『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「私を困らせて楽しいのは貴女だけです」
「あんたのそういうところが嫌いなのよ!」
ヒステリックに彼女は叫んだ。
そうは言われてもなぁ……
仕事に私情を持ち込まないでほしい。
上司に「ふたりで話し合え」と言われたが、歩み寄りというものは、お互いにしないと意味がないと思う。どちらか片方だけではダメなのだ。
それに、こちらの話を聞く気もない人と冷静に話し合えるわけがない。
だけど、これだけは言っておかねばならない。
「私のことをどう思おうが貴女の自由です。私のことを『死ねばいいのに』と思っていても、私は全然構いません。ですが、業務に支障が出るようなことはしないでください。私を困らせて楽しいのは貴女だけです。貴女が私に業務上必要な連絡を怠った結果、他の部署との連携に影響が出てしまいました。今回は社内だったので、まだいいです。もしこれが取引先だったら会社としての信頼に関わると思うのですが────」
落語の『大工調べ』の啖呵のごとく捲し立ててしまった。私だって貴女のことは正直嫌いだ。それを言えたらどんなにいいか。でも私はそんなことはしない。仕事に私情は持ち込まない。
だが、今回、いくらなんでもマズイだろうということが起きたので、言いたいことは言った。
これで彼女が態度を改めてくれれば良いのだけど……そんなに甘くないか。
────好き嫌い
甘い物が好き。苦い物が嫌い。
お母さんが作る料理が好き。自分で作る料理は嫌い。
のんびりするのが好き。いそいそするのは嫌い。
空を見るのが好き。心が狭い自分が嫌い。
歌をうたうのが好き。歌が下手な自分が嫌い。
動画制作が好き。上手く行かなくて嫌になる自分は嫌い。
色々な好き嫌いが人それぞれあるよね。
嫌いな物や事も、工夫や見方を変えたら、努力したら…好きになれるかな…?
#55 好き嫌い
――好きです。
予期せずそう言われた瞬間、わたしはその人のことを嫌いにならざるを得なくなった。
家族がいるのに、なぜそんなこと言うんだろう。
混乱した。
悲しかった。
とてもやさしい、いい人なのに。
一人の人としては好きではあった。
それなのに。
なんて自分勝手な、残酷な告白をするんだろう。
その言葉が大切な人全員を傷つける言葉だと、どうして気づかないのだろう。
わたしは惨めにもなった。
恥ずかしくもなった。
家族に憧れていて、でも自分の事情で人よりそれを得るのは困難で、そんなわたしの事情などもちろん知らず、その人はわたしに好きといいながら、家族との幸せをわざわざ名指しで垣間見せたりする。
法律が違ったら、国が違ったら、価値観が違ったら、ショックも受けず、うれしいと思うのだろうか。
この「好き」と「嫌い」が不思議なまでに、愚かなまでに、共存してくっついている「好き嫌い」は、なんなのだろう。
そしてそんな好き嫌いを心に棲まわせながら、無視をして、何事もなかったように接しているわたし。
仕事に支障が出ないように、距離を置きすぎないように、でももちろん近づかないように。自分勝手に、今まで以上でも以下でもなく接している。
サイコパスは、二人いるのかもしれない。
私たちが暮らしているこの世界では、よくアプリで作り話として動画で取り上げられるように、好感度が数値化され、頭上に浮かんでいる。つまり、この世の人としての判断基準はこの頭上の数字によって決められている。好感度が高い、即ち数値が大きい人は社会から必要とされ、一流企業への就職や特待生入学など、人生において様々な利益がもたらされる。が、好感度が低い人は、社会の最低地位の人種とされ、増税が課されたり就職や進学において不利となる。
今この私の手記を見ているであろう貴方からしたら、こんな世界はおかしいと思うだろう。だけど、私たちは生まれた時からこのおかしなルールに従って生きてきた。今更この頭上の数値抜きで、人の善し悪しを判断する事は到底不可能なのである。
平均の数値は真ん中の五十とされていて、それより上回っていれば、無論好感度が高いとされる。私の頭上には六十三という数値が浮かび出されているが、この数値はまだ中の上といったところで、上の上ともなると九十以上の規格外の数値が浮かぶ。そんな上の上の人間は、十年に一度現れるか現れないかと言われる奇跡の逸材と言われている。
私は一度だけその奇跡の逸材の人をこの目で見たことがある。その人こそが、私の幼馴染の紗倉愛花(さくらまなか)だ。花のように沢山の人々から愛されてほしい、という両親の思いを見事に具現化したような人だった。彼女は人に愛される為に生まれてきた、と言ってもいいほどで、誰もが惹かれる笑顔と愛嬌を持ち合わせ、愛情深く責任感が強い性格で、成績優秀、抜群の運動神経、容姿端麗、と誰もが憧れるステータスだった。そんな完璧な彼女を嫌う人は本当にごく僅かで、彼女の頭上の数値はいつも九十五をキープしていた。
先程彼女は私の幼馴染だと紹介したが、彼女と私の扱いの差が歴然と現れたのは中学校からだった。幼稚園や小学校の頃は、まだ物心ついている者が少なく、人に対して興味を持ったり、恋心を抱いたりすることが無かった。が、中学生は一番多感な時期で、彼女は勿論男女共に人気を博し、告白など日常茶飯事のように行われ、多い時には一日で五人の男子生徒に告白されるほどの人気っぷりだった。更に、成績優秀な彼女は常に学年のトップの成績を取っていて、生徒会長にまで推薦された。そんな住む世界が全く違う彼女と私に距離ができるのは、至極当然のことだった。彼女はいつも人に囲まれていたので、一緒に登下校することは疎か、会話をすることも出来なくなっていった。定かではないがその頃で、彼女の数値は既に九十を超えていたと思う。
高校はそれぞれ違う所に進学したが、地元での彼女の噂は一切絶えることが無く、彼女の両親はいつも近所の人に持て囃されていた。私も実際その現場を見たし、彼女の高校での話も(風の噂ではあるが)沢山耳にした。高校でも彼女は沢山の生徒から支持されていたらしく、二年生で生徒会長を務め、年下から年上まで沢山の生徒からアプローチを受けていたという。そんな彼女の就職先は勿論一流企業だったが、彼女は将来政治に関わる仕事をしたい、と昔から言っていたらしく、政治についての勉強をして政界進出を狙っていると聞いた。彼女の父親は国会議員だったし、母親は大臣レベルの人の秘書をしていたので、彼女の将来は既に安泰だと、近所の人は言っていたし、私もその言葉に頷けた。
そんな人気者だった彼女はある日突然、自ら命を絶った。それは本当に当然の出来事で、誰もが驚き、悲しみに暮れた。内定は決まっていたし、政界進出への一歩は既に踏み出していたのにも関わらず、一枚の遺書を残して彼女はこの世を去った。遺書を読んだ彼女の母親は、これは遺書ではなく、頭上の数値に踊らされ続けた私たちへの当てつけの手紙のようだ、と話した。後にこの手紙を読ませてもらった私は、ある三文に目がいった。
「私は十年に一度の奇跡の逸材じゃないし、頭上の数値は私自身を可視化したものじゃない。
この数値になる為に、期待を裏切らないために、奇跡の逸材たちがどれ程の努力をしてきたのか、この世界は何も分かっていない。
もう期待されることに疲れてしまいました。」
お父さんお母さん、私を奇跡の逸材として育ててくれてありがとう、と彼女らしく手紙の最後は締めくくられていた。
彼女も私と同じ、ただの一人の女の子だった。この世界中に沢山存在している女子高校生の一人だった。そんな彼女が奇跡の逸材で居続けるために、どれ程の努力をし続けてきたのか、どれ程の重荷を抱えていたか、幼馴染だったはずなのに、私は全く知らなかった。いや、知ろうとしなかったのかもしれない。どんなに悔やんだって遅いのに、私はその日、もう表情を一切変えることの無い笑顔の彼女に、ただひたすら謝ることしか出来なかった。
この経験をしてもなお、私は未だに頭上の数値を見る事でしか、人の善し悪しを判断出来ない。当たり前だと脳内に刻み込まれたこの世界のルールを、今更上書きする事など私には出来なかったのだ。でも、この彼女の死を通して、私の中で彼らに対するある思いが生まれた。それは"奇跡の逸材"と呼ばれる彼ら、彼女らは数値が高いからとその肩書きを嵌められたのではなく、ただ人に好かれようと、誰にも知られず努力をし続ける十年に一人の天才たちを、人々が"奇跡の逸材"と呼んだのだと。だからこそ、私は愛花のような努力の天才たちが輝く本当の理由が、好き嫌いなんかの単純なものでは語れないような気がするのだ。
最後にもう一度。
"奇跡の逸材"と呼ばれた天才、紗倉愛花は私の幼馴染だ。それは彼女が死んでも変わらない。
そして、私が彼女を心底憎み嫌っていたことも変わらない。
「好き嫌い」
権力者のタワーでは大体の時間が定められている。ユートピアにはない時間を大体推定で計っているらしい。人間界と同じような時間の流れにしているらしいと誰かが言っていた。
そして、七と十二と十九の時にご飯が出る。別に食べなくてもこの世界では生きていけるが、食べたいのなら食べてもいい、そんな娯楽的な扱いだった。
さて、そんなこんなでご飯を食べたボクは、デザートにあったプリンを持って演奏者くんを探していた。
ボクはプリンが嫌いなのだ。黄色いところは甘すぎるし、黒い部分は苦すぎる。中間ぐらいが欲しい。
「⋯⋯⋯⋯権力者?」
後ろから声がかかり、振り向くと演奏者くんが立っていた。ボクのことをまるで何か変なものを見るような目で見ている。
「演奏者くん」
「⋯⋯⋯⋯どうしたんだい、その格好」
彼に言われて、そういえば着替えたんだっけ、と気づいた。
いつもの格好とはほど遠い、とまではいかないが、白色のTシャツに、黒色の長ズボン。靴だけがいつもと同じもので少しばかり浮いている。
「あ〜、えっとね。もうそろそろ寝ようと思って」
「違う」
彼はボクの方に来ると、首の辺りに触れた。
「なんだい、これは」
その時にようやっと識別番号が刻まれている首輪が襟で隠せず丸見えであることに気がついた。
しまった、なんてことが瞬時に頭に浮かぶ。とんだ大失態だ、これは。ボクが偉い立場ではないことが分かってしまう。慌てるようにボクは言った。
「⋯⋯権力者であるという証明だよ。君とボクが立場が違うことを示すためのやつ」
「⋯⋯⋯⋯首輪、じゃないかい?」
「チョーカーだよ!! 全くもう、君ってやつは」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そう、なのか」
全く納得してなさそうな顔で彼は呟いた。
「あ〜、もう! これ、君にあげる! じゃあね!」
ボクは彼の手にプリンカップを握らせて、さっさと退散した。
それにしても、彼が首輪に触れた時、心臓が大きく鼓動した。
⋯⋯⋯⋯好きな人にあんな近い距離で触られたら、そうなるのも当然だけど。
「好き嫌い」
貴方のその人懐っこい笑顔が好き。
貴方の見とれるほど真っ黒でサラサラの髪が好き。
貴方のその人を信じる強さが好き。
貴方の透き通るような白い肌が好き。
貴方の全てを見透かす様な青い目が好き。
貴方の桃色の頬が好き。
貴方の時々見せる静かな横顔が好き。
貴方の口で紡ぐ綺麗な言葉が好き。
貴方の実は怖がりなところが好き。
貴方の繊細な手が好き。
貴方の実はぬいぐるみが好きなところが好き。
貴方の星のような綺麗な歌声が好き。
貴方のすぐに顔が赤くなるところが好き。
でもね、何時も私を置いていく所が嫌い。ほんの少しだけど嫌いなの。
私は貴方の好きになれたのかな。
貴女の父君や母君は、よく貴女に好き嫌いをするなと言いましたね。貴女の大好きだったあの女性も、貴女は人の選り好みをしすぎると貴女に注意したことがありました。
けれど、今俺たちは思うのです。好き嫌い、選り好みをして何が悪いのか、と。
貴女は、貴女の心が求めるように生きるのが良いのです。人はそういう風にできています。各々の持つ魂の示す方向へ、皆進んでいくべきなのです。最も分かりやすくその方位を指し示して見せてくれるのが、貴女の「好き嫌い」なのですよ。
ですから、これからの貴女は、ご自分の好き嫌いをむしろはっきりさせ、実際にその通りに動いてみてください。嫌なものは嫌。好きなものは好き。そうはっきり仰って世界に示し、嫌なものは身の回りから排除し、好きなもので生活を埋め尽くしてください。
そうして自らを幸福にし、日々を全力で楽しんで生きてください。
好きと嫌いに仕分けたら、手元には何も残らなかった。
仕分けたつもりで全部手放していた。
私は何が好きで嫌いだったんだろう。
#好き嫌い
好きは愛して、嫌いは特に好きじゃないだけよ
あれもこれもそれもあなたもあの子もあの人も
どれもみんな好き、好き、好き。
そんな世界を願っていよう
きっと好きで溢れたのならしあわせだ
(好き嫌い)
私は母から食べ物の好き嫌いに関して「好き嫌いがあるのはいい。だけど、食べれないのはだめ」と言われてきた。
確かに、大人になって会食の場などで「嫌いだから食べれません」とは言えない。
母の教えは正しいと思った。
これは、食べ物に限らず他のことにも言えるのではないだろうか。
人に関しても「好き嫌い」はあっていいと思う。「あの子はなんとなく自分と合わないから嫌い」「この子は一緒にいて楽しいから好き」
このようなことを心で思うのは自由だ。
ただ、それを表に出してはいけない。
あからさまに自分の嫌いな人を避けるのは良くないので、最低限の付き合いみたいなものは必要だ。
それにしても小さい子どもはいいなぁ。
「あれは好き」「これは嫌い」「あの子は好き」「でもあの子は嫌い」がはっきり言えて。
大人になるにつれて好き嫌いは複雑になっていく。嫉妬、恋愛感情なども絡んでくる。
子どものときのように純粋ではないから。いろいろ考えてしまうから。臆病だから。直接口に出して「嫌い」とは言えなくなる。
だから、みんな裏で言う。それが、俗に言ういじめというやつなのだろうか。
「相手の気持ちを考えて行動する」なんて、言葉だけ。
本当に相手の気持ちを考えて行動することがいじめを無くすことに繋がると思っているなら、
裏で言うのではなく、本人に直接「あなたのこういうところが私は嫌いなんだ。だから、こうしてほしい」とはっきり言えばいいのではないか。
直接はっきり言うことが問題なんじゃない。
その言い方が問題なのだ。自分の思っていることを自分の言葉で伝えれば、きっと、相手もわかってくれる…はず。
・好き嫌い
人間関係に好き嫌いはあって当たり前
好きな人とずっといれるわけではないし、
嫌でも嫌いな人と話さないといけないときもある
世の中ってそういうもんだよね
『好き嫌い』
私は貴方が好き、貴方は私が嫌い
片思いで、友達未満な関係は毎日私に棘を刺す
貴方の笑顔が他の人に向けられる瞬間私は息ができなくなるほど大きく鋭い棘が私の心を刺す
あぁ、どうかこの恋が早く終われと願う
好きなこと
ドラゴンボール見てワクワクすること
楽しいことしてわらうこと
マラソンする事
たくさん食べること
ラーメン、ご飯etc. . .
嫌いなこと
人を気遣って喋ること
しゃべること
会話のキャッチボールすること
わたしは幸せ者で、毎日が「好き」で溢れている。
仕事に行くためにだるい、眠い、と言いながら起きて浴びる朝日の光も、好き。
お休みの日に昼まで寝て過ごして、あーあまた無駄にしたな、って気持ちで食べる遅い昼ごはんも、好き。
眠たいのになんか勿体なくてなかなかベッドに行けない夜も、好き。
きっと、それらを「嫌い」な人は沢山いると思う。
でも、わたしは「好き」。
だってどんな時を過ごしても、その一瞬一瞬はわたしの大切な人生だから。
せっかく今日も自分なりに頑張って生きているのだから、「嫌い」だなんて勿体ない。
誰にも褒められなくても、全然報われなくても、ただその瞬間を「好き」って思えたら、きっとずっと頑張れる。
ああもう嫌い、って思わず言いそうになる場面でも、いや待てよ、ってほんの数瞬だけタンマ使って
「好き」に変換していきたい。
馬鹿げているし、利己的すぎるかもしれない。
でも、気持ちのもち方ひとつで見える世界は変わる。
わたしだけの「好き」で溢れた毎日は、間違いなく誰のものよりも幸せで素晴らしい私の人生になる。
茶漬けは好き、特に鯛なら最強
酢の物は嫌い、酸っぱいものは好きじゃねえ
フクロウが好き、あの眼に惹かれる
書道が嫌い、決められた通りに書かされるのが気に入らねえ
あの人が好きだ、いつだって優しかったから
あいつが嫌いだ、いつだって見てくれないから
この思いをどちらかに分けることができればいいのに
"好き嫌い"
No.8
お題「好き嫌い」
音楽好き、絵好き、お寿司好き、海好き、散歩も好き。
虫嫌い、学校嫌い、クラス嫌い、先生嫌い、にんじん嫌い。
幼い頃から好き嫌いがはっきり分かれていた。
好きなものは狂うほど好きだし、嫌いなものは死にたくなるほど嫌い。
趣味だっていっぱいあるし、多分恵まれてる。
でも虫とか、学校とか、傍からみたらくだらないもので僕の人生は壊れていく一方。
好きとか、嫌いとか、全部僕のわがままだってことくらい僕が一番わかってる。
いつの間にか嫌いが、怖いになって逃げて逃げて。
気づいたら好きもわからなくなってた。
好きなものは多分今も好きだ、でも以前のような純粋な気持ちじゃない。
それでも追いかけ続けてた好きも、いつしか追うのが怖く、恥ずかしくなって。
僕に嫌いがなかったら、そう何度思ったことか。
他人の嫌いの感情より、僕の嫌いのほうがきっとよっぽど大きいんだろう。
だからただ逃げてるようにしか見れてない。
僕が弱いだけ。
好きとか嫌いとか言う資格も僕には無いだろうに。
【好き嫌い】
「かわいい」が好きだ。
フリルにリボン、キラキラのラメにスパンコール。ふわふわのぬいぐるみに、とびっきり甘いパンケーキ。
胸が思わず高鳴るような、愛すべきものたち。
しかし、どうやら「かわいい」にはいろいろな制限があるらしい。そして、どうやら自分は、適応外らしい、と言うことも成長するにつれてだんだんわかってきた。
確かに、似つかわしくないと言われるのも無理はない。自分がかわいいが似合う子だったなら。鏡を見るたびに、ため息が出た。
あるとき、そんな子に出会った。ふわっと巻かれたボブに、くりっとした瞳。細い指に、小さい足。優しい声、ゆったりとした言葉。お姫様がもしこの世界にいるならば、こんな子なんだろうと思った。
かわいい、が許されている存在。かわいいに囲まれている彼女を、ずっと羨ましいと思っていた。
「私、こーゆーの嫌いなんだよね」
それは、文化祭の前日の放課後だった。舞台の裏で、用具係であった自分に、ぽつり、と彼女は投げかけた。
本当は、パフェよりコーヒーが好き。ガラスの靴よりスニーカーがいいし、かぼちゃの馬車なんかじゃなくてハーレーで駆け回りたい。そうつぶやいた彼女は、なんだか弱々しく見えた。
「好きなものを好きって言ったらダメなの?」
言うつもりはなかった。けれど、不意に口をついて出てしまった。ありがとう、と小さく彼女は驚いたように、そして笑って見せた。
彼女は今、どうしているだろうか。
あの日の言葉は、自分に向けての言葉だったのかもしれないと、今でこそ思う。別に、あの子になりたいわけじゃないし、女の子になりたいわけじゃなかった。
ただ、かわいいものが好き。かわいいものを愛している。周りにどれだけ嫌われたって、好かれなくたって。そんなこと関係ないと、今なら言える。
行きつけのパーラーで、いちごたっぷりのパフェを頼む。ぬいぐるみに囲まれて眠る。
世界中の誰に嫌いと言われても、俺は俺の好きを生きるよ。
好き嫌い
(本稿を下書きとして保管)
2024.6.12 藍
「好き嫌い」
好き嫌いで判断して何が悪いんだろう
直感やセンスに理由はない
理由がないから変えようがない
変わりようがないんだ
好き嫌いをただの感情論だと捉えないで
ただの気まぐれじゃないんだ
筋が通ってる価値観なんだ
あなたの価値観を知りたい
私の価値観も知って欲しい
傷つけることもあるかもしれないけど
好き嫌いについて話したい
ひとりごと 「好き嫌い」
好き嫌いと聞いて思い浮かべるのは、人に対する好き嫌い。
特に私には嫌いな人がたくさんいる。いつからだろう。
嫌いになりたくて嫌いになっているわけではない。
なのに、人の嫌なところばかり目が行ってしまう。
たいてい、自分と関わる全ての人のことを嫌いになる。
でも、一番嫌いなのはそういう自分自身だ。
自分を変えたいと思いつつも行動できていないところ、継続が苦手なところ、自信がないところ、そのくせ承認欲求は強いところ。
自分が嫌いだ。
年を追うごとに自分をより嫌いになっている気がする。
だんだん人と関わりたくなくなっている。
だんだん生きていくのが苦しくなってきている。
毎日精一杯生きる中で、何かを見るたびにマイナスなことばかり思いつく。
生きていく中で考えることの9.5割がマイナスなこと。
そんなに人生がマイナスで埋め尽くされているなら死んだ方がいいんじゃないかと思えてくる。
それでもまだ生きているのは、最終話までアニメ化が終わっていないアニメを最後まで見たいから。
愛犬と旅行に行きたいから。
今死ぬのは勿体無い気がするから。
死ぬときは痛いだろうし、苦しいと思うから。
大した理由じゃないけどまだ生きてる。
生きていたらこれのために生きたいと思えるようなものに出会えるかもしれない。
夢が見つかるかもしれない。
今のところはぜんっぜん兆しは見えないけれど、いつか見つけられたら良いなと思う。
死ぬ前に。