『美しい』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
君の心は美しい。
誰であろうと手を差し伸べ、親身に寄り添う。
僕も君に救われた内の一人だった。
でも僕は君の横には立てない。
あまりに綺麗な心だから、
僕がより穢れているように思えてしまうんだ。
君の瞳は美しい。
何があろうと眩く輝き、道を照らしてくれる。
僕も君に照らされた内の一人だった。
でも僕はその瞳を避けてしまう。
あまりに輝くものだから、
それに映る僕がひどく醜く見えてしまうんだ。
君の美しさに救われた僕は、
君の美しさに蝕まれている。
#5『美しい』
美しい___
あぁそれは貴方の為の言の葉でしょうか。
「×××ちゃんはさぁ、花好きだろ?」
「あ、はい。薔薇、ひまわり、桜、スミレ、紫陽花、チューリップ……どれも綺麗で、色や形が様々で……心を和ませてくれたり、好奇心を掻き立ててくれたり……」
「じゃあさ、宝石は?」
「宝石、ですか? ……そうですね、あまり馴染みはありませんが、原石のままの物の形の面白さや美しさ、宝飾品として加工されたものの細工の精巧さなどは、見ていて飽きません」
「だよな、俺もああいうの見るの好き。アメジストとか綺麗だよな。あ、絵は?」
「はい?」
「絵。絵画」
「あ、はい。絵画も好きです。美術館で見る巨匠の絵も、街角で見かけるスケッチも素敵ですよね」
「うんうん。あのさ、そういうの見た時に綺麗だって思ったり面白いって思ったりかっこいいって思ったりするだろ?」
「……? はい」
「……アイツがやってるのもソレなわけ」
「……」
「相手の美点を見つけるのが得意なんだよアイツ。んで、臆面も無く言えちまう。まぁそれが誤解を生みやすいっちゃ生みやすいんだけどな」
「××××さん……」
「はっきり言って、下衆の勘ぐりなんだよ」
「……っ」
「アイツは全然下心とか、そんなので喋ってないのに女と喋ってたらナンパ? それ言ったらここにいる全員ナンパしてんじゃん」
「……」
「俺がここに来たのはさ」
「あの時アイツを貶めた奴等全員ぶちのめす為だよ」
あの時も、今も、これからも。
何があっても俺だけは最後までアイツの味方でいるって決めてるから。
◆◆◆
そう言った××××さんの表情を、私は今も忘れる事が出来ません。
私は余りに未熟で、心や、言葉や、眼差しの意味をまだ理解出来ていなかったのです。
そして、自分が発した言葉の鋭さも。
××××さんはきっと私を許すことは無いのでしょう。
ごめんなさい。
自分の愚かさを知ったのは、全て終わった後でした。
END
「美しい」
私が言葉って美しいなって思うのは、
きっとその人が考えて考えて発したものだって
信じてるから。
言えなかった言葉も
言わなかった言葉も
たくさんある。
それでもちゃんと言った言葉だから美しい。
でもそれと同じくらい
考えて考えてそれでも言えなかった言葉も
考えて考えてあえて言わなかった言葉も
あなたの心で思っちゃいけないことなんてないから
全部美しいんだよ。
中には考えずに発する悲しい言葉を使う人もいるけれど
美しい言葉だけを心に残そうね。
悲しい言葉は聞かなくていいし、
残さなくていい。
悲しい言葉を聞いてしまったなら
その倍の美しい言葉を聞こう。
大丈夫、世界はもっと広い。
あなたが思っている以上に。
美しい瞬間から目を背けるように
そこ と 目 の間にスマホのカメラをはさむ
薄めた希望で生涯を遂げてもいいという
刹那的な愚かさに塗れてしまって不潔な私
行き場をなくしてそわそわ足に任せると
故意か運命か
また あなたのいるここに戻っていた
美しいもの。
帰り道。
青い水面に絵の具を垂らしたようなピンク色。
雲を覗き込み歩く夕暮れ。
美しいものはたくさんある。美しいものは見ていると癒やされる。何も考えずに穏やかに美しさに浸ることがとても幸せである。美しさの中には儚いものや力強いものがあるそれらの一つ一つにも輝きがある。けれども全く美しくないものはないのではないかと感じる時がある。どれほど見にくくてもその歪みにこそ美しさがあったりもする。その歪みに安堵を感じるときもあるだろう。鏡のように内面に感じる心の波の揺らぎが例えようもなく苦しくてそれもまた他者の感情を揺り動かす力を持つ美しさかもしれない。うつくしいものは見るものの内面にこそ浮かぶような気がする。
若干の肌寒さと、麗らかな春の陽気が混ざり合うこの季節。年度の節目とも重なる時期には優しい色合いの花々が、太陽の光を浴びて鮮やかに輝く。
旅立つ若人を送り出し、新たなる世界へやって来る者を歓迎するその花はこの国を象徴するに相応しい。
#美しい
美しい
「美しい花を見に行こう」
彼はそう言って僕を無理やり外へ連れ出した。
花なんてどこで見ても一緒なんだから、花を見せたいんだったら花屋で買ってきてくれたらいいのに。
「ほら、ここにも花があるじゃん。僕はこれで十分だよ」
玄関を出てすぐ、お母さんがプランターで育てている小さな花を指して言う。
しかし彼は、僕の腕を離さずぎゅっと掴んだまま、前を向いて歩き出した。
「確かにこの花も綺麗だけど、今の君に見てもらわなくちゃいけない景色があるんだよ」
彼の珍しく真剣な横顔に、僕は黙ってついて行くしかなかった。
「うわっ、風強いね」
「この辺は一年中強いんだ。もうすぐ着くよ」
しばらく手を引かれてきたが、あまり馴染みのない場所に来ているようだ。初めて見る景色に、ちょっとだけわくわくした。
「さあ着いた。すごいでしょ、これ」
小高くなっている土手を登ると、そこには辺り一面、ピンクの花が咲き誇っていた。常に吹く強風の中、花弁を揺らしながらそれでも自立して堂々と咲いている。
名前も知らない花だけど、風に吹かれても自分の輝ける場所で根を張り、仲間と共に揺れている様に、心臓を鷲掴みにされた。
「美しいね」
「うん、そうでしょ」
「……もう一度頑張ってみようかな」
「……そっか。応援するよ」
「ありがとう」
親友がここへ連れてきてくれた理由が、なんとなく分かった気がした。
美しい、ですと…?
普段たまに気軽に使う言葉かもしれない。でもただ「美しい」だと、なんだか虚ろな感じがするのは何故だろう。私はこれまでに何を美しいと感じたか、思い出してみる。
夜の海で、夜光虫の群れの中を泳ぐイルカ。このときは「自然の造形にはまったくかなわない」と、静かに驚嘆した。絵を描くことから離れた。あの命の様をまるまる描きとることが出来るなら天才だ。…でもこれは「造形」とはちょっと違うな。夜光虫のありようとイルカのありようが出会って、言葉でも表し難い「生命感の発現」が「鳴り渡る」ようだった。
「お年寄り」に、意外な驚きを持って美しさを眺めたときは「人間が顕す美しさ」の謎について、ものすごく考えた。私の祖母が90歳のとき、いつも通りに家に行ったら、ヴォーグの表紙みたいな祖母が居た。いつもの服、いつもの髪型、化粧なんかしていない90歳である。高齢者らしく、ちゃんと老年者の姿のまま。断っておくが、私の脳の視覚野はフツーだ。
近所に住んで居られた「自称天涯孤独」のTさんは不思議にやたらとカッコイイとご近所さん皆が認める人だった。がっつり高齢者である。いつもは山林の中での仕事をしていたが、大事な外出のときは質の良い黒のコートと黒の山高帽という出で立ちだった。くわえ煙草で外作業、いいかげん見慣れている筈の近隣住民がいつも「やたらカッコイイ爺さんが居ると思ったらTさんだった」と話題に出していたくらい、いつも「新たにカッコイイ人」だったんだが、そのTさんが医者から余命宣告を受けた。お医者の計らいで医療付き老人ホームへ転居されると聞いて、私はTさんのところへご挨拶に伺った。一時はお隣さんだったからだ。間近で見るTさんは病に消耗した姿で、「カッコイイ覇気」は見受けられず、私は少し寂しくなった。しかし同日の夜、少し離れた位置から引っ越し準備をしているTさんをたまたま見かけた私は驚いた。私の目に見えたそのときのTさんは、これまでどおりに「クソカッコイイ覇気に不足しない、いつものTさん」だったのだ。驚きながら暫く凝視してみたが、やっぱりカッコイイのだ。再び断っておくが、私の脳の視覚野はフツーだ。
そして私の祖父。94歳のとき、まるで「飛び立つ支度のひとつ」とばかりに、自宅の内外を整えていたのだが、「病を得て人生の完了を間近に見ている高齢者」とは思えないほど清しい美しさがあった。姿勢の良い人だったけれど、そんな要素を軽く凌駕する美しさを醸していた。再三断っておくが、私の脳の視覚野はどこまでもフツーだ。
ショーン・コネリーが年取るほどにますますカッコ良く、美しくなっていったことも大いに謎だった。さて、彼らの「美しさ」の正体は何だろうか?
昨今は「若さすなわち美しさ」という考えが広く浸透しているから、私は前述の「美しきお年寄り達」の姿に興味津々だ。しかしどんなに考えても、まだ彼らの美しさの正体を掴めない。夜光虫とイルカはわかる。全開で顕される生命感がその核心だと確信している。
そんなに歳を重ねていなくても美しい人は居る。私が思う「美しい人」とは、只に容姿の形がパーツの調和を示しているだけの人ではない。何かしら、そのようなものを絶しているところから立ちのぼる美しさのある人達だ。考えて見れば、本当に不思議なものだ。
自然の姿は問答無用で美しい。生命感を遮るものが無いからなのか? 人間の美しさも、もしかしたら「本来の生命感」がまっすぐ顕れているとき、際立つものなのかもしれない。
「性格」ってね、外見に出ると親友は言うの。そしてそう言われて他の人の顔を見るとね、優しい人って歳を取ってる取ってない関係なく、目元に優しさが全部出てるの。「目元は歳を取らない」ってとあるプロの探偵屋さんが言ってたけど、本当なんだなってそのとき強く思ったよ。
#美しい
二次創作です
私はおかしいのかもしれない
今私が生きてるこの年が歴史の中から
消滅してしまうのに………
すぐに逃げずに
ボーッと見ているのだから…
普通は
上から下への
雨が
今は下から上へ登っている…
こんな不思議な景色を見ているのに
" 美しい "
と
思ってしまう。
ボーッと見ていると声がかかる……
[君……そこで何してるの……]
「 さぁわからない
ねぇ
これは何? 」
私の問に帽子を被ってる君は答える……
[ストームだよ……]
「 そうなんだ……
とっても
美しいね 」
すべてが無になる。
辛かった記憶も
全部…
美しいか…
若いって美しいよね、、とはおもう
学生のきらきらして溌剌とした瞳は美しい。
たまに、普通の子よりも色々と背負っている子がいるけど、それでもその生き様が美しいと思う。
反対に中高年や高齢者は美しくない人の方が多いかな。
美しい…うーん美しいけれど若いころの無知の美しさには叶わないわ。
思慮深くなるごとに醜くなるような人間にはなりたくないな。
そんな人の多いこと。
年を取ると恥を忘れて、醜い部分を覆い隠せなくなるのかな。
身体的な衰えのせいだとしてもそんなの嫌だわ。
とある1人の少年の話。
遠い昔、悪魔が蔓延っており、残酷な事件が多発していた。
その少年は、生まれて間もなく家族と死別し、恋していた幼馴染の少女も自我を失い、異形となり、おもちゃの指輪に封印された。
その時、悪魔が囁いた、
「少女を助けたいならば、5つの結界を破壊せよ」
と。
数年後、少年は青年になり、魔術など様々な勉強を修め、少女を救うため、旅に出た。
5つの結界を破壊するべく青年は進む。魔術で生成した特殊な火打石と指輪で炎を起こし異形となった少女を呼び出し共に戦った。本能的に好いているのか、自我を失っても青年には懐いていた。
旅の末、最後の結界を壊した青年の前に、あの日の悪魔が現れる。曰く、結界はその昔、悪魔を弱めるために、天使、人間その他種族が設置したものだった。そして青年と少女はそれらの末裔だった。二人がこの真実を知る前に両親を殺し、お前たちも殺めるつもりだった、と。
その時、青年は怒りに震えた。しかし、それがいけなかった。今までの旅で蓄積した悪意、怨み、その他諸々の悪い感情が爆発し、闇に堕ちようとしていた。
その時
最愛の人の最大の危機に少女が天使として覚醒を遂げた。成長した彼女は、誰よりも美しかった。
少女により、闇から助けられた青年は、少女と協力し、悪魔を倒すことに成功した。
しかし少女は力を使い果たし、青年の胸の中で永遠の眠りにつこうとしていた。
愛する人が光に包まれ、天に召されていく。
愛する人の温かさに包まれ、天に昇っていく。
再会と別れに心を震わせながら、
青年は言った。「君は、この世界の何よりも」
少女は言った。「貴方は、こんなにも」
「「美しい」」
と。
青年は、幸せそうに微笑みながら消えゆく少女の姿をいつまでも見送るのだった。
美しい世界ってどんな世界?
争いや戦争や地震がない世界
みんなが平和に過ごせる美しい世界
差別やイジメも。
三日月。
私の中に化け物がいる。
私の中に怪物がいる。
そいつらは、時として人を襲い、人を食らう獣だ。
どれだけ泣き叫んでも、どれだけ助けを乞おうとも
そいつらは、決して助けなどしない。
ただ、血を、肉を求め、骨の髄までしゃぶり尽くすだけ。
どれだけ愛しく思ってる人でさえも、愛しくて、愛しくて
何よりも大切な人でさえも、血と肉がなくなるまで
そいつらは、しゃぶるのを貪るのをやめない。
私は醜い。
醜くて、醜くて、どうしようもない。
私の中の化け物を、怪物を殺せたのなら
こんな私であっても美しくなれるのだろうか。
化け物さえ、怪物さえいなければ、
私は誰からも愛されるような、可愛い娘になれただろうか。
それでも、どれだけそうありたいと願っても、
私の中の化け物は、怪物は死なない。
決して、死ぬことも、殺されることもない。
死ねない、殺せない、それが私の中に棲む化け物なんだ、怪物なんだ。
化け物は、怪物は、可愛い娘だけを
美しい娘だけを好んで食す。
それは、私の中の負の感情がそうさせているのだろうか。
可愛い娘が、美しい娘がこの世界からいなくなれば、
私という醜い存在であっても、生きていることが許される。
私の中に化け物が、怪物が棲んでいても、
世界に存在することが許される。
そんな思いから、私の中の化け物は、怪物は
可愛い娘、美しい娘だけを食っているのだろうか。
可愛い娘の、美しい娘の血は、肉は美味。
極上の美味さと、程よい甘みがある。
一度それを口にしてしまえば、普通の羊や牛などの肉は
一切喉を通らなくなってしまうだろう。
可愛い娘の血と肉も、美しい娘の血と肉も
魔の血と肉ではないか、と疑ってさえしまう。
私の中に棲む化け物や、怪物のような魔物でなくても
一度口にすれば、それを忘れることはないであろう。
中には、人でありがならもそれを求める輩も出てくるはず。
嗚呼、私と人とはなんら代わりはないのか。
欲望というものも、醜いところも、似ているのではないのか。
私が人を食らうように、人は羊や牛を食らう。
人とは異なるものであろうとも、命を食らっていることに変わりはないだろう。
そう考えてしまえば、私が人を食らうことも
思っていたよりも、重罪ではないのかもしれない。
そう考えれば、少しは楽になるような気がする。
醜いままでいても良いような気がする。
そう思うのに、なぜか今日も私は美しいものを、可愛いものを。
目にするばかりで、私が醜いことを妬む。
可愛い娘になりたいと、美しい娘になりたいと言う欲望は消えない。
いつか、可愛い娘を、美しい娘を食い続ければ
私自身も可愛い娘に、美しい娘になれるのではないかと願いを込めて
今日も私は人を食らうだろう。
いつものように。
そして、目の前の固体から悲鳴が消えた。
言葉は美しい
たとえ其れが
人をいとも簡単に死に至らせる刃になろうとも。
荒れた呼吸に釣られて揺れる裸体は、まるで白い砂浜そのもので。目は離せないのに二度と触れてはいけない宗教画のようだった。
汗ばんでいた肌はふわりと花の香りが匂い立つ。
名前を呼ぶと、にこりと微笑を浮かべた彼女に震える。強がる少年の部分を一気に踏破して、1人の男にしてしまう蠱惑的な美貌。むしゃぶりつきたくなるほどの甘やかな無垢。
1枚脱いでひと晩過ごしただけでどうしてここまで君は変わるのか。
美しい文章というのが、どうも納得いかなかった。誘われて入った文芸部はそれを知っている人間ばかりの集まりだったので、そこに私の居場所はあまりなかった。
とはいえ、その審美眼を育てなければ良い文章は書けない。と顧問の先生が仰っていたので、仕方なく文豪達の真似をしてみたりした。自分でもよく分からぬままに書いた作品が褒められたりして、独り歩きする文章に気持ち悪さを感じた。
ある日のことだった。いつものように物真似の文章を書いていた私に、ある機会が訪れた。放課後、偶然に図書室を訪ねていた同級生に、作品を読ませてくれないかと頼まれたのだ。
その同級生は、名前を琴子といった。肩甲骨の辺りまで伸ばした髪が特徴的で、それ以外にはあまり印象に残らないような人間だった。
自分の作品を読ませるというのは、つまり自分の脳みそを覗かれるようなものなので、私は初め渋い顔をして断っていた。しかしながら、彼女があまりにもしつこいので、一つだけならと了承した。
実を言えば、この時の私は期待に満ち溢れていた。人よりは確実に多くの文を書き、まがりなりにも名文、あるいは美文と呼ばれる類のものを参考にしてきたのだ、素晴らしいと褒めそやされることはなくとも、まずまずの反応が見られるはず。
そんな私を知ってか知らずか、琴子さんは原稿用紙を食い入るように見つめて、一枚、また一枚と読み進めていった。最後の一枚を読み終わるまで、随分と長いことそうしていたように思えたけれど、都合十分ほどの時間しか経っていなかった。
待つのがいたたまれずに、自ら、どうだった? と感想を促した。琴子さんは、悪い意味に捉えないでほしいんだけどと前置きをして、
なんか、空っぽだね。と言った。
その一言で、私が積み重ねていた空虚な自信はジェンガのように崩れていった。
これではいけない。私の中にふつふつと何かが沸き起こった。それは復讐に似た感情であり、過去の自らと決別するための覚悟であった。
それから、私は琴子さんを満足させるだけの文を書こうと躍起になった。目の前の人間一人納得させられずして何が物書きかと自分に言い聞かせながら、書いては読ませ、読ませては書いてを繰り返した。それは小説であったり、詩であったり、ときには戯曲の形式を取ったものもあった。
そうして過ごしていくうち、私は琴子さんがとても美しい人であることに気づいた。文字を追う眼差しも、口許を隠して笑う仕草も、その全てが美しく思えた。メダカを好まぬ人間が鰭の美しさを語れぬように、数理に疎い人間が美しい数式を解けぬように、触れようとしないだけで、美しいとはそこここに眠っているものなのだ。
「これで終わり?」
琴子さんは続きを探すように原稿用紙を蛍光灯にかざした。彼女の奇怪な行動に、図書室の利用者達が遠目からこちらを見ている。
「そんなことやっても続きは出てこないよ」
「これは、新手の告白だったりするの?」
どうだろう。思ったことを連ねただけで、毎度訪れて勝手に読んでいるのは、彼女の責任だ。
「というか、君って一人称『私』だっけ」
「癖が抜けない」
文豪達は、『私』というもう一人の私を持っている。そうやって彼ら彼女らは、自らの美しくない部分を文にしたためて切り離しているのかもしれない。
「言うならちゃんと言ってよ。文じゃ聞いてあげないからね」
琴子さんは原稿用紙を整えてこちらに突き返した。今日もだめだったらしい。
この時間が終わらなければいいのにと安易な表現で気持ちをまとめてから、僕は原稿用紙を折り畳んだ。
春に咲く桜。あれはとても美しい。色も鮮やかな桃色、そして風が吹けば舞う花びら。散って地に落ちてもなおその鮮やかさは踏まれるまで色褪せることはない。
夏に咲くあさがお。あれもとても美しい。梅雨にも負けず力強く咲き、さまざまな色を私たちに見せてくれる。私もあの力強さを見習いたいものだ。
秋に咲くイチョウ。あれもとても美しい。黄色に染められたあの葉は木についていても、地に落ちてもなおイチョウの存在感は変わらない。道路際に落ちた葉を眺めるのもいい。
冬は見えないところで春に備えている木や植物が美しい。厳しい冬の寒さに耐え、春に綺麗な花を咲かせたり、葉がのびのびと成長する。
忙しい毎日にひとつの美しさを見出すことで一つ得をした気分になる。貴方も明日なにか美しいと思うものを身の回りで探してみてはいかがでしょうか?
「美しい」