透月燈

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「始まり」は完璧ではなくてもいい。
きっと、最後には自分の納得のいく結果になるはずだから──。

僕は何かを始める時、よく消極的になる。
創作活動や友人関係など、色々な始まりはやっぱり腰が引けてしまう。
小説や手紙を書くときなんかいちばん怖かったりする。僕の思いを繊細な所まで文字として具現化し、綴ることが出来るのか、そして完成までこの物語を紡ぎつづけることが出来るのか。
まずプロットを書いてみて、気晴らしに珈琲を1口含む。プロットが完成したら1文字目、2文字目…と徐々に執筆していき、推敲の工程まで進める。こうして完成が近づいてくると安堵の気持ちと達成感で溢れてくる。一個人の考えだが、この時間がいちばん楽しいのだ。
初めの頃はまずは編集者さんとの友好関係を築くために差し入れをしてみたり、気晴らしに一緒に散歩して雑談してみたり。
何のことをしても大変なこともたくさんあるし、小説家やめたいなあ、なんて思うこともある。
けれど、数多の人と人とが繋がってこそ僕は生きていけるのだと実感し、はじめからうまく成し遂げなくても良いと考えるのが大切なのではなかろうか?
まずは1歩、踏み出してみるのが大事なのかもしれないと心の中で思うのだった。
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お題:始まりはいつも

10/20/2024, 12:56:39 PM