『太陽の下で』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「太陽の下で」
幸せを望めないのはなぜ。こんなにも暖かな太陽の下にいるのに。
卑屈な心は美しい空を汚してしまうから...
空からも自然からも私を遠ざけた。
「太陽の下で」
太陽の下で子供達が元気に公園で砂遊びや滑り台、シーソー、ブランコで遊んでいた。
中には、鬼ごっこで遊んでいる子供達もいる。
ここは、広い公園だ。
今日は友達と、待ち合わせして一緒に出かける予定だ。
僕は、ベンチで座って友達を待っている。
僕の方に向かって歩いてくる人がいる。
友達だった。
「やあ!ごめん。少し待っていてもらって」
「いいよ。隣、座りなよ」僕は言うと、友達は隣に座った。
「渡したいお土産があったのに、持ってくるのを忘れた事に気づいて、一旦家に戻ったんだ」
「お土産?そんな気を使わなくたっていいのに」
僕は首を傾げて言った。
「いつもお土産とかもらってばかりで、俺もお土産を渡したいと思ったからさ。喜ぶと思う」
「開けてもいいかな?」
「いいけど」
開けると、そこには、僕の喜ぶものが入っていた。
嬉しそうな表情が顔に出ていたのだろう。
僕の表情を見て友達が
「それをお土産に選んで良かったよ」と言った。
「ありがとう!」僕は言った。
「なぁ、公園来たのが俺、すごく久しぶりな気がする」
「僕もだよ。ここの公園、景色も綺麗だよね」
「そうだな。子供の頃から景色、変わっていなくて、びっくりした」
友達は、驚いた表情をして言った。
僕は、頷いた。
「太陽の下、二人で色んな公園の遊具で遊んだよね」
僕は、子供の頃を思い出しながら言った。
「ああ!そうだったなぁ。懐かしい」
友達は、隣で懐かしむ表情をしていた。
「懐かしいね」
僕は言った。
「じゃあ、行くか!」
友達がそう言ったので、僕たちは公園を後にした。
日焼け止めとアームカバー
UVカットの上着に目深にかぶった帽子
その姿じゃないと出かけられないわたしを
理解してくれるあなた
「太陽の下で」
病弱で、食事をあまり食べなかった娘。
ある日娘はこう言った。
「ねぇ、お父様。私ね、この世から開放されるときは、太陽の下がいいわ。⸺私の最期の願い、叶えてくれる?」
娘の願いの殆どを叶えてやれなかった私は、彼女の最期の望みを……叶えることにした。
娘を背負い、日傘を使い、太陽がよく見える花畑へ向かう。向かう途中に陽の光が当たらぬよう、気をつけながら。そして⸺
◆◇◆◇◆
「⸺セリカ、ついたぞ」
「んぅ………ぁ。ここ、きれい」
「そうだろう。私も、ここの景色は気に入っていてな。…セシリアの墓があるのも、この花畑だ」
「セシリア…お母様の、ですか。……死んだら、怒られてしまいそうですね」
「あぁ…そうだな」
娘にまだ、陽の光が当たらぬよう、ゆっくりと地面へと降ろす。自然を感じるのが楽しいのか、花を手折って匂いを嗅いでいる。⸺………っ。
「セリカ…そろそろ、日傘を閉じるぞ」
「⸺あっ……そうですね、お願いします。お父様」
日傘を閉じる。
その直後、身体全体に痺れるような痛みが走り、身体全体が沸騰するような熱さに襲われる。何度も経験した通り、身体のあちこちから煙が噴き出し、肉が焼けている臭いがする。
そしてそれは、娘も同じだった。
いや、娘からしたら、父親が同じ痛みを受けていることは、おかしなことだったのだろう。
私も陽の光を浴びていることに驚いた娘は、慌てるように言葉を紡ぐ。
「お…お父様!?お父様は日傘の下にいらしても⸺」
「何を言う。私がセリカと同じ痛みを受けない訳がない」
「なっ…ど、どうして!?」
私の返答を聞いて娘は、訳がわからないというような顔をする。⸺顔が歪むほどの痛みが続いているというのに……セシリアも、表情が豊かだったな。
「悲しいことに、私の身体は陽の光を浴びても消滅することは無い。おそらく、私の血は先祖に近いのだろう。だからこれは、私の推測になるが…私が死を迎える時は、先祖に習って、銀の剣を携えた英雄に殺された時だろう」
「………お父様は、死にたいのですか?」
「ふふっ…セリカ、私はね……セシリアに会う前から、死を待ち望んでいるのだよ」
私の答えを聞き、少しの間口を閉じていた娘は、何か悩んだような表情から、何かを決めたような表情に変わり、私への、最期の言葉を告げる。
「お父様。死んだ後、また会える保証なんてありません。ですから、しっかりとお別れを言います」
「⸺!…そう、か。わかったよ、セリカ。……さよならだ、セリカ」
「えぇ。……さようなら、お父様」
そうして別れを告げた娘の身体はすべて…⸺蒸発した。
骨すら残っておらず、この場に残されていたのは、娘が最期に身に着けていた衣服やアクセサリーの類いだけだった。
⸺その後、どのようにして城に帰ったのか、私は覚えていない。
◆◆◆◆◆
「お前が持ってきた、最低最悪と言われた、悪名高き吸血鬼の日記だが……ほぼほぼゴミだったぞ。魔法の記録が一つも無かった」
「えぇぇー……マジですか?それ。オレ結構苦労したんすよ?勇者サマに同行して、勇者サマ一行が吸血鬼と戦闘中にこっそり抜け出して、吸血鬼の私室を荒らして…それなのに、強力な魔法がひとっつも無いとか、オレ働き損じゃないっスか!」
「うるさいぞシュレン。貴様、戻ってきてから更に騒々しさが増したのではないか?」
「うぇ!?…そッスかね?」
「うむ。……貴様をクビにしても、人材は足りてるぞ?」
「ひぇっ!?ちょっ、真面目に!真面目に働くので解雇だけはマジ勘弁してください!!!⸺あっ!オレ、本部の掃除手伝います!今のオレができる仕事をやりますんで、では失礼します!!!」
「………口を挟む間も無く、逃げられてしまったな。まぁいいか、どうせシュレンは捨て駒に近い。⸺ククッ、我らが闇ギルドがこの国を制することは、闇ギルド設立時から決まっている運命なのだよ…フハハハ!」
【誰かの大事は誰かにとってはゴミ同然】
おまけ
「よぉし!ここの掃除完了!それじゃ、次の場所を…⸺あり?なんッスかね、この穴ぁぁぁ!?!?!?」
【とある男、異世界へと呼び寄せられる。しかし、最後はきっと、妖に……。】
日焼けした薬指のあとを
互いの指先でなぞって
暗い闇の中
溶けて消える
【太陽の下で】なんて
あたしたちは会えない
お題「太陽の下で」(雑記・途中投稿)
……最近朝六時頃でも暗いから全然起きられないの困る。いや早く寝れば済む話なんだろうけど。
太陽を浴びると狂った体内時計が正常に戻るって聞くけど、大体の仕事は日中建物の中にいるんじゃないかなぁ。気のせい?
今日は太陽の主張が激しくて、木の下に行きたい
木の下に女の子がいた
君は笑うけど 誰なのか、私は君を誰なのか知らない
誰かの名前を呼んで微笑んでいるけど その名前の主も誰なのか知らない
ああ君は
青い空
ふかふかな雲
やわらかな日差し
ぬくもりに
君とまどろむ
―太陽の下で
《眩しい光に焼かれる》
あの人は笑顔が似合う人だった。
太陽の下で、太陽に負けないくらいの明るい笑顔を見せてくれる人だった。
周りも明るくするような人。
眩しいくらいに明るくて、みんなに好かれてた。
あの人の顔を思い出すと、必ず笑顔が思い浮かぶ。
そんな人の隣に立った時に、自分の暗さがより目立ってしまうことだけが嫌だった思い出がある。
あの人は悪くない。
でも、そんな私の嫌悪感を知らないで隣に立つあの人を
私は心のどこかで嫌っていたのかもしれない。
陰鬱そうな暗緑の中庭に降り注ぐ幾筋の光。
夜露から生まれた白く淡く発光する朝の霧。
朝霧を喫する鮮やかな若葉のもみじと燻んで老いた竹林。
お行儀良く空を仰ぎ、ゆらゆらと揺れる浅緑の芝生。
芝生を囲う木々の群れから溢れる木漏れ日を、白い水のように味わう草花の朝食。
風のようにそっと庭の真ん中に立った私と目が合った木陰の中に瞬く青い瞳。
おはようと太陽の下で私はおじぎをする。
陽光の照明がご機嫌麗しゅうと一層輝いた。
(241125 太陽の下で)
太陽の下、君の黒い瞳に光が当たり薄茶色く輝いた。
そんなに明るい目をしていたのか。この人の目を死んだ目なんて、誰が最初に言い出したのだろう。
こんなにも綺麗なのに。
【太陽の下】
おひさまぽかぽか温かい日曜日の朝。
今日はいいお散歩日和だ。
歯を磨いて顔を洗って朝ご飯を食べたら出発!
近くの公園を通って、小川を通って、さらにちょっと遠くに行こう。
母校に足を伸ばすのもいいなあ。
太陽の下を歩くだけでこんなに楽しい気分になるのは初めて。
休みの日くらい私は私らしく生きようと決めてから、世界はこんなにもきらめいている。
やりたいことをやってみよう。行きたいところに行ってみよう。美味しいものとか甘いものとかいっぱい食べよう。今日ぐらいは。
また明日からはお仕事が待っているんだから。
太陽の下で
カーテンを開いて 大きく 息を吸う
朝の爽やかな瞬間
コップ一杯の水を飲む
目が覚める
そして わたしは 朝の
初めての 栄養に
牛乳を飲む
ともこ
「太陽の下で」
そろそろ太陽の下で
胸張って幸せって言ってみたい
『太陽の下で』
バイバイ…
明日友達が引っ越してしまう。
最後なので今日は朝からずっと遊んでいる。
いい天気だ。暗くなるまで遊んだ。
さみしいな……
「ねぇ。離れても友達でいてくれる…?」
「もちろんだよ…」
そうして僕は彼と最後のあいさつをして別れた。
さみしいけど楽しかった。
大切な友達と太陽の下で楽しいひとときを。
僕は一生忘れない。
氷雅
体重減少、止まったみたい
2024/11/25㈪日記
太陽の下で
陽の光りは眩しくて
その眩しさは
闇とは違う怖さを孕む
眩しくて何も見えない夢を見る
それはまるで天に召されるような
太陽の下で日向ぼっこ お昼食べた後だと最高に気持ちいい
寝たらいけないのにウトウトして最終的には眠りに落ちる
目が覚めると体がのぼせたように熱くて頭に霧がかかってる
ずっと日向ぼっこしていたい
何もかもがうまくいかないから、人は時折立ち止まり、心を痛め、優しささえ失いそうになる。
愛情に包まれてこの世界に誕生したあの日は、生きるにつれて遠ざかり、祝福されていたのかさえ忘れてしまいそうだ。
自分は生きるに値するのか、なんて、考えても意味のないことを考え、駅の雑踏に紛れてしまったら、砂浜のそのひと粒にしか過ぎないことに気付かされる。
それでも生きるのは、あの日に生まれて、生きるチャンスを与えられたから。
この世界でうまく生きられなくても、何度失敗して挫折を味わっても、それは生きているが故の経験だって分かってる。
そこから新たに何かを始めることだって、すべてを変えてしまうことだって、跡形もなく壊してしまうことだって、自分次第で可能なはずだ。
灰色に濁った空の隙間から、待ち望んだ陽の光が届く日は必ず来る。
私達はいつだって、太陽の下で生きているから。
そこから貰った力を、原動力に変えられるから。
そうだよ、人間だってきっと、光合成が出来るんだ。
葉緑体すら持ってないけど、二酸化炭素を吐き出してるけど、太陽のエネルギーを自分のものに変えることぐらい、きっと私達だって出来るんだ。
だからうまくいかない日は、立ち止まって空を仰ぐよ。
そして深呼吸。
これが私達の光合成なんだと思う。
生きるエネルギーを充電して、また歩き出すためのパワーを手に入れよう。
大丈夫。
そうやって、数え切れないほどの人達が生きている。
自分だけじゃない。
生き方は人それぞれだけど、みんなおんなじ人間なんだよ。
「太陽の下で」
最近ネットやらニュースやらで、親の経済力による体験の格差が取り沙汰されてる。
確かに一理あるんだけど、何だか納得が行かない。
音楽とか、ある種のスポーツとか、ディズニーとか、海外旅行とかはどうしてもお金がかかるから、経済力は必要だと思う。
でも、お金以外の理由でそれらを経験しない家もある。
単純にディズニーに興味無いとか、人混み嫌とか、待つの嫌いとか。
音楽やスポーツに興味がない、嫌いだから、しないとか。
飛行機嫌いだから、車とか電車で国内旅行はするけど海外旅行には行かないとか。
ざっと思いつくだけでこれだけのお金以外のしない·出来ない理由があるから、きっと私が思いつかない理由なんて、もっと沢山あると思う。
だから、単純に経験の有無を経済力の格差として扱うのはどうかと思う。
確かに、経済的な理由でこれらの経験が出来ない事実はある。
でも、親の経済力で語りたいなら、したいけど経済的な理由で出来なかった家と、単にしたくないからしなかった家を区別して、その上で経済的とか資産で比較すればいいと思う。
逆に、お金がかからない太陽の下での遊びや経験。
それは、親の気持ちの余裕と時間と体力や健康が大いに関係してくると思う。
公園での遊び、水遊び、雪遊び、花火、キャンプ、ハイキング、登山、アスレチック、ボランティア。
屋内でいえば、無料の展覧会やイベントも沢山ある。
お金をかけずに遊んだり経験したりする方法はいくらでもある。
むしろ、簡単にお金で買える経験よりも、かけがえのない経験かもしれない、って思う。
ただ、それらはお金があっても時間がないと難しい。
お金と時間があっても、気持の余裕があって、健康でないと行こうと思えない。
その気持の余裕やら時間やら健康も含めての経済力なのかもしれないけど、単純に経済力だけで語られると違和感しかない。