枯葉』の作文集

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枯葉』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど

2/20/2024, 6:19:05 AM

私の命も彼への気持ちも、いつかは木枯らしのように消え去ってしまうのかな?

2/20/2024, 6:13:50 AM

治らない鼓動。浅い呼吸。薄暗い部屋で包まる毛布。
 押せない送信ボタン。掛けられない電話。頼りたい、頼れない。
 もっと楽に生きられれば良かった。

2/20/2024, 6:12:46 AM

『枯葉』

今はもう無いが、母の実家は山あいの
自然豊かな所だったらしい。

何度も聞く思い出話に庭の焼き芋がある。
時期になると皆で集めた枯葉を焚いて
濡れ新聞紙とホイルに包んださつまいもを置く。
時間をかけてゆっくり燻すと甘くねっとりとした
焼き芋が出来るのだと言う。

なんて贅沢な話しだろう。
時間をかけて美味しい物を作るなんて。

今の私は日々の生活に忙しく
まるで違う環境の中にいる。

けれど一度は食べてみたい庭の焼き芋。
いつか私にも食べる機会が訪れるだろうか。

2/20/2024, 5:46:16 AM

枯葉みたいに落ちていった

わたしの想いも貴方の心も

もう交わすことのない恋心

ここで切って終わらせましょう

2/20/2024, 5:40:04 AM

ミレーの落穂拾いを
結構長いこと落ち葉拾いだと思ってた。
みんなでたき火でもするのかなって。

(枯葉)

2/20/2024, 5:37:05 AM

道端でぼろぼろになったそれみたいだった私は、あなたと別れてから綺麗な花のようになれたよ。ありがとう。

2/20/2024, 5:36:56 AM

「もうすぐ1年が過ぎちゃうね」
彼女はそう言った。
僕は、「そうだね」としか返せなかった。
「どうしたの?」
「何か嫌なことでもあったの?」
「――いいや、花粉が舞っただけだよ」
僕は涙を流し、しゃっくりをあげながら言った。
そう、この涙も、花粉のせいに違いない。

―――君と見たこの木の葉、見る度に思い出すよ。
12月30日、あの綺麗な緑色の葉が、しわくちゃな枯葉色になった。

「なんで、置いてったんだろ」
季節と一緒に彼女を連れ去った夏の日。
未だに、君と違って後ろを向きっぱなしだな、僕は。

-枯葉-

2/20/2024, 4:55:52 AM

私はもう太陽に向かってひたすらに伸び続けることはできない。
下に見える若い芽がふと羨ましく思ったり、自分の今までが何もなかったように感じるときもある。
私自身があの若い芽のように大きく育つことはできないけれど…せめて若い芽が大きくなるよう、私の最後を未来に託そう。

ひらひらと落ちた枯葉が、まるでそう言ってるように感じられた。

「枯葉」

2/20/2024, 4:43:02 AM

夕陽が沈み、辺りは既に真っ暗で、大学からの友達よっことまりまりと何気なく歩いていた。
いつも歩いてる大学近くの道路は車通りが多く、信号の移り変わりが早くて他愛もない会話をしてるとすぐに青信号が点滅する。
私達は駆け足で道路を渡った。
オレンジ色の暖色ライトで照らされた一面には落ち葉がびっしりと張っていた。
3人分の影がくっきりはっきりと見える。身長差も分かる。背の高い私がずば抜けている。
私は思い切り落ち葉一面を踏み抜いた。くしゃくしゃ。
まりまりが興奮した様子でスマートフォンをポケットから出し、写真を撮る。私もそれを見て、スマートフォンを出しカメラアプリを開く。
毎回やっすいスマートフォンで根気強く撮影する私を褒めて欲しいと明かり調整ボタンと格闘しながらやっとの思いで写真を数枚撮る。パシャパシャ。
取れた写真を確認する。コントラストがハッキリしていて少しピンボケしているけど逆に味が出てる気がして満足した。
ふと気づく。このワンシーンは次いつ訪れるのか。
大学に入ってから純粋に楽しいと思えてる。だがそれはいつまでなのか、いつから変化しなければいけないのか。私はきっとその恐怖にいつも怯えていなければならない。
変化は常にあるべきものだ。私に変化が訪れない生活があるとしたらその時はきっと腐り落ち全てに絶望し、最期を迎えるときだろうと思う。
足下を見る。
この葉たちは次の変化のために落ちたのだ。元気に生えていた深緑から今は地に落ち枯葉となって次を生やすために。
私は次の深緑を生やせるだろうか。枯葉のままではないだろうか。
ぐるぐると胃から嫌な感じが込み上げてくる。毎回不安になる度に起こる現象。
私はこいつにじわじわくんと命名した。付き合っていかなければならないのだ。
未来の事は分からないそんなの当たり前だ。でもきっと戦っていくしかないのだ。
スマートフォンを再度取りだしさっき撮影した写真をInstagramに投稿する。すぐに友達からいいねがくる。それを見て私達は歩き出した。

2/20/2024, 4:29:50 AM

枯葉


晴れた日に近くの公園に行ってみる。
そこにはちょっとした林があって、
窪地になっているせいもあって、
すっかり葉が落ちた木々の下には、
たくさんの枯葉がこんもりと積もっている。

窪みにたっぷり蓄えられた枯葉に、
足を踏み入れてみると、
ふくらはぎまで埋もれてしまう。
子どもの頃に憧れたアルプスの少女ハイジの麦わらベッドを思い出すくらいにふかふかと重なっていて、暖かかった。

午後の金色の日差しの中、人気のない林を、
ひとしきり枯葉を踏んで歩き回ったのは、
とても楽しい思い出。



#176

2/20/2024, 4:25:21 AM

枯葉

 夏はあんなに鮮やかな緑色だったのに、今となってはもう、悲しい茶色だよ、穴なんか空いちゃったりして。ワタシ達の寿命は一年もないわね。木から落ちちゃったワタシはいつのまにかいなくなる。
 次のコたちにあとは任せるわよ!また綺麗な緑色で癒しを作ってね。

2/20/2024, 4:16:10 AM

「枯葉」

私自身、枯葉についてあまり深く意識したことは
ない。

ただ、私が枯葉について何か感じることとしては、
木の枝から力尽きて落ちたものが、大地の肥料というか
大地の微生物、昆虫、植物などのエネルギーとなり、
肥沃な土地としての役割は素晴らしいではないか。

枯葉も、自然界に大いに貢献していると思えば、
ゴミではなく、地球にエッセンシャルなものとして、
捉えたら、見方が大きく変わるのではないかと思う。

つまり、自然界は無駄なものがないのだ。
雑草と呼ばれているスギナもお茶にできたりと
使い道はある。他にも酸性土壌のために生えるとか
聞いたこともある。

改めて文章にしてみて、枯葉を見たらゴミではなく、土に返したいとより強く思うようになった。

最後に感謝します。
ありがたい枯葉さんへ。

2/20/2024, 4:01:53 AM

『枯葉』

同じ年に生まれたやつらが大勢いて、片や光当たる道を歩いているが自分は暗がりばかりを歩いている。自分の何が悪かったのだろうか。普通がわからないから何もかもがわからない。声をかけてくれた人もいたはずだが、今はまわりに誰もいない。全部自分のせいなのだろうか。そうだとわかってはいるのだが、そうではないと言って欲しかった。
枯葉のような人生だった。北風が強く吹けばあとには何も残らない。最初から何もなかったみたいに。

2/20/2024, 3:58:46 AM

昔の記憶、それも何かの朗報を待つときの、私の眼前に広がる景色に決まって枯葉はなかった。

たいていは昼間、しかも移動中の車や部屋の中。
親との会話、あるいはつけっぱなしのテレビの雑音のなかで、心臓がドコンドコンと私の身体を叩くのを聴きながら。その時の木々の葉は緑だったように思う。
新しい何かが始まる期待。
反対に、何かがスッパリと終わりを迎えるあっけなさ。
そこには生物のエネルギーがうごめいているように思う。
緑はその象徴の色、つまり生きている証。

枯葉には朗報の思い出がない。
そこに生命の存在が感じられないわけではない。
どちらかというと「静止」、すべての時間が止まっている状態を思わせる。







枯れ葉
落ち葉

受験
別れ
焼きいも
身支度
飛行機
空白
休み

なんでもない日

2/20/2024, 3:50:03 AM

「枯葉」

ざくざく、さくさく。
枯葉を踏む自分の足音を聞きながら、静かな冬の自然を歩く。
歩きながら、いろんなことを考える。

最近人からもらった言葉の意味
社会問題の寄せ集めみたいな自分の人生
新しいものと古いもの

ぼんやりと考え事をしている僕の前に、
ひらりひらり、ゆっくりと一枚の枯葉が落ちてきた。

枯葉。寒い季節の訪れを知らせる、がさがさでくすんだ色の手紙。植物が最後に遺した落とし物。

多くの植物は春に芽吹き、夏に育ち、秋に染まり、冬に枯れる。
だからこそ枯れた葉は冬のもの悲しさや老いの象徴だったりする。

たしか10何年か前までは高齢者が運転する車に枯葉マークが貼られていたけど、枯葉へのネガティブなイメージが強いから今は四葉のクローバーに変わったんだったっけ。

寒い季節は太陽が顔を覗かす時間も少ないから、みんな憂鬱になりがちだ。それをわかりやすくあらわすものが、枯葉。

だけど、ほんとうにそうだろうか。
冷えて乾ききった、悲しいだけの存在?
きっとそんなことはない。

世界は少しずつ、少しずつ生まれ変わる。
それが嬉しいことか、悲しいことかはひとそれぞれ。
だが、冬が訪れ枯葉が舞ったということは、いずれ春が、色とりどりの花や鳥が人の心を彩り暖める季節がやってくるということだ。

そういう星の理の中で僕らは生きている。

枯葉は最期にそう教えてくれた。

2/20/2024, 3:49:59 AM

残業後対話篇 死さえも命の一部なのだから(テーマ 枯葉)


 これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。



 社屋が新しくなってから、通勤ルートは会社からの帰り道には枯葉一つ落ちていない「街の道」になった。

 以前の社屋は山際にあったため、道を選べば完全に山道を通ることもあり、枯れ葉だらけ、土だらけの道を歩くこともあったのだから、大変な変化である。

 この短い話の主人公の彼は、今日も残業をした後、暗い中を帰宅途中であった。



 彼には、自問自答する際に自分の中に別の人格を作り、その人格と対話する奇妙な癖があった。学生の時に生まれたその人格を、彼はイマジナリーフレンドと心のなかで呼んでいた。
 別に二重人格というわけではない。全部、彼が自分で想像して自問自答しているだけだ。

『 街の道だね。葉っぱ1つ落ちていない。アスファルトが古びたら張り直す、ゴミを掃除する、多くの手間をかけて維持されている金持ちの道だね。』

 生意気な事を言っているように見えるが、彼が言わせている疑似人格だ。

(歩きやすくて良い。)

『山道、デコボコだし、坂道だらけだし、滑りやすいし、まあいいとこ無いからね。』

 山道はそもそも車が走る公道と比較すべきものではない。

 比較対象にするなら、途上国で使われる、土のうと土でできた道だろうか。
 見栄えは良くないが、特殊な材料がほとんどいらないため、自分たちだけで維持できるメリットがある。

「あ。茸だ。」
 道端の土の部分に、小さな茸が生えていた。


「先輩、拾って食べるとか、まさかしませんよね?」
 珍しく、彼には今日の帰り道に同行者がいた。
 職場の後輩だ。

 イマジナリーフレンドに心の中でしか返答しないのは、人がそばにいるからだった。

( 人と一緒に歩いているのに、まともに会話しないのも、褒められたことじゃないか。)

「拾い食いなんてしない。ましてや茸。腹を壊す。」
「いやー、黙って歩いているかと思えば、道端を見て『 茸だ』ですもん。心配になりますって。」
「生えているのが仮にマツタケでも食べないぞ。」
「先輩、マツタケがそこら辺に生えてるわけないじゃないっすか。」
 マツタケは、現代の日本では高級茸として取り扱われている。

『むかしは松茸、そこら辺の山で簡単に取れたって聞いたことあるけどね。』
 そう。誰に聞いたのだったか。

 松茸は日当たりがいい場所にでき、枯葉や枯れ枝がない方が発生しやすい。
 電気・ガスなどが各家で利用されるようになる前、囲炉裏などで火を利用していた時代には、「燃料」として山の枯葉・枯れ木の枝は近くの人に回収されていた。
 そのため、松茸は珍しいきのこではなかった。

 しかし、電気が引かれ、ガスが入り、手軽に火を扱えるようになったら山に入って枝葉を拾ってくる人はいなくなり、山は枯葉・枯れ枝だらけになった。
 当然の帰結として、松茸も激減した。というわけだ。

「マツタケも、昔はその辺に生えてるキノコだったの。」
「マジですか?」
「山が枯葉や枯れ枝だらけで放置されるようになってから激減したけどね。電気やガスがない時代の話だ。」 

 昔は椎茸のほうが高かったのだ。
「電気ガスなしはちょっと………。マツタケ食い放題でも、そんな不便と引き換えはできないッスね。」


「枯葉が増えて減るものもあるんスね。栄養があってマツタケも増えそうなものですけど。」
「山に住んでいるのはマツタケだけじゃないから。マツタケは陽の光もいるし、枯葉で増えた生き物に生存競争で負けた感じだ。」
「食物連鎖ッスね。」

 枯葉は地面に落ち、微生物によって分解され、植物の栄養になる。
 その栄養で育った植物を動物が食べる。

 もう何の役にも立たないと思われるものも、この世を構成している立派な一部なのだ。

『まあ、そもそもマツタケはありがたがらない国も多いし。アレを連想させるとかで。』
 イマジナリーフレンドが下品なことを言い出した。

「 下品だ」
「 え!?食物連鎖が!?」

 彼はしまったと口をつぐんだ。人と喋るときに変なことはすべきではない。




 後輩と別れた帰路、イマジナリーフレンドは話を続けた。
『キノコはともかく、そもそも人間は死骸をよく使うよね。肉を食べるだけでなく、皮を使って服や靴を作るし、そもそも木も植物の死骸だ。』
「 だから?」
『 その割に、自分の周辺に『それ』と分かるものを置くのを嫌う。枯れ葉も虫や動物の死骸も。』
「 そりゃ、そうだろ。虫が湧くし、病気になるかもしれない。清潔さを求めた結果だろ。」
 彼は、周囲に人が居なくなったので喋りたい放題だ。
 怪しい人に見える。まあ、最近はイヤホンで電話する人もいるし、言い訳はかろうじてできる。

『でも、死んだ後も終わりではない。山道なんて、虫の死骸はいくらでも転がっている。それが死骸のままなら、山は死骸だらけになってしまう。』
 そう。街の道で猫が死んでいたら、市民の通報によって役所の道路管理の人が回収していく。これが街の動きだ。
 それが家の庭なら持ち主が処理する。

 しかし、自然はそんなことはしない。
 山で死んだ動物や虫はそのままだ。
 小動物や虫や微生物が死骸を食べる、発酵する。分解される。
 そして土に還る。

 生き物は本来、皆そうだ。

「街はアスファルトで固めちゃったからね。そして、死骸が分解されて土になるまで待てないのが人間だ。」



 樹上の若葉はやがて枯れ、枯れ葉となって枝を離れ、地面に落ちる。

 落ちた枯れ葉は葉としては用をなさない。しかし、微生物に分解された葉は、地面に肥料として利用され、次の植物の命を育む土壌となる。
 この世界は、死すら次の命のための土台になる。

 人も同じ。
 死んでしまって、考えることができなくなっても、火葬されて骨だけになったとしても、その体を構成していた原子は、消えて無くなるわけではない。
 姿を変えて、水と空気と灰と、骨になり、我々が住んでいる世界を構成する一部となって循環する。

 循環するが、同じように構成されて同じ人が再現されることはない。もうバラバラにされて世の中に放たれてしまったのだから。
 灰になった木の枝を、煙と水分と熱を加えても元の枝に戻らないのと同じだ。それが死なのだ。

 我々は多くの死の上で生活しており、今度は自分の番になるだけなのだ。

「薤上の露、何ぞ晞き易き。露、晞けれども晞くも明朝、更に復た落つ。人、死して一たび去らば何れの時にか帰らん。」
 昔、一時詩吟を習っていた時期があったので、口ずさむ。

 薤の葉の上の露は乾いて消えやすい。露は乾いても、翌朝またある。だが、当然、その露は昨日の露ではない。
 昨日の露は乾いてしまったのだ。もう二度と同じ露ではないのだ。

 人の死も同じ。一度去ってしまえば、同じ生き物としては二度と還ることはない。

『それは枯れ葉じゃなくて葉の上の露だけどね。』
 イマジナリーフレンドは突っ込んで締めた。

( 先輩……。独り言に歌まで。やっぱり働き過ぎでアタマイカれちゃった?)
 そして、影で後輩が戦慄していた。

2/20/2024, 3:48:18 AM

一度でいいから沢山の枯葉を集めて、シーツで包んでベッドみたいにして、そこに飛び込んでみたいものだ。心地よければ昼寝もしてみたい。

2/20/2024, 3:41:20 AM

その絵には、枯葉でできた髪がたくさん貼られていた。
 
 タイトルには「理想のお父さん」とある。

「……禿げてて悪かったね」

 私はため息をつくと、薄くなった頭を軽く撫でた。

2/20/2024, 3:26:13 AM

高齢者が自動車につけるシルバーマークは、始まった当時「もみじマーク」という名で、デザインも今とは異なり文字どおり紅葉を模したものだった。
 巷では枯葉マーク、落葉マークなどと呼ばれ、イメージがよろしくないということで現行のものに変えたらしい。個人的には名称はともかく見た目は若葉マークとの対比で分かりやすかったのだが……。

 人生を葉っぱにたとえると、自分は今どのあたりの色づきだろうと考える。
 毎日鏡に映る見慣れた顔でも、以前の身分証の写真と比べると確実に変わっている。
 若葉や青葉の「成長」フェーズはとうに通過しているが、紅葉へと変化する「成熟」途中なのか、紅葉まっさかりなのか、既に枯葉へ向かっている可能性もある。

 近年よく見かける、人に対する劣化という言い方はあまり好きではない。
 紅葉は綺麗だし、枯葉には趣きがある。人もまた然り……と思いたい。


『枯葉』

2/20/2024, 3:25:30 AM

今日は何日であろうか、、、忘れてしまった。
病室の中で、自分はカレンダーを探した。
「ああ、○月✕日の○曜日か」




カレンダーを見てベッドに戻る自分
そんな自分に日々の衰えを感じる……
前はカレンダーなど見ずとも曜日を覚えられたのに
ベッドに出戻る生活をするなんて
「私も衰えたな」


ガラガラ…「おはようございます!斎藤さん。」
病室の扉が急に開いたと見ていたら、私の看護師である、甲斐さんが今日もご飯を持って来てくれた。

「ああ、おはよう、甲斐さん。今日のご飯かい…?」
「ええ、、今日はお魚ですよ。昨日斎藤さんが食べたいとおっしゃっていたので。」
「そんな事言ってたかね…。」
「ええ。」


またか、、昨日の会話など自分の記憶から無くなってるのは何度目であろうか。

そう思いながらご飯を食べた。

そしてまた数日が立った。
ある日の朝…

「カレンダーはどこだ、、何日であろうか…」
また、病室の中で自分はカレンダーを探していた。
その時にまた扉の方からガラガラ…と開く音がする。
「おはようございます!斎藤さん。」
斎藤、、
誰であろう、、
「甲斐さん、、斎藤さんとは誰のことだ?」
「分からないんですか…?」
「ああ、これっぽっちも」





また、数日後
いつもガラガラとなる扉は、決まってこの時間だ。
「またか、斎藤さん、おはよう。」
と入ってくる…看護師姿の女の人に声をかける。

「おはようございます、斎藤さん。私は甲斐ですよ。」
「ああ、そうであったな、、」
「いつも間違っててすまん」



また、数日

誰であろう、、自分はと、、
老いた枯葉の手は動かない
ガラガラとなる音はいつも通りに鳴るが何の音であったか、忘れてしまった。
甲斐さんは「今日も大丈夫ですか」と聞いてくる
大丈夫だ元気だと、、口を動かす。
聞こえているのであろうか。


ああ今日も枯葉達が落ちているな。いつも通る歩行者通路には今日も散乱と落ちていた。
「今日も頑張るか」と青年が声を張る。
慣れた手つきで、枯葉は1箇所に集まっていく
そして集まった葉を青年はゴミ箱に捨てていった。

そこに青年に声をかけていく者がいた。

「今日もありがとう。お疲れ様。」
「いえいえ、毎度のことですのでまた落ちていたら何時でも言って下さい。」
「枯葉はまた出てくるもんな」
「ええ、1日と経つ事枯れていく。何もしていなくても若い葉との交代が迫られていく。そんな枯葉は人間ですよ私たちと同じ、人間です…」

「そういう風に感じて甲斐甲斐しく君が枯葉お世話してくれているだけで、枯葉は天国に行けたであろうよ、、、」

「それだと嬉しいです…。」

「また、若い葉に成って帰って来て欲しいなと、
思えるので」

「はは笑」
「ずっとそう思っていたらいい、君が忘れなかったら、枯葉にも伝わるさ、」

「ところで、青年。君の名前は?」




「斎藤です。まだしがない清掃員ですが、」
「そうか、斎藤くん。まあ、いつかまた会えるだろう。」

「話を出来て嬉しかった、自分があの時感じたかったことも思い出せたよ。」とおじいさんは言う。
「はい、それなら良かったです。また会う時に覚えておきたいので聞かせてください、おじいさんの名前は?」

「ああ、私は斎藤だよ。」

「またな、そろそろベッドに戻らなければ。」



とおじいさんは、、
一瞬、信じれなかったが
目の前で天国へと消えていった。




「斎藤さん、、ご臨終です。」

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