『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
親友と遊んでる時、好きなことに熱中してる時、
大人だって、高校生だって中学生だって、子供のように、笑顔ではしゃいで楽しんでいる。
その時はとても幸せで、その時間がとても楽しいと思える。
昔は楽しかったなぁー、と子供の時の事を思い返すより、大事なのは今どう生きるか。どんなに歳をとったって、どんなに辛いことがあっても、いくらでも子供のように笑顔で楽しい時間を過ごすことはできる。
だから、どんなにうちのめされようと、どんなにしわくちゃなお年寄りになっても、子供のように楽しい時間はあるんだって信じ、頑張って生き続けて欲しい。
子供のように
「子供のように」
無邪気に笑って
ずる賢く生き抜く
社会人になった私は子供のようにそのままの感情を表に出すことはできないけど、家にいる時くらいは剥き出しで生きたいな
「『子供』はこれで3回目なんよ……」
5月13日頃の「子供のままで」と、6月23日の「子供の頃は」2度あることが3度あったが、さすがに4度目の「子供」はあるまい。
大きなフラグを立てる某所在住物書き。約4〜5ヶ月前自分で書いた文章を、せっせと辿って確認する。
アプリ内での過去作参照が面倒になってきた今日この頃。初投稿など、何度スワイプしても到達できぬ。
おお。記事数よ。汝、合計約230の膨大な物量よ。
「子供の頃のように、某森ページの個人サイトで、自分ひとり用のまとめでも作りゃ良いのかねぇ……」
所詮約230の文章量をコピペしてコピペして飽きて計画頓挫が関の山である。
――――――
最近最近の都内某所、某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしておりました。
狐の神社は不思議な神社。五穀豊穣から商売繁盛、諸芸上達に諸願成就、なんなら家内安全に良縁招来あたりまで、なんでもござれ。
特に秋彼岸の前後2ヶ月で販売される、ヒガンバナと狐を模したお守りチャームは、そこそこ効果がある気がすると評判。狐のおまじないが少し掛かっているから、当然なのです。
ヒガンバナの、複数ある花言葉の中のふたつは、「独立」と、「想うはあなた一人」。縁切りも縁結びも対応可能なヒガンバナが、稲荷神社のご利益を得て、悪縁を絶ち良縁を引き寄せます。
でも稲荷の狐は祟ります。悪い心のひとがお守りを買うと、お守りはたちまち毒を吐き、悪い心のひとを懲らしめてしまうのです。
お守りが、助けてくれるか、逆にお守りにやっつけられてしまうか。それはその人の心次第。
今日も今日とて……
「縁結びと縁切りだとさ。お前、あいつとの縁切りに、ひとつどうだ」
「は?」
善良な心と魂の匂いをした親友2人が、秋空に雲かかる、稲荷神社の売店にやって来ました。
ひとりは8年前の初恋で酷い目に遭い、その失恋相手と逃げて追ってを繰り広げているぼっち。
もうひとりは十数年前結婚した妻子持ち。
妻子持ちがぼっちを誘って、稲荷神社に来たのです。
友情だ。キレイな心だ。おやつくれる人だ。
稲荷神社在住の化け狐、その内の末っ子子狐が、神社にお金を落としてくれるお客様を感知して、
てってっちって、てってっちって。
子供のような好奇心で、というより子供「のように」どころか子供「そのもの」なのですが、
売り場を観察しに、やって来ました。
「あの人との恋愛沙汰なら、あと2週間3週間で完全に片付く。わざわざ縁切りなど、する必要は無い」
「お前が田舎に帰るから?仕事も、自宅のアパートも全部始末をつけて?」
「お前も見ただろう。8月28日、あの人が私を追って、職場にまで押し掛けてきたのを。……これ以上、職場にもお前にも、後輩にも、迷惑をかけたくない」
「すいません。コレ、2個ください」
「私の話聞いてたか宇曽野?」
お金を払って、お守りを受け取って、子供のようなイタズラ顔で、ヒガンバナと狐のチャームをぼっちの両耳に近付ける妻子持ち。
ほんの少しだけ寂しげで、しかしやっぱり、とっても楽しそうです。
「似合う」
「やめろ。そもそもピアスじゃなくてお守りだろう」
「金具を付ければ良い。嫁が得意だ」
「お前の嫁さんを巻き込むな」
休日作業の技術料込み、555円でどうだ。
だから、やめろ。いらない。
ぼっちと妻子持ちの親友ふたり、あーだこーだ会話して、神社の売り場から離れていきます。
「若いわねぇ。昔を思い出すわ」
売り子さんが優しく笑って、ポツリ言いました。
「おばーばも500年くらい前、恋の揉め事でアレやコレや、苦労したのよ」
慈愛の目でふたりを見送る売り子さんは、彼等の悪縁を払うため、ひと声コンと、鳴いてやりました。
今更、普通の子供のように振る舞うには私達は傷付きすぎたのだ。
未熟なまま真っ正面から受け止めるしかなかったのだ。
いつも子供のようにありたい。
きれいな瞳でいたい。
笑いたいときには笑いたい。
泣きたいときには泣きたい。
でも残酷ではなく優しくありたい。
「ただいま」
「おかえり。ご飯あっためるね」
「頼むわ。あと、これ」
持っていた箱を渡すと、中身が何か予想がついたらしく目尻を下げる彼女。漫画の世界なら間違いなく黒目の中にハートがあるだろう。
「ありがとう。開けていい?」
「どーぞ」
「わーい」
そうやって、子供のようにはしゃいで喜ぶからつい甘やかしちゃうんだよな。
「モンブランとザッハトルテだ。どっちがいい?」
「お前の好きなほうでいいよ。チョコのほうだろ?どうせ」
「うん。良くわかったね」
それぐらい分かる。お前はすぐ表情に出るから。好きなものにはとことん素直。俺に向かって笑う時もそう。俺もちゃんと、彼女の“好きなもの”の一部に引っくるめられているというわけだ。
「冷蔵庫入れとくね。あとで一緒に食べよう」
時々。こういう何でもない日を送りながらも不安になることがある。こんなに平和な毎日なのに、いきなり心虚しくなったりする。それは平和ボケしてない証拠なのか、分からないけれど。
ただずっと、こいつと一緒にいたい。願うのはそんなシンプルなことなのに。俺の中では凄く重要で、生きてく上で必要不可欠なことなんだ。
「どしたの?ご飯チンしたよ」
「あー、おう」
だからこの先も、1日1日を、しっかり生きてこうと思う。ケーキ1つでとびきり喜ぶ彼女を大切にしようと思う。彼女が幸せを観じることが、俺の幸せだから。
子供のように
◯月◯日
彼はいつも僕を見つけると
一目散に駆け寄ってくる。
特に何も言わずひたすらに。
僕に触ると毎回
「タッチ!次は君が鬼!」
と言い、途端に笑顔になって
さぁっと離れてく。
これを追いかけずにいると
拗ねた顔で戻ってくる
追いかけていくと
殊更笑顔になって逃げていく。
毎回毎回何が楽しいのか
それでも
子供のようにはしゃぐ彼を
自由な箱庭で飼い続ける。
◯月△日
今日も彼
ずたずたに切り裂かれ
とても読める状態じゃない。
△月 日
彼はまるで子供のように
無邪気で
無垢で
残酷だ
彼はまるで
悪魔のようだ
死んでしまう
このまま続けるのは危険だ
処分を検討し始めてもいい頃だろう。
子供のように
幼馴染みが僕にはいる。
実家が隣だから子供の時は公園や空き地でよく遊んだ。
今は、お互いに色々あって別々の場所で暮らしている。
けれど時々、連絡を送ってはお互いの状況を確認したりしている。
今日も連絡して久々に地元に帰って、買い物でもしようと言う話になった。
また、地元で子どものように遊べたらいいな。
子供のように。思えば子供の頃はなんの不安もなかったな。
体も精神も健康だった。今はどちらもぼろぼろだ。子供のように生きたくても現実がそれを許してくれない。
大人になってなにかいいことがあっただろうか。生まれてきてなにかいいことがあっただろうか。
なにもない。人生は虚無だ。なぜ虚無なのか。金がないからだ。
金がないとなにもできない。ただ労働で人生を消費していくだけだ。
人生は辛い。なぜ生まれてきてしまったのか。生まれてこなければ苦痛を感じることもなかったのに。
子供のように笑う
それが私だ。
だから彼も好きになってくれたんだと思う。
いつだって笑ってその場を明るくしていたから
私の周りには人が集まってくれたんだと思う。
もしも私から笑顔が消えたなら
子供のように笑わなくなってしまったら
きっと私には何も無くなってしまうんだろう。
そんなことも心の中で思いつつ
今日も私はみんなの中心で笑う
─────『子供のように』
幼馴染みと指先が少し触れあっただけで、妙な空気が張りつめる。そのまま繋いでしまえばいいのに、もう子どものようにはいかない。
あれだけ大人になりたいと思っていたのに、
年を単純に重ねてもいつまでも子どものままでいて、変なところで大人だと感じるをえなくなってしまったのだと実感する。
言葉の数を知るほど無口になる。
人の心がわかるようになるほど触れあうのが怖くなる。愛を知るほど痛みが増える。
たとえ幼馴染みだとしても、男女であるというだけで大きな意味が附随されてしまうし、それに応えなくてはと身体のどこかで感じているのかもしれない。二人きりでどこかに出かけるのにも、ただ指先を触れあわせるのにも、そこに理由を求められている。「距離感おかしいよ」と言われる。お互いに恋人がいればなおさらだ。
複雑な関係ではなかったのに、そんな風に思うだけ、私が変わってしまったのだ。さっき指先が
重なったのにも「ごめん」と咄嗟に呟いていた。何が「ごめん」なのかわからなくても。あれだけ切望しつづけてきた大人になってしまった。
もう子どものようには。
「しゃきーん!」
駅のホームで、まだ小学生にも満たないような子供がはしゃいでいた。
土曜日だからだろうか、今日は家族連れや主婦の姿が多い。
僕は今日も仕事。
いつもと同じ時間に家を出て、慣れた道を通り駅まで来た。
でも、……そろそろ疲れてきたな。
毎日毎日、朝から晩まで働いて、くたくたになりながら家に帰った頃にはスーパーも閉まりかけ。
趣味を楽しめる時間を睡眠に充てて、朝まで寝たらまた仕事。
ようやくやってきた休日だって、体がだるくて起き上がる気力もない。
「こら、大人しくしなさい!」
母親が叱ると、子供はギャーギャー泣きわめきだす。
僕もあの子供のように笑い、泣けたなら。
もっと楽になれたのだろうか。
そんなことはないと知りつつも、今なお泣きわめく声を響かせる子供を、妬んだ。
子供のように
子供のように
子供のように泣いた
人の人生を左右する事情に絡み
子供の正義感を通す為に
悪事を悪事とすることに
とまどいながら大人(社会人)の
対応をした
安堵と複雑な思いが入り混じり
大人と子供がいる中で
子供のように肩を揺らせ泣いた
『子供のように』
私立日賀志高校、七人しかいない演劇部の一年生。
あぁ、今日はここで上演するんだ。
観客席のドアを開けて、降りている緞帳を見た。
ワクワクした。
緊張した。
だけど、自分にできることをやりきりたかった。
今まで何度も何度も重ねてきた練習。
先輩から貰ったアドバイス。
きっちり全て受け止めることはできなかった。
だけど、今の自分に表現できることを。
人物を生かす。
台詞がないときでも動く。
客の目は惹かずとも、「私」は生きているから。
紙の上の存在ではないことを
今日、証明する。
#子供のように
僕の妻は笑う時子供のようにきゃらきゃらと笑う。
体調が良くない時はその声が頭に響くこともあって勘弁してくれよ、と思うこともあるけど、それでも彼女のことが好きだから、僕は彼女の笑う姿を最後まで見ていたいんだ。
ねぇ、わらって
彼の、夫の最期の言葉は私に笑って欲しいというものだった。
だから、涙が目に溜まってたけど、それを拭って笑いかけた。
彼はありがとうと言ってそのまま目を閉じて二度と目を開けることは無かった。
子供の様に笑った
子供の様に泣いた
子供の様に割れた
『シャボン玉』
『子供のように』
目が覚めると、周りには馴染みの顔が一様に自分と同じように困惑した表情を浮かべていた。
私も含めた彼らは、冥界の嘆きの壁の前に集結し、その力をもって壁を破壊したが、同時にその余波で自分たちの肉体も消滅したはずだった。
自分の手をじっと見る。冥王に一時的に蘇らされた時の仮初めの肉体ではなく、正真正銘自分の肉体のようだった。
ふと、自らの体にアテナの小宇宙を感じた。これは、アテナの御力によって蘇ったということなのか。それはつまり、アテナがハーデスに勝利されたということだろう。そうであれば喜ばしいことだ。
だが、私はこれでいいのだろうか。芝居とはいえ聖域を裏切り、あまつさえ禁忌の技を駆使し仲間を葬った。そんな私に蘇る資格などあるのだろうか。そもそも、一度死んだ者が再び生を得るなど――
「カミュ!」
私の考えは、私を呼ぶ声に中断された。振り向くと、満面の笑みを浮かべたミロがこちらに駆け寄ってきていた。身構える暇もなくミロは私に抱きつき思わずよろめくが、すんでのところでその場に踏ん張った。
「ミロ……」
「オレたちが蘇ったってことは、アテナと、氷河たちはハーデスに勝ったということだな!」
「……きっと、そういうことだろう」
「やったな! おいカミュ、こんな時までクールぶってないでもっと喜べよ!」
私の肩に腕を回してそうまくし立てるミロの子供のように無邪気な笑顔を見ていると、私の細かい疑問や葛藤などどこかに行ってしまった。私は微笑む。
「そうだな。私も、また君に会えて嬉しい」
嘘偽らざる気持ちを素直に述べると、ミロは照れたようにはにかんだ。
20日目
子供のように笑う彼女が、優しく、微笑みかけるような彼女の笑顔が俺は大好きだった。
末期の癌にかかった彼女を亡くして3年。
笑顔で
「私のことは忘れて幸せになってね」
と言った彼女の目には涙が浮かんでいた。
3年たった今でも初恋だった彼女を忘れられない。
やんちゃだった俺をみんなが見捨てる中、彼女だけが俺の事を叱ってくれた。
その時、俺は心の中でこの人だけは大切にしよう。と初めて思えた。
そんな大切な彼女を亡くしてしまった。
彼女が空を舞った初雪の日、その日は俺にとって消えることのない永遠につ続く日になった。
子供のように無邪気だった君は
いつの間にか私より大人になっていた
ちょっと寂しいけど嬉しい
次会う時はもっと大人になってるかも
楽しみだな
また会えるといいけどね
〈子供のように〉