『枯葉』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
人は誰でも、あらゆる人と似ていて、一部の人と似ていて、誰にも似てない。
あなたって得だよね
彼は私の急な言葉にきょとんとしている。
だって、あなたは枯れても落ち葉って言われて押し花にされたりするじゃない?私は枯れると見向きもされなくなるんだよ
まくし立てるように言うと、彼は驚いた顔をして、それから肩を震わせて笑いだした。なんなのと眉をひそめる。少し顔が熱い。
いや 君がそんなことを考えていたとは
僕からすると、君も得してると思うけどね
彼はおもむろに私と視線を合わせた。
君は生命を芽吹かせる
その一瞬だけでみんなを感動させられるんだ
だから寒い冬の中、みんな君が来るのを待っていられるんだよ
彼の真剣な眼差しに顔が蒸気する。僕は最初から最後まで変わらない景色だから飽きられているかもねと彼は言った。私はカッとなって
そんなことない!
気づくと身を乗り出していた。ぱちくりした彼の目が目の前にあって、さっきよりも顔が沸騰した。
すると彼は声をあげて笑った。
羞恥心でどうにかなりそうだったけど、彼につられて私も笑ってしまった。
私は彼をちらっと見た。
本当は最初、あなたは枯れても綺麗ねって言いたかったんだ。
.枯葉
木々が色づく季節が好き。
だんだん寒さが深まって、
人は暖かさを求めるようになるから。
枯葉、舞う。
世界がだんだん色を失くす。
今日も私は旅に出る。
温もりのある場所を探して。
「枯葉」
『枯葉』
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら あるいてる
枯葉をあつめて おちばたき
あなたとわたしのほのおよ
ながくながく ねがってる
「枯葉に落ち葉、断然秋のイメージ強いけど、俳句の世界じゃ『冬』なのな……」
へぇ。調べてみるもんだ。某所在住物書きはスマホの画面を見ながら、季節外れの高温に顔をしかめた。
東京、23℃だそうである。しかしながら気象庁によると、今から90年程度昔の1930年2月、東京で25℃に迫る最高気温が観測されたらしい。
「初夏の気温の日に、秋を思わせる『枯葉』のお題が来て、実はそれが冬の季語……」
春だけが迷子。物書きは上手いこと言った気だが――
――――――
2月と思えぬ高温到来のこの頃、体調等、お変わりなくお過ごしでしょうか。季節外れにアイスなど食す物書きが、こんなおはなしをご用意しました。
都内某所、都内にしてはそこそこ深めの某森の中に、不思議な不思議な稲荷神社がありまして、
敷地内の一軒家には、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりました。
末っ子の子狐は、お花とお星様が大好きな食いしん坊。美味しいお肉、美味しい山菜、美味しいお菓子、それから美味しい果物に目がありません。
そんなコンコン子狐、最近楽しみにしているのは、神社の近所、某アパートに住んでいる、藤森という名前の雪国出身者。去年、ひとつ約束をしたのです。
『実家が自家製雪中リンゴを始めたらしいから、
暖かくなって雪溶ける頃、子狐にも少し贈る』
それは青森をはじめとして、秋田や山形、長野等々でも作られている、豪雪を利用したスイーツでした。
メタいハナシでは、12月15日付近投稿分参照。
スワイプが面倒なので、気にしてはなりません。
昨今の暖冬で、例年より早く雪の中から掘り起こすことになったという、藤森の実家の雪中リンゴ。
今日ようやく、子狐の住む稲荷神社に、約20個入りの箱に詰めて、藤森の手により届けられました。
重さにしてだいたい5kg。都内価格やハウマッチ。
赤くツヤある1個と、黄色く美しい1個を、それぞれ母狐が6等分、スライスしてくれました。
「あまい、あまい!」
コンコン子狐、人生ならぬコン生初、雪中リンゴをご賞味です。シャクシャク、シャクシャク。藤森の故郷の冬の終わりを、子狐、幸福にご賞味です。
「セッチューリンゴ、あまい!」
東京から出たことがない子狐、ジューシーなスイーティーに、おくちいっぱい、かじりつきました。
冷たい雪が酸味を抑え、甘味を増やすその仕組みを知らぬ子狐、見知らぬ雪国を思い浮かべます。
きっとそこには、魔法の雪があるのです。食べ物をうんと美味しくする、不思議な雪があるのです。
藤森の故郷はきっと、それがたんと積もって、リンゴもブドウもダイコンもタケノコも、すべて、美味しくするのです。そうに違いないのです。
「雪に埋めれば、甘くなるなら、」
コンコン子狐、子供なので、閃きました。
「枯葉のお布団に埋めても、甘くなるかな」
なりません。土に還って、良き肥料になるだけです。
でも子狐、子供なので知らぬのです。
子狐の神社の住所は東京。遠い寒い藤森の故郷のように、魔法の雪はありません。
だけど子狐の神社には、稲荷のご加護、ウカノミタマのオオカミ様のご利益深き、水と草花と木とキノコと、もちろん枯葉も、あらゆる場所にあるのです。
魔法の雪には、ご加護とご利益の葉っぱで勝負!
コンコン子狐、残った18個のリンゴの中から、イチバン大きい、赤いリンゴを選び出して、パックリ!
小ちゃなおくちをしっかり開けて、小ちゃな牙でしっかり噛み持って、
神社の庭の、こんもりフッカフカに積もった枯葉のお布団へ、トテトテチテチテ、持っていきまして――
「あがっ、あがが……」
なんということでしょう。せっかく枯葉のお布団を、前足使って一生懸命掘ったのに、
リンゴをあんまりしっかり噛み持っていたせいで、
子狐の口から丸いリンゴが、ちっとも、少しも、たったの1ミリも、外れてくれないのです。
「がが、ぎゃぎゃぎゃ……」
どうしよう。助けてかかさん、助けてととさん。
コンコン子狐、枯葉の穴の前で少々困り果てますが、
丁度通りかかった「雪中リンゴの送り主」、藤森に無事救出されて、事なきを得ましたとさ。
おしまい、おしまい。
秋晴れに外の空気を、すいたくなる。
家というのは、寒さを凌ぐものである。
私は住みたい家がある。
それは、ログハウスだ。 別荘とは違うもの
ずっと住みたくなるものがいい。
カフェのような 家に住みたい。
ひとりは楽だ。
なにしたって、せかされない。
自分のペースがあるから。
毎日のように、焦り、せかされる。
のんびりひとりで、過ごすのが一番。
人と言うのは、ペースを乱されがちである。
だから、せめて秋晴れになったら少しは
楽に生きたい。
枯葉、努力できなくて可哀想だ。
枯葉、俺は進むぜ。
枯葉、さよなら
仕事に行く道、遊びに行く道、普段行く道はアスファルトの硬い道。おしゃれな靴で歩くときも、自転車に乗るときも、車を運転するときも舗装されたきれいな道は安心して進める。
気分転換に自然の中に入るとき、土で靴は汚れるし、地上に出てきた木の根っこに躓くし、足元の不安定さに慎重にならざるを得ない。それでも枯葉の積もった土のかすかに沈んで体の重さを受け止めてくれるその柔らさかに、癒やされる。
枯葉
踏むのは面白いし、情緒としては詩的なかんじではあるが、
実際は掃除が面倒。
役に立つものでもあるんだけどね
枯葉
枯れ葉掃除って、何をすればいいんだろう。
そもそも、どうなったら掃除したってことになるんだろう。
おじいちゃんに押しつけられたほうきを、適当に掃きながら考える。
とりあえず、1か所にまとめてみる。
すると、もう少しで終わる、となったところにいとこが飛び込んできた。努力の結晶が一瞬で無に帰ったものだから、思わず顔をしかめてしまった。
しかし、枯れ葉吹雪でキャッキャと遊んでいるいとこを眺めていると、なんだか毒気を抜かれてしまう。
こうしてる間にも、枯れ葉は庭を独占してしまおうとひらひら舞い踊ってる。
私は肩を竦めながらも、また性懲りもなく枯れ葉を掃きはじめた。
枯葉。パッケージとかしてしおりなんかにしたらおしゃれそう。でも枯葉にそんな手間かけるのはあほらしいわな。
バイトで外を掃除してると枯葉ってわりとうざい。ちょこちょこあったりするけど掃除しないと景観が悪くなるから。
あと枯葉で書けそうなことってなんもないな。最近のことでも書くか。
最近は暖かくなってきてもう電気毛布も必要ないな。でも来週だかにまた寒くなるっていうし衣替えはまだ早いか。
ちょっと前は部屋で靴下をはいてたけどそれも必要ないくらい暖かい。いつもこれくらいなら過ごしやすいんだけどな。
そういえば花粉症は症状出なくなった。ちゃんと薬がきいてるみたいだ。
市販薬じゃだめと思っていたけどばっちり効果あるわ。しかし花粉症の薬代だけど結構かかるのきついわ。
耳鼻科にいって薬もらったほうが安くすむのかな。前に調べたらあまり変わらなかったけど実際はどうなんだろ。
肌寒い風に身を震わせながら、並木道を歩く。
左右に植えられた木々の葉は既に変色していて、秋の訪れを強く実感させる。
路面には、落ち葉となってうっすらと積もっている枯葉たち。
春に芽吹いていた生命の象徴は、いまやその役目を終えようとしていた。
嬉しいことも悲しいことも、気づけばあっという間に過ぎていって、何事もなかったかのように季節は巡る。
秋は、四季の中で最も哀愁を感じさせる季節だ。
それを視覚的に表しているのが、色褪せた葉っぱ。
なんとなく今日を生きている私も、いつかは枯葉と同じように、やがて風化していく。
それを思うと、年老いていくことは避けられないのに、漠然とした不安と恐れを抱かずにはいられない。
これもまた、人情というものだろう。
人は理性的ではあるけれど、生き物である以上、感情に抑制が効かないこともある。
私はいま、人肌が恋しい。
誰かとまったりしたひと時を過ごし、肌を重ね合わせ、愛を育むことを切望してしまう。
三十代にもなっていまだに男の人を知らないのだから、拗らせている。
このまま私は、四十代を迎えてしまうのだろうか。
答えてくれる人は、どこにもいない。
……寒空の下、またヒラヒラと枯葉が舞っている。
苦悩を抱えて、私は落ち葉を踏みしめていく。
クリスマスのイブまでには、恋人をつくりたい。
心から、それを望む。
昨日は、ウーバーイーツの配達をした。このアルバイトはストレスフリーで大変やりがいのある仕事だ。皆様が想像する配達の仕事は対面で現金を扱い、商品の手渡しなど手順があると想像するのではないだろうか。しかし、ウーバーイーツの配達は現金はもちろん事前にクレジットカードや電子マネーでの支払いを終えている方の配達を行うので、商品をお客様に渡して終了の場合が多い。それから、商品をどうお客様に渡すのかにも方法が2種類ある。まず、対面での手渡しだ。次に、置き配による配達だ。実際にどちらが多いかと言われると、置き配の割合の方が多いと考える。この説明だけでは、なぜストレスフリーでやりがいのある仕事なのか私の体験談を交えて説明していく。まず、商品をコンビニエンスストアやすき家などに受け取りに行く。次に、それをお客様の家に届ける。私は、この間に人と接するのは、商品を受け取る時と商品を渡すときだけだ。また、置き配の割合が多いとさきほど説明したが、それも相まって人とコミュニケーションを取る回数が少ない。だから、ストレスフリーで行うことができる。しかし、多少のストレスはもちろんある。それは、車の交通マナーについてだ。目の前で急な車線変更や体すれすれでの追い抜きなどが多くある。そのような、交通によるストレスを感じることは多少ある。次にやりがいについて説明する。私がやりがいを感じる時は、時給計算したときに高い水準を達成しているときだ。ウーバーイーツの配達は完全歩合制なので、配達をすればするほど時給が上がっていくシステムになっている。私は、時給を上げるために商品をバックに入れるスピード、商品を運ぶまでに近道を利用する、いかに商品を揺らさずに運ぶ、この3点を交通ルールに気をつけて日々配達に勤しんでいる。そうする事により、自然と時給1500円が水準となっていたので、これからもこの取り組みを続けていきたい。さて、本題へと話を戻そう。したがって、UberEATSの配達は初めての人でも取り掛かりやすいアルバイトであり、ストレスフリーで自分の力量で時給が変動するやりがいのある仕事である。
☆枯葉☆
枯葉だけにスポットを当ててみると
少し淋しい感じがしてしまう
しかし
大樹の葉と考えると
成長していくうえで必要な事で
喜ばしい事でもある
物事をどう捉えかの違いだけなのにね
今あなたが抱える目の前の悩みや不安も
見方を変え
大きな視野で考える事が出来たら
全く違って見えるかもしれないね❢
「木を見て森を見ず」
という奴ですかね❢
枯葉
「年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。」
「君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく。」
(命に嫌われている。/カンザキイオリ)
今回のテーマを見て一番に連想したのはこれらの歌詞だった。人生が終わっていくことを枯葉に例え、朽ちることに恐れをなしているように見える。
しかし「枯れ葉のように朽ちる」とは具体的にどういうことだろう。枯葉と青葉で大きく異なる点は、その色と水分量か。
色が変化するということは、緑色が失われ、栄養を生み出すことができなくなるということだろうか。であれば「枯れ葉のように朽ちる」絶望の一つは、かつてできていた生産的な行動ができなくなることかもしれない。
水分量が変化するのは、水の供給が絶たれるからかな。栄養を提供してきた相手に、これ以上水を供給する価値がないと思われやがて捨てられる。極めて合理的な判断だが、そうして瑞々しさを失っていく葉っぱの立場に立ってみれば恐ろしいものかもしれない。歌詞にも「誰にも知られず」とあるけれど、他人に無関心でいられるのは苦しいのだ。
地面に落ちてしまった枯葉は、子どもたちの遊びの一環で、あるいは大人たちのストレス発散で見る影もなくなるまで踏み潰されるのだろう。天命を全うした先にあるのが赤の他人の快楽の道具だとしたら、生命とはひどく残酷なものだと思う。
せめて、いつかは小さな生き物の栄養となって新たな生命の糧になると考えれば、人生の終わりが枯葉だとしても気持ちも少しは救われるかな。
父は東北の寒村地域で生まれた。大学進学のため東京に出るまでの18年間を保守的な地方で過ごした。
ど田舎の高校に通っていた父は周りの友人達が昭和歌謡を聞いているなか、海外の音楽にはまったらしい。とくに好んで聴いたのはジャズだった。きっかけは高校の物理の先生だ。
ある日、理科実験室に行くと、実験室から聞いたことがない感じの音楽が流れていた。ジャズだった。父は一瞬で心を惹かれたらしい。先生からジャズについて教わり、放課後は実験室で先生と共にジャズを聴きまくった。
大学入学後には都内のジャズ喫茶に入りびたり、卒業が危うくなった。
なんとか卒業し高校の数学教師となり、都内の高校に勤務。地元に戻らなかったのは、ジャズ喫茶に通い続けるためだった。
就職後もジャズ喫茶に通い続け数年、ジャズ喫茶で一人の女性と出会った。女子大に通うジャズ好きな女性だった。二人はすぐに意気投合し、恋に落ち、女性が大学を卒業するのと同時に籍を入れた。
数年後、私が誕生。ジャズ好きの両親なので、常にジャズがかかっていた。胎教も子守唄もジャズ。ジャズは空気のようなものだった。
このような家庭で育ったのでわたし自身もジャズが好きになり、現在ではジャズ関係の仕事に従事している。
我が家には校歌、社歌ならぬ家歌がある。ジャズの名曲「枯葉」だ。家族全員が好きであり、家族全員で聴き、時には家族全員で奏でる。
先日他界した父の葬儀の際にも最後は「枯葉」で送った。
今、この文章を書いてる際にも「枯葉」かステレオから流れている。
我が家にとって特別な曲である。
お題:枯葉
春の足音が聞こえる季節だというのに
一枚の枯葉が宙を舞う
なんだか自分と似ていて何気なく話しかけてみた
「お前も俺みたいに仲間に取り残されたのかー?笑」
勿論返事は返ってこないのだが。
ん?…周りの目が痛いが気にしない事にしよう
俺も枯葉みたいに舞う事が出来たらなぁ
なんて考えても意味ないか…笑
もう俺は昔みたいに戻れないんだよ
枯れ葉
いちょうの木の下で
子供たちが 葉っぱと一緒に
じゃれ会うの、って
すぐこの間見たみたい
だけど、枯れ葉散るのが
早すぎる この数年
もう、花まで咲く
自然よ あなたは
何故 日本を 変えたのか
それとも 人間の仕業か
『枯葉』
かつて緑色だった枯葉は、次の季節にまた色をつけるために力強い風に吹かれて大空を舞う。また来年、鮮やかな自分を咲かすために。新しい自分に出会うために。
俺もあの枯葉のように、来年の自分を楽しみにしながら今日も日々を過ごしていこうと思う。
______やまとゆう
歩みを進めるごとに、かさりかさり、と乾いた音が木霊する。日の落ちた遊歩道に人影はない。
等間隔に並んだ街灯が枯葉の敷かれた道をぼんやりと照らす。
やけに静かな夜だった。
車道を走る車の音も、いつもどこかで鳴っているサイレンも、風の音も、虫の声も、羽音さえ聞こえない。
ただ僕の足音だけが、響いている。
かさり、
―――かさり、
かさり、
―――かさり、
僕のものに重なり合って、別の誰かの足音が聞こえる。
それは歩調を合わせるように、付かず離れず追いかけてきた。
立ち止まり、振り返る。
深閑とした闇が伸びているだけだった。
自宅の玄関のドアを閉めて三和土で靴を脱ぐ。
廊下を歩くその後ろから、
―――ぺたり、
―――ぺたり、
僕は何を連れてきてしまったのだろう。