『束の間の休息』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
《束の間の休息》
ゲームしてると勝手に入る広告動画、マインドフルに目を閉じたりする
今日も忙しない街の中で一人一人それぞれが選択肢に衝突し、選んだ道を進んではまた、次の選択肢に衝突する。私もその中の一人である。
周りからは、明るい、元気、いつも笑顔、ポジティブ、友達が多い、可愛い、優しい、八方美人、口が悪い、裏表がある、何も考えずに生きている、とよく言われる。「人生イージーモードじゃん」
「何も考えてなさそう」
「羨ましい」
つらつらと勝手に並べられる印象には、どれも反吐しか出ない。
私は中学生の頃、人との関わり方が分からなくて、不登校になったことがある。正確にいえば、登校拒否だと思う。あの時、助けてくれる人は誰もいなくて、自分を守れるのは自分しかいないのだと実感した。だから、どんなに仲がいい人でも本当の私は見せることが出来ない。だって、殻が無かったら攻撃を防げないじゃない?私って繊細だから。
中学生のあの鬱時代を乗り越えた私は、考えを変えた。今までネガティブ思考だったのを、無理やりかと思うほどポジティブ思考に変換した。持ち歩く物は自分を忘れないようにしつつも、女子が持ってておかしくないもの。何か悪口を言われても自分が成長できるチャンスだと思った。誰でも持っている自分自身の考えはあるし、一人一人違う意見だからこそ、誰でもに自分を理解して貰えるように色んな人と関わった。自分の周りだけではなく、土俵の反対側から反対側の人まで、男女関係なく関わった。でも、
「八井崎、ほんと八方美人だよな〜」
「あの子誰にでもいい顔するじゃん」
「思わせぶりだったのかよ」
何故か悪い噂ばかりが増えていって。中学の頃に逆戻りするところだった。
だけど今の私は変わった。
強くなった。
生まれ変われた。
今日も私は表側を見せながら社会を歩く。
おちゃらけた何も考えてないお馬鹿な女子高生。選択という壁が迫っても、後先考えずに衝動で動く。口癖は「なんとかなる」。関わった人が笑顔になれるそんな女の子。
でも本当は。
考え過ぎて何も手がつかなくなるほど追い込まれながら、日々の選択という壁に体当たりしていく落ちこぼれた女子高生。ずる賢くて、人の隙間に入るのが上手くて、「どうにでもなれ」と思いながら人との関わりを営むような女の子。
_たまには本当の私でいいじゃないか。
いや、本当はいつも私がいい。
誰にもなれない唯一無二の私という存在を大事にしたい。
読者の貴方にも、この束の間の休息の時間をこの文を読んでいるだけでも与えられただろうか。
与えられたなら私は嬉しく思います。
明日も乗り越える為に深呼吸をして生きたい。
忙しない毎日を生きる皆様、いつもお疲れ様です。
「束の間の休息」
束の間の休息
(本稿を下書きとして保管)
2024.10.8 藍
※全然お題と関係ありません
※独り言です
アンジェラアキさんの拝啓十五の君へ
もう何十回も聞いてるのに泣ける。
15歳だった当時も涙が止まらなくなったけど、
大人になった今、余計に胸に刺さる。
在宅で適当な音楽流しながら仕事してたら
不意に流れてきてボロ泣きしてしまった。
なんて素晴らしい歌なんだろうな。
荒んで人に攻撃したいくらい荒れてても、
人に優しくしたい気持ちに変えてくれる。
作品から人の心が救われるものはたくさんあるなかで、
本当に癒しの力を感じずにはいられない歌。
こういう作品が作れるようになりたい。
人生に、束の間の休息なんてあるのだろうかと考えた時、それは、自分が決める事なのだと、気付かされた。働いて、頑張って、ボロボロになって、自分が分からなくなって、困って、逃げたくて、駆け足になっているアナタ、ちょっと歩く速度を落とすか、止まって周りを見て、アナタが休めるヒントがきっとあるはずだから。
別れ際に(番外編)22の続き
束の間の休息(番外編)23
●灰色猫ハイネとシズクちゃんの
ひなたぼっこ
ぽかぽかのお日様の光を浴びて
シズクちゃんと灰色猫ハイネは
ひなたぼっこをしていました。
さっきまで二人で草むしりをしていたので
しばしの休息です。
ハイネは、久々の猫型に姿を変え
シズクちゃんの隣ですやすやと眠っていま
した。
シズクちゃんもハイネの隣で横向きに
寝ていました。
二人は、綺麗に揃えて寝息を立てて
いました。
しばらくするとパチリとシズクちゃんが
目を覚ましました。
そうしてぐぅ~とお腹が鳴りました。
そろそろお昼の時間です。
シズクちゃんは、ハイネが作ってくれた
お弁当をバスケットごと持って来て
レジャーシートにお弁当を並べました。
そしてハイネに呼びかけます
「ハイネお昼ご飯だよ!!」しかしハイネはよっぽど疲れているのか深く眠っていました。
シズクちゃんは、ハイネが起きるまで
待ちます 食事は、皆で食べた方が
美味しいからです。
シズクちゃんがハイネが起きるのを待っていると どこからかリスが顔を出し
レジャーシートに置いてあったお弁当の
ミニおにぎりを....「あっ....」ひょいと抱えて持ち去ります。
「リスさん待って....それハイネと食べる
おにぎりなの.... 待って....」シズクちゃんの声も虚しくリスは、自分の巣穴におにぎりを持っていきます。
シズクちゃんはリスを追い掛けおにぎりを
持って行かれない様にリスの巣穴に
近づきました。
普通のリスの巣穴よりは、大きい巣穴
でした。
シズクちゃんは巣穴を覗き込むと
すってんころころと穴の中に落ちてしまいました。
幸い滑り台の様に滑って落ちて来た為
怪我は、ありませんでした
シズクちゃんは、丸い瞳をパチクリとさせ
リスさんに話し掛けます
「リスさんおにぎりを返して下さい」と
シズクちゃんが言いましたがリスの手に
もうおにぎりは、ありませんでした
そうしておにぎりの代わりにリスが
シズクちゃんにくれた物は.....
そしてシズクちゃんに遅れてハイネも
目を覚ましました。
(ふああっ 良く寝た あれ?)
ハイネが目を覚ますとシズクちゃんが
いませんでした。
(あいつどこ行った.....)ハイネは人型に
なるとシズクちゃんを探しに行きました
「お~い!」ハイネが呼びかけると
シズクちゃんが目を丸くして木の根元に
座っていました 見ると服が所々汚れて
いました。
「お前どうしたんだ?」ハイネはシズクちゃんを抱き上げました。
シズクちゃんが言う事には....
「あのね....リスさんが此処まで送ってくれ
たの....でもね....ハイネが作ったおにぎり
リスさんが美味しいから食べちゃったの
だから代わりにリスさんがこれくれたの
ハイネにごめんなさいだって....」
シズクちゃんは自分の首に掛かっている
長いネックレスをハイネに見せました。
そのネックレスは、紐でドングリやクルミなどたくさんの木の実や葉っぱが連なって
いました。
ハイネは(何があったかさっぱり分からん)と思いましたがシズクちゃんが一生懸命
説明してくれるので....
「そうか....とりあえず無事で良かった」と
言ってシズクちゃんと元居た場所に戻り
一緒にお昼ご飯を食べました。
(おしまい)
息つぎ。
浮かび上がる余力を残して臨め。
#束の間の休息
珈琲を淹れて、本を開く。
肩書きのない、わたし個人に戻る時間。
「束の間の休息」
受験勉強の合間にこのアプリの存在を思い出した。
見れば最後に書いたのは6月末、あっという間に10月になってしまっていた。
あと4ヶ月ほどでこの生活も終わる。
そう考えると、もう少しだけ頑張れそうな気がする。
束の間の休息
つい最近まで
蚊帳の外で
のけもので
まだひとりで
呪いを世界自体に
きえろ
ゆるすな
うせろ
そして居場所がまた
空虚になる
「はあ」
とため息が またひとつ
「ああ」
とため息を またひとつ
少なからぬ痛みをともなってさ
かろうじて体勢を立てなおすよ
【束の間の休息】
ふぅ、とひとつ息を吐く。吐かれた息は無色のまま空気に溶けた。
「お疲れ?」
隣に座っていた恋人がそう言った。その優しい声色に、疲労で重くなっていた身体が少し軽くなった気がした。
「うん、ちょっとね」
「そっか。毎日お疲れ様」
恋人はその大きな手で私の肩を優しく抱き、そっと自分の方に引き寄せた。彼の肩にことんと頭を預ければ、肩にあった手が私の頭を優しく撫でてくれた。
今日は週の真ん中で、今月としてはまだ始まったばかり。忙しい日々は続くけれど、この束の間の休息があるから、私は今日も頑張ることができる。
テーマ 束の間の休息
「速報ー速報ー一時戦争が休戦にー」
「やっとかぁ」
「本部も危なくなってきたのかな」
「遅すぎだろ」
「この国大丈夫かな...」
ガヤガヤとたくさんの者たちが新聞を見ている。
「戦争ってあとちょっとで出動しなきゃじゃーん」
「しょうがないだろ、一週間したら僕も行くけど」
アイスを片手に駄々をこねるあいつ。
「まぁ生きれればオッケーということで」
「..そうだな」
「じゃあいってきまーす」
あいつが戦場へ出発した。
「ああ、僕もすぐに行くから絶対生きてろよー」
「生きれるって」
不安しかないな。
「じゃあ行ってきます。」
もう誰もいない家、あいつと二人だけだった家、また二人で帰ってくるから。
「おっ!いたいた〜」
「一週間ぶりー」
「戦争長引きすぎだよ〜」
「「「「皆発泡用意」」」」
声が聞こえた。
「「「撃て」」」
ドンッドンッと音がして、こちらの兵も撃たれて、
殺して
殺して
「 ぁ」
あいつも撃たれた。
横にいるけど、助けてやれない。
振り向いたら、
横を向いたら、
銃から視線を落としたら、
僕も死んでしまうから。
「ごめんっ..!ごめん..!
ごめんなさい...!」
拭いきれない後悔が残った。
戦争には勝ったらしい。でもそんなこと僕にはどうでもよかった。
おわり
一通り物事が片付いた。
ふうと一息ついて座り込む。
ぞろぞろとやってくる人の声に深呼吸をして
「私は大丈夫」心の中で語りかけて笑顔を作る。
人の波に飲み込まれ、私はまた歩きだす。
「束の間の休息」
先日、夏音ちゃんからと陽葵ちゃんから、LINEが届いた。 ねぇねぇ、蒼さんのYouTubeチャンネル見て見て☺️と陽葵ちゃん、夏音ちゃんは、
『蒼さんが、姿を見せられるそうだヨ🎵食レポだそうですよ。蒼さん、ボクに夢見ている民は、見なくても全然OKI🙆と言っていたヨ。』
ーーあんず、どうする?!と二人から、波がザバンとやって来た🌊(。>﹏<。)蒼さん、任意だよね??蒼さんの顔見て見たいかもです。
でも、勇気が私にはありません🙇♀️(^_^;)ごめんなさい(_ _;)
現実に、向き合うのってすごく難しいですネ🥺蒼さんのお母さんは、すごくキレイ✨️とウワサに聞いたことがあります。
だから、蒼さんも多分、端正なお顔をされていることでしょう🎵✨️
私も蒼さんに、夢見ている民ですよねネ〰️(^_^;)アハハハ、苦笑。
何時か、向き合える日が来るまでちょっと時間がほしいかもです(^_^;)(*^^*)🎵✨️
ハニワさんの金曜日のおはよう🌄じゃないけれども、ちょっと待ってっ゙て✋️です🙏何れかな〰️。
何時もお世話になりありがとうございます😊🎵✨️蒼さん。夏音ちゃんも陽葵ちゃんもありがとうネ(*^^*)🎵
先日、私の3月〰️5月の音楽のリストを言いましたが、やっぱり私のセトリだなぁ〰️🤔と改めて想いました。
めいちゃんのもののけの類や星野源さんの異世界混合大舞踏会やデビルじゃないもん🎵が、ランクしていた。
お化けが大好きな私らしさが、私ですネ👻🎃
今日は、コンコンと福祉のことで勉強をした。とっても疲れた😱私の今いる状況や通院している病院の耳鼻科さんとか、楽しみはとか、レベルが高かったり低かったりする質問。(@_@;)
でも、とても大事なことなのだと、自負しています。出来ることや、出来ないこと。強みと弱みなのかな~??想先生か、言われていた。いい所も悪い所も、私なんですネ。
出来ることは、少なめだけれども、私なりに前を向きたいなぁ〰️と、想っています🎵🌱
終わり
束の間の休息
雨上がりの空見上げて
ほっと一息
あたたかいカフェモカ
手のひらも温もる
さて、もうひと頑張り
窓に映る私が微笑む
お題『束の間の休息』
南の壁一面を舐め回すように黒い4つの点を探しては指で穴を開けての作業をして、ようやく3つめの穴を開け終えてしばらく経った頃、俺は束の間の休息を取っていた。
休憩を取っている場合ではない気がするが、目と指の疲れが半端ない。
「俺も歳だな(苦笑)」
なんて独り言を呟くと……
『20代前半の若者が何を言っとるんじゃバカもの!?』
「えっ?!な、何?誰!?」
部屋の辺りを見渡しても姿が見えない。
『あぁ、こっちこっち。お前さんが穴を開けた場所を覗いてみろ』
言われるがまま覗き込んだ。
すると隣の部屋が見えた。マネキンや石像が沢山置かれた部屋のようだ。
『そっちじゃない、ま〜っすぐを覗くんじゃよ』
声の主は俺が見てる場所がわかるらしい。
素直に従い覗くと、真実の口のオブジェがパクパク口を開け閉めしている。
『お前さん今の部屋から出たいだろう』
「もちろん」
『簡単じゃよ。部屋から出るには何がいるのか考えてごらん』
そう言って真実の口のオブジェは目を閉じて話さなくなった。
End
仕事がテレワークに移行し、自室にこもって仕事をしている。
一緒に暮らすキミは、ついで。だからと、仕事に出かける前に、俺の分の弁当も作ってくれていた。
美味しい弁当を作ってくれることに感謝をしているし、嬉しいが
「お疲れさま。少し休息しましょ」
と、仕事から帰ったキミが入れてくれたコーヒーと、用意してくれたお茶菓子で、二人で束の間の休息を取る。
この時間が、この上なく愛おしいと感じている。
下書き
〘 束の間の休息〙※200♥突破ありがと~
束の間の休息
長く苦しい 戦いだった
物語も これで佳境
思い返せば いろいろなことがあった
最後になって思うのは
ようやくこれで 肩の荷が下りる
もしも次があるのなら
もっと穏やかな道のりを
刺激があるのも嫌いじゃないが
安らかな終わりを望んでいた
そうして私は 頁を閉じる
席を立って キッチンへ
珈琲を入れ 束の間の休息
小説を読み終えた後の
これが醍醐味
束の間の休息
十代の頃から建設業種において職人として汗を流し、時に挫け時に迷いながらも技能を磨き技術を向上させるべく精進してきた。十五歳の時には一人親方をしていた祖母の手伝いで型枠大工の仕事に打ち込み、手伝いが終わればそれがきっかけで別の会社へ飛び込んだ。山の中にある土場に乗り合わせて集まれば、夏なら陰へ逃げ込み、冬ならドラム缶で木くずを燃やして暖を取り談笑した。私の親方は当時で七十代、私のことを孫のように可愛がってくれ優しくし接してくれたが仕事ではとても厳しかった。
十九歳を目前にひとり宮城県の会社へ住み込みの職人として就職したが、所謂「反社」にいた人たちが営んでいる会社だった。仕事で下手を打てば帰社して、車座で座る従業員の目の前で苛烈な制裁を加えられた。他の従業員に殴られた時、痛みを訴えれば馬鹿にされ、罵られて人格を否定された。
逃げればどれだけ楽だったろうと考えたことも度々あるが、それができる状態ではなかった。常に監視をされていた、銭のひとつも持たなかった。逃げ出した先で路頭に迷うことになるのは容易に想像が着くほか、元反社の面子が揃っていることもあって情報網ら広い。かつて逃げ出した従業員は県外に居ても見つけ出されて連れ戻されている。連れ戻された従業員への制裁はない、というのも洗脳するために社長や幹部が優しく温かく寄り添うからだ。
辛く息苦しい日々からやっとの思いで逃げ出すも、ひと月もたたずして連れ戻される。だが、逃げ出した先で待っていたのは寝る家も暖かい風呂も布団も、美味しい食事もない現実。働くことも出来ず、銭も持たない着の身着のままでの生活など容易ではない。そんな時にさも心配したと言わんばかりの出迎えで、涙ながらに身を案じたのだと言われればぐっとくるものだ。そして、お前が必要なのだ、お前の仕事は素晴らしく他の者の見本となるものだとおだてられれば、そうなのかと信じてしまう。
会社について、社宅の居間で静かに冷静に、されど情を誘い、刷り込むように声をかければ洗脳された金の成る木ができあがる。そんな人間を見ていれば逃げようなどとは思えなかった。
私にも洗脳しようと企てが何度もあったが、私は自分の信じたことしか信じない性分だ。終に洗脳は出来ぬかと悟った社長や幹部は、私への接し方を変えた。つまりアプローチを大きく変えたのだ。否、従業員の中でとりわけ問題を抱えていた人間を追放した頃から優しく丸くなった。単にストレスが軽減されたことで心に余裕が出来たのか、震災後の復興事業で売上が爆増したことでゆとりが出来たのかもしれない。 何れにせよ私は洗脳されることはなく、仕事の先々で交友関係を広く作って抜け出すことに成功した。
その後は過去にも執筆したように、絵を描いてくれた人が元は反社の人間で現在進行形でシャブ中だった。またある人は元反社で詐欺師で現在も反社と繋がりのある人だったりと、どこまでも黒い影は私に付きまとった。だが、これは私が全てを他人に転嫁し、依存し、頼って来た結果である。悪の道を行く者やその道を歩いてきた者からすれば、私はさぞ美味しいそうに見えるモだったろう。
それらを断ち切るのは本当に大義なことだったが、それも自分自身で蒔いた種。最後は相当に危ない橋を渡ったが、繋がりを断ち切り地元へ帰ることができた。地元へ帰ることが出来たのはいいものの、私は人生の路頭に迷うこととなった。人の人生の自然なながれは、中学校を卒業して進学か就職。或いは高校や大学を卒業して就職、または専門的なことを学べる道へ進学。吟味して飛び込んだ会社でキャリアを積んだり、スキルを身につけたりする。転職だってすることもあるだろう、その時には少しでも収入向上や待遇の向上、或いはより自分にとって好都合な会社を模索する。そうして自分の信じた人生観と思い描く将来像へと歩んでいく。
しかし、私にはそれらの機会がなかった。被害者振るつもりは毛頭ない、将来について、人生について深く考えもせずふらりふらりと気の向くままに動いてきた私が作り上げた末路だ。私には何ができて、何ができないのか。何をしたくて何がしたくないのか。何が好きで、何が苦手で嫌いなのか、得手不得手さえ分からなかった。自分のことを省みて、客観的に多角的に自分自身という人間を観察することすらせず、のらりくらりと時間を無駄にしてきた。だから、自由になった瞬間から私の本当の人生が始まったのだ。
たくさんの仕事を経験した。まずは、人の役に立ちたい、誰からも頼られるヒーローのような人間になりたいと思って商業施設で施設警備員として働いた。入社して新任研修を終えて、私の地元の商業施設へ配置された。そしてひと月後には重要なポストでの勤務を任して貰えるようになり、店幹部の方や設備員のかたやセンター長にも仕事や姿勢を評価して貰えるように。センター長には休みの度に飲みに誘って貰えるようになっていた。
巡回中のお客様対応や、店舗やテナントの事案対応も周囲からの評価は高くやり甲斐を強く感じていた。もちろん、目立つ立場ではあるし事故た事案では直ぐに駆けつけるのが警備員である以上、恨まれることや難癖を付けられることもあった。不良なんてのは優しく話をすれば「○○さん」なんて呼んで懐いてくれることが多く困らなかったが、酔っ払いやネジの飛んだ人の対応には骨が折れた。
仕事の中で強いストレスを受けることはあまり無かったし、巡回時は基本的にはひとり。親しいお客様ややんちゃな若い子や、テナントのスタッフの方々との触れ合いもあり充実していた。ただ一つ、同僚に対して思うところが吐き出せばキリがないほどであった。事故や事案があれば、最寄りの隊員が駆けつけて対しなければならないが、無線を無視したり他の隊に押し付けたりと散々であった。もちろん、そのような対応が苦手な隊員に対しては教育指導やフォローアップも行っていた。どうしても難しいならほかの隊員で対応を代わるが、その代わりに巡回を引き受けたりその他の対応を行うよう指示をしている。それを行わずして不満を口にして、自分自身の仕事を全うせず責任を放棄する隊員に腹が立つ日々を送っていた。
得意なことを活かしてくれればそれでいい、書類作成が難しいと思うならば、苦手だと感じたならば
得意としている私か副隊長へ正確に引き継いでくれればそれでいい。だが、事故事案については時系列やお客様情報など記録するものが多く、事細かに記録したものを併せて引き継ぎを受けなければ作成できず、警備隊の信頼が揺らぐことになる。事実、それらの不備でなんども店幹部やセンター長から適切に指導や再教育を行うよう何度も指摘されている。
ところが、「もう年寄りだから」「若くないから」などと屁理屈を垂れては真面目に聞かないのだ。本社へ相談し、一週間ほど再研修に来てもらったがお手上げだった。そんなことが続くものだから、ほかの職を探しながら勤務を続けていた。
その後は別業種の職人になって楽しく過ごしていたらいいものの、仕事がなくなって解雇。また別の仕事に行けば、求人情報や面接や職場見学などの時に受けた説明と違ったりと散々であった。
そして現在は現場監督として様々な現場へ赴いているが、会社として無難であれど現場単位では滅茶苦茶だったりする。私は出向して応援に入っているのだが、例えば今の現場では過去のトラウマを呼び覚ますようなパワーハラスメントを受けている。会社へは相談したが、何も変わらないならこの会社とはお別れだと思い始めている。
そして、いま私の胸の中でふつふつと湧いている感情、思い描いている働き方がある。それは、この現場を最後としてもっと自分を大切にできる仕事に転職しようということだ。知っている人は多いと思うが、現場監督は残業が多いが、ここについては気にならない。問題はプライベートな時間が限られるということ、趣味に没頭する時間があまりないこと。これまで転職の度に年収を増やしてきたし、現在の職も毎年しっかりと昇給するため目に見えて年収が増えていく。しかし、自分の時間、何かに浸れる時間は大きく減った。
将来の目標や、、小さな夢はあるけれど肩肘張らずありのままの自分を活かせる働き方というのが健康で健全な生き方なのかもしれない。収入は激減するが、たった一度の人生、限られた時間はたくさん使うことが出来る。
釣り、レザークラフト、パラコードクラフト、料理
趣味の数だけ時間が必要だ。働きながらも趣味を満喫できるのならば、人生において束の間の休息と言えるのではないだろうか。
世間体、常識、色々なことがのしかかってくる人生を如何に心軽く歩いていくか。
その選択も、道のりも、歩き方も
自分の思うままに決めていいのだ。
人は生きてさえいれば、
どうとでもなる。
なるようにしか、
ならないのだ。
人生ってそんなものなんだ。