『心の健康』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
いつでも緊張してて
想いが体調にでちゃうんです。
不安で
怖くて
心配で。
泣きたくて
苦しくて
辛くて
表向きなんでもできる
元気な子なんです。
頑張れるんです。
でも…
元気じゃないです。
もう頑張れないです。
先生。
心の健康に良い
処方箋が欲しいです。
–心の健康–
心の健康
のために働かない。
いや、
働けないんだけど。
デイに行くのがやっと。
それでも許してくれる家族に感謝。
孤独はよくない。
1人でいると、良からぬ事を考える。
なるほど、確かに。
とは思えない。
夏休み、子供が常にいる。
塾だとかお稽古だとか、わずかに居ない時間に食材の買い出しに行ったりするもんだから、家にいる時間で1人の時間がない。暑さもあいまって、イライラすることが増える。
ほんの数年前までは24時間ベッタリ一緒に過ごしていた我が子でさえ、ずっと一緒はストレスになる。
早く夏休みが終わらないかなぁ。とさえ思う。
子供が巣立ったら寂しく思うかもしれないから、今を楽しむべきとは思うけれど、現実、やっぱり1人の時間が欲しい。
カフェでゆっくりとかじゃなくて、誰の目も気にせず、自宅でダラリとしたい。
心の健康のために。
心の健康
人それぞれ、好む心の色は様々である。他人の心が紫色に見えたとしても、それを不健康と決めつけるのはおこがましい行為である。しかし、もはや自分とは言えなくなったときの目印としては役に立つのだと思う。色に気づく人も少ない中で、自分はどう助けを求めれば良いのだろうか。抑圧された部分は表に出さなければ他人は気づかない。
笑ってる。でも、心は健康じゃない。
泣いてる。、「消えてしまいたい」って叫んでる。
死にたい、消えたいって。
心がずっと泣いてる。
心の健康
心ってよりは
動物的本能、集団依存
これらが不健全な主な原因
身体と精神その重なり
調和が取れてるのが健康なんじゃない
集団で我に帰れないだけなら
普通だよね、一般的
1人でそうなら病気
それを病気のせいにしだしたら異常
狂ってるってわかってるのが健常かな
それでも折り合いを付けながら
周囲と過ごしていくのが当たり前
健康、不健全どちらでも
気が付かないもの
異常をきたすまではね
集団で狂ってる異常を集めたら
異常が普通になってしまう
それが一般的ではある
それを異常者でやってる場合は
それは最悪にもなるってもんだね
異常を集めたら健常になるらしいが
異常を判らせ抑えたいなら
健常多の中に異常を1人置いとけばいい
異常なんて理解してあげる必要はない
異常者が健常者と比較出来てれば
異常に浸って
異常ぶってるだけの
キチガイだって判るでしょ
それは病気ではない
もちろん病気によるとは思うけど
それと上手く付き合う気がないなら
それは病気のせいではない
そんなのを集めて
それを普通にしてしまったなら
健常者より異常になるのは決まってる
健康な心なんて
そんなもんはレアもんだね
健常な心なら
そこいらに沢山転がってるよ
異常を孕みながらも
健常に生きてるね
一般的にこれを心が健康と言うらしい
「心の健康」
心の健康
私の心が健康ではなくなった時、
それはある人からのたった一言で
私は心も体も壊してしまった。
そして喉にご飯が通らなくなった。
大好きだった食べること、
そして食べたものを吐くようになってしまった。
学校に行く時、
毎日、トースト、スープ、ヨーグルト
多いくらいの朝ごはんを食べてた私は
ウインナー一本でも食べるのがキツくなってしまった。
大好きだった人前で発言すること、
今では手が震え、喉が閉まり、苦しくて、怖くなってしまった。
いつのまにか鏡に映る自分は
骸骨のように痩せ細っていた。
たった一言
私はいつまでだって覚えてる
貴方の顔も
一言取り残さず全て。
大好きだった学校へ
朝、泣きながら通ったことも
貴方に無視されたことも、物を隠されたことも、
事実と異なる噂を流されたことも
全て、
全て、
全て、
覚えてるから。
言葉は武器になる。
人は、
心の不健康な人が
心の健康な人をいじめる
そうやって今日もどこかで
心の健康な人が涙を流すんだろう。
世の中思い通りにいかないことも多いから、ストレスたまるよね
あんまりため込むとメンタルやられちゃうから気をつけないと
でもホント、恋も仕事も夢もなかなかうまくいかなくてさ
それで僕は小説を書いてるんだ
自分で書けば、ぜ~んぶ思い通りだからね
でも、書き始めてから気づいたんだけど、僕って意外と悲しい話とかバッドエンドが好きだったりするんだよね
これってどういうんだろ
「心の健康」
心が正常でなければ何もかもダメになってしまう。
だから心は正常でなければならない。
心の健康が第1
中二女子
いつでもだれでもどこにいても何歳でも、素直な反応を抑えたり無視したりすると、穢れる。
それは心が清浄で、歪みのないのが自然だから。
心は病んだりしない。
心は決して病まない。
病んだように感じるのは、 汚れが溜まって歪んでるよ、という知らせ。
心は常に元の状態に戻ろうとする。
なので不本意なまま放っとかない。
生活の中の全ての事象に曖昧に頷かない。
だってしょうがないじゃん…と受け入れない。
どう考えてもそれが普通でしょ…とそのまま続けない。
一旦停まって考えるのも感じるのも全部やめてみる。
複雑なことは何もない。
「心は病まないし傷つかない」
それを今一度憶い出す、と決めること。
む
し
る
む
し
る
夜
も
隠
せ
ば
赦
さ
れ
て
夏
蝶
の
数 を
ほ
ほ
え
め
ば
人
心の健康それは直接生命に関わると言っても過言では無い。
特に双極性障害の患者は衝動的に自死を選びやすいし、度重なる自傷行為ー…例えばODや瀉血(自らで血を抜くこと)で内臓機能が弱り、突然死してしまうこともあるのだ。また摂食障害の拒食状態は「緩やかな死」と呼ばれ、精神疾患の中で最も致死率が高く早急に治療を進める必要がある。
私は双極性障害、摂食障害だ。今は拒食ではないし体重も標準の範囲内であるので摂食障害で死ぬことはないが、問題なのは双極性障害である。しかも私は双極性障害混合型といって躁と鬱が混在している為希死念慮が強く、それを衝動的に実行してしまうこともあるのだ。これは主治医からも注意されていて、YouTube等でも良く紹介されている症状だ。それだけでなく私は躁状態になると非常に攻撃的になり、母親に対して酷く八つ当たりしてしまう。1回目は「あんたも殺して私も死ぬ」と包丁を手にし警察沙汰になった。その時は私自身意識がしっかりしておりそれ相応の対応が出来たせいか、任意入院で済んだ。そして2回目。ハッキリとした殺意を覚えた私は「殺してやる」と宣り、それに恐怖を覚えた母親にまたもや警察を呼ばれてしまった。そして速攻精神科に連れて行かれ、医療保護入院となったのである。こう書き出してみると余りにも酷いエピソードばかりで、自分自身が嫌になる。主治医が私が躁状態になるのを極端に嫌がるのも、これらのエピソードのせいであろう。自分自身が死ぬのは、別に構わない。しかし他者に刃が向くのは許されることではないのだ。私は本来なら、永久に「堀の中」に居なければならない人間だと思う。だがこうやって自宅にいて、今文章を書いている。今はバルプロ酸と呼ばれる向精神薬のお陰で気分の波も平坦になり、大分穏やかになってきた。どうやら私の主治医は、薬の調整が上手いようである。色々な向精神薬を試した結果、ではあるが。私は今後もずっと、向精神薬を飲み続けなければならないであろう。何故ならその薬のお陰で、「割とまともな人間」で居ることが出来るのだから。そして精神科との付き合い・精神疾患との戦いは死ぬまで続くのである。さながら終わりの見えないRPGゲームのようであるが仕方あるまい、私にはそれしか道が無いのだから。
私は今、心療内科に通っている。自分がここに通う未来なんて見えてなかったけど、勇気を出して受診したことで、得たものも確かにある。それは、自分自身に優しくすることが、何より難しくて、そして何よりも大切なことなのだということ。通う前よりは、自分のことを気に掛けれるようになったと思う。まだ出口は見えないけど、自分の心の健康のために、ご自愛、をもっと大切にしていけたらと思う。
心の健康
一生懸命生きてて、今の自分の心がどうなのかなど、考える余裕はなかった若かりし頃。
ある時、何故か涙が流れて止まらない。ふと我に帰った。心がクタクタなのに気づいた時だ。このままでは自分は潰れると思った。
それ以降、自分が辛いと思ってるのを認めた。少し心が軽くなった。
心の自助作用だったと、後になり気付いた出来事です。こころの健康があるなら、自助作用は働くのでしょう。
わたしはこうやって、自分を保ち生きてきました。
『心拍数』
イデオロギーで耳が痛い 心拍数は変拍子 フリージャズの日曜日 外は晴れなのに心が寝ているよ どこにでも行けるのに心が留守番したがってるよ 心と私
ちょっとずれてる 少し休もうか 何も考えないのは難しいから そこの君 手をきゅっと握ってくれないか
心がナニカは分からない。
だけど、
眠れないほどこらえた思いを吐き出したい時
夜空を見上げ、
キレイな星を見つけたその思いの感情を言葉にしたい時
風呂から出た瞬間。ふと頭に浮かんだ情景を文字にしたくなって飛びつくようにスマホをタップする。
その思いが「書きたい」という欲求に繋がる……気がする。
ぞんな自己満足な欲求で書いてるけど、
それをお気に入りしている人がいると思えたそのムクムクと湧き上がるよな喜びが「心の健康」だと思う。
「心の健康」
そう、
こころが元気であることが
ほんものの健康ってこと。
こころが弱っていると
妬み、猜疑心、被害者意識、
ネガティブな方向にしか考えが進まない。
こころが弱っていると
胃に穴が開く
自らいのちを絶つ。
だから あなたのこころが
元気で健康でいられるように
私は笑顔を両手を拡げ放つ。
「心の健康」
仕事で心が壊れていろいろあって今に至る。
本当にいろんなことがあった。
過去形で言ったけれど、通院は今も続いている。
過去形であり、現在進行形だ。
良くなってきた頃、今(当時)の自分は、
病気になる前の自分と違うのだろうかと考えて
いた。
病気になった、その前後の自分の違い。
カウンセラーに訊いたところ、「はっきりと区別
するものではない」と言われた。
病気になったか変わった、と思うものではない、と。(人によっては、別人になったと考えるかも
しれないが)。
自分にとっては、心の病気になったことが大きな
出来事で、だから違いというものにこだわったのだ。
いろいろ考えたけれど、病気になったという他は、自分の変化を認める要素は見つからなかった。
だから、考えるのは止めた。
私は私だ。
そしてそう認識しながら今に至る。
何度か「病気」という言葉を使ったが、実はこの
表現は、自分の中では、あまりしっくりきていない。
分かりやすくするために「心の病気」になった、と
表現している。どうも、良くなって不調の無い今、
自分は病気だ、という意識に納得ができないのだろう。
ひどい時期は、れっきとした病人だったんだけどね。
なので今は、病気というより、昔、心の病気に 「なったことがある」という風に認識している。
とりあえず、健康は戻って来たと思っている。通院も、現状維持のために続けている。(良くなったから終わり、ではないと主治医に言われた)。
これからも通うなら、この先ずっと現状維持のまま、診察室に入りたいものだ。
「心の健康」
心の健康は一度失うと取り戻すのが難しい
いや、心だけに限らないけど
でも心は見えないから、治ってるのか自分でも分からない
心の病気を他人に理解してもらえることなんて稀
だから、理解しようとしてくれる人は大事にした方がいい
心の健康
あ、あの女の子。お母さんに汗拭いてもらってる。
窓を閉めていても外から蝉の声が聞こえてくる。
トントン
「はる、やっほーーー」
「おお、多希ちゃん。今日は何する?」
多希ちゃんとは幼稚園からの幼なじみで、今でも仲がいい。遺伝的なもので髪の毛がどんどん茶色になっていって、日に当たるとキラキラ輝いて見える。いつも髪の毛を下ろしているが、今日は暑いのかポニーテルをしている。
""
「今日も外は暑っついよ。外でも有効的なクーラーとかないかな」
「やっぱ暑そうだよね。さっき下にいたちっちゃい女の子も暑そうにしてた。お母さんに汗拭いてもらっててかわいかった」
「子供の方が熱中症になりやすいんでしょ。大変だよね、おかーさんも」
""
多希ちゃんはバックを漁り出した。中からは懐かしのワニワニパニック。
""
「えーーー、懐かしい。」
「今日はこれやろ」
""
ワニの口にある虫歯を当ててはいけないゲーム。子供の頃、デパートのおもちゃコーナーに置いてあったの、よくやってたな。
私たちは楽しくなって、子供の頃の思い出なんかも語り出した。とっても楽しい時間も過ごした。
""
「じゃ、そろそろ帰るね」
「もうそんな時間か、今日も楽しかった。またね」
「ん、またね」
""
次は何して遊ぶんだろ、トランプかなオセロかな。それともマリオカート?
私の心臓はワニワニパニックと多希ちゃんのせいで跳ね上がっていて、今日は簡単には眠れないかも。
トントン
<お薬の時間ですよー>
「はーい、今行きます」
私は動かない足をベットからおろし車椅子に乗った。
今日も素敵な日を過ごせた。明日は何しよう。