『木枯らし』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ピュウ。わたしの耳が音を拾う。
もはや冬ではないのか、と思うほど冷たい木枯らしが、わたしの頬も鼻も耳も全部撫でて、過ぎ去っていく。
「もうそんな季節かぁ」
両手を擦り合わせて摩擦熱を起こしながら、わたしは校舎裏を覗いた。
「いたいた」
金髪、ピアス、煙草。おおよそ学校には似つかわしくない若い用務員さん。わたしは密かに番長と呼んでいる。
「ゲ、見つかった」
「焚き火してるー」
「誰にも言うなよ?」
「それ言ってほしいやつ?」
笑いながら番長に近寄れば、彼は違う、と首を振った。
「バレたら俺がクビになるし、お前も共犯で名前出すから、まあ謹慎になるだろ」
「うっわ、最悪。じゃあ言わない」
しゃがんで焚き火にあたる。番長は、ん、とだけ返して、横に置いていたトングを焚き火に突っ込んだ。
まさか。
「やきいも……作ってる?」
「そう。食うか?」
「食べる」
ガサガサ。焚き火の中から、焦げたアルミホイルが出てくる。それがわたしの足下に置かれる。
「熱いから冷ましてからな」
「はーい」
なんだかんだ言って、面倒を見てくれるあたり、番長は優しい。
「もういい?」
「ん」
アルミホイルを取って、やきいもを半分に割る。甘いいもの匂い。湯気が焚き火の煙に混ざって消えていく。
「はい」
半分を番長の口元に持っていけば、少しだけ視線をさ迷わせた後かぶりついた。
「んま」
「ね」
やきいもを食べながら、立ちのぼる煙を目で追う。ピュウ。音がまた鳴ったけれど、寒さは感じなかった。
この人といる時は、木枯らしなんてへっちゃらだから不思議だ。
「もう、終わりにしようか。」
目を合わせずに告げられた言葉が腹の底を冷やす。
分かっていた。いつか振られるのだろうと。
段々と合わなくなっていく視線。
理由をつけては断られたデート。
繋がらなくなった電話とメール。
彼からの言葉は、何時からか温もりを失っていた。
この言葉に答えたら、私達は二度と会えない。
そう考えると、このまま時を止めてしまいたくなった。
木枯らしが私たちの間を走り抜ける。
いつの間に離れていたのだろう。
かつて力強く握られていた左手は、
今も貴方の温度を求めているのに。
人生は季節に喩えられる
僕の今の時期は
春にあたるのだろう
だが
今の自分は
気力を使い果たし
既に元気も力もなく
まるで冬のよう
虚無感に苛まれ
涙ばかり溢れる
もう長く生きすぎた
さっさと消えて楽になりたい
そればかり毎日のように思う
「君、若いね〜」
などと言われても
自分では若いなどと全く思えない
10年後の自分が
生きているのを
想像するのも辛い
僕の心では
木枯らしで
落ち葉が舞い落ちるように
哀しみや切なさが渦巻く
僕には明日が来るのさえも苦しい
秋の日はすぐ暮れるように
自分の希望は一瞬で消え去る
何をしても僕はうまくいかない
人を喜ばせることもできない
自分を認められない
卑屈で苦しくて
そんな自分が憎くて憎くて
殺してやりたい
早く消えてしまいたい
落ち葉が舞い落ちるように
楽に消えられればいいのに
ろうそくの火を吹き消すように
命をさっと掻き消せればいいのに
それでも時折
小春日和の日差しのように
誰かの優しさが心に染みると
まだ生きていてもいい
とほんの少し思うのだ
「木枯らし」
新しい香水が広がるだろう。
【#25】
木枯らし
木枯らし吹くとき
交通事故で亡くなった
男の子を思い出す。
知り合いの友達。
だから顔も知らない。
名前も知らない。
知り合いがとても哀しんだ
ことだけ知っている。
花が添えられた道を通るとき
顔も名前も知らない男の子へ
手を合わせる。
木枯らしが吹いて
花が微かに揺れた。
私は木枯らしがすき。
冬の涼しい風が運動後の私の頬をなでるの。
そんな風に乗って誰もいないグラウンドで走り回る。
そんなひとときが好き。
1 ✿.*木枯らし✿.*
寒いねって言いながら
きみと笑い合える
そんな日が来ることを
願って。
木枯らしと聞くと必ず思い出す歌が有る。今でも秋になり、寒さを直肌で感じるようになると、小声で口ずさんでみる。小さな頃一人で寝るのが怖くて、毎晩隣で母に子守唄を歌ってもらっていた。「揺り篭」「月の砂漠」「赤トンボ」「夕焼け」「まんが日本昔話のテーマソング」「お母さんの歌」。その中の1つが「焚火」だった。知らない人も多いだろう。この歌は他の子守唄と比べるとあまりメジャーではないのはたしかだ。私は幼心にこの歌の歌詞から、秋の淋しい風景を頭に浮かべ、この歌が母の口から流れると悲しさと心地よさが混ざってよく眠れるから嫌いではなかった。よく考えると木枯らしをはじめ、霜焼けや、サザンカという言葉もこの歌で知ったものだ。子供もよく眠るし、言葉も覚える、良くできたものだと改めて感心した。やはり、怖さがトラウマになるようなのと同じように、寂しさ、心地よさもインパクトを植え付け、脳の中の記憶にしっかりとインプットされるということが分かる。そして今になって思うと母はあの頃は仕事でも大変で、帰ってきてから家事をして私の世話もしてくれていたのだ。私が心地良く眠りにつくまで隣でずっと寄り添って、背中をトントンと叩いて寝かせてくれていた。私はというと癇癪持ちのアホなガキだったので、当時はそんなことは全く考えず、いつも暴れて甘えまくっていた。仕様がない事だったのかもしれないが、今になって申し訳なく思ってくる。だけど私は母の手伝いやかたもみなどをして隣にいることしかできないのである。母の苦労にたいしての感謝の行動量では全くといって良いほどたりていない。私はこの文を書き終え、枕元にスマホをおき、イヤホンを耳に押し込んだ。「焚火」を久しぶりに聴きながら、寂しさと心地よさ、申し訳ない思いが私を取り巻いて、今日も深い眠りに落ちる。
「木枯らしの思い出」
後書き
やっぱり思い出すんですよ。小さい頃の記憶って。変なことばっかり覚えてたり(笑)。でもそんな記憶に救われたり救われなかったり。今の事もあと2、30年もたてば同じように思うんでしょうね。なんか淋しいなあ。(『やっぱり全体的にながいな、読みにくくてすみません汗。』)
お題 木枯らし
木枯らし 冷たく強い風が吹き君を攫う、僕の記憶も攫われた。
雪の国に迷い込んだ
聳え立つ真っ白の壁
安全運転で走行する
大好きな銀杏並木は
綿のような花が咲く
冬が来る前に何度も
黄金色の葉を揺らし
かけたのは白い魔法
動物達を眠りへ誘い
雪の女王は目を覚す
冬の始まりを告げる
キミの大切なお役目
『木枯らし』
【木枯らし】
「木枯らしってどういう意味?」
「あぁ秋から冬に吹く風だよ。」
辞書よりも面白味のない回答だ。金田一秀穂も真っ青である。
もっと洒落た返答を期待したいものである。
「なんで木枯らしって言うんだろうね。」
深く純粋な眼差しを向けられた私には、その好奇心を埋められるほどの知性はなかった。
言われてみればそうだ。
なぜたかが冬への移行時期に吹く風に「木枯らし」という称号が与えられているのか。
なぜ「木枯らし」というのだろう。
そこで私は「木枯らし」という名前が付けられた理由を考えてみる。
冬が好きと豪語している私には、理由を考える権利というものがあるだろう。
さて、「木枯らし」くんと真正面に話し合おうではないか。
木を枯らすと書いて「木枯らし」
なんと恐ろしい言葉の並びだろうか。
これを命名した人が、「木枯らし」という行為にどれほど憤りを感じていたのかがうかがえる。
「秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風。」
というのが正式な意味らしい。
秋から冬に移行するなかで、木々も寒さから葉を落とす。
強い風が吹き、まるで風が木を枯らしたかのように見える様から名付けられたにちがいない。
殺伐とした冬の寒気がもうすぐやってくるぞ!人間よりも先に木葉がやられたぞ!とでも言いたいのだろう。
「木枯らし」では人を枯らすことはできないのだ。
「人枯らし」はむしろ夏だよなぁと思うと、木と人間は反対の性質を持っているようで、木を讃えたくなる。
ということで「木枯らし」は「人を枯らすことはできないが、人よりも強靭な木から葉を落とすことができる、これから訪れる冬を感じさせる力強い風。」という説明がまっとうではないだろうか。
…。
木を枯らすのは風ではなく火じゃないか…?
ここ最近はあまりないが、寒くなり始めた頃は、風が吹いて木の葉が舞うというようなことがあった。そんな創作物であるようなことが実際にあるものかと驚くものである。そういう光景は見ていて少し幻想的で、ちょっとした非日常感が味わえる。
それでもやはり寒いものは寒い。暖かいのが1番である。
木枯らし 吹く冬。
「あーあ、」
と、溜息をつきながら、私は帰路についた。
こんなに寒い冬も、
君がいたから乗り越えられたのに。
君を失って、
前より寒く感じちゃうジャン、笑
木枯らしが吹いている。
ぴゅうぴゅう吹いていて、その風は冷たい。
私の耳を取っていってしまいそう。
突然、ある木枯らしが、耳元で囁いた。
それは、冬の訪れを伝えるメッセージ。
さぁ、寒い冬が始まろうとしている
今年の冬は、何が起こるだろうね。
木枯らし
寒々とした風の音が部屋のそとから聞こえてくる
私は部屋でじっと休んでいる
木枯らしにやられないことに感謝して
ぬくぬくと部屋で温まる
乾燥した空気のなかでハンドクリームを塗るのは至福のときだ
木枯らしの音がより幸せを感じさせる
今日のお題である「木枯らし」の意味がよくわからなかったので調べてみた。明鏡国語辞典に尋ねると、「秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風。」とのこと。
今って冬真っ盛りじゃない…?
なんだか最近お題に盾突いてばかりだが、お題の意味がわからないので仕方がない。いや、これは私の語彙力の問題です。すみません…
責任転嫁に失敗して己の無知を身に染みて実感していると、別の辞書「デジタル大辞泉」が話しかけてきた。「木枯らしはね、すりこぎをいう近世女性語でもあるんだよ。」
我問う、「すりこぎってなんだよ。」と。
辞書曰く、「すり鉢で、物をするのに用いる棒だよ。使うに従って短くなることから、少しも進歩せずかえってだんだん退歩する人をあざけっていう語でもあるんだよ。」と。
「木枯らし」という語の別の意味を知ることができた。だが、進歩せず、むしろ退化するひとをあざけるような単語がお題になるとは思えない。お題の意味を調べれば調べるほど、お題の真意が見えなくなっていく。今の私こそまさに「木枯らし」ではないか!?
ーーーーーーーーー中略ーーーーーーーーー
「木枯らし」は木の葉の払い落としながら吹く冷たい風という意味らしい。(ニッポニカ先生曰く。) その様子から「木を枯らしてしまうもの」という名前がついたようだ。
ふむ。では書く習慣っぽいことでも書いて終わろう。人生における「木枯らし」は時間の流れであろう。年をとると時間は瞬く間に過ぎ去ってゆく。若くみずみずしい心を持っている頃には長く感じる一年が、年を重ねるにつれて短くなっていく。心が冬の季節に入るにつれて、時間は加速していくのだ。この現象は「人生の木枯らし」と呼べるのではないか。
ちょっと無理があるか。
遠い君へ
木枯らしって
聞くけど意味は
未だに知らない(中1)
【木枯らし】kogi
木枯らし
ショパンの木枯らしが好きだ。
ゆったりとしたイントロから始まり劇的な第1主題へと展開していく。
昔、ピアノを習っていたが満足に弾きこなすことができなかった。
メンタルを崩してからはピアノから自然と遠ざかってしまった。
最近はメンタルが大分良くなってきた。
また以前のように趣味の楽器を始めたいと思う。
♫
こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら あるいてる ♫
誰もが一度は聞いた事のある
童謡【たきび】
コレ!
ずっと 「サザンカ」ってタイトルだと思ってたのは
私だけ!?
木枯らし。
木枯らしになっても
ずっと
くっついていよう。
2人でこたつに入って
暖まるのもいいね。
昨日のお誕生日は
楽しかった。