なのか

Open App

美しい文章というのが、どうも納得いかなかった。誘われて入った文芸部はそれを知っている人間ばかりの集まりだったので、そこに私の居場所はあまりなかった。
とはいえ、その審美眼を育てなければ良い文章は書けない。と顧問の先生が仰っていたので、仕方なく文豪達の真似をしてみたりした。自分でもよく分からぬままに書いた作品が褒められたりして、独り歩きする文章に気持ち悪さを感じた。
ある日のことだった。いつものように物真似の文章を書いていた私に、ある機会が訪れた。放課後、偶然に図書室を訪ねていた同級生に、作品を読ませてくれないかと頼まれたのだ。
その同級生は、名前を琴子といった。肩甲骨の辺りまで伸ばした髪が特徴的で、それ以外にはあまり印象に残らないような人間だった。
自分の作品を読ませるというのは、つまり自分の脳みそを覗かれるようなものなので、私は初め渋い顔をして断っていた。しかしながら、彼女があまりにもしつこいので、一つだけならと了承した。
実を言えば、この時の私は期待に満ち溢れていた。人よりは確実に多くの文を書き、まがりなりにも名文、あるいは美文と呼ばれる類のものを参考にしてきたのだ、素晴らしいと褒めそやされることはなくとも、まずまずの反応が見られるはず。
そんな私を知ってか知らずか、琴子さんは原稿用紙を食い入るように見つめて、一枚、また一枚と読み進めていった。最後の一枚を読み終わるまで、随分と長いことそうしていたように思えたけれど、都合十分ほどの時間しか経っていなかった。
待つのがいたたまれずに、自ら、どうだった? と感想を促した。琴子さんは、悪い意味に捉えないでほしいんだけどと前置きをして、
なんか、空っぽだね。と言った。
その一言で、私が積み重ねていた空虚な自信はジェンガのように崩れていった。
これではいけない。私の中にふつふつと何かが沸き起こった。それは復讐に似た感情であり、過去の自らと決別するための覚悟であった。
それから、私は琴子さんを満足させるだけの文を書こうと躍起になった。目の前の人間一人納得させられずして何が物書きかと自分に言い聞かせながら、書いては読ませ、読ませては書いてを繰り返した。それは小説であったり、詩であったり、ときには戯曲の形式を取ったものもあった。
そうして過ごしていくうち、私は琴子さんがとても美しい人であることに気づいた。文字を追う眼差しも、口許を隠して笑う仕草も、その全てが美しく思えた。メダカを好まぬ人間が鰭の美しさを語れぬように、数理に疎い人間が美しい数式を解けぬように、触れようとしないだけで、美しいとはそこここに眠っているものなのだ。

「これで終わり?」
琴子さんは続きを探すように原稿用紙を蛍光灯にかざした。彼女の奇怪な行動に、図書室の利用者達が遠目からこちらを見ている。
「そんなことやっても続きは出てこないよ」
「これは、新手の告白だったりするの?」
どうだろう。思ったことを連ねただけで、毎度訪れて勝手に読んでいるのは、彼女の責任だ。
「というか、君って一人称『私』だっけ」
「癖が抜けない」
文豪達は、『私』というもう一人の私を持っている。そうやって彼ら彼女らは、自らの美しくない部分を文にしたためて切り離しているのかもしれない。
「言うならちゃんと言ってよ。文じゃ聞いてあげないからね」
琴子さんは原稿用紙を整えてこちらに突き返した。今日もだめだったらしい。
この時間が終わらなければいいのにと安易な表現で気持ちをまとめてから、僕は原稿用紙を折り畳んだ。

1/16/2024, 3:30:32 PM