『街へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【街へ】
大好きだって言ってたこの畑も
大好きだって言ってたこの公園も
大好きだって言ってたこの場所も置いて
君は大きな街へ出る
そっか 行ってらっしゃい 気をつけてね
年末位は帰ってきなよ
街へ行かなくても
自分を発信し
発見できる
そんな時代になりました
架空の街で出逢い 生活したままでも
充実はできるってわけ
何かに迷ったら
昔は難しい方を選べ なんていってたけど
今は試しに架空の街と リアルの街と
違う自分を生きて 生かして
交換すらできる
そう思えば
失敗を恐れず 新時代を
創れ 若者
街へ
天気の良い日も
雨の日も曇りの日も
スキップしながら出かけよう
お気に入りのスニーカーを履いて
いろんな人の声に
いろんな歩みに出会える街へ
学生の頃、街へ行くには電車を使っていた。
友達と遊ぶ為に出掛けるその場所は、街一番の駅。
駅前にはカラオケとかハンバーガー屋さんとかコーヒーショップにオシャレな洋服やバッグや靴が揃う駅ビルがあって、なんというか、キラキラして楽しい場所だった。
今、街に行くのに使うのは車だ。
街一番の駅も駅前もほとんど通勤で通り過ぎるだけになった。服もバッグも靴も飲食店も郊外で済ませている。駐車場代がかからないから。
郊外にもオシャレな場所は多いし、車移動は自由だし世界が広がったとも思う。
でも、時々、街一番の駅に電車で行きたくなることがあるのだ。
通り過ぎているだけの駅前を、一人そぞろ歩いてみたい。あの当時とはどこが違っているのかな、とか、まだキラキラした場所に感じるのかな、とか。
思うだけだけど。
「書を捨てよ、町へ出よう」
歌人である寺山修司氏の本であるのは知っていたけれど、家出のススメと謳うエッセイとは知らなかった。残念ながら書を捨てて町へは行きたくない。むしろ書をお供に町へ出たい。できたら知らない町の知らない古本屋で知らない本を一冊購入して、知らない喫茶店で珈琲一杯分読み耽りたい。想像するだけでワクワクする。
しかし本日のお題は、「街」なので少し違う。
言うなれば原宿の竹下通りや戸越銀座などの商店街が対象だろう。
今の土地に移り住んで2年近くなるが、未開拓の商店街はまだまだある。だが大抵は夕方から深夜にかけて賑わう店の並びのため、昼間に通り過ぎても静かなものだ。
もう数年してまだあるならば行ってみたいと思う。
赤提灯とネオンの並ぶ古き良き街へ。もちろん書はお供に。
お題:街へ
ピンポールの星、もしくは暗幕
他人顔の月の白々しいこと
断崖絶壁の谷底
灯は絶えることもなく、
否、絶やせよう筈もない
鳥篭よりも強固で冷たい断崖に孤独と棲まう
3.8cm/年、その距離はこの街から始まっている
底に沈んだ街に行き交う人、ひと、ヒト
きっと擦れ違う誰かはワタシの知らぬ誰かの大切な人、なのだろう
そこにワタシの大切な人はたった1人もいない
ひと、ひと、ひと、雑踏
迷子、孤独、焦燥、途轍もなく
ピンポールの星、もしくは暗転
他人顔の月の白々しいこと
足元が砂上と化す
ひと、ひと、ひと、雑踏
そこにたった1つもワタシの知るぬくもりなどない
冷たい断崖に孤独と棲まうホログラフィー
#街へ
あの人が住んでいる街へ行こう
合鍵を渡された特権を
フル活用しよう
あなたに寄り添って寄り添って寄り添って
限界を超えて寄り添って、
あなたは自分勝手に消えたの
ある日突然のメッセージ
「自分勝手だった」
あなたの残した名残りが
ほのか残る冬のヨル
私は思う
連絡くれてありがとう
テーマ《街へ》
何しに行くのか?
買い物?待ち合わせ?
それとも彼女とデートか?
目的は様々。人がたくさんいて、賑やかな場所だ。
街へゆく
街で働く
街から戻る
郊外の小さなマンションに戻って眠る
目を覚まし
街へゆき
街で働き
街から戻る
その繰り返し
その繰り返し
街には人がいる
それはたくさんの人がいる
街には仕事がある
だから俺のようなものも
なんとか仕事にありつける
俺は街へゆき
街で働き
街から戻る
働いた分だけ駄賃を持ち帰る
米や野菜を買うときは
近所の販売所へ行く
田んぼと畑に囲まれて住んでいるから
そこで穫れたのを金と換えてもらう
欲しい本があるときは
街の本屋に行って買う
思うに
田舎に住んで田んぼや畑をやる人は
自分で食うものを自分で用意できるのだから
ずいぶん気楽でいられるだろう
街に住む人は田んぼも畑もやらずに
本など書いて暮らしているのだろう
そして書いた本を売って得た金で
米だの野菜だのを買うのだろう
そして田んぼも畑もやらず
また本を書くこともしない俺のようなものが
街を出たり入ったり
世間はそんなふうにできているのではなかろうか
畑をする人と本を書く人
そしてそのどちらもしない俺
世間にいるのはそれだけのことかもしれない
夜の街は危険だ。
人通りが多いところでもキャッチが多くいるし、人通りが少ないところだと奇声を発してる人やおかしな人もいる。
明かりが灯っているだけで足元や景色がはっきり見えるくらい、田舎以上に何がおこるかわからない。
なのに私はどうして街へ出たのだろう。
空気は汚いし治安は悪い。物価も高いし小競り合いも多い。
交通のべんがよかったから? それくらいしか今考えたらそれくらいしか決定打がない気がしたが……
あの時、街へ出た時は、憧れがあった。今はもうその憧れも消え失せて思い出せないけれど、当時には憧れがあった。
あと、街は眠らない。つまりは、誰かしら人がいた。コンビニに行けば、飲食店へ行けば、どこかにいけば人と関われた。人との関わりが薄れてきた今、街へでればリアルに人と接することができた。
危険だとわかっていても、憧れとふれあいを求めて、私のような田舎者はまた一人、街へと繰り出す人がいるのであろう。
【街へ】
街って漢字、けっこう好き。
いつか、街の角にひっそりと佇むレトロな喫茶店を発見したい。その喫茶店の隅の席でホットココアを頼んで本を読むのだ。外は小雨が降ってて雨音を聴きながらぼーっとするのもいいなぁ。
そんな喫茶店、あるかな。あるといいな。
街へってお題を言われて考えてみた。
んが、私の住んでるところは街感があんまりなくてどうしても首都圏をイメージしちゃうなあ
私のイメージする街にいる人たちは外見に気を遣ってきゃっきゃしてる感じ。(ど偏見)
一方、私は今日地元のイオンモールに行ったのよ。その時の格好っていったら、クローゼット開けてぱっとすぐ出るところに置いてあった服たち。いや、別にそんなひどくはないよ、多分…。
イオンモールだからそんな気にせんでいいやあ(なんならすっぴんの長靴スタイル)と思った今日の私でしたが、今考えるとどこ行くにしてももうちょっと外見考えんとなあって思ったよね。
外見が全てじゃないけどやっぱり大事だよね。なんか、自分の中で何かが終わっていく気がしましたね、はい。。
街へ、てテーマと内容ずれちゃった気もしますが、以上の反省をもって終わろうと思います、ちゃんちゃん。
暗くなっていくその空のように不安と心配に蝕まれる午前3時。その不安を消すために俺は今日も歩く。歩いて、歩いて。そうしたら明るいところにたどり着く。警察に補導?逃げ方は熟知している。大丈夫。今日を生き抜くための方法だから。明るい街で俺の心も明るく、ざわめきうるさい街で静寂を消すだけ、だから。
未曾有のウイルスが蔓延して、
私達の生活は一変した。
外出自粛を余儀なくされて、
人は街からいなくなった。
ニュースで見る街並みは異様だった。
仕事に学校、買い物さえも、
どうしても外出しなければ
いけない人達を、
時間短縮の営業に追い込まれた店舗を、
いわゆる「自粛警察」といわれる輩が
非難して、本物の警察が出動した。
そんな風に街は変わった。
今は、行動規制も無くなり、
街は、元の姿に戻って来ている。
駅前も商店街も観光地も、
これまでの時間を取り戻すかのように、
活気にあふれている。
未だ終息のきざしが見えない世の中でも、
人は、街に戻りたいんだ。
「街に出よう!」
何も気にせず出かけられるようになる事、
心から、願っている。
「街へ」
素直、そう言われたかったのかもしれない。母は二言目には「母さんは素直だから」「私はばか正直だから」と言う。その度に「貴方と違って」という枕詞が透けてみえる気がする。
街へ
「魅惑」
夜空の星よりも
手に届く星を求め
憧れの街へ揺られる
きらびやかな
ライトに彩られた
規則的な石だたみを
かかとを鳴らして
くるくる歩く
ロウソクを溶かすような
ギターのリズムに合わせて
切り揃えられたての
髪の毛が跳ねる
魅惑的な場所に
行くのは
とっても恐ろしい
こころときめくのは
いっしゅん
そのうちに
帰りたくない
という欲望と
たたかわなくては
ならない
自分を騙して生きている
自分に出会ってしまうのが
怖いのだ
#街へ
「やさしくつよく」
はじめに
優しくありたい、
が先にあった
人に対して
生き物に対して
自分から出る
言葉も
行いも
みんな愛から
生まれればいいと
優しくあることを
信条としていた
わたしに
ある先生が
声をかけた
いつも、みんなに
優しくいるのは
しんどいでしょう
どんな状況でも
一筋の光となるような
優しさを
持ち続けるためには
優しさよりも
もっと
強さが必要なんだよと
いま
強くなりたい
地中ふかく根を張る強さ
まわりを枝で包み
葉をつけて
木影でやすむ
あなたの木漏れ日になる
#優しさ
『街へ』
今日は久しぶりの街へデートに来た。
特に目的も決めず、ウィンドウショッピング。
新しく見つけたお店に突撃しよう!ということだけ決めて、街を歩いていたら、おいしそうなドリンクのお店に遭遇。期間限定の出店らしい。
早速、彼と別々のドリンクを注文して味見する。
「あま~い!」
「こっちは酸っぱい。」
「えー、飲ませて!」
と、ドリンクを交換。二人居れば二度おいしい。
「でもおいしい。クリーム混ぜると甘酸っぱくなるね。」
「どれどれ。」
おいしくて顔が綻ぶ。新鮮な味に出会えて嬉しい。
「ねー、あっちは?なんか美味しそう!」
なんだかんだで食べ歩きになってしまった。あとで体重見るのこわいな~。
「これは食べなきゃな。」
「ん~!お肉おいしい!」
彼と居ると楽しい。何でも一緒に受け入れてくれて、楽しんでくれる。こだわり強すぎる人だと一緒に楽しめないから、こうやって何でもウェルカムな人の方がいいな。
街には沢山の新鮮な出会いがあって面白い。たまに目的もなく歩いてみるのもいい。
今日はお腹いっぱいの楽しいデートになった。
山と海に面した自然の恵みが豊富な地元を離れたのは、19際になろうかという時分だった。生まれた頃からこの小さな海の町で育った。田舎とまではいかないまでも、街というには小さすぎる。そんな町で幼い頃から沢山の友人や師に恵まれ、数え切れないほどの思い出を育んだ。そりゃあ私だって人間だ。誰かを疎ましく思ったり、憎んだりしたことだってあった。
小学2年生の頃。時期こそ覚えていないが、道徳かなにかの授業をしていた。みんなで机を丸く並べて、ディスカッションのようなことをしていたのかもしれない。誰かに名を呼ばれたら中心に置いてある机の前に立って、テーマに沿って自分の思いや考えを発言する。クラスの全員が発言するよう、時折、まだ発言をしていない児童に先生から名を呼ぶ声が挙がっていた。物心ついた頃から話すことが大好きな私は、誰よりも早く自分の想いを語っていたと思う。子供の話すことなので、もちろん支離滅裂だったと思う。けれど、クラスのみんなや先生は大きな拍手と嬉しい感想を返してくれた。
彼に興味を持った。否、正確に言えば彼を初めて認識したのはそんな授業中のこと。一際、身長の低い男の子が名を呼ばれて中央の机に向かったのだが、その動きも一際ゆったりとしていた。名は「シュンスケ」くん。クラスでも身長の低かった私よりもシュンスケくんは更に低かったんだ。そんな彼がクラスにいたことも知らなかったのは、授業が終われば無邪気に駆け回る子供だったからであろう。そんな私も、彼のことが気になって仕方がなくなっていた。どんな子なんだろう。何をして遊んでいるんだろう。好きなものはなんだろうと色んなことを考えた。が、考えるよりも動くことの方が早かったかもしれない。彼に声をかけていた。確か一言目は「ねぇねぇ。なんしょん?いっしょに遊ぼうや」だった筈だ。「筈だ」と言ったのには理由がある。私は人見知りをしないので誰にでも簡単に話しかけていくような子供だった。それこそ大人にも躊躇なく。
シュンスケくんと友達になってから、毎日のように彼の家へ遊びに行っていた。彼や彼のお兄ちゃん、お兄ちゃんの友達やその友達の兄弟。大所帯で毎日騒いで「スーパーファミコン」で遊んでいた。笑顔と笑い声で溢れ、それはとても楽しい時間を毎日毎日。シュンスケくんにはイタズラもしたんだ。彼がトイレに行けば、そっと忍び足で近づいて施錠されていない扉を思いっきり開け放つ。すると彼は一瞬驚いた顔をするが、直ぐに満面の笑顔で「もー!しめて!」と怒る。悪いとは思っていてもなにぶん年端も行かぬ子供、また直ぐに同じことをするんだ。
そうか。思い出した。彼と出会った道徳の授業、あれは春だ。二年生になってすぐに道徳の授業。将来の夢や目標をテーマにして、併せて自己紹介をしたんだ。それで彼のことを知って興味を持った。何故ここで、こんな大事なことを思い出したのか。それは私にとって、この先いつまでもずっと忘れることが出来ない出来事が記憶を曖昧にしているからだ。とても切なくて悲しい、胸が張り裂けるような辛い出来事だった。
彼と出会った道徳の授業から、夏休みまではあっという間だった。毎日重い瞼をこじ開け、眠い目をこすりながら登校した。授業は楽しかったし、小休憩や大休憩には友人たちと沢山お喋りをした。昼休憩には、美味しいご飯をみんなと一緒に笑顔で頬張った。夏休みまであっという間に感じたのは、そんな毎日を送っていたからだろう。夏休み中は、宿題や友達との約束で忙しなかった。50円玉を握りしめて市民プールに急いでは、兄弟や友人たちとじゃれあって、沢山泳いだ。シュンスケくんと遊ばなかったのは、夏休み前に風邪をこじらせて休んでいたからだった。いつ治るか分からないし、治っていても遊びに行っていいのかわからなかった。あんなに非常識なくらい、毎日遊びに行っては騒いでいたのにどうしていいのかわからなかったんだ。「シュンスケくん、風邪が治ったらまた一緒に遊ぼうね」そんな内容の手紙を書いた。長くはないが、彼を心配して筆を走らせた。大事に手に持って彼の家に届けに行ったが、郵便ポストがどこにあるか分からなくて窓や玄関に挟めないかと試してみたものの、無理だった。それで諦めて帰ったんだ。彼に会えなくて寂しくて泣きながら帰った。
夏休みが終わった。みんな思い思いに学校へ足を運ぶ中、私はシュンスケくんのことだけを考えていた。風邪は治っただろうか、元気になったのだろうか。はやる気持ちと不安の両方を胸に抱え宿題で重くなったランドセルを背負って歩いた。校門を過ぎて校舎が見えて気持ちを抑えられなくなった私は、シュンスケくんに早く会いたくて教室までなりふり構わず走った。
とうとう彼に会えなかった。教室に飛び込んだ私の目に映ったのは、彼の机に添えられた花瓶だった。教室に入ってきた先生が挨拶を早々に、「みんなに大事なお話があります」と言った。先生は何を話すのだろう。彼の机に花瓶があるのは何故だろう。なぜ彼はいないのだろうと、考えをめぐらしていた私の耳に先生の言葉が飛び込んできた。「シュンスケくんは、ご病気で夏休み中にお亡くなりになりました」と震える声が教室の喧騒を吹き飛ばした。ずっと病気と闘っていたという。苦しいのに、痛いのにいつも笑顔でいた彼は兄弟や友人には一切、そんな苦しそうな姿を見せなかった後になって聞かされた。「楽しく遊んでいたいから、心配をかけたくないから」と彼なりの精一杯の思いやりと強がりだったそうだ。
今は同級生や友人とは縁が離れてしまった。それでも彼、「シュンスケ」くんのことだけはいつまでも色褪せない記憶として胸に焼き付いている。19歳になる前に地元を離れ、遠く宮城は仙台にひとり移住をした。地元が嫌になったとか、嫌いだからとかそんなことではない。もっと広い視野で世の中を見てみたかったから。新しい自分に出会いたかったからだ。
今私は新しい自分になって大きな街「杜の都 仙台」で彼のことを思い出して冬の澄んだ空を眺めている。いつまでも彼と過ごした時間は忘れることはないだろう。彼の笑顔を忘れることは無いだろう。
ネオン輝く宮城の大きな街へ、白い息を吐きながら改めて彼を強く想う。
彼はいつも私の記憶の中で、永遠に。
#街へ
久しぶりにこの街に帰って来た。若い頃に嫌いで仕方無かったこの街も今では、とても綺麗に見える。
本当に昔は、この街が嫌いで堪らなかった。陰気臭くそれでいて疎外的何か新しい事をすると直ぐに批判が飛んでくる。当時の私から見た街の印象はある時を境に時間が止まったのではないかと疑ってしまう程のものだった。
高校を卒業後は嫌いな街を出るために敢えて違う街の大学に進学した。その時の気分はとても良かった事を今でも覚えている。
しかし、時が立つほどに次はその街の嫌な部分が目に映る。
そこから、大学を卒業すると、直ぐに別の街に移った。
今度こそ大丈夫だと思った。だが、そんなことは無かった。
また、直ぐに次の街に移った。それな事を何回も繰り返す内に疲れていた。
今思えば私は、自分の住みやすい理想の街を探す事に執着していたらしい。とんでもない、馬鹿者で合った。
そして今に至る。
嫌いだった街は、好きな街へと変わっていた。
それは、私が変わったのかも知れないし街が変わったのかも知れない。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
私は、今、この街で幸せなのだから。