『始まりはいつも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
・始まりはいつも
目があった。ただそれだけ。本当にそれだけで私は恋に落ちた。
もっと相手を知るべきだ、とか。
惚れっぽい人は軽い人だ、とか。
それらしい事を言われそうだし私もそう思ってしまう時はある。
それでも心が動いちゃった以上はこれを「恋」と認識するほか無いのだ。
例えそれが分かりきった結末を迎えたとしても、私はこの浅はかな恋を大事にしてしまうのだろう。
始まりは少し背伸びをしてしまう。
自分をすこしでもよく見せようとしてしまう。
でもちょっと背伸びしてみて、気づいたらその身長になってることだってある。
でも背伸びって結構きつい。
きっと私は他人に存在意義を求めてしまっている。
背伸びをして、背伸びをして、くるしくなって。
いつの日か、虚像の自分を作り上げて走らせていることに気がつく。
でも、それでも他人に存在意義を求めて、誰かに認められたくて。
虚像の自分を、背伸びしている自分を、無理やり走らせる。
疲れたら背伸びは一旦やめよう。
それで幻滅されても仕方ない。その人たちは私の虚像が好きだっただけ。
本当の私を受け入れてくれる人がひとりでもいたら、それは虚像で稼いだ数字より嬉しくなる。
自分を見つけよう。
背伸びなんてやめて、ありのままでいよう。
─始まりはいつも─ #100
(背伸びしているから書けなかったんだ)
【始まりはいつも】
物語はいつもまっさらから始まる。
そのキャンバスになにを描くかはあなた次第なのだ。
溢れんばかりの色彩を使う人がいる。
あえて真っ白な絵の具で描く人もいる。
物語はいつもまっさらから始まる。
そして終わる時も全てをまっさらにして終わる。
見つけたもの美味しかったもの嬉しかったこと知りたいこと全部全部全部聞いてほしいのに
同じ熱量が返ってこないことがたまらなく苦しい
自分の分の面積ばかり広いトーク履歴を見ると消えたくなる
始まりはいつも突然にやってくる。心が感動するのだ。はっとする想いなどだ。雨の後の虹のように自然とやってくる。包まれたように空気が変わる。今は、別れの音が近くに聞こえる。だけど、今だに走り回ってくれる存在がいる。私も、リズムよく頑張りたい。
🪄🪄🪄
母が朧月のようだったと言っていた。ベランダで見えたと言っていた。私は見えなかったが、見たかった。2.3日前に見えたベランダ越しの月が良かった。
虹の写真が綺麗に撮れた。田んぼの奥の木から足元の目線で大きく出来ていた。良くやったと褒められたようで、嬉しかった。
電車を乗継市内に行ってきた。迷って小雨に濡れて歩いたので、体調が悪い。熱が無いので、少し休むとましになるが、頭重いし、少し気持ちが悪い。駅のお手洗い使ったので心配だ。
季節外れだが、ゆかたを着て接客をするのだ。日曜日午後からだ楽しみ。しゃんとしたい。
始まりはいつも108
臨時
また来週月曜日
始まり何時も唐突に突然に
何にも前触れもなく
気づいたら始まってたり…
ほら君の隣にもいるよ✨
恋はもう…
始まってるかもね✨
……
君に会う日は不思議なくらい…
雨が多くて…
水のトンネルくぐるみたいで…
幸せになる…
僕は上手に君を
愛せてるかい愛してるかい
誰よりも誰よりも…
今夜君の事を誘うから…
空を見てた…
始まりは何時も雨 …
ふたり星をよけて…
「始まりはいつも」
始まりはいつも君と、一緒に色々な事をした。
これからも一緒に色々な事をしたいなと僕は、思うのだった。
終わりから一番離れた場所で、
ポケットいっぱいの不安と、
それ以上のワクワクを持って、
始まりの合図を待つ。
──言葉より雄弁な。
同居人はお喋りが好きらしい。
仕事場に行く途中に咲いていた花の色から上司の失敗談まで、その日の起きたことを事細かに話してくれる。優れた頭脳のせいか、同じ話は二度しないし、読めない展開にはらはらさせられる。
くだらない事を笑いながら話す姿を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。それは、同居人が日々を穏やかに過ごせていることの証明にもなるからだ。
出会ったばかりの頃は、何かに追い立てられるようにずっと机に向かっていて、余裕が無いように見えた。実際、大事なものを守るために必死だったと知っているけれど。
ただ、いくら同居人が愛しいといっても、一緒に暮らしていれば不満も出てくるわけで。
「それで?」
「なに」
「その泣き腫らした目は何かな?」
「……」
帰ってきたら明らかに泣いた後ですという目元の同居人がいた。何も言わないから本でも読んだんだろうと思ってそっとしておいたら、やけにこちらに視線を向けてくる。
これが不満だ。普段はなんでも話すのに、本当に言いたいことは心の底に押し込んでしまう。しまい込んで押し込めて見ないふりをした先が、良い結果じゃ無いことなんて目に見えてるのに。
でも可愛いのが、言葉を押し隠する代わりに、話したいことがあるとじっとこちらを見つめてくる癖だ。
(始まりはいつも)
後日加筆します。テストから解放されるまで後少しです。終わったら沢山書きます……!
「始まり」は完璧ではなくてもいい。
きっと、最後には自分の納得のいく結果になるはずだから──。
僕は何かを始める時、よく消極的になる。
創作活動や友人関係など、色々な始まりはやっぱり腰が引けてしまう。
小説や手紙を書くときなんかいちばん怖かったりする。僕の思いを繊細な所まで文字として具現化し、綴ることが出来るのか、そして完成までこの物語を紡ぎつづけることが出来るのか。
まずプロットを書いてみて、気晴らしに珈琲を1口含む。プロットが完成したら1文字目、2文字目…と徐々に執筆していき、推敲の工程まで進める。こうして完成が近づいてくると安堵の気持ちと達成感で溢れてくる。一個人の考えだが、この時間がいちばん楽しいのだ。
初めの頃はまずは編集者さんとの友好関係を築くために差し入れをしてみたり、気晴らしに一緒に散歩して雑談してみたり。
何のことをしても大変なこともたくさんあるし、小説家やめたいなあ、なんて思うこともある。
けれど、数多の人と人とが繋がってこそ僕は生きていけるのだと実感し、はじめからうまく成し遂げなくても良いと考えるのが大切なのではなかろうか?
まずは1歩、踏み出してみるのが大事なのかもしれないと心の中で思うのだった。
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お題:始まりはいつも
僕が好きになったものが流行った。
僕が好きになったゲームが流行った。
僕が好きになった漫画が流行った。
僕が好きになった歌が流行った。
始まりはいつも僕だった。
気づいた。
「僕」じゃなくて「僕たち」だったこと。
始まりはいつも、
私のせい。
私が好きになった人は
私のせいで嫌われる。
ああ、馬鹿だな。私って。
好きになった人は別に、
私の事好きな訳じゃないから、
何やっても無駄なのに。
友達の段階飛ばして進もうとしたり……。
私、誰にも好かれない人間なんだなとも
思って辛くなる。
どうすれば、みんなに嫌われないんだろう。
始まりはいつも、向こうからのおはよう
戦闘服という名の制服を着て、髪を結って
存在証明の香水をふって。
どこから見ても可愛い自分を作って学校に行く。私から行かなくても、来てくれるからただじっと声が聞こえるのを待つ。私だけ1人。不安がサイレンのように心の中で鳴り響く。
「おはよう」
雨上がりの差し光のごとく、降り注ぐ私への挨拶が聞こえる。サイレンが止まる。やっと安心できる。良かった、来てくれて。そんな気持ちを込めながら挨拶を返す。
そんな毎日
が、続くほど私は人間関係において長けてなかった。
たった1回の口論から向こうからの挨拶が止まってしまった。ずっと鳴り響くサイレンが耳の底から離れない。抱いた怒りはやがて、重い重い不安と恐怖に変わる。
思えばいつもそうだ。話しかけてもらうのが当たり前、こっちからは絶対に話しかけない。そうやって、幾度となく友達を失ってきた。その度に、向こうが悪い、私は悪くないといらない壁を作って。自分を守って。
私は一生このままでいいのだろうか。
いつかきっと、本当に1人になった時過去の自分までも嫌いになってしまったら、、、
今、あの子に話しかけるのと、自分すらも嫌ってしまうのだったら。私は話しかけて、自分を愛せるようになりたい。
勇気をだして、話しかけた。
「お、おはよう、」
今度は、返事を待つ番。
始まりはいつも、私からのおはよう。
朝起きて家事の
始まりはいつも
お茶をわかすことから
長年の習慣で
初めは子供のため
麦茶 番茶 ほうじ茶
子供が独立してからも続き
今では 減肥茶
鍋に水を入れ
わかしてティーパックを入れる
ポットに入れると
ポットも少しあたたかい
始まりはいつもビックバンよりの健康一徹なカマンベールチーズ
運命のいたずらとか
ちょっとした偶然が重なった瞬間とか
ほんとにささいなきっかけ。
『始まりはいつも』
始まりはいつも
今日は以前から行く予定だった地元の作家さん達の個展を見に、小さなギャラリーへ赴きました。
2人の芸術家と1人の詩人が織りなす、静かで優しい色彩に囲まれた空間は本当に素晴らしくて、何度も回り見てしまいました。
四角いキャンバスにやわらかな色彩で塗られた絵と優美な曲線を多用して彫られた柔らかな彫刻に澱んでた心が浄化していく様です。
そして、それらの間に書かれた詩もとても優しくて、この場所にずっと居たいと思わせるほどでした。
先日見た国立美術館の作品も良かったのですが、今日見たこの小さなギャラリーに並べられた作品達にこんなに心を揺さぶられるとは思ってなかったです。
心から「行ってよかった」と思いました。
最近ホントに全部ダメで折れまくっていた私。
「ちょっと頑張ろうかな」
なんて立ち直るきっかけの始まりはいつも、こんな風に突然訪れます。
私も誰かに感動を与えられる人になれならいいんだけどな、なんて事を夢見つつ…。
次は何処へ行こうかな。
end
余談ですが。
その帰りに立ち寄ったアニメイ◯にて、私の大好きな推し彼、推しアニメグッズが撤去されておりました。
世間のブームは過ぎたかもしれないけど、私にはまだまだ胸アツ案件ですよ。ひどくないですか?
「ちょっと…頑張れないかも」
始まりはいつも
終わりになる
物事が始まってから終わるのは確定しているが、その終わるまでの道中が大事だということを忘れてはならない。
「そうだ、鎌倉行こう」
クイズ番組で鎌倉時代がテーマの問題が出題されたときだった。突然、君が言った。
「いざ鎌倉だよいざ鎌倉!」
君はグッと拳を握り、えいえいおーと高く掲げている。テレビを見ていて鎌倉に行きたくなったんだろうなあ、と理解はできる。君がどこかに行きたいというときはいつもこんな感じで、理由は結構単純なのだ。
「鎌倉って具体的にどこ?」
「え、寺?とか?神社?なんか歴史的っぽいとこいっぱいあるじゃん!そういう感じで!よろしく!!」
そして、いつもこう漠然としていて、具体的な行き先は僕に丸投げなのである。
「なるほど、わかった。来週の日曜でいい?」
「オッケー!!!」
こんな感じで突然決まった鎌倉行き当日。僕らは鶴岡八幡宮へとやってきていた。
「参道長っ!」「鳥居立派!」「建物すっご!!」
参道から歩きながら、君が感想を口にする。その笑顔は輝いていて、全身から“今楽しいですオーラ”が出ている感じだ。
「この場所は源頼朝公とゆかりの深い場所なんだよ。元々は頼朝公の祖先が――」
僕が話すうんちくも「ほう、ほう」と楽しげに聴いていた。ちゃんと理解してくれているのかは定かじゃないが、こうして楽しそうに聴いてくれると調べた甲斐があるというものだ。
そんな感じで、鶴岡八幡宮に参拝した後も鎌倉の名所をいろいろと周り、あっという間に夕方になった。
「いやー、めちゃくちゃ楽しかった!!」
帰り、駅のホームで、君が笑顔で言う。「僕も楽しかった」と言うと、君はまた嬉しそうに笑った。
「わたし、きみと一緒だと、特別たのしいんだよ。いつもいろいろ考えて連れてきてくれてありがと!」
始まりはいつも突然で、特に深い理由もない。具体性は何もなくて、いつも僕が必死で調べて計画を立てて、君を連れて行くことになる。
それでも、僕がこうして君に振り回されてもいいと思えるのは、君がいつも最高の笑顔を見せてくれるから。
君は次、どこに行きたいと言い出すだろう。その場所で、どんなふうに楽しんで、どんなふうに笑ってくれるのだろう。
次の始まりが、今から楽しみだ。
始まりはいつも炎。
まるで、自身を火葬するような。
抜けた髪や切った爪を嫌悪するのは
それが自分自身だからだ
私だったものを簡単にゴミ箱にすれられようか
単調な空想ばかりに脳を酷使している
後ろめたさで息をする
コンベアの上を流れる魚を見下ろす
これが私でない証拠はないだろう
頭を落とされるまでの命拾いをする繰り返し
神に祈れば長生きできようか
死人に口が無いのなら、閉ざす者みな死人か
謂れもなく衣を濡らして生きるのだ
だって生きてる確信はないでしょう
一切合切を溶かす炎を始まりとする
沈黙は金。死人に口なし。というのなら、余地もなく燃えた方が楽だと思う日もあります。自他すべて嫌悪しつつも終わりに恐怖するよりは楽だと。まるで逆らわなくなった途端死んだような心地は気分が良くない。天国が存在するなら、死をもって初めて幸福は始まるのではないでしょうか。
日曜は暗いことばかり考えてしまいます。
みなさん一週間はどこから始まりだと考えていますか。
私は毎日。始まった日に終わる、そして終わるなら始まる。あたりまえですね。
始まりはいつも