『愛を叫ぶ。』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
それはもうどうしようもなかった。
今の自分にできること。
それはただ発する……発し続けること。
募り募った想いを届けるため。
悔恨の念を昇華するため。
早く、速く、疾く、もっと、もっと、もっと……。
どこまでも遠いところへ、誰よりも想いを込めて。
いつか届く、届かせる。
世界を超えて、刻を超えて、理すらも遥か彼方に。
発して発して発し続けて、いつか魂すらも朧げになる頃、私は私を許せるのだろうか。
いや、許せない。
- 愛を叫ぶ -
愛を叫ぶ
愛を叫ぶ。山に向かって、ちょっと古いけど。
それがあの人に早く伝える手段だったから。
やってみるしかない。
めちゃめちゃ足が痛い。歩き疲れた。夜通し歩いていた。
なんでそんなことをしたのか。
終電を逃したからか。否。
誰かを探していたのか。否。
忘れたい恋があったのか。否。
理由はもっと簡単だ。歩きたくなった。それだけだ。なのに人には理解してもらえない。人はどこまで歩くことができるのか。試したくなったのだ。
これがマラソン大会なら沿道で声援もあったかもしれないが、勝手に一人で歩き出したものだから、すれ違う人に変な目で見られるのが関の山。
空には星が煌めく。行き交う車のヘッドライトが俺を照らしては通り過ぎていく。
ごめん、今日帰れないわ。
LINEでメッセージを送った時、家族の反応は冷たかった。馬鹿じゃないの。なんでそんなことを。何かあっても知らないからね。
海沿いの道を行く。左手側には街灯や民家の明かり、飲み屋の看板が光っている。右側は海。吸い込まれそうなほど真っ暗だ。光と闇。生と死。俺はその瀬戸際をただ歩き続ける。
自分を愛したかったのかもしれない。尋常でない距離を夜通し歩き通すことができたら、なんの取り柄もない自分を認められる気がして。
牧場ミルキーソフトクリーム1.5倍増量。
突然目の前に現れたのぼり旗。知らない街に佇む見慣れたコンビニ。
ここのソフトクリーム、美味しいんだよな。知ってる。1.5倍増量。駄目だ。ここで立ち止まったら、疲れ果てて二度と動けなくなる気がする。せっかくここまで来たのに。
目をつぶれ。俺は何も見ていない。牧場ミルキーソフトクリームなんてものはない。ストイックであれ。さすれば報われる。
「おーい」
呑気な声。振り向くと、ソフトクリームを食べている姉貴。
コンビニの駐車場には見慣れた車が停まっていて。
姉貴が車の中に向かって、
「あいついたよ」
運転席の窓が開き、親父が身を乗り出してこちらを向いた。不機嫌な顔で、乗れ、と手で合図している。
あともうちょっと歩いていたかったのに。そんな思いもあったが、気付けば車の方へ吸い寄せられていて。
お腹がぐるると鳴った。そういえば、お腹が空いていたっけ。
「アイス食べて良い?」
「勝手にしろ、馬鹿」
【お題:愛を叫ぶ。】
愛を叫ぶ。
なんでもかんでも叫んだり
主張すればいいっていう風潮がちょっと苦手
叫んだもん勝ちの世界になりませんように
秘めた想いが強いことだってあると思うから
私には愛が何かわからない。
よく映画や小説のタイトルに「愛を叫ぶ」なんてものがあるけれど、さて、それは本物の愛なのだろうか。
人はよく愛しているなどと言っておきながら平気な顔で浮気をする。
人を裏切る。私には海や崖で愛を叫んでいる人は自己暗示なのではと思ってしまう。
だから私には愛なんて不確定なものは信じない。あるかどうかもわからないものを叫ぶなんてもってのほかだ。
人からは冷たいように思われるかもしれない。さみしい人間、かわいそうな人。そう思われるかもしれない。
けれどそれが僕で、この事実を変えることはできなくて、ウソを付いて愛を信じている風を装うことはできるかもしれない。
もしかすると他の人もそうしているだけで実際のところは理解なんてしてなくて、心の底では信じてなんかいないのかもしれない。
そう思うと僕は余計に悲しい気持ちになる。そんなのは虚しいだけじゃないのか。
そんなありはしないものを信じて、頼って、言葉を吐いて、そんなのはあまりにも悲しい。
無意味に等しくて、無いに等しくて、、、
きっと愛とはある方が都合が良くて、ある方が道徳的で優しい。
だからみんなは信じることにした。あることにした。
ならば僕はそんなものを叫びたくはない。
愛を信じるでもなく探すのでもなく生み出したい。
それが私の今の気持ちだ。
愛を叫ぶ。_51
君の横顔に「好き」と囁く。
雀の涙よりも小さな自信が
叫びたい心をひたすらに抑えた。
「逃げても無駄だよ」
と言われたかのように
しばらくその場から動けなかった。
それはまた、私に
愛を叫ばさせようとした。
今更だよなほんと
今更君の大切さに気がついたって
もう遅いのに
もう手遅れだとわかっていても
どこかにいる君へ愛を叫ぶ。
愛を叫ぶ。
最近、やけに誰かにきつくあたってしまう。
本当は誰かに優しくなりたい。
そうすれば私自身、自分の事を好きになれる。
気になってるあの子。大切な友人。
そして、かけがえのない家族…。
その人達へ向けて私の思いを…『愛』を伝えたい。
「大好きだよ〜愛してるよ〜」
旅が好きだ。
ここではないどこかに自分を置き、
出会わなかったであろう人たちと出会う。
知らない場所が知っている場所になっていく。
そこに暮らす人々の様子を知っていく。
そして自分はどうしたいのかを見つけていく。
そんな旅が好きだ。
いつまでも旅を愛する旅人でいたい。
#愛を叫ぶ
無性に愛を叫びたくなった。
しかし、ここは安アパートである。
むやみに近所迷惑な行動はできない。
どうしたものかと考える。
頭からバケツを被り、その上から布団を被せる。
よし!
と、思って叫ぼうとして気付いた。
愛とはなにか?
なぜ愛に対して叫ぶのか?
なにに対する愛なのか?
「ラーメン!」
とりあえず叫んでみた。
お腹が減ってきた。
戸棚のカップラーメンを取り出して
お湯を注いだ。
アラームを止めて食す。
「うめ〜」と、漏らす。
これが愛かと頬が濡れる。
お墓の前で手を合わせ
今は亡き両親と家族のことを思う
しょうもない戦争とやらで
ポーンと投げられた爆弾とやらで
何人もの人が失われたあの頃の世界を
あたしはいまだ許せないでいる
認めれないでいる
…あれは仕方なかったで
片付けられないでいるんだ
今は平和な国だとしても
昔のあの光景を
誰からも忘れられて欲しくないと
もうすでに亡くなっている
大切だった人のお墓を見ると
今でも涙が溢れてくる
どうかもう戦争なんて
おこさないでおくれと願う
世界の罪のない人々等をこれ以上
悲しませないでおくれと願う
願う、願う、願う
ただ願う
理不尽に亡くなった人達への思いと
これからの世界への願いを胸に
手を合わせて祈るあたし
そんなあたしの瞼の裏には
あの頃の光景が
今でも生々しく残っていた
↑戦争ってまじ意味わからんですよねぇ…
爆弾なんかもう一生使って欲しくないわぁ…
…てゆうかお題要素どこいった笑笑
お題 愛を叫ぶ
愛を叫ぶ
わたしはともみが羨ましい。胸を張って前に立てるんだから。
「ともみ、あのさ。」
「何?」
いつも輝かんばかりの笑みを浮かべていて、わたしは焼けそう。
いつでも隣にいたい
同じものを見ていたい
同じ音を聞いていたい
同じ香りに包まれていたい
同じ柔らかさに触れていたい
今日あったことも思ったことも
前向きな感情も後ろ向きな感情も
なんでも分かち合いたい
混ざり合いたい
溶け合いたい
生み出したい
寂しい会いたい
強くありたい甘えたい
自分を未来を信じたい
表のわたしが我慢した分
奥底のわたしが愛を叫ぶ
「愛を叫ぶ。」
私は声が小さい事に定評があるので、叫んだつもりでもそうでもなかったかもしれない
たまに焦ると声のボリュームが上がっているのか「そんな事で怒るなよ〜」と言われる。心外である
愛を叫ぶような情熱的な性格ではないけれど、子どもが外で勝手に走り出したときは自分でもびっくりするくらい大きな声が出る。危ないからな…
止まれ!で止まってくれる子で良かったなと思う
愛をどこに叫ぼうか。
愛に溺れる私はきっと滑稽なんだろう。
だけど私は恥を忍んで、想いをキミに伝えたいのだ。
僕は今日も愛を叫ぶ。
開けられることのない窓に向かって、体の底から声を出す。
『愛を叫ぶ。』
愛を叫ぶ
あーー!私!あなたが好き!とーーーっても好き!!
誰になんて言われても好きなのは好き!絶対流されないんだから!!私の彼氏最高だもん!!!!
お題とは何ら関係の無いこと、皆さんは怪談や心霊、スピリチュアルなどに興味や関心はあるだろうか。或いは、信じるだろうか。
私は幼少の頃より勘が鋭いのか、家族や兄弟には見えないものが見えたり聞こえたり、感じたりしてきた。そしてこれは今現在も変わらないのだが、幼少の頃に比べて頻度は減ったように感じる。何故見えたり感じたり聞こえたりすることが減ったのか、それは自分自身でよくわかっている。成長していく中で色んなことを、色んなものを知っていったからだ。そして、自分自身で見聞きしたことや感じたことを噛み砕いて解釈して、理解していくからだ。子供の頃に目に映るもの、感じるもの、耳に入るものは何でもそれが当たり前に自然で普通のことだと思っていた。否、それさえも心にはなかった。何も考えずとも自分自身に飛び込んでくる情報は全て疑いもせず、なんら勘ぐることもなく受け入れてきた。
大人になった今、これだけ色んなことを体験してきた私でさえ目の前で起きる事象を!聞こえる声音を、感じるものに対して疑いを持つようになった。故に幼少の頃とは心持ちが変わった為に、体験することが減ったのだろう。
そして、この勘はなにも非科学的な心霊現象などにばかり働いている訳では無い。人間関係には強く作用しているように思う。人の感情の僅かな起伏や、相手の所謂「地雷」といった、触れられたくない部分や踏み込まれたくないパーソナルスペースが何となく感じられる。それが安定した立ち回りを実現しているのか、これまでにどのような仕事や環境であれ、癖のある人や嫌われているような我の強い人や言葉を選ばない人とも親しくなれた。そして、非常に可愛がってもらえたのだ。また、そういう人と親しくなり可愛がられることでその職場や環境に直ぐに順応し、和に入る、馴染むことに時間がかからないのだ。そして、相手もまた誤解や一方的な見方によって置かれていた距離がなくなり、私と同様に周囲に溶け込む。気がつけば皆が笑顔で楽しく、時には本音を言い合える本当の意味で風通しの良い関係になるのだ。
さて、人間関係では苦労がないように思えるここまでの話も、実はそうでは無いことも述べておこう。私は繊細、否「気にしい」な性格で考えても仕方の無いことや意味の無いことを考え込んだり、勘ぐったり、悩んだりしてしまう。そして、自分は相手に何を思われているのだろうか、どのような評価を下されているのだろうかなどと考えてしまうことがあるのだ。
昨年担当した現場では、一人だけ無視できない存在があった。当初こそ毎日苛立ちを募らせては、発散できない鬱憤を溜め込んで胃を痛くしていた。しかし、昨年末ころに考え方や気持ちの捉え方や消化の仕方を少しだけ体得したのか無意識に視界から消し去ることができるようになった。そして、視界だけでなく思考や心からも消すことができるようになった。もちろん、意識しなければ直ぐに気になってしまい腹立たしさなどで頭が沸いてしまいそうであったため、ふと考えそうになった時は意識して無視をするようにしたり別のことを考えるように努力をした。これは今でも変わらず意識的に取り組んでいることではあるが、これを無意識で行えるようになった時に初めて、私はやっと大人になれたのだと感じることだろう。いまはまだまだ子供かな大人への成長段階でしかなく、年長者や社会から見れば「クソガキ」ていどの評価しか得られないだろう。
実際に昨年中は親より歳上である職員から窘められたものだが、これが私を変えさせるには十分な言葉だった。このままではダメだと、重ねてきた歳ではなく、心を成長させなければダメなんだと考えを改めるきっかけとなった。だから私はその職員のことをとても尊敬しているし感謝をしている。仕事において、その職員からたくさんのことを教わったし、相手が知らないことは全部教えるつもりで共有した。だからだろう、とてもいい関係を築けていた。もう二度と仕事を共にすることはないだろうが、彼から与えられたものは無駄にはしない。本人へ本返しをすることは出来ないが、この先たくさんの関わる人々に恩を送ろうと思う。
さて、ここまで書いてきたがこれは本題では無い。このまま語り続けても良かったが、本題を口にする前に文字数が大変なことになりそうなので自重しておく。
本当に描きたかったこと、皆さんに伺いたかったこと。
皆さん、怪談にご興味は御座いますか?
私の体験談にご興味は御座いますか?
愛猫(かのじょ)が女王であることは、その佇まいでわかる。
丸く小さない額、エメラルドの瞳、ツンと尖った鼻、唇は小さくいつもきちんと結ばれている。
声をかけても、視線を向けるだけで、絶対に媚を売ったりしない。
「あぁ、お願いだ。ずっとずっと君のお世話をさせておくれ」
膝の上で、ゴロゴロと気持ちよさそうに丸くなっている。
僕の尻は、もう三十分もジンジンと動くことを促しているのだが……。
下僕に成り下がった僕には、どうしても動く事ができない。
---
愛を叫ぶ。
子供のままでいられたなら
何も恐れる事なく
言えただろう