お題とは何ら関係の無いこと、皆さんは怪談や心霊、スピリチュアルなどに興味や関心はあるだろうか。或いは、信じるだろうか。
私は幼少の頃より勘が鋭いのか、家族や兄弟には見えないものが見えたり聞こえたり、感じたりしてきた。そしてこれは今現在も変わらないのだが、幼少の頃に比べて頻度は減ったように感じる。何故見えたり感じたり聞こえたりすることが減ったのか、それは自分自身でよくわかっている。成長していく中で色んなことを、色んなものを知っていったからだ。そして、自分自身で見聞きしたことや感じたことを噛み砕いて解釈して、理解していくからだ。子供の頃に目に映るもの、感じるもの、耳に入るものは何でもそれが当たり前に自然で普通のことだと思っていた。否、それさえも心にはなかった。何も考えずとも自分自身に飛び込んでくる情報は全て疑いもせず、なんら勘ぐることもなく受け入れてきた。
大人になった今、これだけ色んなことを体験してきた私でさえ目の前で起きる事象を!聞こえる声音を、感じるものに対して疑いを持つようになった。故に幼少の頃とは心持ちが変わった為に、体験することが減ったのだろう。
そして、この勘はなにも非科学的な心霊現象などにばかり働いている訳では無い。人間関係には強く作用しているように思う。人の感情の僅かな起伏や、相手の所謂「地雷」といった、触れられたくない部分や踏み込まれたくないパーソナルスペースが何となく感じられる。それが安定した立ち回りを実現しているのか、これまでにどのような仕事や環境であれ、癖のある人や嫌われているような我の強い人や言葉を選ばない人とも親しくなれた。そして、非常に可愛がってもらえたのだ。また、そういう人と親しくなり可愛がられることでその職場や環境に直ぐに順応し、和に入る、馴染むことに時間がかからないのだ。そして、相手もまた誤解や一方的な見方によって置かれていた距離がなくなり、私と同様に周囲に溶け込む。気がつけば皆が笑顔で楽しく、時には本音を言い合える本当の意味で風通しの良い関係になるのだ。
さて、人間関係では苦労がないように思えるここまでの話も、実はそうでは無いことも述べておこう。私は繊細、否「気にしい」な性格で考えても仕方の無いことや意味の無いことを考え込んだり、勘ぐったり、悩んだりしてしまう。そして、自分は相手に何を思われているのだろうか、どのような評価を下されているのだろうかなどと考えてしまうことがあるのだ。
昨年担当した現場では、一人だけ無視できない存在があった。当初こそ毎日苛立ちを募らせては、発散できない鬱憤を溜め込んで胃を痛くしていた。しかし、昨年末ころに考え方や気持ちの捉え方や消化の仕方を少しだけ体得したのか無意識に視界から消し去ることができるようになった。そして、視界だけでなく思考や心からも消すことができるようになった。もちろん、意識しなければ直ぐに気になってしまい腹立たしさなどで頭が沸いてしまいそうであったため、ふと考えそうになった時は意識して無視をするようにしたり別のことを考えるように努力をした。これは今でも変わらず意識的に取り組んでいることではあるが、これを無意識で行えるようになった時に初めて、私はやっと大人になれたのだと感じることだろう。いまはまだまだ子供かな大人への成長段階でしかなく、年長者や社会から見れば「クソガキ」ていどの評価しか得られないだろう。
実際に昨年中は親より歳上である職員から窘められたものだが、これが私を変えさせるには十分な言葉だった。このままではダメだと、重ねてきた歳ではなく、心を成長させなければダメなんだと考えを改めるきっかけとなった。だから私はその職員のことをとても尊敬しているし感謝をしている。仕事において、その職員からたくさんのことを教わったし、相手が知らないことは全部教えるつもりで共有した。だからだろう、とてもいい関係を築けていた。もう二度と仕事を共にすることはないだろうが、彼から与えられたものは無駄にはしない。本人へ本返しをすることは出来ないが、この先たくさんの関わる人々に恩を送ろうと思う。
さて、ここまで書いてきたがこれは本題では無い。このまま語り続けても良かったが、本題を口にする前に文字数が大変なことになりそうなので自重しておく。
本当に描きたかったこと、皆さんに伺いたかったこと。
皆さん、怪談にご興味は御座いますか?
私の体験談にご興味は御座いますか?
5/12/2024, 4:29:16 AM