『夢と現実』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
《夢と現実》
保全させていただきます。
いつも読んでいいねを下さっている皆様にはいつも本当に感謝しております。
この場をお借りして、御礼を申し上げます。ありがとうございます。
このアプリは時に残酷だよね。
昔見ていた夢を思い出してしまった。
もう、叶う筈のない夢。
とうに諦めて忘れていた筈の夢。
このまま自分が終わることに
寂しさを感じてしまったよ…
(夢と現実)
初めて一目惚れをした。
夢の中で出会った彼。
黒髪の外国風パーマの男の人。
人生も疲れて精神的にやられてたときに
添い寝してくれて落ち着かせてくれた。
でも、そんな時間も長くはない。
「はぁ、目覚めてしまった。」
夢と現実は叶う確率も少ない。
それでも、私は現実で会いたい_ そう思えた。
数ヶ月後_
私はいつも通り学校に向かう。
電車に乗って学校に向かっている途中。
私は一人の男の人に目線を向けた_
「あの人…たしか何処かで…」
夢と現実
私の夢は創造主と同じ
未来永劫、皆で共に良くなり続けること
夢と現実はあまりにかけはなれていて、気付いたときには凄く落胆したけれど、夢があったからこそ現実に気付けたと思うと夢を見ても良かったなと思える。少しの間だったけど、夢を見させてくれてありがとう。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!!」
ナニカが追って来る
暗い森の中をがむしゃらに走って、走って、走り続けた。
しかしどれだけ走って逃げてもソレは僕を捕まえようと迫ってくる。
森はどこまでも暗く、自分が一体どこへ向かって走っているのかも分からない。
どこでもいい、早く、早く遠くに…!
捕まったら終わりだと本能が叫んでいる。
息が苦しい。手足がちぎれそうだ。
もうとっくに限界を越えて体中が悲鳴をあげているがそれでも足を止める訳にはいかない。
「はぁっ、はぁっ、……っうわ!?」
走り続けていよいよ視界も霞んできたその時、とうとう木の根に足を引っ掛け盛大に転んでしまった。
「!?〜〜痛っ、………っ、に、逃げ、ないと…!」
ここで止まってる暇は無い。だが一度走ることをやめてしまった身体は鉛のように重くなかなか起き上がれない。
無理やり足に力を入れてフラフラと立ち上がったところで周りの空気が凍てつくような温度に変わった。
心臓がドクリと嫌な音を立てる。
「!!…………っ…」
そんな、もうここまで…?
だめだ振り返るな、考えるな、逃げろ
分かってはいるのに身体は金縛りにあったようにピクリとも動かない。逃げろ、走れ、と頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響く。流れ落ちる冷や汗を拭うことも出来ず自らの意思に反してゆっくり、ゆっくりと振り返ると……
───暗く冷たい闇は眼の前まで迫ってきていた。
─────
──────────
「ッうわあぁぁぁ!!!?」
叫びながら勢いよくベッドから跳ね起きる。
静かな部屋に自分の荒い呼吸音だけが響き渡り、ようやく今まで悪い夢を見ていたのだと気づく。
「…は、はは………夢、か…」
未だ微かに震えている手をギュッと握りこんで深呼吸する。
目を閉じると間際に夢で見た光景がフラッシュバックして思わず身震いした。
大丈夫、大丈夫、ここに奴は入って来れない。襲われることは無い、大丈夫…。
何とか自分に言い聞かせたが、恐らく今夜はもう眠れそうにないだろう。
早々に寝る事を諦め起き上がるとベッドサイドの棚に沢山の小包が置いてあるのが目に入った。
「……そういや、みんながチョコレートくれたんだっけ…。」
曰く、甘いものを食べると気分が少し良くなるらしい。
小さな包みをひとつ摘んで月明かりの差し込む窓枠に腰掛ける。
そのままぼんやり外を眺めながらチョコレートを口に放り込むと優しい甘さがじんわりと身体に広がった。
「………、はは、うん、甘いや…」
ほんの少し先程よりも張り詰めていた気分が和らいだ気がする。
じわりと滲んだ視界に気付かないふりしてもうひとつチョコレートを口に放り込んだ。
#夢と現実
HPMA side.S S8 幕間の話
「夢と現実」
現実は思ったより残酷だ。
そう思ったことは無いだろうか?
自分は最近実感している。
現実は友達関係や学校などたくさんの悩みがある。
友達と過ごす日々は楽しい。
けれど、しんどい、疲れると感じることもある。
いつだって現実は重く自分に伸し掛る。
夢の世界のように好きなことをしていきたいと思うがこんなことは出来ない。
現実と夢は近いようで遠い。
夢を現実に出来る人はそうそういない。
現実逃避をするために夢に逃げる。
それは悪いことではない。
ただ、現実からは逃げられない。
という事実が存在しているということ。
『無神論者は言う』
馬が合わない人には
なぜ合わなかったのかを諭す
そうしないといつまで経っても
お互いの世界が
変わらないような気がして
僕が今まで書いた内容はこういうのあればいいなっていう夢だけど、この話を書いてるのは現実、みたいな。
伝わりましたか?
これどういうの書くか迷ったんだけど、書きたいの書くと長くなるし、時間無いしでこうなりました。
ー夢と現実ー
「都合の良い夢」
これは夢だとわかってる。
現実の私は病院のベッドの上。
どれくらい体が動くのかわからない。
もしかしたら、指一本も動かせないかも。
そもそも、どれくらい時間が経っているのか。
一晩かもしれないし、何日、何週間、何年かも。
目を覚ますのが、怖い。
いつ死んでもいい──だなんて言って。
そのくせ、やり残したことはたくさんあったのだ。
やらないうちから、諦める理由をつけていただけで。
声が聞こえる。
私の名を呼ぶ声が。
覚悟を決められないまま、私による私のためだけの都合の良い夢は、もうすぐ終わる。
この夢の世界のことは、きっと忘れてしまうだろう。
────夢と現実
私は誰もが振り返る美少女 誰もが目をそらすブス
そんなこと知らない私 誰よりも知っている私
ある王子様を見つける 王子様なんて存在しない
どぎまぎしながらも 声をかける相手なんて
声をかける いなかった
すれ違った恋路 一方通行の孤独
それでも進んでいく 一生抱え込む
2人 一人
想いをぶつける 愛を伝える相手は
相手は目の前に 二次元に
重なる唇は 画面に近づき
夕焼けの教室 我に返る
暗い夜空のした 暗い部屋の中
唯一暖かい掌 冷たい涙
心温まる家族と 独りで啜る
囲む夕食 伸びたカップ麺
贈り物の入浴剤 3日は入っていない
湯船に包まれる私 風呂場を見つめる私
ふかふかのベットで 煎餅布団に転がる私
眠る私 眠さなんて知らない
夢と現実。
現代に生きる人たちは、この二つの要素を対義語的に理解している感じがする。
生と死みたいに考えているっぽい。
例えば人生を1と置く。
睡眠時間に1/3、現実世界に2/3の割合で充てているのだから、夢より現実の方を重要視するのはごもっとも。
夢は、大ぼら吹き。現実逃避として利用される悪の組織。
夢の時間たる睡眠時間をなんとかして削ったほうが良いと考え、僕たちはショートスリーパーに憧れてしまう。
学生時代は徹夜したり、夜更かしすることに対して罪の意識がない。
睡眠時間分、人生は損をしているわけだから、その分削って現実世界に生きたほうが得をする。
まだ、この時代には不老長寿の薬なんてないのだ。
そんなことを、生まれた時から植え付けられている。
しかし、どこかのブログでかすった知識を披露すると、今から150年くらい前の江戸時代では、人生とは、現実の世界と夢の世界、その両方を繰り返し経験するのだと思っていたらしい。
現実、夢、現実、夢……。
その繰り返しで、人生という名の時間が進む。
これを読んだ時、僕はなるほど〜、と思った。
つまり、昔の人達は、ちゃあんと「無意識」と「意識」を区別して、それらを包含して人生というものを生きていたのだ。
一方、現代人たちは、意識の世界にのみ生きようとして、もがき苦しんでいるらしい。
養老孟司先生の本を読んだ時は、
「意識の世界とか何いってんだコイツ」と思っていたのだが、つまりそういうことか。
先ほど書いたように、現代人は自分の脳に住まう意識を王様のように考える。王様の絶対王政を強いている。
1日の1/3を睡眠時間という名で時間を「捨てている」と考えがちだから、1日は2/3しかない。
王様はそう考える。すると、自然に無理なことを声高々に宣言することになる。
「だから、人生を効率よく生きよう」と。
無意識の世界を区別してこれを放棄し、思考能力がある時間のみに注視した。
現実(瞬断)、現実(瞬断)、現実……。
現代人は、よく精神を病みがちだとされているのは、そういうことだと思う。
人生の時間に対する姿勢が、給料が天引きされたが如く、何者かの手によって脱落しているため、その時間を取り戻そうとして効率的に、効率的に……、と思うようになった。
これを自覚すると、現実と夢は両極端な概念ではなく、数直線を引いた時のように、水平的になる。
現実、夢、現実、夢……。
その繰り返し。
普通に考えて、人生の時間は「倍」になるわけだ。
あるいは、夢の時間は脳にとって休憩時間である、という再認識も進んだ。
だから無意識について理解するために、夢の世界とは一体どのようなものなのだろうと調べ、発掘していった。
夢占いとか、諸行無常とか、無常観とか。
マインドフルネス(禅)、芸術、祈り、彫刻鑑賞……
今の現代人には、まったくもって理解不能と切り捨てられた思想だが、もうちょっと調べようと僕の好奇心は提案する。
きっと昔のほうが、時間がゆっくり進んでいたのだ。
効率化を考えていったから、時間が早く感じるのだ。
江戸時代が終わって150年くらいしか経っていない今。
人生の効率化を目指していって、生きづらいと思えるからこそ、人生に向き合う必要性に駆られた。
夢と現実
夢と現実の境目とは、いったいなんなのか。
答えは簡単。寝ているときに見るのが夢で、目覚めているときに見るのが現実だ。よって、自分が寝ているかどうかが境目だ。
あるいは。理想の自分が夢で、理想ではない今の自分が現実だ、と対比的に使用する場合がある。いずれ自分が理想に近づいていくならば、夢と現実は連続的だ。境目をはっきり決めるのは難しいと思う。
今回は前者について考えてみることにする。
寝ているときに見る夢。目覚めているときに見る現実。
胡蝶の夢、という話がある。
夢の中で私は蝶になっていた。私であるほうが現実である。
蝶は夢の中で私になっていた。蝶であるほうが現実である。
どちらかが絶対的に正しいと、どうして言えるのか。
今この瞬間、ここに存在する私こそがが現実だと、あるいは夢だと、知る術を私は持っているのだろうか?
私は今、文章を書いている私である。
しかし今朝の夢の中では、小学生時代の私であった。
あなたは今、文章を読んでいるあなたである。
しかし今朝の夢の中では。
考えてみても仕方のないことだが、そういう不要な考え事をするのが好きな人間というのは一定数いるものだ。私もその一員である。
少なくとも今文章を書いている私にとっては、今文章を書いているこの世界が現実である。ひどく現実的な夢を見ている可能性は否定できないが、しかし私は私だ。
夢の中の私と、今ここにいる私。
どっちがどっちか分からずとも、その間に境界線は確かにあって、互いに干渉することはない。
夢の向こう、もしくは現実の向こうにいる私に思いを馳せる私は、確かにここにいる。それが私にとって唯一の真実である。
夢の中で起こったことが現実にも起こったらいいのに。そう思ったのは何度目だろうか。
現実は悩みが多くて、難しい。
特に人間関係。
解決策はあるのかな。
もう、考え方を変えるしかないのかな。
誰か教えてよ。
幼稚園年少さんの頃、人生で初めて将来の夢を訊かれたとき、私が答えたのは『お姫様になりたい』だった。
フリフリのレースの付いたドレスを着て、薔薇の咲いた庭園で優雅に紅茶を嗜む。みんなに尊敬されるお姫様。そういうものに憧れていた。
あの頃は本当に自分でもそういう存在になれると信じていた。現実は、ごく一般的な中流家庭の子どもで、フリフリのドレスとも薔薇の庭園とも縁遠かったのに。
それから30年弱経って、今はごく普通に働いている。
白いシンプルなブラウスに黒いスラックスで、家ではだいたい白湯を飲んで生きている。うちの庭には薔薇の一本も無い。誰かに尊敬される人間になれているとも思えない。
現実は、幼い私が思い描いた夢とはかけ離れている。
幼い頃の夢とはかけ離れた今だけれど、この自分も私は結構好きだ。
毎日一生懸命働いて、休日には友人と会ってお茶したり、趣味のイベントに行ったりする。こんな現実も悪くないと思っている。
お姫様にはなれなかったけれど、それでいい。
幼い頃の夢は大切に心の奥の箱に仕舞って、等身大の現実を私は生きていく。
夢を持つ 楽しいですね いつも 夢を見ています それが 現実するんですよね 不思議ですよね 自分では そうした 星の下に 生まれたみたい
『夢と現実』
生まれたばかりのヒヨコ達が庭で元気に遊んでいます。そこへお母さんニワトリがやって来ました。一羽のヒヨコが側に来て
「ねぇ、お母さん。お母さんはどうして白い色をしているの?」と尋ねました。
「それはね、ニワトリだからだよ」とお母さんは優しく答えました。
「ぴよちゃんはヒヨコだから黄色だけれど、大きくなってニワトリになるとみんな白い色になるの」
「そうなんだ!」
ぴよは目を輝かせました。
「じゃあぴよもニワトリになったらお母さんと同じ白い色になれるんだね!早くニワトリになりたいなぁ」
するとお母さんが笑いながら言いました。
「大丈夫。沢山食べていればその内なれるから」
それからぴよは沢山食べました。葉っぱも米もミミズも好き嫌い無くもりもり食べました。毎日兄弟達の何倍もの量を食べ続けました。
やがて早くニワトリになりたかったぴよはニワトリ…にはまだならず、大きな大きなヒヨコになりました。
『夢と現実』
夢を見ていたかった。
暖かく、自分に残酷でない夢を。
しかし、夢の中で生きることは不可能。
夢を現実に殺される者、夢を必死に守る者、夢と現実を愛す者、現実を嫌う者、夢を嫌う者…
たくさんの者が、今日も生きている。
今日も、現実はただそこにある。
いくら嫌っても、そこにあるのだ
『ヒーロー』
私には夢がある。いや、あった。関わる人たちを皆幸せにできる、ヒーローのような人間になりたかった。
だけれども現実というのは非情なもので、この両腕で抱え込もうとしたものはするすると零れ落ちていく。
全ては私が未熟だったが故に招いたこと。たった一人幸せにする力も持たないのに、まるで自分が全知全能の神にでもなったかのような錯覚をした。そんな人間が抱えきれないほどの関わりを持てば端から瓦解していくのは自明の理だった。
取りこぼしてしまった人たちの私に対する軽蔑。失望。相手はそう思っていないだろうことは安易に想像が付くが、それでもやはりふとした時にこんな考えが頭を過ぎる。
そして、まるで自分を被害者の立場に置くような、そんな考えをしてしまう自分に嫌気がさす。そんな自己嫌悪になる思考の循環を繰り返していた。
そんな私に残ったのはたった一人。幸せに出来るかは分からない。むしろ不幸にしかねないだろう。
でも、こんな私を見捨てずに側に居てくれる貴方を手放すことはできなかった。本当に私がヒーローなら、ここで貴方から離れる決断をしなければいけないのに。
しかし、人を救うヒーローになりたかった私は、いつの間にかヒーローに救いを求める弱い人間に成り下がっていたようで。だから私は、ヒーローらしからぬことを思い願う。
私 を 捨 て な い で
絶対に貴方だけは、この手から取りこぼさない、と。
──お題:夢と現実──
──余談──
思ったよりも風邪を拗らせてお休みが続きました。皆様も体調には十分お気を付け下さい。
キヨコはよく夢を見た。とても鮮明で現実と区別がつかなくなることがよくあった。そんな時は決まって『ゆめ診断師』を探した。『ゆめ診断師』は自分がそう呼んでいるだけで、実際にそんな職業があると聞いたことはない。
『ゆめ診断師』はキヨコが探せば必ず現れて、キヨコが「これは夢ですか?」と聞けば必ず「ええ、そうですよ」と答える。するとすぐにキヨコは眠りから覚めるのだった。
何度も経験したから、これはキヨコの夢の中で起こることで、そもそも「これは夢かしら?」と思うことも、夢の中でしか起こらないと理解していた。『ゆめ診断師』は夢だからこそまかり通る不思議なイベントなのだと思っていた。だから日常生活で誰かに話したことはないし、目が覚めているときに意識することもなかった。
その日、キヨコはアルバイトをしていた。すると自分から少し離れたところに『ゆめ診断師』がいるのを見つけたのだ。
キヨコは目を疑った。なぜなら彼はキヨコが生み出した空想の産物で、現実世界にいるはずがないからだ。顔も風貌も着ているものも、すべてが夢で見る『ゆめ診断師』と同じだった。
こんなことは初めてだ。あれが『ゆめ診断師』だとしたら、いま私は夢の中にいるということなのか? 自分が夢だと自覚していない時に、目覚めて現実に戻りたいと思っていない時に、向こうから『ゆめ診断師』が現れることは一度もなかった。それに私はいまが現実だと自覚している。
動揺は次第に恐怖に変わっていく。イマジナリーの存在なんか作るべきじゃなかった。いや好きで作ったわけでもない。
だんだんと、これが夢ならと思えてきた。そうか、いま、私はこれが夢か現実か分からなくなってきている。いまなら、聞いてもいいんじゃないか? あの人に「これは夢ですか?」って、いつものように聞いてみたら、いつもみたいに夢から覚めて…。
でも、もしそうじゃなかったら。この際、変な人だと思われるのは仕方ない。でも、あの人が現実にいることが確定してしまったら、私はこの世界で生きていける気がしない。もうこれが夢じゃないなんて信じられない。
ふと、バイト仲間のユミちゃんが彼に近づいていった。そしてこう告げたのだ。
「これは夢ですか?」
その瞬間、目の前が真っ白になって目が覚めた。