「太陽の下で」
最近ネットやらニュースやらで、親の経済力による体験の格差が取り沙汰されてる。
確かに一理あるんだけど、何だか納得が行かない。
音楽とか、ある種のスポーツとか、ディズニーとか、海外旅行とかはどうしてもお金がかかるから、経済力は必要だと思う。
でも、お金以外の理由でそれらを経験しない家もある。
単純にディズニーに興味無いとか、人混み嫌とか、待つの嫌いとか。
音楽やスポーツに興味がない、嫌いだから、しないとか。
飛行機嫌いだから、車とか電車で国内旅行はするけど海外旅行には行かないとか。
ざっと思いつくだけでこれだけのお金以外のしない·出来ない理由があるから、きっと私が思いつかない理由なんて、もっと沢山あると思う。
だから、単純に経験の有無を経済力の格差として扱うのはどうかと思う。
確かに、経済的な理由でこれらの経験が出来ない事実はある。
でも、親の経済力で語りたいなら、したいけど経済的な理由で出来なかった家と、単にしたくないからしなかった家を区別して、その上で経済的とか資産で比較すればいいと思う。
逆に、お金がかからない太陽の下での遊びや経験。
それは、親の気持ちの余裕と時間と体力や健康が大いに関係してくると思う。
公園での遊び、水遊び、雪遊び、花火、キャンプ、ハイキング、登山、アスレチック、ボランティア。
屋内でいえば、無料の展覧会やイベントも沢山ある。
お金をかけずに遊んだり経験したりする方法はいくらでもある。
むしろ、簡単にお金で買える経験よりも、かけがえのない経験かもしれない、って思う。
ただ、それらはお金があっても時間がないと難しい。
お金と時間があっても、気持の余裕があって、健康でないと行こうと思えない。
その気持の余裕やら時間やら健康も含めての経済力なのかもしれないけど、単純に経済力だけで語られると違和感しかない。
11/25/2024, 12:18:15 PM