬具
今、今その時を、生きていてくれてありがとう、あきらめないでくれてありがとう、今も思っているように、ありがとうを繰り返して、嬉しいことも悲しいことも一緒になんとかまだ生きています
『10年後の私から届いた手紙』
10年後の私はなにしてますか?
仕事をバリバリこなして社長になってたり
もしかしたら結婚して専業主婦
そんな幸せな妄想は自分がむなしくなるだけだとわかっている。
人生は自分が思った通りに運ばないのだから
想像するのは明日明るく生きていくため
誰だって希望があれば
彼氏とかいる?
年収いくら稼いでる?
てか、働いてる?
ニー活はすんなよ
10年後の私に宛てて書く手紙なんて
開くかどうかわかんないじゃない。
未来は今の延長線上にある。
一発逆転なんてそんな嬉しいことは無いのよ。
それでもまだ夢を見て、理想に浸って、
現実に突き落とされる。
前を見なくていいから下を見て、
積み上げてきたものがあるかないかの2択。
すぐ地面に足が着くうちは、やり直せるけど
いつかやり直せない時が来る。
下を見ても雲しか見えないくらい
高いところにいるなら、もう少し力抜いて。
ゆっくり歩くのも悪くないんじゃない。
私はもうやり直せない地面にころがった女から
立ち直れてますように。
自分の思いをSNSで発散しようとしても、
書いては消して、書いては消して。
もう自分の思いを吐き出すことすら躊躇するようになってしまった、
虚しいだけだから。
「10年前の私へ」
そんな言葉から綴られたボトルメールが私の島に流れ着いたいたのは、つい昨日のことだった。
最初は、奇妙に思った。こういうたぐいの手紙は普通、クッキー缶なんかに入れて、手近なところに置くか、地面に埋めるかするだろう。しかも、10年「前」…「後」ならともかく、「前」ならば、絶対に届かないではないか。
しかし、内容を見て言葉を失った。それはいわゆる「遺書」だった。「今の私は幸福で、恵まれているつもりだけど、あなたの望んだとおり、やっぱり死ぬつもりだ」というようなことが書かれていた。
日に焼けて茶色くなった紙の最後に、名前らしきものが書いてあった。苗字なのか名前なのか。恐らくこの海に漂っているのなら、大半は偽名だろうが、変に難しい字で、読み方が分からない。私の使う言葉と、同じ種類であるかも怪しい。
ふと、私はあるアイデアを思いついた。この名前を借りて、私も手紙を書いて流そう。
この島には、小さな家があり、私はそこで長らく独りきりで、前の持ち主の大量の蔵書を読むだけで暮らしていた。
しかし、この頃その生活に退屈していた。私も、何か書きたい。そう思って少し書いたが、私は自分の書いた陳腐な言葉が、特に誰かに読まれるわけでもなく、ただ部屋の隅に溜まっていくことに耐えられなかった。
だが、ボトルメールなら…書きっぱなしで手放すことができる。誰かが読んでくれるかもしれないが、読んでくれないかもしれない。しかし、所在なさを吐き出すにはちょうどいい娯楽だ。
私には名前が無かった。色々考えたが、結局いい名前をつけることが出来なかったのだ。今、不思議とこの奇妙な名前を気に入りつつもあった。少し借りてもいいだろう。この難しい名前の主は、もうとっくに死んでいるだろうから。
詩でも物語でも日記でも、なんでもいい。私の疲れ衰えた脳みそが知りうる限りのことを全て使って書こう。どうせなら、色んな人や物になって書こう。私以外の何者かになって書こう。その方がずっと面白くて、楽だ。
私は幼いころの夏休みのような気持ちになった。漂流物のストックから手頃な瓶を選び、しまい込んでいたペンとノートを取り出した。
そうだな、まずは…
「大丈夫、君は成長しているよ」。
今朝届いた私宛ての手紙には、ただその一言だけが記されていた。
“ハロー、元気ですか?”
“私は今もなんだかんだで楽しくしてますよ”
“今までで何もないと言うと嘘になりますが、君が思っている以上に世界は楽しいですよ”
“何かに躓いたり、投げ出したくなった時は一歩下がって深呼吸してみて”
“そして上を見上げてごらん”
“ ほら、空はとても広いでしょ?”
“君がいる場所だけが全てではない”
“少し下がるだけで世界はそれだけ広くなるんだよ”
“その景色を見たまま一歩踏み出してみようか?”
“アドバイスはここまで”
“それじゃあ、10年後の君からでした”
“ばいばい”
『10年後の私から』より
カシュッ。
風呂上がりのビールは頑張った自分へのご褒美だ。
愛用の座椅子にどかっと座り込み、ビールをグラスに注ぐ。グラスに満たされる黄金色の液体を見ながらも、目の端に入る一通の封書。
白い封筒の表には私の名前だけ、裏には《十年後の私より》と印字されている。
郵便受けに入っていた消印も住所もない異質な封筒。
(10年後っていうと35歳か…)
封筒をつまみぺらぺらと振りながら、泡の落ち着いたグラスに口をつける。冷えたビールが火照った体に沁みる。そのまま一息でグラスのビールを飲み干し、タンッと机にグラスを置いた勢いのまま封書の上部をビリビリと破り開ける。
三つ折りになった数枚の紙を取り出す。
恋人のこと、仕事のこと、離れて暮らす両親のこと、もしかしたら地球規模の天変地異とか…様々なことが頭をよぎり、紙を開く手が微かに震える。
目をつぶり、大きく息を吸って、吐く。
開いた手紙は印字の横書きだった。
《10年前の私へ》
そのまま読み進めていく。
《私は今、とても幸せに暮らしています。それは不幸のどん底にあった私を救って下さったとある方との出会いがあったからです。この手紙もその方のお力で届けることができています。この手紙を送ったのはもっと早くこの方と出会えていれば不幸な思いをすることもなかったはずと深く後悔したからです。その方に》
私は読むのをやめ、重なった他の用紙に目を移す。
ツルツルで厚みのある光沢紙には温かい笑顔を浮かべた栄養状態の良さそうな壮年男性、水晶のブレスレット、金色の置物…。
「詐欺かいっ!!」
次の日、警察に届け出た。
10年前のあなたへ
あなたが好きでした。
10年前の私は、あなたと毎日すれ違うこと
あなたと話すことが嬉しかった。
けど、気持ちを伝えることもなく
高校卒業し後悔しました。
10年後の私から
10年前のあなたへラブレターを送ります___。
あなたが好きです。
家に帰るとお母さんから手紙を渡された。
「あんたに手紙が届いとるで。
ただ、切手代が普通より高いけどなぁ?
返信するなら、間違えてますよってそれとなく伝えてみんさい。」
『手紙?
手紙くれるようなまめな友達、おらんはずだけど…。
あ~…、先生とかかな。
ありがと。』
宛名はたしかに自分宛で、大人の綺麗な字で書いてある。やっぱ先生か。誰だろ?
差出人を確認したくて、本文よりもまず差出人の名前を探した。
…?自分…??
自分の字にしては…、整いすぎてる。
普段の荒れ狂った字を真似されても困るけど、イタズラするなら多少真似ればいいのに。
《急にこんな手紙ごめん。
あと、挨拶書こうにも過去の自分に宛てた手紙で、なんて挨拶すればいいのか分からなかったからやめといた。
私は10年後の君です。嘘っぱちに聞こえるかもしれないけどほんとなんだ。
君は今、大学受験真っ只中の18歳だね。
とても今、苦しかろう?
動物感覚って本、分かるだろ?
急にいくら読んでも先に進まなくなったろ?
何度も借り直して、読み終わろうとしたよな。
けど、読み終わらなかった。
そして誰にも言ってなかった秘密。
文字、読めなくなったろ。
文字が大小に重なって、なんて書いてあるか読めなくなったよな。
受験生なのに問題文が読めなくて、学年順位が下から数番目になったはず。
辛かったろ。
只でさえ自分は死刑囚で死ぬべき人間だって思ってるのに、文字さえも読めなくなった…って、思ってただろ?
ぜ~んぶ、知ってんだぞ?
10年前、全く同じことを経験したんだから》
驚いた。
ついこの前までの地獄の一端がそこに記されていたからだ。
誰にも言ってない、隠して何とか対処してた地獄の一端が。そこにあった。
《よく頑張ったよ。
冷静に分析して考えて、自分の感情は差し置いて皆と同じ地面を歩かせるために、地道に、けどめちゃくちゃ頑張ったんだよな。
ほんと、よく頑張ったよ。
そこでの努力は、10年後の自分にもちゃんと還ってきてる。大丈夫。
大学進学後も考えて、努力していくと思うけど、そこの努力もめちゃくちゃ自分に還ってくる。
しといた方がいいんじゃないかと思う努力は、時間かかってもいいからするといい。
ちゃんと、還ってくるから。
ほら、字、綺麗になってるだろ?
荒れ狂った字、治せないと思ってたもんな?笑
あの崖を登ってこれたのなら、もう大丈夫。
この先10年、いろいろあるけど、君が頑張ってくれたおかげで難なく進めるから。
自分にたてた誓い、覚えてるよな。
死なないこと。
まずは死なないことだ。
死にさえしなければ、大丈夫だから。
10年後から先のことは自分にも言えないけど、そこを乗り越えてる君なら大丈夫。
無理をせず、ぼちぼち進め。》
先のことは正直どうでもよかった。
あの壮絶な日々を認めて貰えただけで、知ってくれてる誰かがいてくれただけで、救われた気がした。
『ぼちぼち何て言われたけど、またしっかり頑張るかな!』
(いや、頑張りすぎるな、ぼちぼち行け!)
10年前の私へ。
あなたは、自分の気持ちを押し殺していることに
慣れすぎていましたね。
本心が、わからなくなりすぎて
したいこと、できること、せなあかんこと
探せば探すほどわからなくて
もがいていましたね。
その時間を大切にして、
逃げずに自分と向き合っていたからこそ
今の私がいます。ありがとう。
あなたの心が晴れる時は、まだ先だけど
必ず来るから心配しないで。
その時期はまだ話さないでおくわ。ふふふ。
しっかり今を生きるのよ。
10年後の私から届いた手紙
なにをそんなに悩んでるの。
今悩んでいることは、すぐに逃げることができるよ。
固執する必要はない。
周りは気にすることなく、自分や自分の大切な人を第一に考えて行動して。
過去の私は今元気にしていますか?元気に暮らしていますか?
未来の先行きは誰にも分かりません。
どうか無事に生きて、元気に平穏に暮らしています様に。
世の中が平和になっている事を望んでいます。
皆が未来を好きと言える世の中になっています様に。