父は東北の寒村地域で生まれた。大学進学のため東京に出るまでの18年間を保守的な地方で過ごした。
ど田舎の高校に通っていた父は周りの友人達が昭和歌謡を聞いているなか、海外の音楽にはまったらしい。とくに好んで聴いたのはジャズだった。きっかけは高校の物理の先生だ。
ある日、理科実験室に行くと、実験室から聞いたことがない感じの音楽が流れていた。ジャズだった。父は一瞬で心を惹かれたらしい。先生からジャズについて教わり、放課後は実験室で先生と共にジャズを聴きまくった。
大学入学後には都内のジャズ喫茶に入りびたり、卒業が危うくなった。
なんとか卒業し高校の数学教師となり、都内の高校に勤務。地元に戻らなかったのは、ジャズ喫茶に通い続けるためだった。
就職後もジャズ喫茶に通い続け数年、ジャズ喫茶で一人の女性と出会った。女子大に通うジャズ好きな女性だった。二人はすぐに意気投合し、恋に落ち、女性が大学を卒業するのと同時に籍を入れた。
数年後、私が誕生。ジャズ好きの両親なので、常にジャズがかかっていた。胎教も子守唄もジャズ。ジャズは空気のようなものだった。
このような家庭で育ったのでわたし自身もジャズが好きになり、現在ではジャズ関係の仕事に従事している。
我が家には校歌、社歌ならぬ家歌がある。ジャズの名曲「枯葉」だ。家族全員が好きであり、家族全員で聴き、時には家族全員で奏でる。
先日他界した父の葬儀の際にも最後は「枯葉」で送った。
今、この文章を書いてる際にも「枯葉」かステレオから流れている。
我が家にとって特別な曲である。
2/20/2024, 1:13:47 AM