『遠い日の記憶』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
<遠い日の記憶>
笑って泣いて自分の気持ちを
素直に言えずに
信じてもらいたくても
信じれないと言われた日
どん底になって思い出したくも
無いはずなのに
あの時一緒に聴いて歌った歌が
流れるとやっぱり
楽しかったあの日々に戻れたらって
思ってしまうよ
鍵のない扉は開かない
聲なき慟哭
大地を焦がすような陽射し
覚すことのない夢
断片を繋ぎ合わせて作った鍵
その扉は開けてはいけない
その好奇心は己を殺すことになる
#遠い日の記憶
〜遠い日の記憶〜
子供の頃5歳ぐらいだったろうか
泣き虫だった私
その日も泣いて怒っていた
たしかなんかが気に食わなかったんだろう
自分の思い通りにいかないとイライラするくせがあった
そして唇を尖らせ
泣きじゃくる
そんな時
「感情をそんな表に出さないの」
そう言われた
良くも悪くも素直だ
親に従う
それが始まりだったかもしれない
人の感情を読んで
空気を読んで
自分の感情と入り交じり
自分の意見さえいえなくなってしまった
いつも自分と相手が頭に浮かんでる
大人ならきっといい事とされる
でも子供の心も忘れたくなかった
今は波に揺られてるけど
そんな心を取り戻したい
あの頃ともう一度向き合いたい
あの日笑いあったこと。あの時傷ついたこと。
遠い昔の出来事になった。
思い出は、感情の抜けた「覚え」に変わった。
「遠い日の記憶」
ねえ、君はあの時なんて言ってくれたんだっけ。
/「遠い日の記憶」
遠い日の記憶と聞いてすぐ思い浮かんだのは小学生の頃のことです。
小学生の頃の私は毎日のように家の前の公園で遊んでいました。日焼けも気にせずただ無邪気に走り回って、今では想像もできない暗い真っ黒になっていました。日焼けを気にして夏でも長袖を着ているなんて想像もしていないでしょう。
孤独だった
周りがみんな敵に見えて
怖かった
だから敵が来ないように
高いたかい壁を四方に作って
本当の孤独になった
ある日そこからやはり出ようと思い立ったけれど
自分が作った頑丈すぎる壁が自分で壊せなかった
わたしは毎日必死で壁を壊した
びくともしない
これを越えるしかないんだ…
そこから毎日必死で壁をよじ登った
くる日も来る日ものぼって
何年もかけて壁の上にたどり着いた
つぎは、登った分だけ降りなきゃいけない
怖かった
疲れた
悲しくなった
でも、壁の上に登ったら
下からたくさんの声が聞こえてきた
待ってたよおかえり!
何してるの早く降りておいで!
ほらこのロープ使っていいよ!
あたたかかった。
敵じゃなかったんだ…
【遠い日の記憶】
遠い日の記憶
暇な日常生活を送っていると、毎日が同じことの繰り返しで特別記憶に残る事がない。
だから遠い日の記憶であっても、ついこの間のように思い出してしまう。
それが特別な記憶だったならなおさら執着してしまう。
ただ学生時代の記憶はあやふやだ。
学生の毎日は目まぐるしく変わるから、特別な記憶が上書きされていく。
楽しいことも嫌なことも辛いこともたくさんあったはず。それなのに覚えているのは、友人関係で悩みすぎて犬の散歩途中に道端で吐いたことだ。
あの頃は面倒だったけど、悩む程度には友だちがいたんだな。
いまは悩む友だちもいない。
あの頃からやり直したら、私の人生はなにか変わるだろうか。
「これが、猪。これは、ウサギ。ほんでこれは、鹿の足跡やな。」
手を繋いで土手の上を歩きながら、父は一つひとつの足跡の主を教えてくれる。これは、私の遠い日の記憶だ。
薄く白い霧の中。土手は集落の端で途切れている。ふだんなら、絶対に足を運ばない寂しい場所だ。
こんなところにわざわざ来る必要があったのだろうか。どうして父は、わざわざこの場所に私を連れてきたのか。
もしかしたら、あれは幻だったのかもしれない。意識のない父の横で、私はそんなことを考える。身体には、いくつかのチューブがつながれている。
私を支えてくれた日灼けした肌が、少ししぼんで見えるのが悲しい。父は、いつの間にこんなに歳を取ったのだろう。
無音の病室に、かすかに蝉の声が響いてくる。それを聞くと、故郷での遠い日の出来事が、まるで夢のように思い出される。
いや、もしかしたら本当に夢だったのかもしれない。あまり良好とは言えなかった父との関係を埋め合わせるために、仲の良い風景を脳が捏造したのではないか。
そんなことも考えた。しかしその記憶は、私の心にしっかりと根を下ろしている。
【遠い日の記憶】
君に連れられてここでピクニックをしたんだよ。
覚えてるかな?
あの日は雲ひとつない青空で、満開の花畑がすごく綺麗だったんだ。
君がお花で冠を作ってくれてね、嬉しかった。
それと友達と作ったんだって、クッキーを持ってきてくれたよね。
僕の好きなチョコレートが入ったクッキーでね、
すごく美味しくて僕が全部食べちゃったんだ。
そんな僕に、驚きながらも笑顔でまた作って来るねって言ってくれて、
その時僕ね、君とずっと一緒にいたいって思ったんだ。
─────ねぇ、もう一度笑顔を見せて
-遠い日の記憶-
『遠い日の記憶』
この先の未来を夢想し、
遠い日の記憶を辿いながら
今を生きよう。
遠い日の記憶
記憶もだんだん遠のいて
いくのは悲しい…
今に目を向ける
ことしかできない…
数少ない経験を
積み重ねて、いまがある
そして…明日がある
今も
いずれは遠い1ページに
過ぎない。
忘れていても…
心は覚えているから…
ふと…
記憶が戻る時もある
いまは
記憶喪失のよう…
でも…
いまは…それでいい
と自分に言い聞かせ…
きょうに感謝して
眠る…
ありがとう
遠い日の記憶
たった1年 やっと1年 もう1年か、
1年前に戻れたら私何をするんだろう
遠い日の記憶。
…頑張って頭の引き出しから探って見るけど、
中々見つけられないな。
みんなは、後悔しないように、その日その日のことを振り返ってみるといいのかもね。
父の浮気が原因で、専業主婦の母はキッチンドランカーと言われるアルコール中毒。
私は進学校と呼ばれる私立に通う高校生。
進学以外の選択肢はないと信じていた。
だから、ことごとく失敗した受験の結果で、専門学校に通う手続きは終わって、まもなく卒業。
入学式までの間は母と一緒に買い物に行ったり、料理をしたりして、母からアルコールを遠ざける努力をした。
4月。父は帰宅する事はなくなったが、給料の振り込みは変わらない。
5月。ゴールデンウィークは母と過ごす事を心がけつつ初めてのアルバイト。
6月。父、久しぶりの帰宅。母と喧嘩している様子。
7月。母がお酒を隠していた。ベッドの裏から発見。
8月。父の勤める会社が倒産。
お盆はいつも父の実家に帰省していたけれど、今年はどうするんだろうか?と考えながら眠りについた。
夢。
私の前に2本の道がある。
隣にはもう1人。私にそっくり。鏡に写したような私が言う。
「私は、片一方の道を選んで終わった先から来たの。
どちらを選んだかは言えない。でもね、私の人生やり直すならここかなぁって思っただけで、やり直したいとは思っていないのよ。」
夢だし。夢だから。
「私の人生って幸せ?」
鏡写しのような私は笑って
「ううん。ちっとも。だから、今チャンスをもらったのかなぁ」
と。どっちかの道を選んだら、幸せになれないらしい。
「学校を続けるか。辞めるか。って事?」
と、今の選択肢を問う。
「まぁ、短絡的に言えばそうなるかも知れない。そうじゃない選択も分かれ道がたくさんあるよ」と。
じゃあ、分かれ道はここじゃなくてもいいだろうに、私の未来を知る人は今、来たのだ。
「どうして今なの?」と、問う。
「お盆だから。」と。死んだ人はお盆に帰ると聞くけれど、本人に帰るのにもお盆は関係するのだろうか。
死んでみなければわからない事もあるのだろう。
「アドバイス的な何か。選び方とかは?」
こっちの道に進んでって言われた方が楽なのになって思うけど、どっちか言えないらしいかさ。こう聞くしかない。
「んー?どうなんだろうね?私の選んだ道は歩んで欲しくなくて来たけど、その先にも分かれ道がたくさんあったし。私は最善を選んだつもりだったんだけどなぁって思ってるから、いいアドバイスなんてできないや。」
あははと笑う未来から来た人に殺意を覚えたけれど、死んだらしい人はなんともないみたい。
「でもさ、生きてりゃ探せばいい事の一つや二つはあるよ?億万長者とか世界一の美人とかは無理かもしれないけど。幸せじゃない私の選んだ道にも一つは誇れるものがあるよ。」
専ら楽観的に生きてきた私と同じなそっくりさんは死んでも楽観的らしい。
「誇れるものって何?」と聞く。
鏡写しの顔の私は鋭く真面目な顔になって。
「それは進まないとわからないよ。今教えてあげたらダメな事だと思う」
夢なのに、途端に怖くて「そう…」としか言えない。
「お母さんは元気になる?」代わりにそう聞く。
鏡写しの私は
「わからないけれど。難しいかもしれないね」と、凄く凄く悲しい顔をする。今後、母がどうなるか想像がついた。悲しいけれど。
そうか。母の人生は母のもので、私のものじゃない。
私がそう考えたのがわかったのか、鏡写しのように私にそっくりな人は酷く優しい顔になって。
「ありがとう。」
そう言ったか同時に目が覚めて、いつもより少し早起きな事に気付いて、二度寝を決める。
次に目を覚ましたのは母が起こしに来たから。
お母さんに起こされるのは久しぶりだなぁと寝ぼけながらのっそり起き上がる。
お母さんは化粧をし、お出かけ着を着ていて、びっくりする。
どうしたの?って聞きたいのに声も出ない程驚いた。
お母さんは
「私。私の生きたいように生きるから。父さんの実家には行かないわ。あなたどうする?」
と。
そう言えば、私はお母さん似だったっけ。
風鈴。固いフローリングの上。吹き出す汗。
弟たちと無言で転がっている。
「お腹空いたなあ」
「勝手に下おりてパン食べたらあかんかな」
「あかんよ。パパに怒られるやん」
日曜日はいつも、親たちは昼まで起きてこない。
お腹空いた、とでも言いに行こうものなら、父が「ガキの癖に何様や」と、苛立って壁や私たちを殴るから、みんなずっと苦しいくらいお腹を空かせて待っていた。
辛かった。
殴られたり、裸で放り出されたり、土下座させられたり殺してやると言われ続けることよりも、あの耐え忍ぶ空腹の時間は本当に辛かった。
これは創作の話じゃない。
遠い日の記憶
「ずーっと友達だからね!」
そう言って笑ったあの子は"ずーっと"の意味を
どこまで信じていたのだろう?
あの子が命を落とした場所に
白く儚い花を置いた。
#遠い日の記憶
すなおになれなくて
わたしはいつもそう
あなたがあやまった
だれもわるくないよ
わたしのこころにも
あなたのこころにも
おなじキズがついて
ずっとかかえていた
きっかけがつかめず
くろいシミになった
ごめんねのひとこと
ただそれだけのこと
それなのにわたしは
いまだきえていない
シミをながめている
『遠い日の記憶』
テーマ:遠い日の記憶 #246
遠い日の記憶が蘇ってきた。
いや、これは誰の記憶?
俺はこんなの知らない。
でも妙にリアル……。
それになんだろう、視線が外せない。
これはなんだ?
金縛りか?
見ている景色は記憶なのか
現実なのかもわからなくなってきた。
声も出せない、
動けない。
ただソレを見ているだけ。
長編の映画を短縮して見るかのように。
※
♡3200ありがとうございます!
遠い日の記憶 散らかった部屋、かな
エレベーターに乗って、洗濯物を出しに行った、かな
雪の上に寝転がった、かな
楽しい記憶しかなくて…。
遠い日、わたしは外国にいた。
外国語で話していたらしいが、覚えていない。
お父さんは、軍に入っていて、
毎日血がついて帰ってきたんだって。
このままいっしょにいたら、悪い影響があるかも知れない。
わたしのことを一番に考えてくれた。
わたしはお母さんと日本に住んだ。
お父さんは外国だ。
それから2人の親は話さなくなった。
あのさ、楽しい記憶しかなくて、
少ししか覚えてなくて、
今では日本語しか話せなくて、
前のわたしが、
日本にくるとき、
お父さんと離れるとき、
今のわたしには理解できない言葉で、
3歳とは思えない大きな声で、
泣き叫んだんだって
置いていかないでって
幼稚園に通って、
ある日突然わたしは、
カタカナ英語になった。
それで、
その時の記憶は曖昧だが、
その後日本語に乗っ取られた時からは、
はっきりと記憶があるの。
あー、あの時、馬鹿みたいに写真撮って欲しかったな。
遠い日の記憶、
思い出せたかもしれないのに
あ
れ あの
時の
散らかった部屋の
あ
暗い部屋番号
幼稚園までは覚えていた
の に
あれ?
なんだっけ